教会史における「新しい歌」 ー賛美と礼拝の歴史神学的考察ー

「新しい歌」がどのように生み出され、受け継がれ、また新たな歌を必要とする状況を生み出したかを歴史的に検証します。

本論② 新約時代における「新しい歌」 とルカの福音書の預言的賛美 <2>

2005-04-10 21:23:30 | 講義
2. ルカの福音書にある4つの<賛美>

◆ここでルカの福音書にある降誕物語の4つの賛歌を取り上げてみたい。それらは、いずれも旧約と新約の橋渡しとしてふさわしい「新しい歌」である。しかもそれらはいずれも預言的である。

(1)マリヤの賛歌(1章46~56節)・・・〔マグニフィカート〕

1:46 マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、
1:47 わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
1:48 主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。
1:49 力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、
1:50 そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。
1:51 主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
1:52 権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げ、
1:53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。
1:54 主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました。
1:55 私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」

①これは冒頭句のラテン語訳から「マグニフィカト」と呼ばれる。旧約,特に詩篇の聖句がちりばめられており、ザカリヤの賛歌(68~79節)と共に「新約聖書の詩篇」と形容される。まさに新約時代の黎明期を飾るにふさわしい喜びと感謝の賛歌といえる。
②この賛歌には「・・してください」という嘆願は一切ない。典型的な純粋な賛美であり、「力あるお方が、私に大きなことをしてくださった」と主をたたえている。
③「大きなこと」とは第一に、「聖霊によるみわざ」である。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおう」ということである。これはマリヤのみならず、「主を恐れかしこむ」すべての者の上に注がれる神の恵みである。マリヤの経験はそのひな型である。
④「大きなこと」の第二は、逆転をもたらす神のみわざである。高ぶっている者を追い散らし、低い者が高く引き上げられる。また、飢えた貧しい者が良いもので満たされ、豊かにされるという神の恵みである。
⑤「大きなこと」の第三は、あわれみによる神のみわざである。約束された神の救いは神のあわれみによるものである。あわれみとは神の具体的なーそれは腸が痛むようなー行動を意味する。それは神の御子イエスによって実現する。

(2) ザカリヤの賛歌(1章67~79節)・・・〔ベネディクトゥス〕

1:67 さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。
1:68 ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、
1:69 救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。
1:70 古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。
1:71 この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。
1:72 主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、
1:73 われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、
1:74 われらを敵の手から救い出し、
1:75 われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。1:76 幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、
1:77 神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。
1:78 これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、
1:79 暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」

①この賛歌は〈ほめたたえよ〉のラテン語から「ベネディクトゥス」と呼ばれる.詩篇の並行法というヘブル的構文と旧約からの豊富な引用が特徴的で、神の「契約」と「あわれみ」を主軸にメシヤによる「救い」の到来を歌う。旧約最後の預言的賛美にして,新約最初の預言的賛美である。
②この預言の特徴の第一は、「顧みて」「贖いをなし」「立てられた」とあるように、救いにおける神の主権である。すべてのことが神から始まり、神により、神へと至るという事実を示唆している。
③第二の特徴は、この救いは敵からの解放であり、その目的は生涯のすべての日において「主の御前に
仕えること」、すなわち真の礼拝者となることである。
④第三の特徴は、マリヤの賛歌と同様に、この救いが神の深いあわれみによるということである。

(3) 天軍賛歌(2章13~14節)・・・〔グロリヤ・イン・エクセルシス〕

2:13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。2:14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

①この賛歌は〈いと高き所に,栄光が〉のラテン語訳から「グロリヤ・イン・エクセルシス」と呼ばれる.いと低き姿におけるメシヤの誕生において〈いと高き〉神の〈栄光〉が現されるという逆説と、〈軍勢〉が〈平和〉を告知するという逆説の賛美である。
②平和とは、イエスによって成就する完全な救いを意味する。共観福音書において「平和」という語は
ルカで最も頻繁に使われている(13回)。ザカリヤの賛歌、シメオンの賛歌に用いられている。

(4) シメオンの賛歌(2章25~38節・・・〔ヌンク・デュミティス〕

2:28 すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
2:29 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。2:31 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」
2:33 父と母は、幼子についていろいろ語られる事に驚いた。
2:34 また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
2:35 剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現われるためです。」

