何から書いていいやら、なのですが・・・。
9月12日、母が息を引き取りました。
長いあいだ病気と闘って来た母ですが、今年の春に4度目の大きな手術があり、その後の経過が芳しくない状態が続いておりました。
そこへ来て、母には姑にあたるおばあちゃんが101歳で6月に亡くなり、その葬儀やら何やら、カラダがキツイ状態だったのに頑張っていた母。
ワタシもできる限りのフォローはして来ましたが、母も意地を張って頑張っていました。
しかも、病気の事を周りにはひた隠しにしていたので、無理に無理を重ねていたんだと思います。
夏にはもう誰が見てもビックリする程に痩せてしまっていました。
それでも、人から(あの人は病気なんだ)という目で見られるのがイヤだと、断固として隠し続けて。(おかげでワタシは大変でしたけど)
そしてお盆で帰った時、もう体力に限界が来ていて、これはもう無理だと病院に連れて行ったところ、そのまま入院。
ワタシも今回はもう長くないと分かっていたので、仕事も無理を言って月-木にさせてもらって、金-日は埼玉に通う日々でした。
それでも、入院中も普通に食べたいものを食べ、おしゃべりもしていたのですが。
9月6日、先生から頑張って半年と宣告を受けました。
そしてそれからたったの1週間。
その週はかなり元気がなく、看護師さんからも電話をもらっていて、週末は病院に泊まる予定で木曜日、いつもより早い時間に出発しました。
もうじき実家の最寄りI.Cというあたりでまた病院から電話が。
慌ててPに入ってかけ直すと、かなり危ないのですぐ病院に来てくれと。
実家にもよらずにそのまま病院へ行きました。
その時、すでに意識は朦朧としかけていて、かろうじてイヤイヤをしたり頷いたりが確認できる程度でした。
それでもまだ意識はあったのですが。。。
明け方、4時過ぎに心臓のモニターの状態が悪くなったとかで看護師さんたちが慌ただしくなり。
当直の先生から呼ばれ、「いわゆる、危篤状態です」と。
あわてて母の夫を呼び、8時過ぎて伯母にも連絡。
みんなの顔を見て安心したのか、少し落ち着いたようなのですが、先生からはその日一日もつかどうかと言われ、伯母と母の夫とで実家のある市内の病院に入院中のおばあちゃんを迎えに行ってもらうことに。
ワタシは母のもとに残り、すでに昏睡となっていた母にひたすら話しかけていましたが、二人が出て15分か20分くらいで、呼吸が止まってしまいました。
本当に信じられないくらい、静かな、眠るような最期でした。
もう何も考えられなくて、自分でもびっくりするくらい、声をあげて泣き続けていたワタシでしたが、その間、看護師さんがずっと背中をさすってくれていて、その手の暖かさは今も忘れられません。
病院のみなさんには本当に本当によくしていただきました。
それからのバタバタはご家族を送られた経験のある方ならおわかりかと思いますが・・・。
本当にバタバタでした。
ウチは色々と事情が込み入っていて面倒もあるのですが、でもたくさんの皆さんに助けられました。
母の昔の生徒さんや楽器店の、昔の担当の方まで、遠くからもお別れに来てくださり、中にはワタシにまでお心遣いをくださる長年のお付き合いの生徒さんも。
みなさんのお気持ち、本当に本当にありがたかったです。
まだまだ片付けなければならない事が山積み状態で、今後もしばらくは埼玉と新潟を行ったり来たりの日々になりそうですが。
各種手続きについては四十九日の法要を終えてから、ゆっくり取り組んで行こうかと思っています。
その前に、おばあちゃんの入所先を探すというミッションがあったりするのですが。
こちらとFBの方には何も書けないまま来てしまいましたので、まずは、ご報告まで。
9月12日、母が息を引き取りました。
長いあいだ病気と闘って来た母ですが、今年の春に4度目の大きな手術があり、その後の経過が芳しくない状態が続いておりました。
そこへ来て、母には姑にあたるおばあちゃんが101歳で6月に亡くなり、その葬儀やら何やら、カラダがキツイ状態だったのに頑張っていた母。
ワタシもできる限りのフォローはして来ましたが、母も意地を張って頑張っていました。
しかも、病気の事を周りにはひた隠しにしていたので、無理に無理を重ねていたんだと思います。
夏にはもう誰が見てもビックリする程に痩せてしまっていました。
それでも、人から(あの人は病気なんだ)という目で見られるのがイヤだと、断固として隠し続けて。(おかげでワタシは大変でしたけど)
そしてお盆で帰った時、もう体力に限界が来ていて、これはもう無理だと病院に連れて行ったところ、そのまま入院。
ワタシも今回はもう長くないと分かっていたので、仕事も無理を言って月-木にさせてもらって、金-日は埼玉に通う日々でした。
それでも、入院中も普通に食べたいものを食べ、おしゃべりもしていたのですが。
9月6日、先生から頑張って半年と宣告を受けました。
そしてそれからたったの1週間。
その週はかなり元気がなく、看護師さんからも電話をもらっていて、週末は病院に泊まる予定で木曜日、いつもより早い時間に出発しました。
もうじき実家の最寄りI.Cというあたりでまた病院から電話が。
慌ててPに入ってかけ直すと、かなり危ないのですぐ病院に来てくれと。
実家にもよらずにそのまま病院へ行きました。
その時、すでに意識は朦朧としかけていて、かろうじてイヤイヤをしたり頷いたりが確認できる程度でした。
それでもまだ意識はあったのですが。。。
明け方、4時過ぎに心臓のモニターの状態が悪くなったとかで看護師さんたちが慌ただしくなり。
当直の先生から呼ばれ、「いわゆる、危篤状態です」と。
あわてて母の夫を呼び、8時過ぎて伯母にも連絡。
みんなの顔を見て安心したのか、少し落ち着いたようなのですが、先生からはその日一日もつかどうかと言われ、伯母と母の夫とで実家のある市内の病院に入院中のおばあちゃんを迎えに行ってもらうことに。
ワタシは母のもとに残り、すでに昏睡となっていた母にひたすら話しかけていましたが、二人が出て15分か20分くらいで、呼吸が止まってしまいました。
本当に信じられないくらい、静かな、眠るような最期でした。
もう何も考えられなくて、自分でもびっくりするくらい、声をあげて泣き続けていたワタシでしたが、その間、看護師さんがずっと背中をさすってくれていて、その手の暖かさは今も忘れられません。
病院のみなさんには本当に本当によくしていただきました。
それからのバタバタはご家族を送られた経験のある方ならおわかりかと思いますが・・・。
本当にバタバタでした。
ウチは色々と事情が込み入っていて面倒もあるのですが、でもたくさんの皆さんに助けられました。
母の昔の生徒さんや楽器店の、昔の担当の方まで、遠くからもお別れに来てくださり、中にはワタシにまでお心遣いをくださる長年のお付き合いの生徒さんも。
みなさんのお気持ち、本当に本当にありがたかったです。
まだまだ片付けなければならない事が山積み状態で、今後もしばらくは埼玉と新潟を行ったり来たりの日々になりそうですが。
各種手続きについては四十九日の法要を終えてから、ゆっくり取り組んで行こうかと思っています。
その前に、おばあちゃんの入所先を探すというミッションがあったりするのですが。
こちらとFBの方には何も書けないまま来てしまいましたので、まずは、ご報告まで。