青山俳句工場05

俳句の今日と明日と明後日を語り合う。
見本誌ご希望の方は tosmiya@d1.dion.ne.jp まで。

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金子先生

2018年02月21日 | 宮崎斗士

私は先生の弟子で良かった、とこれからもずっと思い続けることでしょう。

金子兜太先生、どうもありがとうございました。

そしてお疲れ様でした。


05工場長日誌(55)

2017年06月14日 | 宮崎斗士
昨日13日、機関誌「青山俳句工場05」第七十二号、
皆様宛て発送いたしました。
遅くなりまして申し訳ありませんでした。
到着まで今しばらくお待ちください。

05工場長日誌(54)

2017年06月10日 | 宮崎斗士
「青山俳句工場05」第七十二号ですが、
諸般の事情により、完成が若干遅れます。
来週13日(火)、皆様宛て発送の予定です。
申し訳ございません。今しばらくお待ちください。

05工場長日誌(53)

2017年03月28日 | 宮崎斗士
青山俳句工場05第七十一号、現在印刷製本中です。
来週、4月3日(月)に発送予定です。
もうしばらくお待ちください。

05工場長日誌(52)

2017年02月01日 | 宮崎斗士
青山俳句工場05第七十号、本日発送しました。
到着まで今しばらくお待ちください。

05工場長日誌(51)

2017年01月25日 | 宮崎斗士
青山俳句工場05第七十号、現在印刷製本中。
来週の頭に発送予定です。
もうしばらくお待ちください。

遅ればせながら、
青山俳句工場05、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

05工場長日誌(50)

