晴れときどき・・・

旧街道あるき、古戦場巡り、城攻め、図書館通いの4本立ての日々を綴ります。。

高虎の城・・っていうか石垣

2013-11-07 22:45:23 | 城攻め
 めったに尋ねられることもありませんが、
「戦国武将で誰が好き?」っていう質問には
「二人挙げてもいいですか?」と切り返し、
一歩引かれたところで、
「本多忠勝と藤堂高虎」と答えることにしています。
「織田信長」とか「武田信玄」みたいにメジャーではないので、
だいたいこれで会話は終了します(笑)

 その「藤堂高虎」は「築城の名人」として知られるお方です。
近江の小豪族の出身でしたが、次第に頭角を顕し
(その話は長くなるので今回は割愛し・・)
徳川家康に絶大な信頼を得て彼の命令で
多くの城を築城しました。

 私は敬愛して止まない「藤堂高虎」が築城または
築城に関わった多くのお城を全部観て回るのが夢です。

 今回写真の整理をしていて
これまで訪ねた「高虎の城」・・というかその特徴的な石垣を
ご紹介させていただきます。

 酷くマニアックで単なる自己満足です。。

 まず天正13年(1585年)「羽柴秀長」に仕えていた頃に築城に関わった「大和郡山城」


 家康の命で縄張りした「膳所城」慶長6年(1601年)遺構は全く残っていませんが・・。


 慶長11年(1606年)江戸城大修理も担当


 慶長13年(1608年)伊勢・伊賀22万石の大名になり「津」に自身の城を築城

同じく慶長13年(1608年)大阪への守りとして築城した高石垣が有名な「伊賀上野城」
どんなに危険でもココだけは手すりは付けて欲しくありません。
ギリギリまで近寄って高さと美しさを実感して欲しいのです。。


 慶長14年(1609年)天下普請により縄張りした「丹波篠山城」
「高虎の石垣」のもう一つの特徴「犬走り」がよく残っています。


 元和5年(1619年)幕府の命により縄張りした「二条城」
この写真をみて「二条城」と気がつく人は相当マニアックなお方ですね。。
ちなみにお庭を担当した「小堀遠州」は高虎の娘婿になります。。

 同じく元和5年(1619年)幕府の命により石垣を普請しました。
和歌山城は豊臣秀長時代にも築城に関わったとの説もあります。
雰囲気がどことなく「大和郡山城」と似ていると思いました。
緑がかった石垣が特徴てきです(ここも石垣の写真のみ・・・)


 元和6年(1620年)徳川幕府による大阪城の大改修のときも高虎が関わっていました。
高く高く真っ直ぐに積み上げる石垣はまさに「高虎の城」です。


 高虎の石垣は写真では中々伝わらない気がします。
実物を見ると圧倒的な迫力があります。
彼は若い頃あの安土城築城に関わった「丹羽長秀」に仕えていました。
そこで学び取ったものは決して小さくなかったのではないかと思います。
「安土城」の石垣の回廊から江戸城の美しい切込み削の天守台まで
藤堂高虎という乱世を生き抜いた一人の武将を通して
技術は受け継がれ、歴史は繋がっているのだなぁと
ちょっぴり感慨に耽ったのでした。。

 最後に藤堂高虎は長い戦乱の時代に犠牲になった多くの御霊を鎮める為に
寛永3年(1623年)京都南禅寺に無骨で壮大な三門を建て寄進しました。

乱世の終結宣言だったのではないでしょうか・・。



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