①シメオンが聖霊に満たされて歌った(語った)預言的賛美。冒頭句〈今こそ……去らせてくださいます〉(29)のラテン語より「ヌンク・デュミティス」と呼ばれる。
②第一の預言は「救いの普遍性」である。神の救いは〈御民イスラエル〉のみならず〈異邦人〉をも含む全人類の〈救い〉の主となるということである。これは当時のユダヤ人には理解できないことであり、しかも受け入れにくいことであった。 
③第二の預言は、「(幼子)イエスが多くの人々の反抗のしるしとなる」ということである。その意味するところは、イエスの存在によって「多くの人の心の思いが表わされた」ということである。人はこのイエスに対する態度によって「倒れ」も「立ち上がり」もする。まさにこのイエスはつまずきの石とも,救いの礎石ともなる試金石なのである。






本論② 新約時代における「新しい歌」 とルカの福音書の預言的賛美 <1>

2005-04-09 20:22:16 | 講義
1. 詩と賛美と霊の歌について

◆使徒パウロの獄中書簡(エペソ書、コロサイ書)において、三つの賛美のタイプー「詩と賛美と霊の歌」―について記している。初代教会のキリスト者たちは、集会の中でこのような「詩と賛美と霊の歌」を歌ったのである。

<詩>  
◆プサルモス(ギ)は旧約の詩篇を指すと考えられる。初代教会はユダヤ教のシナゴーグ礼拝における詩篇唱の慣習を受け継いだ。主イエスが弟子たちと歌われた(マタ26:30)のは、過越祭の詩篇(113~118篇)であった。また、パウロとシラスが獄中で賛美したのも詩篇であったと考えられる。
◆旧約時代の捕囚以後、エルサレムに帰還したエズラによって神殿礼拝が復興されダビデの時代以降からの新しい歌は、「詩篇」という形で編集された。それは神殿礼拝においても、また捕囚時代にはじまった新しい礼拝の型としてのシナゴーグ礼拝において用いられた。
◆詩篇は、神に対する感謝と喜びに満ちあふれた心からの賛美であり、それはキリスト教がユダヤ教から受け継いだ<大いなる遺産>であった。詩篇はいつの時代においても、古くして新しい歌の源泉である。クリュソストモス(347-407)は、彼の時代における詩篇歌唱の普及について次のように述べている。「われわれが教会で徹夜の祈りをするときは、ダビデ(詩篇のこと)が最初で最後で中間である。早朝に讃美の歌を歌うときにも、・・修道院でも、乙女が家で糸をつむいでいるときにも、・・人々が神と語ろうとする荒野でも、ダビデは最初で中間で最後である。なんという驚くべきことか。・・ダビデは神を賛美する心をかき立てる。」

<賛美> 
◆ヒュムノス(ギ)は初代教会の頌栄。必ずしも説が一定ではないが、だいたいは、聖書中にある詩篇以外の、ある型を整えて残された賛美の歌とされている。たとえば,マリヤの賛歌(ルカ1章46~55節)、ザカリヤの賛歌(ルカ1章67~79節)、御使いたちの歌(ルカ2章14節)、シメオンの賛歌(ルカ2章29~32節)等は、キリスト教会の最初の賛美である。これらの歌は、伝統的な詩篇をかたどって作られながらも、その内容はキリスト教独自のメッセージが含められた新しい歌である。
◆キリスト教の賛美の歴史に見られる<創作賛美歌>と言われるものは、この部類に入る。

<霊の歌>
◆オーデー(ギ)は、パウロが「霊の」と形容することで「詩篇」や「賛美」と区別している。それは、聖霊によって啓発され、あるいは信仰的感動の表現として生れた即興的な歌であろうと考えられる。「感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい」(コロ3章16節)というのは,神の恵みに促されて(鼓舞されて)積極的に歌いなさい、とそのたましいの霊的な状態が「歌う」という行為を誘発した時の方向性を示したものと解釈できる(エペ5章19節)。今日的用語でいうならば、御霊の衝動から湧き出たカリスマ的賛美(異言による歌も含めた)といえる。

