真夜中のカップらーめん

作家・政治史研究家、瀧澤中の雑感、新刊情報など。

試される、国民の見識

2011-09-07 02:53:33 | Weblog
「野田政権に対する感想は?」
と、複数のメディア関係者から尋ねられたが、所信表明も行われていない段階で、良いも悪いもない。
だから、期待も絶望もしていない、と答えている。

世間では、外交も内政もぐちゃぐちゃにして辞めた鳩山氏や、
同じ民主党の仲間の多くから
「お願いだから早く辞めてくれッ」と、
悲鳴に似た辞職勧告を受け続けた菅氏と比べれば、
野田新総理はマシなのではないかと、そういう声が聞こえる。

そこで考えた。
たとえば。
入学以来2年間、100点満点で30点以下しかとれなかった子がいたとする。
その子が、100点満点で50点とった。
「よく頑張ったねえ!」と、先生は一応褒めてくれるかもしれない。

野田政権に対する期待値を間違えると、
まるで50点が素晴らしいかのような錯覚に陥る。

子どものテストなら、冷たいようだが、影響はその子だけのことである。
しかし、国政での50点は、国家国民全体が50点の中で生きていかねばならないことなのだ。
政治には常に100点を求めるべきである。
そうしてようやく、合格点の60点くらいになる。

要は、期待しつつ、厳しく監視すべき、ということである。
監視するには、監視するだけの見識を私たち自身が持たねばならない。
だいたい、見識のない国民が、どうやって見識のある政治家を選べるのか。

政治は政治家に丸投げしているのではない。
政治家に、一時的に権力を与えて、私たちの代わりに働いてもらっているのだ。

政治家には国家国民に対する責任があり、
国民には、見識をもって政治家を選び、見識をもって政治家を監視をする義務がある。

野田政権で試されているのは、
実は私たち国民の、政治に対する見識、そして監視義務でもあるのだ。
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