祖母の側に・・・・・-大田皇女墓-

2013-06-08 20:47:17 | 歴史あるトコ-奈良

史上初の重祚を行った

第35代皇極天皇・第37代斉明天皇の陵墓に向かいます。

 

661年に筑紫の地で崩御した天皇は、

息子・中大兄皇子に付き添われ、飛鳥の地に戻り、

越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)に葬られたとされます。


奈良県高市郡高取町の車木ケンノウ古墳が陵墓として指定されています。


さて越智崗上陵という名で分かる通り、小山の上です。

ε-(´⌒`。)ハァ。。

九十九折りの、陵墓独特の石段を登ると、中腹に一つの墓があります。


「大田皇女墓」


天智天皇の第一皇女として生まれ、叔父・天武天皇に嫁ぎ、

伊勢斎宮・大伯皇女悲劇の皇子・大津皇子の母君です。

 

 

大田皇女が亡くなった時、大伯皇女は7歳、大津皇子は5歳。

二人は母方の祖父である天智天皇に引き取られました。

 


 

同母妹の鸕野讚良皇女が、天武天皇の皇后となったことからみても、

長生きしていれば、大田皇女が皇后となったかもしれず、

大津皇子が皇太子になっていたのかもしれません。

 

夫・天武天皇の即位をみることなく、若くしてなくなった皇女。

愛するわが子が謀反の罪で断罪されることになるとは、

思っていなかったでしょう。

 

 

 

一度、行ってみて

奈良県 高取町  大田皇女墓

 



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