2016年11月28日 | 宮崎斗士
青山俳句工場05第六十九号、現在印刷製本中。
12月3日(土)発送予定です。
もうしばらくお待ちください。

海図ゆたかに―安西篤『現代俳句の断想』に寄せて/宮崎斗士

2016年11月22日 | 宮崎斗士
 今年の一月、「2015年度朝日賞」贈呈式の壇上にて、金子兜太氏は〈存在者〉というキーワードを掲げ、「私は〈存在者〉というものの魅力を俳句に持ち込み、俳句を支えてきたと自負しています。存在者とは〈そのまま〉で生きている人間。いわば生の人間。率直にものを言う人たち。存在者として魅力のない者はダメだ。これが人間観の基本です。私自身、存在者として徹底した生き方をしたい。存在者のために生涯を捧げたいと思っています。」とスピーチした。
 安西篤著『現代俳句の断想』拝読――。
 Ⅰ「金子兜太をしゃぶる」というタイトルにやや圧倒されたが、安西氏と金子氏との長く深い交流ゆえの「しゃぶる」という措辞だと納得できる。「金子兜太をどう扱うか、どう語るか」は俳壇における一つの重要なテーマであり、金子兜太論は昨今ますますヒートアップしている。私が幹事を担当している「海程秩父俳句道場」ではここ数年「海程」所属以外の方々をゲストにお迎えしているが、ゲストの皆様それぞれが、ご自身の立ち位置から見た金子兜太像を熱く語ってくださる。皆様方、「今までの金子兜太」のみならず、「これからの金子兜太」に並々ならぬ関心と期待を寄せておられるのだ。
 「なぜ、今金子兜太なのか」という問いかけに対し、安西氏は書中にて、
1 名実ともに俳壇の頂点にあって、時代を牽引する指導者的存在であること。
2 俳壇にとどまらず、文化交流のメディアとしての行動力と資質の持ち主である  こと。
3 戦争と戦後俳句の数少ない生証人としての体験を、今日の問題として捉え返す  見識の持ち主であること。
4 幅広い選句眼と説得力のある鑑賞で、多様化の時代に指針を打ち出せる数少な  い指導者の一人であること。
 という四つのポイントを挙げている。
 その上で、安西氏によってさまざまに語られる金子氏のこれまでの俳歴、業績。特に印象的だったのは、
 「兜太は、戦時から終戦にかけての極限状況の中で、死者への思いと生への執着を重ねて、人間性の高ぶりを充填していった。この戦争体験は、原体験として焼き付けられ、秩父の原郷意識とともに、金子兜太の叙情体質を開花していった。」
 「(句集『両神』では)一茶に学んだ荒凡夫の自然(じねん)なる生き方を体して、〈天人合一〉なる言葉により、天(造化)と人を結ぶ〈気〉の働きに気づくようになる。天然自然の中で、人や生きものの存在が交感を深めていることに気づくようになっているようだ。」
 「結局、兜太という人は、〈天人合一〉という世界を目指しながら、その空間というのが、ウル・エロス、ウル・ゴットといえるような原初的な、見方によっては宇宙的とも言えるような世界へ出てゆこうとしている感じがする。」
 といった明確な分析。
 そして金子氏が強く訴えるところの「生きもの感覚」についてのあらためての定義付け。
 ――すべての生きものにはいのちがあり、いのちにはたがいに通い合う気の働きのようなものがある。そこでは人間も同じ生きものとして交流しあっているという。これはアニミズムのしみこんだ生きもの感覚ともいうべきものが働いているとみるわけだ。(中略)土に根ざした大自然のなかの生きものを対象として書く叙情の形式として俳句はまことに適した表現形式である――。
 また「金子兜太の現在」の項では、「兜太はすでに社会的栄誉は手にしてしまっているのだが、その余光で晩年を気楽に過ごしているわけではない。大震災や平和の俳句の推進力となり、『アベ政治を許さない』の書で、安保法案反対の全国的世論を喚起するなど、今なおその発言の重さで、大きな社会的影響力を発揮している。時代とともに歩む俳人なのだ。」と綴られている。
 そしてまた金子氏の今後の方向として、
1 「生きもの感覚」で表現することを、「花鳥諷詠」を超える時代の方向性とし  て示し続ける。
2 生きものすべてのいのち(魂)は、形が変わっても輪廻して他界に生き、不滅  のものである、という高齢化時代の死生観を提示。
3 自らの体験を語ることで、現代俳句の生成の過程を語り、さらにそこから生き  もの感覚を体現してきた生きざまと作品をもって、新しい時代の指針を示して  いく。
 と予想している。
  花は葉に金子兜太という物体  小池義人
 本書の26ページに掲げられた一句。私はこの句の中七下五「金子兜太という物体」という、まさに唯一無二、想定外とも言える存在へのエールに共鳴しつつも、上五「花は葉に」に漂うある種の寂寥感、安定・落ち着きの態に異議を唱えないわけにはいかない。これからどう弾けるか、かっ飛ぶか、誰にも想像がつかない「物体」なのだ。
 「これまでの誰よりも遠くへ、それどころか人間が行ける果てまで私は行きたい。」とはイギリスの探検家ジェームズ・クック(キャプテン・クック)の言葉だが、金子兜太船長もまた、「俳句」または「俳人、そして〈存在者〉であること」という船でもって、そのことを成し遂げようとしている。さらなる未知へ――。航海録を記す、記し続ける、その第一人者としては、やはり安西篤氏の名を挙げるしかないであろう。
 もう一つ、本書最後の項「俳句初心の頃」について――。
 この項では安西氏自身の「俳句との出会い」が綴られている。戦後まもなく俳句を作り始めた安西少年に、単身赴任の父から届いた小さな小包。その中身は用済み書類の裏紙を和綴じにした手作りの本、父自らが筆写した富安風生『俳句の作り方』だった。その中の栞に記されていた父の俳句作品「妻のこと子のこと今日も花曇」。遠く離れた妻子を案じる、その切なる心情が伝わってきて、強く印象に残った。そして安西氏の「私の俳縁は、この時定まったものと思う。」の一文も深く胸に沁みたことだった。

「海程多摩」第十五集(2016)掲載

05工場長日誌(49)

2016年09月30日 | 宮崎斗士
本日、「青山俳句工場05」第六十八号を皆様宛て発送いたしました。
ご味読、どうぞよろしく!