本論① 旧約時代における「新しい歌」と礼拝様式の変遷 <2>

2005-04-08 13:58:33 | 講義
3. シナゴーグ礼拝・・・バビロン捕囚による「新しい歌」

◆ソロモンが7年の歳月をかけて築いた神殿は、紀元前586年に破壊され、多くのイスラエルの民はバビロンでの捕囚の身となった。当然それまでなされてきた神殿礼拝は終焉した。詩篇137篇1~2節にはこうしるされている。「バビロンの川のほとり、そこで、私たちはすわり、シオンを思い出して泣いた。その柳の木々に私たちは立琴を掛けた。」とある。神殿を失ったイスラエルの民は、異教の地において、神殿の代わりにシナゴーグを建てた。このシナゴーグ礼拝において人々はモーセ五書を朗読(朗唱)し、祈りを唱え、「新しい歌」としての祈りの歌が生まれた。それは簡素で純粋なものであった。詩篇の中にみられる「みことば賛歌」(19篇、119篇等)もこうした歌の結晶と言える。

4. エルサレム帰還後の神殿礼拝の復興(第二神殿の建設)・・祭司・律法学者エズラの改革

(1) 第一次帰還 (BC538, 約5万人―成人男子のみ)
◆エルサレムのソロモン神殿はバビロンによって崩壊したが、神はペルシャの王クロスによって、イスラエルの民をエルサレムに帰還させて神殿を再建させようとした。そのときのリーダーは総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアであった。彼らは神殿の基礎を築くが、困難のゆえに中断する。15年の空白の後、520年工事は再開され、516年に第二神殿が完成する。

(2) 第二次帰還 (BC458, 1200人)
◆大祭司アロンの直系であり、律法学者としてひいでていたエズラは、礼拝をかつてのソロモン神殿時代に回復させ、また、シナゴーグによって培われた律法による教育によって神の民を再建させるべく改革した。このとき以来、人々は偶像礼拝をしなくなったのである。
◆エズラは「歴代誌」の著者だとされている。神の民を礼拝する民として、そのアイデンティティを確立させるために、ダビデの幕屋礼拝の精神に立ち返るべくこの「歴代誌」を記したと思われる。

 (3) 第三次帰還 (BC444)
◆ネヘミヤはエルサレムに帰還し、城壁の再建を成し遂げた。ネヘミヤはエズラと共に、律法と神との契約を更新することにより、神の民の再建に力を尽くした。

5. 旧約時代の「新しい歌」としての詩篇

(1) 詩篇の編集形成の過程
◆旧約時代の「新しい歌」はすべて詩篇として集約されている。そうした形に至るまでには何度かの編集作業を経たと考えられる。その多くは、ダビデ・ソロモンの時代に集成されたものと思われる。またヒゼキヤ王やヨシヤ王の礼拝改革の際に補充され、捕囚後に現在の形に編纂されたと考えられる。この間、少なくとも6世紀の年月が費やされている。

(2) 詩篇の奏楽の様式と形態
◆神殿で歌われた「新しい歌」として詩篇の、その旋律と歌の形式、歌い方については、残念ながら今日何も知ることができない。歌と楽器の関係も想像の域を出ない。記録がないからである。

本論① 旧約時代における「新しい歌」と礼拝様式の変遷 <1>

2005-04-07 14:22:42 | 講義
<はじめに>
◆まず、旧約聖書の時代における「新しい歌」とその変遷について概観してみよう。

①1300 モーセ時代の幕屋礼拝・・・・動物によるいけにえ
②1000 ダビデ時代の幕屋礼拝・・・・賛美による礼拝様式、新しいいけにえ
③ 960 ソロモン時代の神殿礼拝・・・モーセの幕屋礼拝とダビデの幕屋礼拝との融合
④ 700 ヒゼキヤ時代の改革・・・・・・ ダビデの幕屋礼拝の回復
⑤ 622 ヨシヤ時代・・・・・・・・・・・・・・律法の書発見
⑥ 587 バビロン捕囚・・・・・・・・・・・・シナゴーグ礼拝(みことば礼拝)
⑦ 538 エルサレム帰還・・・・・・・・・・神殿礼拝の回復(歴代誌に見られるダビデの賛美礼拝の回復)
⑧ 450 エズラ・ネヘミヤ時代・・・・・・ 神殿礼拝とシナゴーグ礼拝


1. ダビデ以前の「新しい歌」・・・主の力ある歴史的な勝利を心に刻みこむ歌

(1) ミリアムの歌 (出エジプト記15章)

