真夜中のカップらーめん

作家・政治史研究家、瀧澤中の雑感、新刊情報など。

震災時の政権批判と、今後のブログについて

2011-03-31 01:17:56 | Weblog
何人かの方から、
「震災の非常時なのだから、政権批判はすべきではない」
というご意見を戴いた。

私も以前、本ブログに書いた通り、
災害時に政権担当者を批判する愚は避けたい、と、考えてきた。
が、どうしても現象面で見過ごせないことがあったので、
コメントをしてきた。

しかし、これまでの政治状況とは違い、
今は事実の確認が極めて難しく、実際に震災の現場に入ることも難しく、
物書きとして、無責任なモノ言いになる、と感じている。

友人にこの話をしたところ、
「君は君のスタンスで、たとえばこれから先の長期的な提言や、
歴史上の話から、復興のヒントを記してはどうか」
というアドバイスも戴いた。

しかし。
津波で押し流され、行方不明になった母親を、その災害現場で
「おかぁさぁーんっ!」と、大声で探している中学生の姿を見た時に、
「いま復興の話や、長期展望を言うのか?」と、自問自答してしまう。

政権批判は、絶対に必要である。
たとえば戦争をしている最中に、
「今は戦時だから」といって指導者を批判できなければ、
むしろ敗戦への道を進むことにもなりかねない。

復興の長期展望も、絶対的に大事である。
職場を奪われた人々の不安だけを考えても、
議論の余地が無いほど、即効の援助と長期展望は大切だ。

ゆえに、政権批判も長期展望も、書き続けるに値する。

しかしながら、私はできれば、
犠牲者家族や、行方不明の家族を捜す人々の心に寄り添いたい。
せめてしばらくは、その心の近くにいたい。

そうした人々もまた、自身の生活を成り立たせなければならないであろう。
経済的、あるいは法的な援助は国や地方自治体などが行えるとして、
私のような物書きができることは何であろうか。
それは、復興の中で忘れ去られるかもしれない犠牲者やその家族の心のそばにあって、
知識や情報を知らせるのではなく、
わずかでも「心の糧」を提供することではないか。
いや、単に無聊を慰めるだけでも良いのではないか。

そこで今後、本ブログは、たとえば被災者の方が読まれて、
少しでも癒しや、元気や、明るさや、穏やかさが取り戻せるよう、
震災とまったく関係のない話題にも積極的に触れていきたいと思う。

愛読者諸氏のご理解を、賜りたい。
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