熊谷直実 袈裟掛けの松跡、片葉の葦 碑
静岡県菊川市 中内田 応声教院参道前
平安時代末期の坂東武者〜熊谷直実
平安時代末期の武将 熊谷直実は、元々は平家方の武将でしたが、源頼朝が挙兵すると源氏方につき、戦の無常を感じながら一の谷の戦いで、いわゆる鵯越(ひよどりごえ)の奇襲で源義経らと共に平家方に大打撃を与えました。
この戦いで直実は、平 清盛の甥、平 敦盛を討ち取る大手柄を立てます。
平家滅亡後、凱旋した直実は戦いの無常に加え、所領争いに巻き込まれ、武士の生き方を醜く感じて嫌気が差しました。
所領争いを吟味する場が設けられるも、源 頼朝が列席する中で自分の髻(もとどり)を切って投げ捨てて席を立ち、武将としての生き方を捨てて逐電し、浄土宗の開祖、法然の弟子となり、蓮生と名乗り、仏門に入りました。
熊谷直実 袈裟掛けの松は、直実が師 法然の師匠にあたる皇円 阿闍梨ゆかりの古刹、応声教院へ立ち寄る際に袈裟を掛けた松です。
片葉の葦
平家滅亡後、凱旋した直実は戦いの無常に加え、所領争いに巻き込まれ、武士の生き方を醜く感じて嫌気が差しました。
所領争いを吟味する場が設けられるも、源 頼朝が列席する中で自分の髻(もとどり)を切って投げ捨てて席を立ち、武将としての生き方を捨てて逐電し、浄土宗の開祖、法然の弟子となり、蓮生と名乗り、仏門に入りました。
熊谷直実 袈裟掛けの松は、直実が師 法然の師匠にあたる皇円 阿闍梨ゆかりの古刹、応声教院へ立ち寄る際に袈裟を掛けた松です。
片葉の葦
直実が松に袈裟を掛け、馬を繋いで応声教院に詣でていたところ、その間に馬は周辺の葦の草の片方ばかりを食べてしまっていました。
その後、生える葦は片葉ばかりになってしまった伝説から石碑が建立され、今日に伝わります。
その後、生える葦は片葉ばかりになってしまった伝説から石碑が建立され、今日に伝わります。