◆ダビデの時代以前において、神の民が主に対して歌った「新しい歌」があった。それは出エジプト記15章にある「ミリアムの歌」として知られている。リーダーのモーセは歌を導き、その姉の女預言者ミリアムはタンバリンを打ち鳴らして、女たちの踊りの先頭に立った。
「主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。」(1、2節)
◆エジプトの奴隷であったイスラエルの民は,その時代最も強力なエジプトの軍隊と海との間に挟まれて、どうすることもできない恐れと絶望の中にいた。ところが、人間の思いをはるかに越えた、驚くべき出来事が起こった。海は二つに割れ、民はその乾いた地を歩いて渡った。そして追っ手は海に投げ込まれたのである。イスラエルの民は新しい歌を歌った。なにゆえに歌うのか。王である主がすばらしいことをしてくだったからである。その内容は、神がこれこれのことをして下さったという神の偉大な御業のストーリーを語り、主に向かって感謝と賛美をささげることが彼らの礼拝であった。そして、この時代の歌はリズム楽器によって伴奏された。 

(2) デボラの歌 (士師記5章)

◆シセラに率いられたカナン軍に対するイスラエルの戦いにおいて、主が介入されたときに歌われている。しかし具体的にどのように歌われたのかは知ることができない。
「聞け、王たちよ。耳を傾けよ。君主たちよ。私は主に向かって歌う。イスラエルの神、主にほめ歌を歌う。・・キション川は彼らを押し流した。」(3節、21節)
◆カナン軍は進歩した装備を持っていた。また軍隊は職業軍人によって率いられていたのに対して、イスラエルは戦車もなく、率いていたのも武器さえもたない女性デボラであった。しかし戦いが起こったとき、川の水があふれ、土手が破れた。そのため敵の戦車の車輪は動かなくなり、敵は徒歩で逃げなければならなかった。イスラエルはこの哀れな敵を打ち破った。イスラエルの勝利は力のない者たちの勝利であり、自分たちを守ってくださった主を信頼する勝利であった。


2. ダビデの幕屋、および、ソロモン神殿における「新しい歌」・・・賛美の中に臨在される主

(1) モーセの幕屋礼拝

◆モーセの幕屋での礼拝においては動物の犠牲による礼拝が中心であり、「新しい歌」が歌われることはなかった。音といえば、大祭司が身につける服の裾につけられた鈴くらいのものであった。しかしそれは歌とはなんの関係もない。

(2) ダビデの幕屋礼拝

◆旧約時代において、礼拝に初めて音楽が用いられるようになったのはダビデの時からである。音楽はそれまで戦いのために、あるいは、戦勝の祝いのために用いられた。しかしダビデは神を礼拝するために歌や様々な楽器を用いたのである。詩篇150篇を見ると、角笛、十弦の琴、立琴、緒琴、笛、青銅のシンバル、ラッパなどの楽器で神をほめたたえるべきことを命じている。現代の楽器で言えば、弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器である。
◆ダビデがイスラエルの王となって最初にしたことは、それまで長い間放置されていた神の「契約の箱」―モーセの幕屋では至聖所に安置されていたもので、神の臨在を意味したーを敵から取り戻し、エルサレムのシオンに安置し、そこで賛美リーダーのアサフによって四六時中、絶えることのない賛美のいけにえをささげさせた。これがダビデの幕屋(天幕)である。
◆ダビデの幕屋礼拝の特徴は、喜びにあふれた賛美であり、終わりのない、継続的な賛美であった。また様々な楽器と熟練した者たちによる賛美であり、賛美の担い手は心と声を一つにする訓練が求められた。また、表現方法もただ一つの表現ではなく、あらゆる可能性を取り入れた。例えば大声で叫ぶ、手をたたく、手を上げる、踊りながら、頭をたれ、ひざまずいてというように。
◆ダビデの幕屋の礼拝神学の第一の特質は、<賛美の中に臨在される主>である。ダビデの幕屋礼拝においては、動物のいけにえではなく、霊的ないけにえーつまり「賛美のいけにえ」、「従順のいけにえ」、「感謝のいけにえ」、「喜びのいけにえ」、「砕かれた、悔いた心のいけにえ」「義のいけにえ」が、音楽を伴う歌と祈りを通してささげられた。こうした心の多様な感情的表現は、モーセの幕屋礼拝では乏しかった。ダビデの礼拝神学第二の特質は、<主の臨在こそ、わがいのち>である。ダビデは何にもまさって主の臨在を求めた。主の御顔を慕い求め、その麗しさに浸る。まさに、本質追求である。形式に捕らわれず、主の臨在を大切にした。新しい歌は、新しい皮袋を必要とした。

