「工員矢の如し」より。
第七十三回『テーマは「都道府県」。日本の47都道府県にまつわる思い出。あなたの故郷。今住んでいる場所。旅行先、転居先、赴任先での思い出。この都道府県でこんなことを体験した。好きな(嫌いな)都道府県。ぜひ一度訪ねてみたい都道府県。景観、名所、食べ物、風習、イベント、気候、歴史、交通、土地柄。などご自由にどうぞ。』
石川まゆみ◆海外旅行を控えるようになった昨今、日本のあちこちを回ることが多くなって、ご縁のある都道府県が増えた。どことも絞れないような気もするが、あえてベスト3まで考えた。
まず、広島県。自分が生まれ育った県。県北の三次盆地の山間に産まれ、結婚後に南部の広島市に落ち着いてから現在に至る。もっと深く掘り下げてみたい県である。
次に、大阪府。妹が生まれた後しばらく、大阪の叔母の家に預けられた。いとこ達と路地で水飴を舐めまわしながら、紙芝居を見るのが子どもの日課だった。楽器の琵琶が趣味で枕の横に明日着る服をきちんと畳んで寝ていたおじいちゃん、よく太って私の父によく似ていたお祖母ちゃん、少しカッコよくて面白いおじちゃん、いとこの父、軽くよく通る声でいつまでも明るかったおばちゃん、いとこの母。このうちの誰かに武庫川や十三の散歩に連れて行ってもらい、帰り道に銭湯にも行ったものだ。今は親戚もいとこ達二人だけとなったが、大阪は第二の故郷である、まだほんの一隅しか知らないが。
第三位は、奈良県。20年位前から、聖徳太子の時代に魅せられて、何度か甘樫丘の麓の民宿に連泊し、飛鳥周辺を自転車で回ったり、山の辺の道を歩いたりした。平成元年に行った時と直近に行った時とでは、遺跡の整備がすすんでいて、綺麗になっているのにびっくりした。掘り立ての、古代の土が匂うような遺跡のいくつかを、見ておいてよかったと思うのである。
石橋いろり◆青森県三沢市・淋代(さびしろ)海岸。
ここは、日本の白砂青松百選に指定されているそうだ。その淋代海岸に行ってみたいのだ。
淋代海岸は、昭和六年十月四日にここからアメリカワシントン州中央部のウェナッチー市まで太平洋横断飛行を四十一時間十三分かけて初めて成功させた記念の地。ミス・ビードル号というプロペラの五人乗りの単発機で、より多くの積載燃料を確保できるよう二人乗りに軽量化、改良したもの。淋代海岸は砂浜が固く二千メートルの直線コースのとれるという離陸条件に合ったという。海岸には顕彰碑が立っており、近くの三沢航空科学博物館にはその復元機やミス・ビーグル号のストーリーが上映されているようだ。アメリカのウェナッチーには飛行士の一人の名のついたパングボーン記念飛行場があり、その隣の記念館には、赤いミス・ビーグルの復元機が目立つように展示されている。ウェナッチーは私にとって、アナザースカイと思う町であり、その記念館には二度ほど行った。当時の淋代海岸の写真や町を挙げて離陸を見守る写真や、寄せ書きの書かれた国旗や祝辞などの展示がされていた。今度は是非、日本側から見てみたいと思っている。青い森鉄道三沢駅から車で三十分ほどかかるらしい。
大澤十八番◆生粋の上州人、大澤十八番です。
都々逸で地元をご紹介(じょうもうかるた…上州人なら誰でも知ってる)。
○上毛かるたで足りないものにガトーフェスタが焼くラスク
○上毛かるたで足りないものに忠治親分男伊達
○上毛かるたで足りないものにおひけぇなすって英五郎
○上毛かるたで足りないものに月に吠えてる朔太郎
○上毛かるたで足りないものに土屋文明大歌人
○薩長閥でもないのに四人首相輩出した上州
以上です。お粗末様でした。
小池弘子◆この年になると過去のことばかり思われます。自分が生まれた所へ行ってみたい。実現不可能ですが―。
奈良に近い布施市(大阪府)の郊外の社宅。今は布施市はありません。工業地帯でしたから、父の仕事(大同金属工業)で社宅暮らし、若草山、生駒山へピクニックに行きました。家の片隅に防空壕があり、その上でままごとをしていました。生まれてから五才まで、記憶は断片的ですが、はっきり覚えています。そして昭和二十年三月、大阪大空襲にみまわれ、父は会社へ、兄はすでに父の田舎の富山へ学童疎開、三才の弟をおぶって母は、私の手を引き戦下を逃げまどう、映画さながらの一夜でした。夜が明け社宅へ帰ると焼野原になっていました。何故か母と弟と私、三人で疎開列車に乗っていたことを覚えています。いつまでも脳裏に焼きついている布施市です。