猫俳句さまざま/宮崎斗士

2016年09月15日 | 宮崎斗士
 皆さん、猫はお好きですか? 白猫、黒猫、グレー猫、茶トラ猫、ぶち猫、三毛猫‥‥。猫にまつわる季語も「恋猫」「猫の子」「うかれ猫」「孕み猫」「竈猫」「炬燵猫」「かじけ猫」などいろいろありますね。
 猫、私も決して嫌いではないのですが、残念ながら私は極度の「猫アレルギー」なのです。猫を家の中で買っているお宅にお邪魔すると、玄関から入ったとたん目と鼻がおかしくなってしまいます。どどっと涙と鼻水が‥‥。富士サファリパークの「ネコの館」に入ったときも同じ状況に(最初から入らなければいいのですが、つい)。だからわが家では猫を飼ったことはありません。
 ただ、猫の俳句を作るのはわりと好きなのです。猫は様々な顔を見せてくれる、なかなかの「名優」です。
  猫の子に石かな切り株かな空だ  斗士
 生まれてからまだ間もない子猫が、身のまわりの事物にひとつずつ触れてゆく一句です。このあと「川だ」「森だ」「人間だ」「ビルだ」‥‥と、どんどん続いてゆく感じですね。子猫の目には全てが新鮮に映ることでしょう。
 他にも「猫俳句」をいくつかご紹介します。
  冬の日や己を抱き猫眠る  加藤瑠璃子
 寒さをこらえながら眠っている猫。中七の「己を抱き」という措辞が猫の可愛く丸まっている姿を表わしているようで心惹かれます。
  空を飛ぶかたちに猫を伸ばして秋  芹沢愛子
 猫を飼っておられる方は、この感じ、思い当たるところがあるかも知れません。猫の全身をいろいろといじって遊ぶひととき――。「空を飛ぶかたち」という措辞が秋の爽やかさとよくマッチしている一句です。こういう句を読むと、猫を飼うってきっと楽しいんだろうな‥‥と思いますね。
  風花や牛の股間を猫とほる  清水美千
 あの大きくて重い牛の股の間を涼しい顔して猫が通ります。踏まれたらどうしよう‥‥と見ている作者も思わずヒヤリとする一瞬。「風花」の季語がよく働いています。
  ふとん干す猫まで干したおぼえはない  河原珠美
 ふとんを干している、そのそばで猫も気持ち良さそうに日向ぼっこしています。「猫まで干したおぼえはない」という中七下五が何ともユーモラスで、作者自身の朗らかな生活感も伝わってくるようです。
  師走ついに玄関にノラを入れたり  足利屋篤
 作者の足利屋篤さんは三年前に他界、猫が大好きな方でした。きっと野良猫に餌をやったり、体を拭いてやったり、いろいろ面倒を見ていたのでしょう。そして師走のある日、寒さに震える野良猫を見かねて、とうとう家の中に入れてしまいます。「ついに」の措辞が作者の長い間の葛藤、そしてあふれる優しさを表わしています。
 ちなみに以前わが家で実際に飼っていたのは柴犬の母子でした。なので最後に「犬俳句」を一句――。
  黄落期ぽんっと柴犬の表情  斗士
 柴犬の表情って、可愛くて素朴でどこか哲学的な趣もあって眺めていて飽きません。そしてその表情は、黄落期の色合い、空気感ともよく合うように思うのです。
 何かペットを飼っておられる方は、ぜひそのペットの俳句を作ってみてください。より一層ペットのことが可愛くなりますよ。

「俳句十代」2016年8・9月号掲載

旅吟の思い出/宮崎斗士

2016年09月09日 | 宮崎斗士
 俳句の大きな楽しみのひとつに「旅吟」があります。旅先で俳句を作ることですが、私も今まで日本中のあらゆる場所へ旅をし、俳句を作ってきました。今回はそんな作品の中からいくつかを紹介させてください。
  芽吹きという約束ひとつずつ秩父  斗士
 秩父郡長瀞(埼玉県)に「養浩亭」という旅館があるのですが、ここを私は毎年春と秋に訪ねます。荒川沿いにある旅館で、宿のまわりが春は桜、そして秋は紅葉に美しく彩られます。句の季語は「芽吹き」。春に訪れるたびに、あたかも約束したかのように、いっぱいの木の芽が私を出迎えてくれるのです。
  水引草に触れた時間が入り口です  斗士
 比叡山延暦寺(滋賀県)を訪ねた時に出来た一句です。琵琶湖を臨む延暦寺の空気はとても清々しく、心身がみるみるリフレッシュしてゆく感じです。延暦寺へと向かう道のそこかしこに可憐な水引草の花が咲いていました。触れた時間が入り口‥‥まさに実感の一句です。
  あめんぼや旅ってさまざまな上空  斗士
 この句は箱根(神奈川県)で生まれました。東京からですと日帰りでも十分楽しめる、山あり湖あり名所旧跡あり温泉ありの箱根は私が一番好きな観光地です。風光明媚――私にとっての箱根はまさしく「空を眺めるのに絶好の場所」です。そのあたりの感じを詠んでみました。この句、あめんぼの瑞々しさが活きていますでしょうか。
  伊勢は常にひかりの季節水鳥よ  斗士
 伊勢神宮(三重県)は何回か訪ねていますが、季節に関係なく、いつも心が安らぎます。伊勢神宮の持つ荘厳な「ひかり」が安らぎをもたらすのではないかと私は思います。その思いが上五中七「伊勢は常にひかりの季節」というフレーズになりました。そのひかりと遊ぶように、神宮外宮の「勾玉池」にたくさんの水鳥がいました。
  冬蜂や白虎隊士のふっと乱視  斗士
 これは会津藩・白虎隊の学び舎「日新館」(福島県)で詠んだ一句です。訪ねたのは十二月の冷たい雨の午後でした。歴史の波に翻弄され、悲劇的な末路を迎えた白虎隊士たちと、「冬蜂」の繊細さ、哀しさとを重ねてみたかったのです。
  夕顔や母と子ぼろぼろの絵本  斗士
 軽井沢(長野県)の「絵本の森美術館」、国内外の様々な絵本が展示してある美術館です。観覧しながら、ふと自分の幼い頃の母との絵本の思い出がよみがえって来ました。母と一緒にそれこそぼろぼろになるまで読んだ絵本――。きっと世界中の人たちにそんな思い出の絵本があることでしょう。私の場合は、ヘレン・バンナーマンの『ちびくろ・さんぼ』と、やなせたかしの『やさしいライオン』という絵本がとても印象に残っています。
 皆さんも家族旅行や修学旅行の際には、ぜひその旅先でのあれこれを俳句に詠んでみてください。旅の良き思い出がひとつずつ増えていきます。