(3)ソロモンの神殿礼拝(第一神殿)

◆ダビデはシオンでの礼拝だけでなく、当時、ギブオンにあったモーセの幕屋にも側近の祭司ツァドクを遣わし、そこにヘマン、エタン(エドトン)らの有能な賛美リーダーを遣わした。この事実は、やがて建てられるソロモンの神殿において、動物の犠牲を土台としたモーセの幕屋礼拝の伝統を大切にしながら、音楽を伴う賛美を中心とした新しいダビデの幕屋礼拝とを統合し、イスラエルが神を礼拝する民として、より強化するヴィジョンの実現の準備であった。
◆ダビデの神殿礼拝の構想はソロモンにおいて実現し、定着するが、その組織と制度はまことに壮大なものであった。ダビデはレビ人3万8千人のうち、4千人を賛美のために選んだ。そこに見られる音楽は、詩とあいまって最高の芸術的領域にまで高められた。神殿礼拝の中軸は歌うことであり、その奏楽を司ったのが、他ならぬレビ人聖歌隊である。初期においては、聖歌隊自ら楽器を手にして歌ったと思われるが、後には、歌い手と奏楽がそれぞれを受け持った。組織的、専門的音楽家集団による礼拝がなされたのである。※注
◆こうした流れの中で数多くの「新しい歌」が生まれ出た。その後、神殿はバビロンによって崩壊する。バビロン捕囚とエルサレム帰還による神殿再建の経験ーその間、なんと600年間におよぶ苦難の経験―を通して新しい歌は生まれ続けた。その結集が、のちに〔詩篇〕としてまとめられた。詩篇は、まさに神とのいのちに満ちた交わりの歌であり、人生の様々な諸相の中で、神への嘆願、感謝、賛美、信仰告白があり、薄れることのないそのいのちは、今日においても大きな影響を与えている。

(4) ソロモン神殿礼拝の形骸化とヒゼキヤとヨシヤの改革

◆ソロモン以降のユダ王国において、歴代の王たちの周辺諸国との外交政策によって、神殿礼拝は次第に空洞化するようになっていく。アッシリアの脅威ゆえにユダの周辺諸国は軍事同盟を結ぶが、アハズはその同盟に加わらずにアッシリアの援助を求めた。しかしその代償は余りに高く、神殿と王宮の宝物倉を空にしてしまった。そのために神殿の祭司やレビ人はリストラされてしまった。アハズ王の子ヒゼキヤが王となったとき、彼はダビデ時代に制定された礼拝を回復した。
◆ヒゼキヤの子マナセ王の治世はユダにとって最悪の時代であった。預言者の空白時代を迎える半世紀にわたって神の民は神の声を聞くことはなかった。その後、マナセの子ヨシヤが即位し、神殿の中に律法の書を発見し、宗教改革を断行した。


(※注)
◆聖歌隊員たちは、おのおの25歳から30歳まで、5年間のトレーニングの期間を経て、通例、30歳から50歳までの20年間、神殿の儀式に奉仕した。50歳で引退するという点は、その年代の声質が一般に衰え始めるころとすれば、とりわけ不思議ではないが、一人前の聖歌隊員になる時期が30歳というのは比較的おそい年齢であり、聖歌隊員が、達人と呼ばれたことを察すると、実際には、その訓練の期間は、きわめて長くけわしいものだったに違いない。口伝で、しかも大部の複雑な音楽儀式の式次第と内容全体を暗記し、すべてのその詳細をマスターするには、彼らは結局、幼少のころから父たちについて励み、聖歌隊の正式メンバーになる直前の最後の5年間の徒弟期間で、規定された集中訓練を受けたと見るのが自然であろう。




序 論  新しい歌を主に向かって歌え <2>

2005-04-06 14:26:47 | 講義
2. 本講義の視座(歴史的考察の方法論)について
  ーキリスト教礼拝の二つの傾向・・<預言者的傾向><祭司的傾向>ー

◆本講義におけるテーマの視座として、由木康著『礼拝学概論』(新教出版社、1961、復刊1998)の中で用いている方法論を援用しながら、「新しい歌」の歴史神学的考察を試みたい。その方法論とは、キリスト教礼拝において対立し交錯する二つの著しい傾向―「預言者的傾向」と「祭司的傾向」-である。これら二つの傾向は、キリスト教のうちに初めて発生したものではなく、その母胎である旧約のイスラエルの歴史から受け継いだものである。
◆預言者的および祭司的傾向とはどのようなものであろうか。以下の記述は『礼拝学概論』の序論からのノートである。