古知屋恵子◆私は生まれも育ちも神奈川県茅ヶ崎市。祖父母や親戚もほとんど県内に住んでいたため、「田舎」がないことが非常に悲しかった。夫も私の近所で、同じ境遇。両家、本家とも同じ町内で、親や親戚同士が同じ学校だったり同じ職場だったり、すでに知り合いばかり。お正月もお盆も町内の家々をまわるだけで終了。それは恵まれていることだとは思うのですが、やはり「田舎」にあこがれており、友人が他県に引越せば、必ず遊びに(泊まりがけ)行くのです。その拠点が増えていくうち、私のポストカードをおいてくれるお店も増えてきました。遊びに行きつつ営業もしたり、人から紹介してもらったり。今では北海道、福島、東京、群馬、神奈川、奈良、大阪、福岡、佐賀、長崎、鹿児島のお店においてもらってます。めざせ47都道府県。子育てが無事終わったら紙芝居をかついで全国のお店を巡るのが夢です。あなたの町にもうかがうかも知れません。
小松敦◆北海道が好きです。道産子ですから。帯広に生まれ三歳で札幌に転居してから高校卒業までこの北国に暮らしました。もうすでに故郷を離れてずいぶん経ちますが、それでも北の大地に立つと全身に産土を感じるものです。今年の夏は、幼くて記憶の無い出生地、帯広に行ってきます。帯広では六花の森、山岳画家坂本直行(六花亭の十勝六花の包装紙の絵は有名)の記念館も訪ねようと思っています。帯広から釧路、知床、網走と車を走らせオホーツクの海を見てきます。
蔦原説子◆秋田県田沢湖のサイクリングコース。
四十年前の旅なのに、鮮明に覚えています。アップダウンがあり、頂きの地点から急斜面を下ると、真下に田沢湖がエメラルド色の湖面を湛えて、待ち受けていました。
そのあと岩手県に入り、わんこそばをわんさと頬ばりました。
奥羽の自然に心洗われた青春の日々でした。
中村晋◆自分のことを言うと、生まれは東京八王子。小学一年時に父の転勤に伴って広島へ。小学四年時に静岡へ。さらに中学三年時に浜松へ。大学は仙台。大学卒業後は、そのまま宮城に就職。しかし、結婚を機に福島県に。以来、福島県に25年、ですね。うち5年間は、妻子の自主避難に伴って、山形県と往復もしています。で、結論ですけれど、東北はいいですね。温泉があって、穏やかで。しかも野性味もある。個人的には、女性の声が、高すぎないのがいいですね。ずいぶん前ですが、沖縄を旅して東北に戻ってきたら、空気の匂いがまったく違っていたのに驚きました。沖縄の、果実の熟したような独特の匂いの世界から、東北の森の、すーっと胸をすくような匂いの世界に戻ってきたときは、同じ日本といえども多様性があるなあと実感しました。幼い頃から、あちこち動くことが多く、慣れずに嫌な思いもしたけれど、今思うと、そういうことも少しは俳句に生かされているのかなあ。
なつはづき◆子供のころ北海道に住んでいたせいなのか、親友が岩手に住んでいるせいか、どうも西(南)よりも東(北)の方が思い入れも強く、もし好きなところへ旅行してもいい、と言われると西よりも東に飛ぶことの方が多いのです(基準は今住んでいる神奈川です)。
そんな私が強烈な印象を受けた西側の都道府県は…徳島県です。四国は実はまだ一度しか行ったことはないのですが、徳島の印象が本当に強いのです。その旅行は徳島県から高知県、愛媛の一部を回る、というものでしたが、飛行機で降り立った7月の徳島は今まで体験したことのない「夏」でした。何これ!なんで夏がこんなにも「濃い」の?全然空気感が違うんです。暑い、というのともまた違う、濃い、という言葉がぴったりだったんです。
あの暑さは一体何だったんだろう…。(あとから調べたらその日が特別暑かったわけではなかったようです)。今は旅行の予定さえないわたしですが、あの夏の濃さを確かめるべくいつかまた徳島に行ってみたいです。
抜山裕子◆私の故郷は東京です。東横線沿線で、お出かけと言うと終点の渋谷、渋谷から地下鉄で銀座、浅草に行った記憶が懐かしい。当時開閉式だった勝鬨橋が開くのを見たり、銀座通りにはチンチン電車が走っていたり、手動式キャラメル販売機があった記憶も。戦争と疎開で、私の故郷の記憶は途絶えました。
