昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

インドネシアの独立を助けた日本兵10

2016-04-29 05:53:04 | 親日国
日本が連合国のポツダム宣言を受け入れて降伏、停戦したあと、数百万の華僑がオランダに味方し、独立を願うインドネシア人を襲ったが、日本人義勇軍は日本に帰らずに、インドネシアの独立のために戦った。

1945年8月15日、インドネシアの独立志士13名がジャカルタに集結し独立宣言の草案と武装闘争を協議した。そこに居合わせた金子智一氏は、連合国軍がジャカルタに到着して日本側の重要人物を逮捕している最中にバンドンに飛び、日本軍の武器、弾薬、宝石類をインドネシア独立軍に渡した。宝石は売って軍用資金にするために役だった。金子智一氏はその後連合国軍に逮捕された。

日本軍が猛訓練したPETAがインドネシア国軍の母胎となった。日本軍は反共だったから、PETAの将校も反共だった。1948年に共産党がソ連主導で起こしたクーデターも国軍が防ぎ、1965年に共産党がチャイナ主導で起こしたクーデターもPETA育ちのスハルト将軍が粉砕した。

インドネシアが独立を宣言した後、イギリス軍とオランダ軍がインドネシア軍を攻撃したが、日本軍が3年半の間に10万人を教育して、オランダ軍と戦う基礎を作ったことがインドネシアの独立に役に立ったのだ、と当時のPETAの将校たちに高く評価されている。

繰り返すが、残留日本軍兵士と民間の日本人らが武器をとって、インドネシア人と共に命をかけて独立のために戦った。スラバヤでの戦闘は凄烈なものだった。日本軍人は常に先頭にたってイギリス・オランダ軍に向かっていったので犠牲も多かった。日本人の戦死約400名。残留日本兵の話では約800名とも言われる。

部隊から離脱してインドネシアの独立を助けようと、日本に帰国する船に乗らなかったのは、スマトラで約500人、ジャワで約300人、軍属・民間人を含めると、残留し独立戦争に参加した日本人は千人とも二千人ともいわれている。

ジャカルタ郊外のカリバタ英雄墓地にも、インドネシアの独立戦争で戦死した1800柱の勇士が祀られているが、日本人勇士も共に葬られている。独立後内地に帰ったり病死した人を除けば、100人以上がそのままインドネシアに留まった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« インドネシアの独立を助けた... | トップ | インドネシアの独立を助けた... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

親日国」カテゴリの最新記事