昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんの逝去を悼む

2014-01-19 03:26:12 | 政治・世相
太平洋戦争の終戦を知らずにフィリピン・ルバング島で30年間過ごした元陸軍少尉の小野田寛郎(おのだ・ひろお)さんが16日逝去された。
謹んで哀悼の意を捧げるものであり、ご冥福をお祈りいたします。


ここで言う”終戦を知らずに”は実は事実でないようで、終戦を知ってはいたが任務の解除命令が無いために投降しなかったのが真実らしい。
同じ境遇であった横井庄一さんに較べて誠に日本軍人らしい風貌、態度であられました。それもそのはず、小野田さんは陸軍中野学校出の諜報機関軍人であった。

しかし、日本に帰ってきた小野田さんは幸せであったのか?・・・・・・
私はどうもそうとは思えない。
多くの英霊が散って復興した国がこんな国になっていたのか・・・・そんな想いが強かったのではないかと想像しているのだ。

帰国の際に「天皇陛下万歳」を叫んだ事や現地軍との銃撃戦によって多数の軍人や住民が死傷した出来事が明らかになった事(フィリピン政府当局の判断により、小野田さんへの訴追は行われなかった)、また本当に敗戦を知らなかったのかという疑問が高まるに連れて、マスコミや文化人からは「軍人精神の権化」、「軍国主義の亡霊」といった批判もあった。

小野田さんに対し、政府は見舞金として100万円を贈呈するが、小野田さんは拒否する。拒否するも見舞金を渡されたので、小野田さんは見舞金とほうぼうから寄せられた義援金の全てを、靖国神社に寄付している。これに対しても批判する意見があったりした。

その後は執筆活動を重ねながらも本拠をブラジルに移している。サバイバル塾『小野田自然塾』を主宰していたのは知られている。
私の手元には中條高徳氏との共著(対談)の「靖国のことを語ろう」という本がある。今回の訃報を機に読み返してみるつもりだが、靖国参拝が批判される世情にはたまらない気持ちであったろう・・・・・・・

小野田さんはこう述べている。
靖國神社に異論があってお参りしたくない人は、来ていただかなくて結構だと私は思います。
とにかく、私たちが『死んだら神さまになって会おう』と約束した場所が靖國神社であり、その靖國神社を国家が護持しないということは、借金をしておいてそれを支払わないようなものです。
それはまだ我慢するとしても、靖國神社とは別の追悼施設をつくるなどというのは、死んだ人間に対する反逆、裏切りであります。
残された奥さんや子どもさんは大変お気の毒だったとおもいますが、亡くなった本人はお詣りしてくれる人がいるのだなあとつくづく思います。
お子さん、お孫さんと代々家でお祀りしてくれる人がいる。
しかし、独身で亡くなった私たちの仲間は、親兄弟が亡くなった後は 誰がお祀りしてくれるのだろう。
最近はついついそういう事を考えてしまいます。
そうしますと、簡単に『死んだら神様だ』と言いながら散華していった 人たち祀ってあげるのはやはり靖國神社しかないのです。

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