青山俳句工場05

俳句の今日と明日と明後日を語り合う。
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青山俳句工場05第七十四号(2)

2017年10月12日 | 青山俳句工場05
「工員矢の如し」より。
 
第七十四回『テーマは「年齢」。年齢について思うところ。年齢にまつわる思い出。大きな出来事があった年齢。人生の分岐点になった年齢。何か(俳句など)を始めた年齢。実年齢と肉体年齢、精神年齢との相違。三十代、四十代、五十代‥‥。夫婦間、職場内、サークル内での年齢差。○○歳になるまでの目標。自分が○○歳だったころ。あの年齢に戻りたい。アンチエイジング。誕生日の思い出。年齢を詠んだ句。などご自由にどうぞ。』
 
石川まゆみ◆74歳は母親、88歳は父親が亡くなった年齢。時々、自分は親の年齢までにもうしばらくあるな、と、意識する。
 年齢とは、人間として生を受けて他界するまでの、この世の在籍期間。動物には決して数えることのできないものが、この「年齢」だ。カウントできるがゆえに悲しみもある。人間は、これに抗うことで種々の職種を得、これを受け入れる為に多様な宗教もできたのだろう。できれば、人間に与えられた「年齢を味わうことの才能」を活かして、粛々と詩を紡いでいきたい。
 
伊藤幸◆当院の患者さんに98歳の元気なおばあちゃんがおられる。
 和菓子屋さんを経営し息子さん家族と暮らしておられるが、不運な事にお嫁さんが病弱の為、商売から家事まで一切ご自分で采配されている。どんな苦しい時も笑顔絶やさぬ方であるが先日、脚を骨折し入院されもう歩けなくなられるのではないかと心配した。しかし何と何と二週間で退院され元気に歩いて来られたのだ。
 いつもお土産持参で来られるので先日、蜂蜜で作った自家製のブルーベリージャムを一瓶差し上げたら「奥さんに会えてよかった。」と私の手をギュッと握られた。年齢的にも人間的にも私には及ぶ筈はないが、こんなおばあちゃんになりたいと(もう既にオババ?笑)暖かい気持ちで見送った。
 
川崎千鶴子◆老いは少しずつやって来ます。ですが、ある日突然ちゃぶ台をひっくり返すようにやって来ます。もう老いの穴をふさげない程に。
 きっと心が「死」の準備を出来るように、神様がしてくださっているのでしょう。 
 でも俳句はそれを忘れさせてくれますし、それを昇華させて呉れます。
 
古知屋恵子◆若い時「若い女の子」ってカテゴリーで見られるのがすごく嫌だった。それだけでブランド価値があるようにTVが煽る。おニャン子クラブが出はじめ、大学時代はバブルでジュリアナ全盛期。若い女を売りにするもんかと、化粧もせず、よれたジーンズで汚くしてた。自分探しをして「若い女の子」という武器ではない私だけの〝武器〟を探し漂った青春時代。荒海に揉まれ、それなりの経験と自信を得た今、やっと女性としての美を求められるようになった。最近、社交ダンスを習いはじめた。はじめてのアイシャドーに指先が震え、すっころばないように履くヒールの靴、ゆれるイヤリングに広がるスカート。ささやかなドレスアップに少女のようにドキドキする白髪混じりの48才である。
 男に抗い、媚びることなく生きてきたけれど、社交ダンスは男性の思うがままに踊らされるダンス、新鮮である。タンゴは男の腰骨の動きひとつで女の体の向きが変化させられてしまうのである。スゴイ。
 はじめて参加したダンスパーティー。見学のつもりで小さく座っている私を見知らぬ白髪の紳士が誘ってくれた。「ブルースはまだ習っていないんです」と断る私に「大丈夫」と優しくリードしてくれて踊れたことに感動していると「二十五年ダンスを教えていたんでね」とにこりとウインク。すっかり年上男性の寛容な優しさにメロメロになったのである。
 社交ダンスサークルは第二の人生を楽しむシニアの方ばかり。私は超若手なのである。女性として遅咲きの私は、いぶし銀のような方々に囲まれ女を磨こうと思っている。ダンススクールには手本となりそうな姿勢の良い美しい先輩女性もたくさんいる。俳句界同様、生き生きと魅力的に活動する年輩の方々に出会うと、年を重ねるのがどんどん楽しみになってくる。
 
小松敦◆シンギュラリティ(※)を超えて進化したそう遠くない未来、「年齢」という概念は変わるだろう。百五十歳のあなたは九十歳の若者から「年齢って、年輪みたいなものっすか?」と質問される日がくる。まだ百五十歳だけど、もうそろそろ終わらせてもいいかなと、死は選択によって時期を設定できるものになるだろう。身体を終了する際のオプションとして、脳と心も身体と共に完全消滅させるか、スキャンした脳と心をAIシステムにインストールして仮想世界で永遠に生きるかを選択できるだろう。しかし、そんな世界にも俳句は残る。※シンギュラリティ=技術的特異点とは、人間の能力を超えた人工知能と人類が融合して生物学的な思考速度の限界を超越した地点、またはそれ以降の進化世界。
 
中村晋◆先日こんなことがありました。高校生の生徒の家庭訪問をしたんですが、その生徒の弟が幼稚園児。三歳ぐらいかな。で、訪問して玄関に入ると、「あ、おじいちゃんが来た!」だって。そうか、そういうふうに見られる年齢になったんだな、と痛感しましたね。まあ、今年で50歳になったからなあ~などとしみじみ。家庭訪問の話の内容より、そっちのほうが印象に残りましたね。帰り際、その弟さん「また来てね~おじいちゃん!」もう、あんまり行きたくないけどね。

