今日の遺書は小さな妹に宛てたもので大石清命のものである。両親なきあと一人残る妹を思う気持ちが切々と伝わってきます。
大石清 大阪府出身 飛行学校卒 戦死 年齢不詳
大阪府出身で、飛行学校卒の大石清伍長は、昭和20年(1945年)3月13日、14日の大阪大空襲(深夜の3時間、274機のB29で民間人を無差別爆撃)で父を失い、つづいて重病だった母親も亡くす。
肉親は大石伍長の妹である静恵さん、当時小学生。兄が戦場に行き、妹は伯父の元に引き取られていた。
妹思いの兄は、給与のほとんどを妹に送金しており、このような手紙をやりとりしたという。
静(しい)ちやん お便りありがたう。何べんも何べんも読みました。お送りしたお金、こんなに喜んでもらへるとは思ひませんでした。神だな(棚)などに供へなくてもよいから、必要なものは何でも買つて、つかつて下さい。兄ちやんの給料はうんとありますし、隊にゐるとお金を使ふこともありませんから、これからも静ちやんのサイフが空つぽにならない様、毎月送ります。では元気で、をぢさん、をばさんによろしく
そして、いよいよ出陣です。
大石清伍長 遺書
なつかしい静(しい)ちやん!
おわかれの時がきました。兄ちやんはいよいよ出げきします。
この手紙がとどくころは、沖なはの海に散つてゐます。
思ひがけない父、母の死で、幼い静ちやんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが、ゆるして下さい。
兄ちやんのかたみとして静ちやんの名であずけてゐたうびん(郵便)通帳とハンコ、これは静ちやんが女学校に上がるときにつかつて下さい。
時計と軍刀も送ります。これも木下のおぢさんにたのんで、売つてお金にかへなさい。
兄ちやんのかたみなどより、これからの静ちやんの人生のはうが大じなのです。
もうプロペラがまはつてゐます。さあ、出げきです。
では兄ちやんは征きます。泣くなよ静ちやん。がんばれ!
この妹の静恵さんに兄の手紙を届けたのは戦友のようです。
大野沢威徳からの手紙(万世基地にて)
静恵ちやん、突然、見知らぬ者からの手紙でおどろかれたことと思ひます。
わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。
伍長どのは今日、みごとに出げき(撃)されました。そのとき、このお手紙をわたしにあづけて行かれました。おとどけいたします。
伍長どのは、静恵ちやんのつくつたにんぎやう(特攻人形)を大へんだいじにしてをられました。
いつも、その小さなにんぎやうを飛行服の背中につつてをられました。ほかの飛行兵の人は、みんなこし(腰)や落下さん(傘)のバクタイ(縛帯)の胸にぶらさげてゐるのですが、伍長どのは、突入する時にんぎやうが怖がると可哀さうと言つておんぶでもするやうに背中につつてをられました。
飛行機にのるため走つて行かれる時など、そのにんぎやうがゆらゆらとすがりつくやうにゆれて、うしろからでも一目で、あれが伍長どのとすぐにわかりました。
伍長どのは、いつも静恵ちやんといつしよに居るつもりだつたのでせう。
同行二人…仏さまのことばで、さう言ひます。
苦しいときも、さびしいときも、ひとりぽつちではない。いつも仏さまがそばにゐてはげましてくださる。
伍長どのの仏さまは、きつと静恵ちやんだつたのでせう。
けれど、今日からは伍長どのが静恵ちやんの”仏さま”になつて、いつも見てゐてくださることゝ思ひます。
伍長どのは勇かんに敵の空母に体当たりされました。
静恵ちやんも、りつぱな兄さんに負けないやう、元気を出してべんきやうしてください。
これらを纏めたYou Tubeもご紹介いたします。
大石清 大阪府出身 飛行学校卒 戦死 年齢不詳
大阪府出身で、飛行学校卒の大石清伍長は、昭和20年(1945年)3月13日、14日の大阪大空襲(深夜の3時間、274機のB29で民間人を無差別爆撃)で父を失い、つづいて重病だった母親も亡くす。
肉親は大石伍長の妹である静恵さん、当時小学生。兄が戦場に行き、妹は伯父の元に引き取られていた。
妹思いの兄は、給与のほとんどを妹に送金しており、このような手紙をやりとりしたという。
静(しい)ちやん お便りありがたう。何べんも何べんも読みました。お送りしたお金、こんなに喜んでもらへるとは思ひませんでした。神だな(棚)などに供へなくてもよいから、必要なものは何でも買つて、つかつて下さい。兄ちやんの給料はうんとありますし、隊にゐるとお金を使ふこともありませんから、これからも静ちやんのサイフが空つぽにならない様、毎月送ります。では元気で、をぢさん、をばさんによろしく
そして、いよいよ出陣です。
大石清伍長 遺書
なつかしい静(しい)ちやん!
おわかれの時がきました。兄ちやんはいよいよ出げきします。
この手紙がとどくころは、沖なはの海に散つてゐます。
思ひがけない父、母の死で、幼い静ちやんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが、ゆるして下さい。
兄ちやんのかたみとして静ちやんの名であずけてゐたうびん(郵便)通帳とハンコ、これは静ちやんが女学校に上がるときにつかつて下さい。
時計と軍刀も送ります。これも木下のおぢさんにたのんで、売つてお金にかへなさい。
兄ちやんのかたみなどより、これからの静ちやんの人生のはうが大じなのです。
もうプロペラがまはつてゐます。さあ、出げきです。
では兄ちやんは征きます。泣くなよ静ちやん。がんばれ!
この妹の静恵さんに兄の手紙を届けたのは戦友のようです。
大野沢威徳からの手紙(万世基地にて)
静恵ちやん、突然、見知らぬ者からの手紙でおどろかれたことと思ひます。
わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。
伍長どのは今日、みごとに出げき(撃)されました。そのとき、このお手紙をわたしにあづけて行かれました。おとどけいたします。
伍長どのは、静恵ちやんのつくつたにんぎやう(特攻人形)を大へんだいじにしてをられました。
いつも、その小さなにんぎやうを飛行服の背中につつてをられました。ほかの飛行兵の人は、みんなこし(腰)や落下さん(傘)のバクタイ(縛帯)の胸にぶらさげてゐるのですが、伍長どのは、突入する時にんぎやうが怖がると可哀さうと言つておんぶでもするやうに背中につつてをられました。
飛行機にのるため走つて行かれる時など、そのにんぎやうがゆらゆらとすがりつくやうにゆれて、うしろからでも一目で、あれが伍長どのとすぐにわかりました。
伍長どのは、いつも静恵ちやんといつしよに居るつもりだつたのでせう。
同行二人…仏さまのことばで、さう言ひます。
苦しいときも、さびしいときも、ひとりぽつちではない。いつも仏さまがそばにゐてはげましてくださる。
伍長どのの仏さまは、きつと静恵ちやんだつたのでせう。
けれど、今日からは伍長どのが静恵ちやんの”仏さま”になつて、いつも見てゐてくださることゝ思ひます。
伍長どのは勇かんに敵の空母に体当たりされました。
静恵ちやんも、りつぱな兄さんに負けないやう、元気を出してべんきやうしてください。
これらを纏めたYou Tubeもご紹介いたします。
泣ける【静ちゃんへの手紙】~神風特攻隊員の兄と幼き妹~
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます