平安時代中期(正暦3年)、に創建され寺号はその年号からつけられた。
当初は堂塔、伽藍が86坊も建ち並び、威容を誇っていたという。
平安時代末期、平重衡による南都焼き討ちで一時は荒廃したが
鎌倉時代、興福寺の学問所として再興され、興福寺の別院として栄えるが
以後も兵火による焼亡を繰り返し衰退していった。
境内に残る石垣から、盛時の姿を垣間見る事が出来る。
江戸時代に建てられた福寿院客殿
平安時代中期(正暦3年)、に創建され寺号はその年号からつけられた。
当初は堂塔、伽藍が86坊も建ち並び、威容を誇っていたという。
平安時代末期、平重衡による南都焼き討ちで一時は荒廃したが
鎌倉時代、興福寺の学問所として再興され、興福寺の別院として栄えるが
以後も兵火による焼亡を繰り返し衰退していった。
境内に残る石垣から、盛時の姿を垣間見る事が出来る。
江戸時代に建てられた福寿院客殿