かかりつけのお坊さん 奮闘編

転勤も定年もリストラもない、失うものは何もない最強な坊主が日頃の“感謝”を言葉にこめて、日常を綴ります。

みんなちがって、みんないい

2012-07-09 17:32:01 | 日記
今夜、金子みすゞさんを描いたドラマがあるんですね。







石井ふく子プロデューサーと、みすゞの長女金子ふさえさん


私が初めて、金子みすゞさんゆかりの仙崎を訪れたのは

10年前だったか。

仏婦の研修旅行ででかけました。

仙崎の町並みが一望できる公園から、町を眺め、

町の真ん中を走る“みすゞ通り”を散策。

仙崎は古くからの漁港で栄え、むかしは船団を組んで

クジラの捕獲もしていました。

金子みすゞが一躍有名になった、あの「大漁」という詩は、

その当時の港の賑わいを彷彿とさせます。

仙崎の町には、お寺が四つあります。

そのうちの三つが真宗で、あとの一つは他宗です。

そのお寺では、毎年「魚供養」をします。

そして、「鯨墓」なるものもあります。

鯨を捕獲し、浜で鯨の体を切り裂いた時に、

時々、赤ちゃん鯨が見つかることがありました。

当然、赤ちゃんも、もう死んでいます。

漁という生業は、時にはおかあさんクジラだけでなく、

赤ちゃんの“いのち”まで奪ってしまうという

深い悲しみが伴ないます。

当時の漁師さんたちは、その赤ちゃんクジラを供養する

お墓を建てました。


金子みすゞさんのお墓があるのは、確か、遍照寺と

言ったかな。

住職さんは不在のお寺で、代務の方が護持されて

いました。

そのお寺にお参りしたとき、長身でイケメンの若いお坊さんが、

出迎えてくださったのですが。

「先生!」

私を見るなり、私の方へ。

「先生、僕を覚えていらっしゃいますか」

「・・・・・・失礼ですけど」

「僕ですよ。●●ですよ。
 先生の授業を受けたんですよ」


前回の金子みすゞ役は、松たか子だったと思う。

今回は、上戸彩が主役を演じる。


夫からうつされた下半身の病気を患い、日常生活にも

妻として、母として、十分な務めができなくなって、

夫の方から一方的に離婚を言い渡される。

そして、当時は、離婚後の子どもの親権は父にあった。

みすゞは、明日、父方が一人娘を引き取りに来るという

前日、自ら写真館に行き、その予約券の上に、

娘にあてた手紙を添えて、この世を去った。

金子みすゞ、まだ、20歳半ばであった。

そのときの写真は、金子みすゞ記念館にある。

とても、美しい。。


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