遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

<昔の映像で知る昔の出来事:その1>

2024年08月21日 | 出来事


今日からシリーズを変えて、昔の映像で知る昔の出来事。
以下、関東大震災以外は、殆ど1~2分程度の短い映像である。

・・・世界初の映画はフランス・パリで 1895/M28年

・・・日本では3年後、思ったより早い 1898/M31年

・・・歌舞伎?舞台 1899/M32年

・・・京都・大阪・東京(カラー化) 1900年代

・・・芥川龍之介 生前の映像 1927/S02年

・・・関東大震災以前の東京の映像 (16分半)

・・・関東大震災  1923/T12 (1時間03分)

今日はここまで。それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]

反骨のルポライター:その20<竹中労#20・追悼その2(最終回)>

2024年08月20日 | 人物

竹中英太郎記念館(山梨県甲府市湯村) 館長は竹中労の妹の金子紫(ゆかり)さん 

テレビ山梨「日本初のルポライター 竹中労の足跡」放映 2016/H28年

▶島唄、竹中さんに届け 新報ホールで偲ぶ会 2011/H23年
 

没後20年琉球新報記事1  ▶同左② どちらもGoogle Driveにリンク




美空ひばり 浪曲「唄入り観音経」~13歳と38歳の時

大工哲弘 川崎はいさいフェスタ 2022/R04年

▶最後の著書 1991/H03年


最後の言葉もカッコいい! 黙祷を捧げつつシ竹中労リーズを終わる。
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]

反骨のルポライター:その19<竹中労#19・追悼その1>

2024年08月19日 | 人物

沖縄・波照間島の海と虹

・・・リビア・中東に「新しい形の国」を夢見た竹中労だったが、
1987/S62年(59歳)、「余命3年長くて5年」 と医師から宣告される。
そして翌年1月「緑の書シンポジウム」出席がリビア行きの最後となった。
ただ、その後も入退院を繰り返す間に、TV番組出演、沖縄旅行など活動。  そして・・・

▶1991/H03年 63歳
1月 ・「唄白書91/南島歌謡論」取材のため沖縄・奄美へ
2月 ・「沖縄・魅惑のサウンド」(NHK衛星TV)のため沖縄へ
3月 ・三井記念病院(千代田区)に緊急入院
4月 ・遺言書を作成する。"通夜葬儀一切無用、死に顔は見せるな”
 ・「島うた特集」(エスクァイア)取材に沖縄へ
 ・那覇で食道静脈瘤より出血、三井記念病院に再入院
5月 ・19日午後9時58分、肝臓癌のため死去
9月に「竹中労別れの音楽会」(川口リリアホール)開催

以下、生前のTVトークショーから未掲載の動画を紹介する。

【社会主義の崩壊と近代化の是非】

人生の貧乏循環

【竹中労らが発掘した山梨の民謡~奈良田の子守唄

今日はここまで。明日は竹中労を偲びながらの最終回。
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]

反骨のルポライター:その18<竹中労#18・なぜ中東・リビアへ?>

2024年08月18日 | 人物


竹中労は、晩年の8年間ほど頻繁に中東・リビアを訪問している。
なぜ? そのワケは? ネットで調べても分からない。
ふと思いついたのが鈴木邦男・・・彼は竹中労を敬愛していた。
ネット本のライブラリを覗いたら、鈴木邦男著「竹中労」があるではないか?


表紙上半分の画像・・・読んだ記憶が無いので、積ん読状態のままか?

第五章 友よ、来たりて風となれ!】
最終章である。カッコいいセリフだ。邦男は文章も上手い。
小見出しが7つ並ぶ。その中の二つに眼が止まる、'これだっ!'
「中東に革命を見た」「世界革命の拠点・リビア」

以下、邦男箸作から中東やリビア行き等を摘記。(年齢は1928年起算)
1983/S58 55歳
10月・「アラブ映画祭」審査委員を要請され、シリア、レバノンへ
1984/S59 56歳
2月・「パレスチナ旅日記」(新雑誌X)連載開始
5月・中東取材、リビアとの回路をつなぐ
1985/S60 57歳
6月・中東取材行、視界に変調来たし検査入院 
9月・中東取材に出発
1986/S61 58歳
1月・中東ベカー高原へ  3月・中東取材