A <預言者的傾向の特徴>
◆直接的、瞬間的、即興的、改革的(新しい創造)前進的、将来的(展望的)
 ―現状を打破し、局面を展開しようとして迫害を受ける
◆流動的、進歩的 
 ―伝統にとらわれず、将来を望む
◆外面的、倫理的、宗教の孤立を警戒する。

B <祭司的傾向の特徴>
◆間接的、持続的、伝統的、存続・継続、回顧的
 ―現在に失望して、過去の黄金時代を描く
◆固定的、保守的
 ―伝統を尊重し、制度を維持して預言者を迫害する
◆内向的、祭儀的、宗教の分散を警戒する。

◆上記のような相違は、原理的なものであって、歴史的には多くの交流や錯綜があったことはいうまでもない。すなわち、一方には祭司的傾向を多分にもつ預言者がいた。モーセやエゼキエルなどは、両者を兼ねていた人物である。また他方には、預言者的事業を遂行した祭司もいた。しかし、だいたいにおいてこの二つの傾向は、互いに対立していたとみなしてよい。とはいえ、これは全く相容れないものの異質的、相殺的な対立ではない。基盤を同じくするものの補足的、牽制(けんせい)的な対立である。したがって、その解決も、一方を取って他方を捨てることにあるのではなく、それらの双方を緊張関係におき、その一方に重圧を加えて、全体を力強く推進させることにあるのである。
◆ゆえに、預言者的傾向と祭司的傾向とが対立しているからといって、ただちにその一方を取って、他方を捨て去る一面主義に陥ることを、極力警戒しなければならない。それは私たちをイスラエルの宗教の深い理解から遠ざけ、聖書の宗教を救いがたい貧困と枯渇とに追いやる以外の何ものでもない。なぜなら、二つの傾向は、どちらも聖書がみずからのうちに内蔵しているものであり、イスラエル宗教のそれらの対立と交錯とによって、その生命と活力とを常に保持してきたからである。預言者的精神は宗教を振起し、祭司的精神はそれを持続する。祭司的精神に生気を与えるのは、預言者的精神であり、預言者的精神をつなぎ合わせるのは祭司的精神である。前者がなかったならば、宗教の生命を失ったであろうし、後者を欠いたならば、それは断絶していたであろう。生きた永続的な宗教は、それらのどちらをも失ってはならない。双方をみずからのうちに含み、両者を妥協させないで、緊張させ、前者に重点を置くことによって、全体を螺旋的に推進させなければならない。そして、これこそ、新約の秩序において、イエスが実現されたものであった。預言者的傾向と祭司的傾向とは、イエスの新しい秩序において、はじめて生ける統一を得たのである。
◆イエスは古代イスラエルの宗教、特に、礼拝における二つの傾向を統一して、それを弟子たちに伝達された。しかし、原始教会をはじめとして、その後の教会は、果たしてイエスの精神を理解し、それを彼らの礼拝のうちに正しく具現化したであろうか。この問題をできるだけ公平に観察し、事実に即して検討していきたい。


〔付録〕<礼拝様式の変遷の概観>

(1) 旧約時代の変遷
◆①モーセの幕屋礼拝(祭司的礼拝/動物によるいけにえ) ⇒②ダビデの幕屋礼拝(預言者的礼拝/心のいけにえ) ⇒③ソロモンの神殿礼拝(祭司的礼拝モーセとダビデの礼拝の綜合) ⇒④ヒゼキヤ、ヨシヤの礼拝改革(預言者的礼拝) ⇒⑤バビロン捕囚による神殿破壊 ⇒⑥シナゴーグ礼拝(預言者的礼拝/律法による新しい礼拝) ⇒⑦帰還による神殿の再建(ソロモン神殿の復活) ⇒⑧エズラによる礼拝改革(神殿礼拝と律法との融合/預言者的、祭司的礼拝の回復) 

(2) 新約時代の変遷
◆イエス・キリスト(イエスは神殿礼拝や律法礼拝を絶対視しなかった。それゆえ当時の祭司たちや律法学者たちの反感を招いた。) ⇒神殿破壊(AD 70) ⇒みことば礼拝&パン裂礼拝(聖餐)

