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日本歴史紀行

歴史紀行 特別編 13 日露戦争〜日本海海戦 1


記念艦 三笠
神奈川県横須賀市稲岡町三笠公園

〜皇国ノ荒廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ〜

この激励メッセージは、三笠参謀 秋山真之中佐が日本海海戦、戦闘前に発した言葉で、文字通りこの一戦に日本の未来がかかっていました。


日露戦争は、日本の日清戦争の戦勝後に大陸からの南下を続けるロシア帝国が満州を占拠、朝鮮半島にも触手を伸ばそうとしてきたことは明白で、領土、領海への支配欲は、現在侵攻しているウクライナにも通じるものがあると言えるでしょう。

日本は外交交渉で解決を試みましたが、ロシアは自国の兵力を更に増強させる等、極めて不誠実でした。

明治36年末、日露関係はいよいよ険悪なものとなり、日本は〜三笠、朝日、初瀬、敷島、富士、八島からなる戦艦6隻で第一戦隊。

千歳、高砂、笠置、吉野の巡洋艦4隻、龍田の通報艦1隻からなる第三戦隊。
この2つの戦隊を合わせ第一艦隊。


出雲、磐手、浅間、八雲、吾妻、常磐からなる装甲巡洋艦6隻の第二戦隊。

浪速、高千穂、新高、明石からなる巡洋艦4隻
千早の通報艦からなる1隻
この5隻からなる第四戦隊。

この2つの戦隊を合わせ第ニ戦隊。
及び、第一艦隊、第二艦隊をもって連合艦隊が編成され、連合艦隊司令長官には、東郷平八郎中将が任命され、日本帝国海軍〜連合艦隊は戦時態勢をとり、翌、1904年、明治37年2月6日、日本はロシアとの国交断絶を通告し、日露戦争が開戦となりました。

2に続きます。



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