真の天皇陵-牽牛子塚古墳・越塚御門古墳-

2013-07-31 12:54:47 | 歴史あるトコ-奈良

2010年9月、「牽牛子塚古墳は三段築成の八角墳」!

そして

2010年12月、「牽牛子塚古墳の隣接地から石室を発見」!



ここを初めて訪れたのは、2011年3月でした。

その時は「あー、発掘中やからシートかけられてる・・・・」

(lll´Д`lll)ガビ━━━━━━ン!!

そう思ってました。

 

 

で、2013年・夏、再訪。

越塚御門古墳がどんなのか、見たいために・・・

 

 

 

でも・・・・・

 

あれ、こんなんだった?

 

記憶があやふや。

 

 

 

牽牛子塚古墳は7世紀半ばから8世紀前半の築造で、

以前から斉明天皇陵ではないかと囁かれていました。

 

再三にわたる発掘調査で、墳形が八角墳であることが判明。

八角墳は「天皇の陵墓」の形です。

そして隣接地から発見された石室は、斉明天皇の孫・大田皇女の墓の可能性が高いのです。

この古墳が越塚御門古墳と命名されました。


( 大田皇女の記事→こちらから  斉明天皇の記事→こちらから )

 

 

墳丘はシートで覆われており、南側に開口されています。

 

 横口式石槨で、内部は中央の石壁で2つに仕切られています。

 

 

・・・・・見た記憶がない・・・・

(HPや本では見たことあるけど・・・・)

 

 

そして古墳の横・・・・

草むら・・・・

 

ここが以前、シートがかかってた・・・・・

 

あれ?(llil!´Д`lil)n{…??〕

 

 

 

判 明 !

以前、訪問した際、「牽牛子塚古墳で新発見!」で、

シートが掛けられていた墳丘(牽牛子塚古墳)を、

「発掘の際に出た土の保管場所」と思いこみ、

シートがかかっていたトコを、「牽牛子塚古墳」と思ってたわけで・・・・

 

 

2011年の訪問時、牽牛子塚古墳を見ずに、

越塚御門古墳の発掘現場を見て、

「(牽牛子塚)古墳、見られへん・・・(lll ̄□ ̄)ガーン!!」

となった。・・・・ということですね・・・・


 

2011年訪問時に、古墳横にあった写真。

これは、牽牛子塚古墳の調査写真。


そして、こっちが越塚御門古墳の調査写真。

 

 

そして、今回気づいた文字・・・・このパネルの下に、

「牽牛子塚古墳は見学できます」

 

OH(人。≧益≦)ノNOooooooー!!!!!!


私としたことが・・・・

 

 

 

一度、行ってみて

奈良県明日香村  牽牛子塚古墳・越塚御門古墳



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