昨今の東京は私の知らない街になってしまいました。渋谷はワケの分からない駅になり、銀座は私にとって味気ない街に。これが進歩、進展ということなのでしょう。
平田恒子◆父の生家が大分県の久住山の麓にあります。今は代も変わって先方も当方も核家族化していますが、やれ従姉弟会だとか、傘寿の祝いだとか、何かと口実を作っては集合します。時間がゆっくり、のびやかに流れる懐かしい空間があって、吹く風も山から流れ来る水にも透明感があり、時間を忘れてしまいます。うっかりすると町へ帰れなくなるような、まったりとした感覚に包まれます。
藤田敦子◆愛媛県。関東から松山に嫁して三十五年。盛大に「瀬戸の花嫁」で送られた。
先日、新聞で女性が最もストレスを感じない県と書かれていた。まあ、気候風土を考えても、(今のところ)地震や台風の甚大な被害はないし、暑すぎず、雪掻きもせず、せいぜい水不足が最大の問題というところだ。そしてまじめだ(ジュースだけでなく)。最初の頃、バスを降りる時、大人も子供も「ありがとう」と言うのに驚いた。料金を払ってるのだから当然と思うところがだ。家庭ごみが最も少ないとも言われてる。
先日、横浜の娘が帰省し驚いていた。「高校生がみんなヘルメットをかぶってる!」一昨年から県費でチャリ通の全員に買い与え、私立も導入した。髪型を気にする年頃だが、暑い日も必ず被ってる。俳句甲子園で、全国から高校生が集まるが、スカート丈が普通なのに驚かれる。特に厳しい指導をしてるとも思えないが・・。
ごみの分別やら校則やら、ルールを逸脱する方がストレスなのかもしれないね。
山本幸風◆大学四年間を東京で過ごしたほかはずっと静岡県に住んでいます。まだ訪れていない県を確認してみたら、青森、岩手、秋田、山形、和歌山、鳥取、高知、大分と8県もありました。意識的に制覇していかないと。特に岩手県や山形県にある「おくのほそ道」の名所を早く辿りたいです。
第七十三回『テーマは「都道府県」。日本の47都道府県にまつわる思い出。あなたの故郷。今住んでいる場所。旅行先、転居先、赴任先での思い出。この都道府県でこんなことを体験した。好きな(嫌いな)都道府県。ぜひ一度訪ねてみたい都道府県。景観、名所、食べ物、風習、イベント、気候、歴史、交通、土地柄。などご自由にどうぞ。』
石川まゆみ◆海外旅行を控えるようになった昨今、日本のあちこちを回ることが多くなって、ご縁のある都道府県が増えた。どことも絞れないような気もするが、あえてベスト3まで考えた。
まず、広島県。自分が生まれ育った県。県北の三次盆地の山間に産まれ、結婚後に南部の広島市に落ち着いてから現在に至る。もっと深く掘り下げてみたい県である。
次に、大阪府。妹が生まれた後しばらく、大阪の叔母の家に預けられた。いとこ達と路地で水飴を舐めまわしながら、紙芝居を見るのが子どもの日課だった。楽器の琵琶が趣味で枕の横に明日着る服をきちんと畳んで寝ていたおじいちゃん、よく太って私の父によく似ていたお祖母ちゃん、少しカッコよくて面白いおじちゃん、いとこの父、軽くよく通る声でいつまでも明るかったおばちゃん、いとこの母。このうちの誰かに武庫川や十三の散歩に連れて行ってもらい、帰り道に銭湯にも行ったものだ。今は親戚もいとこ達二人だけとなったが、大阪は第二の故郷である、まだほんの一隅しか知らないが。
第三位は、奈良県。20年位前から、聖徳太子の時代に魅せられて、何度か甘樫丘の麓の民宿に連泊し、飛鳥周辺を自転車で回ったり、山の辺の道を歩いたりした。平成元年に行った時と直近に行った時とでは、遺跡の整備がすすんでいて、綺麗になっているのにびっくりした。掘り立ての、古代の土が匂うような遺跡のいくつかを、見ておいてよかったと思うのである。
石橋いろり◆青森県三沢市・淋代(さびしろ)海岸。
ここは、日本の白砂青松百選に指定されているそうだ。その淋代海岸に行ってみたいのだ。