ベカー高原(レバノン) by cc2.0 w:de:User:Orient 

マタバ(マダバ):ヨルダンの古都

1987/S62 59歳・・・病気で体調を崩す 
1月・「マタバ/環太平洋国際革命家フォーラム」準備委員会でリビアへ
2月・フィリピン革命一周年取材に東南アジアへ
4月・リビアで開かれた「マタバ」の議長として基調報告
8月・三井記念病院入院。
「胃癌、肝硬変、重度の糖尿病に食道静脈瘤も発見される」 
医師に余命を訊ねると、 「余命3年長くて5年」と応えた

1988/S63年 60歳
・リビアで開催された「緑の書シンポジウム」に出席
・父・竹中英太郎没 4月8日 82歳
・6月 胃痙攣、呼吸困難、肝性脳症を併発し三井記念病院に緊急入院
腹膜炎も併発し入院一カ月  ・沖縄へ

カダフィー箸「緑の書」 日本語訳1980年

・・・「緑の書」はカダフィーの民主主義観・政治哲学館を語る本だという
緑色はイスラムのシンボル・カラーで、イスラム社会主義を表す・・・

▶1989/H01年 61歳
・7月 検査入院  ・12月 入院 
・「竹中英太郎回顧展」の企画・構成
・「大城美佐子うたう会」出席のため沖縄へ(11月)  沖縄取材(12月)

▶1990/H02年 62歳
・2月 三井記念病院入院  ・6月 同左  ・12月 同左

・・・冒頭に掲げた疑問への、鈴木邦男の答を以下に要約引用する。

"ソ連、中国、北朝鮮といった社会主義国には、もう期待はしてない。
それらは、社会主義の残骸だ。夢のない官僚国家だ。
しかし、リビアは違う。若い、夢のある社会主義国家だ。
竹中は、カダフィ大佐率いるリビアに期待していた。
中東、アフリカ、アジアとも連帯し、支援し、新しい社会主義革命を起こそうとしている。そんな夢の萌芽を見た。"

・・・カダフィ大佐は1969年リビア革命で政権を樹立、長期独裁政権を維持。
2011年リビア内戦で政権は打倒され、カダフィは殺害された。・・・

中央軍服姿がカダフィ 左はエジプトのナセル大統領 右はシリアのアタッシ大統領

今日はここまで。明日は竹中労の最終回の予定。
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]

反骨のルポライター:その17<竹中労 #17>

2024年08月17日 | 人物


【エライ人を斬る】
今日は既に斬られた佐藤寛子の連れ合いにしようかと思った。
が、米国のベトナム戦争撤退で栄作自滅、書き甲斐が無いので絵のみ。

▶1983/S58年 53歳・・・この年以降、アラブ旅行が増える。著書上梓は略。
・「アラブ映画祭」審査委員を要請され、シリア・レバノンへ行く


▶1984/S59年 54歳
・中東取材、リビアとの回路をつなぐ

動画「他国を見る目について」


▶1985/S60年 55歳
・中東取材行。視界に変調を来す
診断は「左眼網膜剥離・肝不全・高血圧・糖尿」。直ちに人間ドックへ
・「琉歌セミナー85」演習行
・「庶民烈伝」取材のため九州へ
・中東取材に出発

大工哲弘「沖縄を返せ」「がんばろう」


▶1986/S61年 56歳
・中東ベカー高原へ取材

▶1987/S62年 57歳
・「マタバ/環太平洋国際革命家フォーラム」準備委員会のためリビアへ
・フィリピン革命一周年取材に東南アジアへ
・リビアで開かれた「マタバ」の議長として基調報告
・帰国途中立ち寄った英国で査証拒否強制退去
・東南アジア・フィリピンへ
・三井記念病院入院。
「胃癌・肝硬変・重度の糖尿病・食道静脈瘤」、余命3年長くて5年の診断
・「緑の書シンポジウム」予備会議のためリビアへ

・・・何が彼をそんなに駆り立てるのだろうか?
今日はここまで。それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]