1月16日に死去した小野田寛郎さんについて、イギリス、アメリカ及びロシアなどでは、敬意をもって称賛する報道がされている。
日本の報道は正直物足りない。
「戦前の美徳を体現」=小野田さん訃報、大きく掲載―米紙
時事通信 1月18日(土)16時16分配信
【ワシントン時事】米紙ワシントン・ポスト(電子版)は17日、日本時間16日に死去した元陸軍少尉の小野田寛郎さんの評伝を大きく掲載し、フィリピン・ルバング島に戦中戦後の30年間潜伏してジャングル生活をした小野田さんについて「多くの日本人にとって忍耐、忠誠、犠牲といった戦前の美徳を体現する存在だった」と好意的に伝えた。
産経新聞 1月19日(日)7時55分配信
【ニューヨーク=黒沢潤】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は17日、フィリピン・ルバング島で30年間潜伏任務を続け、16日に死去した元陸軍少尉の小野田寛郎さんの評伝を掲載した。
評伝は小野田さんについて、「戦後の繁栄と物質主義の中で、日本人の多くが喪失していると感じていた誇りを喚起した」と指摘。「彼の孤独な苦境は、世界の多くの人々にとって意味のないものだったかもしれないが、日本人には義務と忍耐(の尊さ)について知らしめた」と強調した。
小野田さんがフィリピンのマルコス大統領(当時)に1974年3月、投降の印として軍刀を手渡したとき、「多くの者にとっては格式のある、古いサムライのようだった」と形容した。
また、小野田さんの出征前の日本は「紙と木からなる牧歌的な地」だったが、約30年を経て帰国した母国は、「高層ビルやテレビ、ジェット機などがある未来型の世界」へと変貌を遂げていたと指摘した。
一方、米紙ワシントン・ポスト(電子版)も同日、「彼は戦争が引き起こした破壊的状況から、経済大国へと移行する国家にとって骨董(こっとう)のような存在になっていた忍耐、恭順、犠牲といった戦前の価値を体現した人物だった」と論評。多くの軍人は「処刑への恐怖」から潜伏生活を続けたが、小野田さんは任務に忠実であり続けたがゆえに「(多くの人々の)心を揺さぶった」とたたえた。
「最後の日本兵」小野田氏がなぜロシアで感動を呼ぶのか
17.01.2014, 19:21
日本の敗戦後、フィリピンのルソン島で30年もパルチザンとして生活を続けた小野田寛郎(ひろお)さんが91歳で亡くなった。
「小野田さんはおそらく日本人兵士としては世界で一番名の知れた人物だっただろう。勇敢さ、兵士としての忍耐強さの手本だった。この人は百年たっても語り継がれるだろう。」
これは数年前、ロシア語のあるサイトに載せられた一文だ。
大体、ロシアでは小野田さんについては大きな新聞もふくめ、本当にいろんなところで書きたてられた。そしてそうした文章はほとんどいつも尊敬の念がこめられ、感激に満ちたものだった。また小野田さん以外の日本兵で東南アジアのジャングルのなかに何十年も潜み、司令官の命令を守り続けた人々に対しても同じようにソ連人は感動を表したものだった。
20世紀2度も日本と戦った経験を持つロシアがこれだけ感動したことも何も驚くことはない。
兵士としての義務に忠誠を誓う姿勢は、ロシアではつねに最も重要度の高い美徳とされてきたもので、ロシア帝国でもソ連でも青少年に教え込もうとされてきたことだった。
アジアのジャングルのなかで日本兵が相次いで見つかり、その人たちが、第2次大戦が終わったことを知らなかった、または信じようとしなかったことが、ソ連のプレスで紹介されると、多くのロシア人は1941年に書かれた『誠実な言葉』というソ連時代の有名な話を思い起こした。
その話は単純なものだった。夜遅く、作者はペテルブルグの中心にある庭園で職員の小屋に小さな男の子を見つける。もう遅いのに、この子はどうしても家に帰ろうとはしない。なぜならここで他の子たちと戦争ごっこをしていたときに、自分の持ち場を離れないということを誓ったからだ。ところが約束をさせた子どもらはさっさとそのことを忘れて家に帰ってしまった。この子だけは家に帰ることができない。それは約束をしたからだった。この話をきいたあと、作者は通りで少佐をみつけ、この子に持ち場を離れて、家に帰るよう命じてもらう。
ソ連時代、この話は小学校低学年の児童の必須図書だった。おそらく誰もこの話に無関心ではいられなかっただろう。この話も、その後の小野田さんの話と同じだったからだ。
ここでロシアのサイトやブログに掲載された小野田さんの話への反響をご紹介しよう。
アレクサンドル・モイセーエフ:英雄の行為だ。
アンドレイ・クリロヴィチ:でも彼自身はこれを英雄的行為とはとらえていない。彼は言われた命令を遂行しつづけた。これは日本では当たり前のことだ。この経験から学ばねばならない。
アレクサンドル・ショルヴァエフ:インタビューの答えがよかった。「私は日本が強く、繁栄することを願って戦った。そして今ここに来て、やはり日本は本当に強く、繁栄した国だった。」ということは、彼の戦いは無駄ではなかったんだ。
エレンジェン・ジュカエフ:本当に強い人だ。ものすごく強い…。本当の意味で自分の祖国の正真正銘の兵士だったんだ。
アンドレイ・マスロフ:ほとんどロシアの兵士だよ。
アレクセイ・アソノフ:小野田さんのために東京都心で銅像をたてなければ。これこそ自分の国のまことの愛国者だ!
アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ:まさに侍だ。
日本の報道は正直物足りない。
「戦前の美徳を体現」=小野田さん訃報、大きく掲載―米紙
時事通信 1月18日(土)16時16分配信
【ワシントン時事】米紙ワシントン・ポスト(電子版)は17日、日本時間16日に死去した元陸軍少尉の小野田寛郎さんの評伝を大きく掲載し、フィリピン・ルバング島に戦中戦後の30年間潜伏してジャングル生活をした小野田さんについて「多くの日本人にとって忍耐、忠誠、犠牲といった戦前の美徳を体現する存在だった」と好意的に伝えた。
産経新聞 1月19日(日)7時55分配信
【ニューヨーク=黒沢潤】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は17日、フィリピン・ルバング島で30年間潜伏任務を続け、16日に死去した元陸軍少尉の小野田寛郎さんの評伝を掲載した。
評伝は小野田さんについて、「戦後の繁栄と物質主義の中で、日本人の多くが喪失していると感じていた誇りを喚起した」と指摘。「彼の孤独な苦境は、世界の多くの人々にとって意味のないものだったかもしれないが、日本人には義務と忍耐(の尊さ)について知らしめた」と強調した。
小野田さんがフィリピンのマルコス大統領(当時)に1974年3月、投降の印として軍刀を手渡したとき、「多くの者にとっては格式のある、古いサムライのようだった」と形容した。
また、小野田さんの出征前の日本は「紙と木からなる牧歌的な地」だったが、約30年を経て帰国した母国は、「高層ビルやテレビ、ジェット機などがある未来型の世界」へと変貌を遂げていたと指摘した。
一方、米紙ワシントン・ポスト(電子版)も同日、「彼は戦争が引き起こした破壊的状況から、経済大国へと移行する国家にとって骨董(こっとう)のような存在になっていた忍耐、恭順、犠牲といった戦前の価値を体現した人物だった」と論評。多くの軍人は「処刑への恐怖」から潜伏生活を続けたが、小野田さんは任務に忠実であり続けたがゆえに「(多くの人々の)心を揺さぶった」とたたえた。
「最後の日本兵」小野田氏がなぜロシアで感動を呼ぶのか
17.01.2014, 19:21
日本の敗戦後、フィリピンのルソン島で30年もパルチザンとして生活を続けた小野田寛郎(ひろお)さんが91歳で亡くなった。
「小野田さんはおそらく日本人兵士としては世界で一番名の知れた人物だっただろう。勇敢さ、兵士としての忍耐強さの手本だった。この人は百年たっても語り継がれるだろう。」
これは数年前、ロシア語のあるサイトに載せられた一文だ。
大体、ロシアでは小野田さんについては大きな新聞もふくめ、本当にいろんなところで書きたてられた。そしてそうした文章はほとんどいつも尊敬の念がこめられ、感激に満ちたものだった。また小野田さん以外の日本兵で東南アジアのジャングルのなかに何十年も潜み、司令官の命令を守り続けた人々に対しても同じようにソ連人は感動を表したものだった。
20世紀2度も日本と戦った経験を持つロシアがこれだけ感動したことも何も驚くことはない。
兵士としての義務に忠誠を誓う姿勢は、ロシアではつねに最も重要度の高い美徳とされてきたもので、ロシア帝国でもソ連でも青少年に教え込もうとされてきたことだった。
アジアのジャングルのなかで日本兵が相次いで見つかり、その人たちが、第2次大戦が終わったことを知らなかった、または信じようとしなかったことが、ソ連のプレスで紹介されると、多くのロシア人は1941年に書かれた『誠実な言葉』というソ連時代の有名な話を思い起こした。
その話は単純なものだった。夜遅く、作者はペテルブルグの中心にある庭園で職員の小屋に小さな男の子を見つける。もう遅いのに、この子はどうしても家に帰ろうとはしない。なぜならここで他の子たちと戦争ごっこをしていたときに、自分の持ち場を離れないということを誓ったからだ。ところが約束をさせた子どもらはさっさとそのことを忘れて家に帰ってしまった。この子だけは家に帰ることができない。それは約束をしたからだった。この話をきいたあと、作者は通りで少佐をみつけ、この子に持ち場を離れて、家に帰るよう命じてもらう。
ソ連時代、この話は小学校低学年の児童の必須図書だった。おそらく誰もこの話に無関心ではいられなかっただろう。この話も、その後の小野田さんの話と同じだったからだ。
ここでロシアのサイトやブログに掲載された小野田さんの話への反響をご紹介しよう。
アレクサンドル・モイセーエフ:英雄の行為だ。
アンドレイ・クリロヴィチ:でも彼自身はこれを英雄的行為とはとらえていない。彼は言われた命令を遂行しつづけた。これは日本では当たり前のことだ。この経験から学ばねばならない。
アレクサンドル・ショルヴァエフ:インタビューの答えがよかった。「私は日本が強く、繁栄することを願って戦った。そして今ここに来て、やはり日本は本当に強く、繁栄した国だった。」ということは、彼の戦いは無駄ではなかったんだ。
エレンジェン・ジュカエフ:本当に強い人だ。ものすごく強い…。本当の意味で自分の祖国の正真正銘の兵士だったんだ。
アンドレイ・マスロフ:ほとんどロシアの兵士だよ。
アレクセイ・アソノフ:小野田さんのために東京都心で銅像をたてなければ。これこそ自分の国のまことの愛国者だ!
アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ:まさに侍だ。
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