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日本歴史紀行

歴史めぐり 街物語 2 ‐ 1 静岡市駿河区

静岡市駿河区

国宝 久能山東照宮
静岡市駿河区根古屋


久能山東照宮 一の鳥居








久能山 徳音院

徳音院は徳川家康をはじめ3代将軍に仕えた南光坊天海(慈限大師)により開かれ、徳川家康が元和2年4月に逝去し、遺言により遺骸を、久能山に納めた後、徳音院は学頭として創建しました。





久能山東照宮 表参道

久能山山上の徳川家康公が眠る神廟まで17曲がり、1159段の階段が続きます。





一ノ門

17曲がりの石垣階段を山下から上り、東照宮の山門にあたる門で、門の前からは駿河湾の美しい景色を楽しめます。





一ノ門 から駿河湾の景色





門衛所
江戸時代、この門衛所は徳川譜代家臣の榊原清政に連なる榊原氏(四天王 榊原康政の兄の系譜)が代々 与力を配置して警護しました。これは長年 忠節を尽くした清政に徳川家康が命じました。





勘助井戸

久能山城時代、甲斐武田氏の山本勘助が掘ったとも伝わる33メートルの深さにもなる石垣井戸です。








二階建ての楼門で、後水尾天皇(第108代天皇)の宸筆(しんひつ)による東照大権現の扁額が掲げられていることから、勅額御門とも呼ばれてます。






徳川家康公 実物手形







鼓楼
もとは鐘楼として梵鐘が備えられていましたが、明治になり鐘は撤去されてしまったため、旧幕臣の小島勝直が江戸城にあった太鼓を奉納しました。





神厩
徳川家康公の愛馬を飼育していましたが、愛馬の死後、左甚五郎による木製の神馬が製作され、奉納されました。





神馬
家康公の愛馬は、逝去後は厩舎にて飼育されてました。家康公の遺骸が神廟に納められると、毎晩 神廟側で休み、朝になると厩舎に戻りました。

ある日 朝に馬が戻らないので見に行くと、眠るように死んでいました。

この話を聞いた 左甚五郎が馬の人形を製作し、奉納しました。馬の眼球には、当時 貴重だったギアマン(ガラス)が使われました。

なお、神廟の側で死んでいた馬は、神廟の脇に埋められました。





五重塔跡
五重塔は、祖父 徳川家康を深く崇敬していた三代将軍 徳川家光の命により高さ30メートルの搭が創建され、明治維新後に解体されました。

2に続きます。





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