小鳥 芹沢愛子
熊ん蜂どこかで絹の焦げている
鳥のふやした木々に小鳥の墓に春
錆びきって華やぐことも晩夏の橋
空気読む怖さかなかな時雨かな
夢いつも入れ子になっていて白夜
空蝉に笹船なんかちょうどいい
間食はしない主義です山椒魚
小鳥くる指折りという数えかた
こおろぎの私語の聞こえて夜の入口
みの虫のマナーモードになっている
すすき原ふと引潮がきているよう
桃色ペリカン自分を愛せるようだ
木の実降るショパンの音が拾いきれない
夜長あつまる三角錐の猫の耳
静脈の細さを言われ野紺菊
鳥渡る部屋のインコは眠たそう
一茶忌の雀水玉と同じ重さ
先客はうさぎブックカフェの小ざぶとん
白ふくろう泡立っている森の夜明け
過去のどこかに置きざりの眼や梟
翼 芹沢愛子
美智子皇后は書物について、「時に子供に安定の根を与え、時にどこにでも飛んでいける翼を与えてくれるもの」とたとえています。俳句をつくることでも「根と翼」が得られるような気がします。「想像力よりも高く飛べる鳥はいない」と、ある詩人は言いますが近ごろの私はもう高くは飛べません。
一昨年、六年間共に暮らしていたオカメインコのぴい助を亡くしました。猫での辛い思い出があるので、鳥くらいならと気軽に飼い始めたのです。肩に止まり、頬擦りをし、少し喋るぴい助は、携帯の文字変換では〈ピース家〉と出てくるのも楽しくて‥‥。「インコの性格は臆病で甘えん坊」と飼い方の本にありました。動物行動学によるとそれは「天敵から餌食になる確率を減らすために群れで行動する」からで、ペットの場合は人と仲間になるしかないのです。天敵から狙われないように怪我や病気を隠そうとする習性も哀れでした。
うみどりにどこも陽炎どこも遠景
東日本大震災直後の映像には海鳥がたくさん映り込んでいました。
担当していた連載「ひいらぎ文庫」が「海程青年部の頁」と共に終了しました。第一回は四年前でしたがその矢先に東日本大震災が起こりました。私は願望を込めて「俳句という言葉の力で何かを取り戻せるのではと信じています」と書きました。その後も震災や原発事故と向き合う作品や人物を取り上げ、十三回になって初めて明るい話題として五〇周年全国大会の報告ができました。
紛争やテロが世界各地で勃発。国内では、「秘密保護法」や「安保法案」が可決され右傾化が進んでいます。社会や人間の感情についての表現は難しいですが、それを止められたら俳句は続けていけなかったでしょう。こんな時代になった今、つくづく「金子兜太の弟子」で良かったと思っています。
「海程」2016年2・3月号掲載
熊ん蜂どこかで絹の焦げている
鳥のふやした木々に小鳥の墓に春
錆びきって華やぐことも晩夏の橋
空気読む怖さかなかな時雨かな
夢いつも入れ子になっていて白夜
空蝉に笹船なんかちょうどいい
間食はしない主義です山椒魚
小鳥くる指折りという数えかた
こおろぎの私語の聞こえて夜の入口
みの虫のマナーモードになっている
すすき原ふと引潮がきているよう
桃色ペリカン自分を愛せるようだ
木の実降るショパンの音が拾いきれない
夜長あつまる三角錐の猫の耳
静脈の細さを言われ野紺菊
鳥渡る部屋のインコは眠たそう
一茶忌の雀水玉と同じ重さ
先客はうさぎブックカフェの小ざぶとん
白ふくろう泡立っている森の夜明け
過去のどこかに置きざりの眼や梟
翼 芹沢愛子
美智子皇后は書物について、「時に子供に安定の根を与え、時にどこにでも飛んでいける翼を与えてくれるもの」とたとえています。俳句をつくることでも「根と翼」が得られるような気がします。「想像力よりも高く飛べる鳥はいない」と、ある詩人は言いますが近ごろの私はもう高くは飛べません。
一昨年、六年間共に暮らしていたオカメインコのぴい助を亡くしました。猫での辛い思い出があるので、鳥くらいならと気軽に飼い始めたのです。肩に止まり、頬擦りをし、少し喋るぴい助は、携帯の文字変換では〈ピース家〉と出てくるのも楽しくて‥‥。「インコの性格は臆病で甘えん坊」と飼い方の本にありました。動物行動学によるとそれは「天敵から餌食になる確率を減らすために群れで行動する」からで、ペットの場合は人と仲間になるしかないのです。天敵から狙われないように怪我や病気を隠そうとする習性も哀れでした。
うみどりにどこも陽炎どこも遠景
東日本大震災直後の映像には海鳥がたくさん映り込んでいました。
担当していた連載「ひいらぎ文庫」が「海程青年部の頁」と共に終了しました。第一回は四年前でしたがその矢先に東日本大震災が起こりました。私は願望を込めて「俳句という言葉の力で何かを取り戻せるのではと信じています」と書きました。その後も震災や原発事故と向き合う作品や人物を取り上げ、十三回になって初めて明るい話題として五〇周年全国大会の報告ができました。
紛争やテロが世界各地で勃発。国内では、「秘密保護法」や「安保法案」が可決され右傾化が進んでいます。社会や人間の感情についての表現は難しいですが、それを止められたら俳句は続けていけなかったでしょう。こんな時代になった今、つくづく「金子兜太の弟子」で良かったと思っています。
「海程」2016年2・3月号掲載