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日本歴史紀行

歴史紀行 特別編 41 建国記念の日 神武天皇御由緒紀


神武天皇御像



初代天皇で在らせられる神武天皇は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の御孫で天孫降臨により地上に降りた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の3代目にあたり、神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)といいます。

皇后は、事代主神(大物主神)と玉櫛媛との間に生まれた媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)皇后といいます。




九州、日向国(現在の宮崎県地方)の高千穂宮で誕生された神日本磐余彦は、瓊瓊杵尊が天照大神から受けた天業恢弘(てんぎょうかいこう〜互いに争うことのない、永遠に困窮しない国を創る天子の事業を広めようとすること)の神託を実現するためには、どうすればよいか。
と考え、
四人の兄弟と重臣を集め、会談を行います。
東遷御前会議です。

やがて
台地が適していると考え東遷の旅に出ます。
神日本磐余彦、45歳の時でした。


紀元前667年
日向国から船団を率いて美々津の浜を出立した神日本磐余彦は、波の速い速吸之門(はやすいのと)で難儀すると、国神の珍彦(くにつかいのうすひこ)という者が現れ、水先案内を務め、宇佐(現在の大分県宇佐)に上陸します。

これ以降、神日本磐余彦は、豊前国〜岡の水門(おかのみなと〜現在の福岡県遠賀郡)、安芸国〜埃の宮(えのみや〜現在の広島県)、吉備国〜高島の宮(現在の岡山県)と東を目指し、この旅まで 4年を要しました。

紀元前663年
難波崎(現在の大阪港)に上陸してから内陸を目指しますが、生駒山に差し掛かると、この地を支配していた長随彦(ながすねひこ)の待ち伏せに遭い、長兄の五瀬命(いつせのみこと)が弓で射られ負傷します。

五瀬命は言います。〜我々は、日の神の子孫であるのに、お日様に向かって弓を射掛けて戦ったのが間違いであった。これからは遠回りしてでも、お日様を背負うて戦おう〜と言い残し、世を去りました。

神日本磐余彦は海路、南を目指し、紀伊国を経て熊野灘に出ると暴風雨に見舞われます。

神日本磐余彦が天神、海神に祈る中、次兄の稲飯命と御毛沼命が入水すると嵐は収まります。

稲飯命は鋤持神となり、御毛沼命は常世郷に去ってしまいました。

残された神日本磐余彦は、熊野に上陸しました。


磐余彦、霊剣 布都御魂で危機を免れる

熊野に上陸した神日本磐余彦と兵士たち。
皆が辺りで休んでいると、土地の荒ぶる神々が現れ、その毒気に皆が気を失ってしまいます。

そこへ現れたのが高倉下(たかくらじ)という者で、〜尊様、天神のお使いで太刀を持って馳せ参じた高倉下と申します。〜

高倉下が差し出した剣は〜霊剣 布都御魂(ふつのみたま)。

神日本磐余彦が剣を手にすると、兵士が皆、目を覚まし、振り下ろすと荒ぶる神々も倒れました。

高倉下が持参してきた剣は、夢の中で、天神さま(天照大神)と高木神(たかぎのかみ)が、建御雷神(タケミカヅチ)に、豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずひほのくに〜日本のこと)が騒がしい。お前が行って手助けしてやれ。とおっしゃると、建御雷神は、私が行かずとも、この剣を磐余彦に届ければ、こと足りるでしょう。

高倉下の夢枕に立った建御雷神は、この剣をお前の倉庫に置いておく、磐余彦に届けよ。

とおっしゃり、夢から覚めると、本当に剣が置いてあったので、お届けしました。

布都御魂で危機を免れた神日本磐余彦は、さらに先に進みます。





八咫烏の導きと兄猾を討つ

神日本磐余彦と兵士たちは、山をいくつも越えたところで道に迷ってしまいました。

疲れ果て、眠ってしまうと、天照大神が御夢にあらわれて申しました。

〜いま、天から八咫烏を道案内に差し向けます。その八咫烏の飛んでゆく方へ進みなさい。〜と諭しました。

神日本磐余彦が目を覚ますと、大鴉(からす)があらわれ、その導きによって抵抗する土着の土豪を征し、ようやく険しい山々を抜け、吉野川の川上に行き着くことが出来ました。



道臣命、 詔を奉じて兄猾(えうかし)を討つ


宇陀の穿村(うからのむら)にまで進むと、
この地には兄猾(えうかし)、弟猾(おとうかし)の兄弟がいました。

神日本磐余彦尊は兄弟を召し出そうとしましたが、兄猾は作った御殿に罠を仕掛ける奸計を巡らせて磐余彦を討ち取ろうと企てました。

ところが、この企てが恐ろしくなった弟猾は、
神日本磐余彦の元へ出向いて打ち明けました。

神日本磐余彦は重臣の道臣命に兄猾を討つよう命じました。

やがて兄猾が現れ、〜尊にお仕えしますので、わたしの御殿にお越し下さい。〜と申すと。

道臣命と兵士が兄猾の御殿に出向きました。
神日本磐余彦の重臣、道臣命が、〜兄猾よ、まず 御殿を作ったお前が入って案内しろ〜と剣を抜いて追い込むと、兄猾は自分の作った罠に押し潰され、敢え無く討たれてしまいました。

手柄の弟猾に対し、神日本磐余彦は礼をもって応えました。



金鵄と大和平定

宇陀を平定し、吉野を巡幸する神日本磐余彦のもとには、多くの土豪らが帰順し、大和の国を目指しました。

そして生駒山の戦いで苦戦した長髄彦の軍と戦います。

長髄彦の軍勢は強く、神日本磐余彦の軍勢も苦戦していました。

すると、黒雲が空を覆い、あたりも暗くなり、
叩ききつけるように雹(ひょう)が降り出してきました。

そして神日本磐余彦の弓の先に一羽の金色の鳶が止まり、燦然と輝きはじめます。

長髄彦軍の兵たちは、稲光りによって目を射られてしまい、ついに降参しました。

長髄彦の主君の饒速日命(にぎはやのみこと)は、長髄彦に天神の御子である神日本磐余彦に
お仕えするように諭しましたが、長髄彦は改め
る気持ちのないことを知り、やむなく長髄彦を討ちました。

長髄彦を討った饒速日命は、神日本磐余彦に
〜私はこの大和に住んでいる者です。
大神の御子が、天から下られたことを知り、参りました。これからは神日本磐余彦尊の家来としてお仕えします。〜帰順を申し出ました。

神日本磐余彦はようやく大和平定を成し遂げることが出来ました。




長い東征の旅が終わり、神日本磐余彦は畝傍山(うねびやま)の辺りに全軍を招集し、橿原奠都(かしはらてんと〜都を定めること)の詔を高らかに宣下されました。

そして この地に天皇にお住まいいただく宮殿を建設します。

それが今の畝傍山の東南の地である橿原です。




さざれ石




橿原神宮 本殿








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