
安藤直次墓所
愛知県岡崎市 妙源寺
安藤直次
【~犬に食わせよ~】
徳川家康の側近 幼少より仕え、姉川、長篠、小牧 長久手の戦いで武勇を上げた。
小牧 長久手の戦いでは、副将格の池田恒興(池田輝政 父)、森 長可(森 蘭丸 弟)らを討ち取る功績をあげるも、手柄に執着せずに戦場を移動、後続から駆けた永井直勝の手に渡す。
大坂夏の陣では、豊臣軍の猛攻により陣形が崩され、直次の嫡子 安藤重能も戦死。
家康の身にも危機が迫るとみた直次。
家来が重能の遺体を回収に動こうとしたのを制止し、【遺体は ~犬に食わせよ~】と言い放ち、自軍の陣形の建て直しを優先させる。
読み通り家康に危機が迫るも、味方の軍勢が建て直し、危機を脱する。
戦の後で目を真っ赤にした直次の姿が悲しみを誘った。
同輩らが軒並み万石の大名となって行くも、加増が五千石止まりのまま、直次は不平不満も述べず、家康への忠義を貫いた。
ある日、直次と共に古参の家老、成瀬正成が家康に問い合わせてみると、家康は失念していたらしく、直次を急遽五千石加増して大名格に、次いで過去10年分の取り分として年貢米を渡す。
家康の信頼が厚く、家康十男 頼宣(初代紀伊徳川家)の付家老に命じられる。
家臣、領民に粗暴な振舞いを見せる頼宣に対し直次は、頼宣の足を力一杯痛め付け、この様では太守の器にありませんと言って諌めた。
後年
頼宣は足の傷を見せ、この傷が無かったら、わしの50万石は無かったと、直次との思い出を語る。