今年の一月、「2015年度朝日賞」贈呈式の壇上にて、金子兜太氏は〈存在者〉というキーワードを掲げ、「私は〈存在者〉というものの魅力を俳句に持ち込み、俳句を支えてきたと自負しています。存在者とは〈そのまま〉で生きている人間。いわば生の人間。率直にものを言う人たち。存在者として魅力のない者はダメだ。これが人間観の基本です。私自身、存在者として徹底した生き方をしたい。存在者のために生涯を捧げたいと思っています。」とスピーチした。
安西篤著『現代俳句の断想』拝読――。
Ⅰ「金子兜太をしゃぶる」というタイトルにやや圧倒されたが、安西氏と金子氏との長く深い交流ゆえの「しゃぶる」という措辞だと納得できる。「金子兜太をどう扱うか、どう語るか」は俳壇における一つの重要なテーマであり、金子兜太論は昨今ますますヒートアップしている。私が幹事を担当している「海程秩父俳句道場」ではここ数年「海程」所属以外の方々をゲストにお迎えしているが、ゲストの皆様それぞれが、ご自身の立ち位置から見た金子兜太像を熱く語ってくださる。皆様方、「今までの金子兜太」のみならず、「これからの金子兜太」に並々ならぬ関心と期待を寄せておられるのだ。
「なぜ、今金子兜太なのか」という問いかけに対し、安西氏は書中にて、
1 名実ともに俳壇の頂点にあって、時代を牽引する指導者的存在であること。
2 俳壇にとどまらず、文化交流のメディアとしての行動力と資質の持ち主である こと。
3 戦争と戦後俳句の数少ない生証人としての体験を、今日の問題として捉え返す 見識の持ち主であること。
4 幅広い選句眼と説得力のある鑑賞で、多様化の時代に指針を打ち出せる数少な い指導者の一人であること。
という四つのポイントを挙げている。
その上で、安西氏によってさまざまに語られる金子氏のこれまでの俳歴、業績。特に印象的だったのは、
「兜太は、戦時から終戦にかけての極限状況の中で、死者への思いと生への執着を重ねて、人間性の高ぶりを充填していった。この戦争体験は、原体験として焼き付けられ、秩父の原郷意識とともに、金子兜太の叙情体質を開花していった。」
「(句集『両神』では)一茶に学んだ荒凡夫の自然(じねん)なる生き方を体して、〈天人合一〉なる言葉により、天(造化)と人を結ぶ〈気〉の働きに気づくようになる。天然自然の中で、人や生きものの存在が交感を深めていることに気づくようになっているようだ。」
「結局、兜太という人は、〈天人合一〉という世界を目指しながら、その空間というのが、ウル・エロス、ウル・ゴットといえるような原初的な、見方によっては宇宙的とも言えるような世界へ出てゆこうとしている感じがする。」
といった明確な分析。
そして金子氏が強く訴えるところの「生きもの感覚」についてのあらためての定義付け。
――すべての生きものにはいのちがあり、いのちにはたがいに通い合う気の働きのようなものがある。そこでは人間も同じ生きものとして交流しあっているという。これはアニミズムのしみこんだ生きもの感覚ともいうべきものが働いているとみるわけだ。(中略)土に根ざした大自然のなかの生きものを対象として書く叙情の形式として俳句はまことに適した表現形式である――。
また「金子兜太の現在」の項では、「兜太はすでに社会的栄誉は手にしてしまっているのだが、その余光で晩年を気楽に過ごしているわけではない。大震災や平和の俳句の推進力となり、『アベ政治を許さない』の書で、安保法案反対の全国的世論を喚起するなど、今なおその発言の重さで、大きな社会的影響力を発揮している。時代とともに歩む俳人なのだ。」と綴られている。
そしてまた金子氏の今後の方向として、
1 「生きもの感覚」で表現することを、「花鳥諷詠」を超える時代の方向性とし て示し続ける。
2 生きものすべてのいのち(魂)は、形が変わっても輪廻して他界に生き、不滅 のものである、という高齢化時代の死生観を提示。
3 自らの体験を語ることで、現代俳句の生成の過程を語り、さらにそこから生き もの感覚を体現してきた生きざまと作品をもって、新しい時代の指針を示して いく。
と予想している。
花は葉に金子兜太という物体 小池義人
本書の26ページに掲げられた一句。私はこの句の中七下五「金子兜太という物体」という、まさに唯一無二、想定外とも言える存在へのエールに共鳴しつつも、上五「花は葉に」に漂うある種の寂寥感、安定・落ち着きの態に異議を唱えないわけにはいかない。これからどう弾けるか、かっ飛ぶか、誰にも想像がつかない「物体」なのだ。
「これまでの誰よりも遠くへ、それどころか人間が行ける果てまで私は行きたい。」とはイギリスの探検家ジェームズ・クック(キャプテン・クック)の言葉だが、金子兜太船長もまた、「俳句」または「俳人、そして〈存在者〉であること」という船でもって、そのことを成し遂げようとしている。さらなる未知へ――。航海録を記す、記し続ける、その第一人者としては、やはり安西篤氏の名を挙げるしかないであろう。
もう一つ、本書最後の項「俳句初心の頃」について――。
この項では安西氏自身の「俳句との出会い」が綴られている。戦後まもなく俳句を作り始めた安西少年に、単身赴任の父から届いた小さな小包。その中身は用済み書類の裏紙を和綴じにした手作りの本、父自らが筆写した富安風生『俳句の作り方』だった。その中の栞に記されていた父の俳句作品「妻のこと子のこと今日も花曇」。遠く離れた妻子を案じる、その切なる心情が伝わってきて、強く印象に残った。そして安西氏の「私の俳縁は、この時定まったものと思う。」の一文も深く胸に沁みたことだった。
「海程多摩」第十五集(2016)掲載