(3) 初代教会から中世の教会、そしてルターの宗教改革、18世紀の英国メソジスト運動まで
◆みことば礼拝とパン裂き礼拝はそれぞれに発展していく。
 <みことば礼拝>
①修道院の礼拝 ⇒②ルターの宗教改革(預言者的/会衆賛歌コラールの誕生) ⇒③改革派の流れ(賛美は詩篇歌のみ) ⇒④17世紀の敬虔主義の流れ(預言者的) ⇒⑤英国国教会(祭司的/賛美は詩篇歌のみ) ⇒⑥18世紀の英国メソジスト運動(預言者的/チャールズ・ウェスレーの創作賛美歌)
 <聖餐を中心とした礼拝>
①中世におけるローマ式典礼-ミサ-(超祭司的礼拝/聖職者によって完璧に演出されたミサ、ラテン語によるグレゴリオ聖歌) ⇒②1960年代になって、それぞれの国が母国語による聖歌が認められた)

序 論 新しい歌を主に向かって歌え <1>

2005-04-05 17:35:30 | 講義
<はじめに>
◆聖書の中には「新しい歌を主に歌え」という命令が多く記述されている。詩篇33篇3節、40篇4節、96篇1節、98篇1節、144篇9節、149篇1節、イザヤ42篇10節、黙示録5章9節、14章3節の9回。
◆神の民である教会はその最初から歌う共同体であった。賛美なしにキリスト教礼拝は考えられない。キリスト教会はこの伝統をその母胎であったユダヤ教、ないしは旧約聖書の詩篇から受け継いだ。詩篇は賛美の源泉である。その詩篇の中に「新しい歌」という表現が見られる(聖書では9回のうち6回までが詩篇にある)。詩篇に発した「新しい歌」は、キリスト教会の歴史の初期から現代に至るまでの各時代に作られ、今日まで歌い続けられてきている。本講義においては、教会史における「新しい歌」がどのようにして生まれ、それがどのように受け継がれ、また、新たな歌を必要とする状況を生み出したかを検証する「新しい歌」の歴史神学的考察である。

1. 新しい歌の様々な定義

① 「新しい歌」とは、その時代時代に生まれて歌われた歌のこと。
② 「新しい歌」とは、新作の歌ではなく、神への救いの驚き、感謝、感動を新たな思いで歌う歌のこと。
③ 「新しい歌」とは、その都度、その都度、神から与えられる歌のこと。
④ 「新しい歌」とは、主に贖われた者(救われた者)にしか歌えない歌(賛美)のこと。
⑤ 「新しい歌」とは、絶えず心をリニューアルされ、新しい気持ちで歌う歌のこと。
⑥ 「新しい歌」とは、新作、あるいは最近流行している歌ではない。
⑦ 「新しい歌」とは、人間がこれまで歌ってきた歌とはまったく質の異なる歌のこと。
⑧ 「新しい歌」とは、新しい心によって歌われる新しい心の歌のこと。
⑨ 「新しい歌」とは、待ちに待った救いが来たという歓喜の叫びと共に歌われる歌のこと。
⑩ 「新しい歌」とは、即興で与えられる自分しか歌えない新しい霊の歌のこと。
⑪ 「新しい歌」とは、終末論的な賛歌のこと。つまり救いの完成を見つめながら歌う歌のこと。
⑫ 「新しい歌」とは、救いの感謝と喜びの歌、愛の交わりの歌、信仰と希望の歌のこと。

◆以上のように、新しい歌といっても、さまざまな考え方や理解のしかたが見られる。

 (1) 「新しい歌」を歌う目的

◆「新しい歌を主に向かって歌え」と命じられるのは、神ご自身が私たちのうちに、絶えず新しいことをなそうとされているからである。

 (2)「新しい歌」の今日的必要性

◆私たちは、今を生きるために神への「新しい歌」を必要としている。なぜなら、生きた賛美は、新しく造られた民が、新しい心によって歌われるべきだからである。
◆主に向かっての「新しい歌」の特徴は、喜びに満ちあふれた賛美と祈りであり、主体的な信仰の告白でもある。そしてそれは聖霊によって日々新たにされる必要がある。私たちのために、私たちのうちになされる主の奇しいわざを発見しつつ、私たち自身が日々新たにされるとき、そこに「新しい歌」が生まれると信じる。しかもそれはその都度、神から与えられるものであることは言うまでもない。