「俳句十代」2016年6・7月号掲載

母を詠む/宮崎斗士

2016年09月06日 | 宮崎斗士
 皆さんは、ご自分のお母さんを俳句に詠んだことがありますか? 昔から「母」という題材は数多くの俳人に詠まれてきました。息子、娘の立場からとらえるお母さん像‥‥どの句にもひとかたならぬ思いが溢れています。その中のいくつかをご紹介します。
  長寿の母うんこのようにわれを産みぬ  金子兜太
 作者・金子兜太さんのお母さんは104歳まで生きておられました。金子さんが「長寿の母」についてもの思うとき、さかのぼりさかのぼり、ふと自分を生んでくれた時のことが浮かんできたのだと思います。中七「うんこのように」が何ともあけっぴろげ、ユーモラスでありながら、お母さんへの深い親愛の情がくみとれます。金子さん自身もある年齢を迎えてのあらためての感慨です。
  入学の少年母を掴む癖  右城暮石
  やわらかき母にぶつかる蚊帳の中  今井聖
  母に腕組み子よ兎のように跳ねる  川村朗生
  炎天や母の影へとかくれんぼ  江良修
 などの作品、このあたりの感じ、皆さんにも思い当たるところがあるのではないでしょうか。まだ幼い子供とお母さんとのほのぼのとした交流が描かれています。
  夏の母熟睡の蹠すさまじき  宇多喜代子
 「蹠」とは足の裏のことです。すさまじき――これは何とも大らかでパワフルなお母さん像です。いびきが聞こえてきそうですね。
  小春日や母にひとつの小引出し  せいきたかし
 毎日家族のために大忙しのお母さんにも、心の中にひとりの女性としての「小引出し」があるのです。その引出しには一体何が入っているのでしょう――冬の暖かい一日です。
  母と握手ふつうの握手かたつむり  宮崎斗士
 私の作品です。お母さんと握手‥‥なかなかそういう機会ってありませんよね。ただ私も大人になり結婚があって独立して、母とも次第に遠くなり、遠くなったゆえに母という存在をふと見つめ直すひとときがあります。「ふつうの握手」は母子関係を離れたところの母との一対一の人間関係を(ぼんやりとですが)描きたかったのだと思います。
  ありがとうを言いすぎるよ母よ草の花  芹沢愛子
 重い病気にかかり余命いくばくもないお母さんを詠んだ一句です。「介護の際や病室から帰る時に母がいつも口にしていた<ありがとう>と言う言葉は、余命を隠していたためにあらためて言う事の出来なかった家族の、一番言いたかった言葉でした」とは作者・芹沢愛子さんの弁です。
 皆さんもぜひもっと積極的にお母さんのことを俳句に詠んでみてはいかがでしょう。きっと新しい発見があることと思います。
 お母さんとけんかしている時など仲直りのいいきっかけになるかも知れません。あらためてお母さんと「握手」できるかも知れませんよ。

「俳句十代」2016年2・3月号掲載

05工場長日誌(48)

2016年04月20日 | 宮崎斗士
今日発売の月刊「俳句四季」(東京四季出版)5月号に、僕の作品「四コマ漫画」(十六句)が掲載されています。
何かの折に、ご一読いただけましたら幸甚です。

05工場長日誌(47)

2016年04月01日 | 宮崎斗士
機関誌「青山俳句工場05」第六十五号、来週6日(水)発送予定です。
今しばらくお待ちください。

05工場長日誌(46)

2016年02月17日 | 宮崎斗士
東京都豊島区に「あしあと動物病院」というのがあるんだけど、
この名前すごくいいセンスだと思う。
うらやましい。