政治に振り回された天皇-六条・高倉天皇陵-

2013-12-04 21:57:53 | 歴史あるトコ-京都

生後7カ月で即位した第79代 六条天皇

二条天皇の第一皇子・順仁親王として生まれますが、

即位してすぐ、父帝が崩御。

生母は身分の低いため、二条天皇の中宮・藤原育子が養母となります。


しかし父・二条天皇と対立していた祖父・後白河上皇が、実権を取り戻すと、

寵愛する平滋子が生んだ憲仁親王に譲位させます。

つまり甥から叔父への皇位の継承でした。

その在位はわずか2年半でした。


わずか3歳で上皇となった六条天皇は、元服することなく、13歳で崩御し、

清閑寺の小堂に土葬されました。


そして擁立された憲仁親王は、第80代 高倉天皇として即位。

後白河上皇による院政が敷かれます。

1171年、元服した天皇に、平清盛の娘・徳子の入内話が持ち上がります。

後白河上皇も政権強化の為、清盛の力が必要なため、入内を認めます。

 

1178年、清盛の念願の皇子が誕生します。

言仁親王、後の安徳天皇です。

 

1180年、言仁親王に譲位し、その翌年に20歳という若さで崩御。

清閑寺に運ばれ法華堂に葬られました。

 

 実務をとる事もなく、周囲に翻弄された2人の天皇の陵墓は、

京都市東山区にあります。

 

中は、円墳(六条天皇:清閑寺陵)と

方墳(高倉天皇:清閑寺陵)に分かれているとのこと。

 

 

この扉の向こうに・・・・・・・・入りたい・・・・・・

 

 

 

一度、行ってみて

京都市東山区  六条・高倉天皇陵



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