なつはづき◆昔から背が高いせいもあって(小6の時すでに160センチ)、子供のころはいつでも年上に見られてました。電車に乗る時も、プールや遊園地に入る時も小学生だ!こども料金だ!という事を証明するのに必死で、結構大変だったのです。それが大人になったら今度は逆に実年齢よりも下に見られることが多くなりました。恐らく言動が幼い(リアルでもネットでも)という事だとは思いますが、軽く扱われたりしてそれはそれでまた悩むところではあります。よく考えてみたら、ずっと長い間、自分の年齢と見た目(印象)が合致せずに来てしまいました。
 誰かが言ってたのですが「他人にいちいち年齢を言って回ることなんてできないので、人は見た目がすべてなんだよ。20歳に見られたら20歳だし、50歳にしか見えなかったら50歳としてふるまうしかなくなる」と。ふむ、そういうものなんですかねえ。わたし自身はどう行動しようとわたしでしかないので何歳でも構わないのですが…恐らく俳句工場参加者の皆様とリアルでお会いする機会はほとんどないでしょうから、この文章からわたしの年齢を推測して、そのように接して頂けたら幸いです。
 
抜山裕子◆百歳の高齢者が珍しくもない昨今でも、五十歳は人生の一つの折り返し点として感慨深いものがある。私は五十歳になった時、それまで苦手としてきたことに挑戦してみようと思った。まず、運転免許。器械オンチで運動神経の鈍い私は、案の定人様の何倍も時間がかかったが、それでもなんとか免許は取れた。
 次に挑戦したのは水泳。五十歳以上のクラスに入り、バタ足から始めてクロール、背泳の真似事を習ったけれど、息継ぎがなかなか出来ない。そのうち花粉症の時期になって目、鼻がつらくなり辞めてしまった。
次の挑戦はかねてよりの念願だった「星の王子様」をフランス語で読むこと。と言っても、フランス語は挨拶程度しか知らない。アテネ・フランセで良い講座をみつけて、何とかなるだろうと 飛び込んでいった。先生が「星の王子様」にピッタリの素敵な、物静かなマダム、お別れの時はそれぞれに言葉を添えたカードを下さった。今でも忘れられない人生の折り返し点だった。
 
野村眞理◆あと三日ほどで誕生日。六四歳です。
 六〇歳を過ぎると体力や知力、様々な能力が錆びつき始めています。ガーンと波が来て引いたと思ったら又波が来て。
 しかし、先日焼肉屋でおもいっきり肉を食べたら、翌日お肌つやつや!急に若返った気分になり、何だか不思議に明るい一日が過ごせました。普段もお肉は食べているはずですが、「食べたあ!ああ満腹~」というくらいいただいたので身体が大喜びしたのでしょうか。
 お肉は長寿の秘訣とも聞きます。それで今年の誕生祝いは焼肉にすることに決めました(笑)。
 
藤田敦子◆先ほど、女優で演出家の渡辺えりがテレビで、「年齢があるところまでいくと、逆に若くなっていく。どんどん若くなって、今は一七歳だ」と言っていた。十七は言い過ぎだろうと家人と笑ったが、最近、自分も似たような感覚を持っていた。実際、仕事で付き合ってる現役の一七歳には「先生が若いのは、大人げないからですよ」と言われたなぁ。彼らの方がよほど、ストレスを抱える大人みたいだもんなぁ。
 あいかわらず、ごそごそと忙しい毎日だが、なんだか、いろんなものから解き放されて自由な感じなのだ。初めて出会うものに素直に感情を表したり、言いたいことを言ったり、本に没頭したり、好きな服を着て好きなところに行ったりと、心配事はあるにはあるが、なんだか楽しい。やっと憧れる先輩たちの境地に至ったのかな。「還暦」とは・・なるほどね。
 
堀真知子◆音楽教室でピアノを教えていますが、あるとき、平成生まれの幼児が入会しておどろき、次には幼児の母が平成生まれでおどろき、ついに幼児をつれてやってくるバァバが私より若いのにびっくり。夢のような日々の速さの中に私だけポツンと残されています。
 
山下一夫◆学生の頃読んだユングの本で中年期の危機が訪れる時期が「人生の午後三時」と表現されていた。人生を時計の巡りに当てはめた例えだが、年齢で言うと四十歳代辺りのことのようで、そうすると出生は〇時だということになり、三年が一時間に相当することになる。当時は二十歳そこそこだったので「自分は午前七時頃だな。学生時代は朝飯時。まだまだだ」などと考えたものである。その後も折に触れてこの例えを適用して「まだまだ」と思ってきたが、いつの間にか午後七時になってしまった。まだお勤めをしているので、これは残業の領域に入っているのかなどと思う。真夜中の〇時まであと五時間(十五年)であり、ようやく残業が終わってもすぐにお迎えが来るのかと思われ心細い。しかし、国内で百歳以上の人は六万人以上もいて、金子先生も現役である。そういう方々は一回りしてまた朝を迎えているとも言えるなどと考えると、自分は到底及びそうにはないが愉しい。
 
山本幸風◆兜太師は一九一九年九月生まれ、私は一九六九年九月生まれですので、丁度五〇歳違い。師は自分の年齢から更に半世紀もの間、俳句の第一線であり続けてきたことになりますが、凄すぎて却ってイメージができないほど。四十代から始めた俳句ですが、あと五〇年続ければなんとかモノになるかな?