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スゴイもの、発見!-山田寺跡-

2013-07-02 12:53:03 | 歴史あるトコ-奈良

7世紀、蘇我倉山田石川麻呂そがのくらのやまだのいしかわのまろ)の発願で建立された山田寺

明治時代初期に廃寺となり、今はその跡地が特別史跡として残っています。


蘇我倉山田石川麻呂は蘇我馬子の孫。

そして持統天皇・元明天皇の祖父にあたります。


「上宮聖徳法王帝説」裏書によると、

641年に整地が始まり、2年後には金堂の建設が始まったとの事。


645年の乙巳の変の際、中大兄皇子や中臣鎌足と協力して、

従兄弟にあたる蘇我蝦夷を討ちます。

しかしそのわずか4年後の649年、中大兄皇子に対する謀反の疑いをかけられ、

この山田寺の仏殿前で自害しました。


石川麻呂の自害で、山田寺の造営は一時中断します。


実はこの一件、中大兄皇子の陰謀ともいわれています。

父を亡くした娘・遠智娘は中大兄皇子の妃。

「最愛の父を、最愛の夫が殺した」

この時、建皇子を身ごもっていましたが、出産後、亡くなってしまいます。

持統天皇の母君です。


この一件もあり、また生まれた建皇子が言葉を話せなかったこともあり、

中大兄皇子の母である皇極(斉明)天皇から可愛がられたともいわれます。



自害後、中断されていた造営も、孫である持統天皇の協力で、

685年頃、完成したようです。

復元図。四天王寺と同じ伽藍配置です。


現在は塔と金堂跡が、土で盛られています。



さて、この山田寺。

実はすごいものが発見されたトコです。

 土砂崩れにより倒壊したと思われる東面の回廊が、

倒れたそのままの姿で土中から発見されました。

(★´゜□゜)...。oо○スゲェェェ!!



今現在、保存処理され飛鳥資料館に展示されています。

(飛鳥資料館→次回につづく

 

 

 

一度、行ってみて

奈良県桜井市 山田寺跡

 



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