青い、そらのカケラ

私の大切な毎日。

両親の生きていく道

2008-12-15 23:41:33 | 思うこと。
人のせいにして生きるのはもうやめませんか。
誰かのために自分が幸せになれないという言い訳は、
もうやめませんか。
あなたが幸せだと感じられない理由は、
自分が自分を幸せにしようとしていないだけだと
私は感じるのです。
誰かのせいにして自分の人生をあきらめるのは
もうやめたほうがいいと思うのですが。
そんなことをしていても楽しいとは思えません。
「だからしょうがない
だからしょうがない
誰かがこうなってくれれば
私は幸せになれる」
そんなことは期待してはいけない
あなたはあなたの人生を
めいっぱいに幸せに生きればいい
あなたを幸せにできるのは
あなたしかいないのです。

両親の今後について話し合いをしてきました。
老人は、お金がないと、人間らしい生活はできないようです。
もうショートステイにはいられない。
特養に入るにはお金がかかる。とても払いきれない。
在宅に戻るしか道はない。
だけど今、腕が使えない状態では何もできない。
だからヘルパーを一日に3回入れることにした。
だけど、食事の用意をしてもらうことは、介護保険の考え方からすると
「贅沢」
なんだそうです。
では、食事はどうしろというのでしょうか。
食うな、とでも?
介護保険については、「国からできるだけ使うなという指示が出ている」そうで、
金がなくて特養に入れない、だけど自分では色々できない状況にある老人は、
どうやって生きて行けと言うのでしょうか。
死ね、とでも?
うまいものを食いたいという、そう、ただ「言う」ことすらが
「贅沢」なんだそうです。
おかしい。
生きているのだから、年齢を重ねていても、自分で色々出来ない状態だとしても、
今、生きているのだから、
自分の望みを、自分の夢を、言葉にすることは認められてもいいのではないのでしょうか。
おかしい。
この世の中、おかしい。おかしい。
あなたが同じ立場に立ったら、どう感じるの、さぁあなたも、同じ立場に立ってごらんなさい、
どんなに屈辱的か、
どんなに絶望的か、
どんなに生きる気力を失うか、
自分で何かが出来ない年寄りは、
死ね、
と言っているようなものです。
私がやってやれたら
私が動けたら
私が
私が。
私が健常だったら。そんなことは思ってはいけないけれど
こういうときどうにも悔しくなるのです。
どうかできるだけ、
この先それほど長くないであろう人生、
できることならできるだけ、人らしく生きてほしいと願っています。
たった少しの希望すら踏みつぶされるような人生にはならないことを
祈っています。
私にできることがあれば、
私がやれることがあれば、
精一杯にしてやりたいと思っています。
だけど疲れました。
現実を見ない両親。
父のせいにばかりする母。
もう疲れました。
もう、疲れました。
少し休みます。少し、休みます。

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