攻撃は最大の防御なり

50代おやじの適当なブログです。

目玉うんず

2010-04-21 11:04:35 | 戯言
昨日の続きでFM-TOWNSの話です。
このPCは増え続けるMIDI機器のシーケンサーとして購入しました。
それまで使っていたQX-5には2万ノートまでの制限があり、分解能も荒かったのでまともに使えなかったからです。
この当時のシーケンサーの主流はMacintosh Perfomerでした。
どちらにするか迷いましたが、ほぼ同等の事が可能で価格も安いTOWNSとEUPHONY2を選びました。

この時に買ったのがあの初代目玉うんずです。
ただでさえデカイ本体にはMIDIポートのため、I/O拡張ユニットを付けていました。
2台のミドルタワーがサイドカバーを外して物理的に繋がったような見た目です。
今考えるとずいぶん大胆な作りですねww
安いとは言ってもソフト諸々を合わせて60万以上はしました。
今は「Music Studio Producer」と言うDAWがありますよね。
これとほぼ同様の事が出来ました。これが無料なんですから良い時代になったものだ・・・

時期を同じくして今のCGの走りであるRayTracingにハマっていきます。
マシンが非力なので一枚の描画に1~2日掛かったのを覚えています。
この後マシンパワーが欲しくなりi486SXを搭載したFM-TOWNSⅡHRに買い換えます。

i486以前のプロセッサは浮遊小数点演算ユニット(FPU)を搭載しておらず、
コプロセッサという形で別付けする必要性がありました。
i386におけるi387等がそれに当たります。
i486はこのFPUをオンダイに搭載した画期的なプロセッサでしたが
i486SXはこれの廉価版でFPUが無効になっています。
RayTracingには物理演算が必須です。FPUは是非とも欲しい所でしたので
なんでSXなんて中途半端なスペックのプロセッサを選んだのか?と
メーカーを恨めしく思いました。
が、SXのFPUを有効にし且つ動作クロックを倍速にする
オーバードライブプロセッサが発売されていたのでこれを付けました。
と言っても40MHzでしたけどねww
ちょっと考えればCPUをi486DX2に変えただけじゃない?と思うかもしれません。
今はCPUを乗せかえるなんて当たり前の事ですが、この当時は考えもしないことでした。
これにより描画は随分早くなりましたが、後に触れる3D Light Waveや3DMAXの足元にも及びません。

その後は自作DOS/Vに移行しメーカーのハードウェア呪縛から逃れる事になります。
もう絶対にメーカー製のPCは買えませんww