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日本歴史紀行

歴史紀行 47 積雲院 源 朝長  墓所


積雲院
源 朝長 墓所 積雲院

静岡県袋井市友永


1159年 平治元年
平治の乱を起こすも、政治力と軍勢の動員力で平 清盛に敗れた源 義朝は、長男の義平、次男 朝長、三男 頼朝と僅かな郎党と京から落ち延びました。



途中、三男の頼朝は疲労ではぐれ、
近江の東山道に差し掛かったところで長男 義平が再起をはかって北陸へ向かいます。(義平は清盛の首を狙い京へ入るも失敗して斬首)

次男の朝長は、落武者狩りとの戦いで脚に弓矢を受け負傷してしまいます。

美濃国 青墓の宿に来たところで朝長は、足手まといを嫌い、自害したとも、父 義朝に介錯を願ったともいわれます。

その後、青墓の朝長の墓が平家により暴かれ、京で晒し首になっていたものを朝長の家来の大谷忠太(おおやのちゅうた)が首を持ち帰り、故郷であるこの地に埋葬しました。

墓石
左から源義朝(父)義平(長男)朝長

山門




1185年 元暦2年、平家滅亡の後、弟の頼朝が上洛途中に訪れ、菩提寺を建立。名を積雲院としました。

源頼朝手植えの松


その後、時代の流れの中で荒廃しますが、可睡斎の等膳上人が徳川家康の援助を受けて再興しました。

本堂






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