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日本歴史紀行

思い出フォト 35 2018年 8月 2


2018年8月、北海道への帰省後、翌週末は袋井市へ。



正岡子規 句碑
【冬枯の中に家居や村一つ】
明治22年、故郷の松山への帰路、東海道本線の汽車の車窓からの袋井の町並みを詠んだ正岡子規の一句だそうです。

背後のマキの木は、源朝長(源頼朝の次兄)の菩提寺、積雲院の再建時に庭園樹から移植したもの。再建は徳川家康の幼少の頃の学問の師、可睡斎の等膳和尚。




その可睡斎。
等膳和尚は、家康公が浜松城の主となって間もなく城に招き、幼少の思い出話をしていた時、居眠りをしてしまい、〜和尚、我を見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚、眠るべし 眠るべし〜と少年時代の昔を思い出しました。





可睡斎は徳川家康公より格別の保護を受け、10万石待遇を得て、葵御紋の使用も許されました。



可睡斎を含む尊永寺、油山寺の三山は毎年夏に遠州三山風鈴まつりを開催、暑夏に涼しさを届けます。



尊永寺 山門





法多山名物 厄除け団子



尊永寺 本堂







油山寺 山門
掛川城大手門を移築


油山寺は孝謙天皇の眼病を治癒した鉱泉により勅願寺として栄えました。



源頼朝 寄進による三重塔



風鈴の音色は落ち着いた南部鉄器の音色


室生殿

薬師本堂














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