淋代海岸は、昭和六年十月四日にここからアメリカワシントン州中央部のウェナッチー市まで太平洋横断飛行を四十一時間十三分かけて初めて成功させた記念の地。ミス・ビードル号というプロペラの五人乗りの単発機で、より多くの積載燃料を確保できるよう二人乗りに軽量化、改良したもの。淋代海岸は砂浜が固く二千メートルの直線コースのとれるという離陸条件に合ったという。海岸には顕彰碑が立っており、近くの三沢航空科学博物館にはその復元機やミス・ビーグル号のストーリーが上映されているようだ。アメリカのウェナッチーには飛行士の一人の名のついたパングボーン記念飛行場があり、その隣の記念館には、赤いミス・ビーグルの復元機が目立つように展示されている。ウェナッチーは私にとって、アナザースカイと思う町であり、その記念館には二度ほど行った。当時の淋代海岸の写真や町を挙げて離陸を見守る写真や、寄せ書きの書かれた国旗や祝辞などの展示がされていた。今度は是非、日本側から見てみたいと思っている。青い森鉄道三沢駅から車で三十分ほどかかるらしい。
大澤十八番◆生粋の上州人、大澤十八番です。
都々逸で地元をご紹介(じょうもうかるた…上州人なら誰でも知ってる)。
○上毛かるたで足りないものにガトーフェスタが焼くラスク
○上毛かるたで足りないものに忠治親分男伊達
○上毛かるたで足りないものにおひけぇなすって英五郎
○上毛かるたで足りないものに月に吠えてる朔太郎
○上毛かるたで足りないものに土屋文明大歌人
○薩長閥でもないのに四人首相輩出した上州
以上です。お粗末様でした。
小池弘子◆この年になると過去のことばかり思われます。自分が生まれた所へ行ってみたい。実現不可能ですが―。
奈良に近い布施市(大阪府)の郊外の社宅。今は布施市はありません。工業地帯でしたから、父の仕事(大同金属工業)で社宅暮らし、若草山、生駒山へピクニックに行きました。家の片隅に防空壕があり、その上でままごとをしていました。生まれてから五才まで、記憶は断片的ですが、はっきり覚えています。そして昭和二十年三月、大阪大空襲にみまわれ、父は会社へ、兄はすでに父の田舎の富山へ学童疎開、三才の弟をおぶって母は、私の手を引き戦下を逃げまどう、映画さながらの一夜でした。夜が明け社宅へ帰ると焼野原になっていました。何故か母と弟と私、三人で疎開列車に乗っていたことを覚えています。いつまでも脳裏に焼きついている布施市です。
古知屋恵子◆私は生まれも育ちも神奈川県茅ヶ崎市。祖父母や親戚もほとんど県内に住んでいたため、「田舎」がないことが非常に悲しかった。夫も私の近所で、同じ境遇。両家、本家とも同じ町内で、親や親戚同士が同じ学校だったり同じ職場だったり、すでに知り合いばかり。お正月もお盆も町内の家々をまわるだけで終了。それは恵まれていることだとは思うのですが、やはり「田舎」にあこがれており、友人が他県に引越せば、必ず遊びに(泊まりがけ)行くのです。その拠点が増えていくうち、私のポストカードをおいてくれるお店も増えてきました。遊びに行きつつ営業もしたり、人から紹介してもらったり。今では北海道、福島、東京、群馬、神奈川、奈良、大阪、福岡、佐賀、長崎、鹿児島のお店においてもらってます。めざせ47都道府県。子育てが無事終わったら紙芝居をかついで全国のお店を巡るのが夢です。あなたの町にもうかがうかも知れません。
小松敦◆北海道が好きです。道産子ですから。帯広に生まれ三歳で札幌に転居してから高校卒業までこの北国に暮らしました。もうすでに故郷を離れてずいぶん経ちますが、それでも北の大地に立つと全身に産土を感じるものです。今年の夏は、幼くて記憶の無い出生地、帯広に行ってきます。帯広では六花の森、山岳画家坂本直行(六花亭の十勝六花の包装紙の絵は有名)の記念館も訪ねようと思っています。帯広から釧路、知床、網走と車を走らせオホーツクの海を見てきます。
蔦原説子◆秋田県田沢湖のサイクリングコース。
四十年前の旅なのに、鮮明に覚えています。アップダウンがあり、頂きの地点から急斜面を下ると、真下に田沢湖がエメラルド色の湖面を湛えて、待ち受けていました。
そのあと岩手県に入り、わんこそばをわんさと頬ばりました。
奥羽の自然に心洗われた青春の日々でした。
中村晋◆自分のことを言うと、生まれは東京八王子。小学一年時に父の転勤に伴って広島へ。小学四年時に静岡へ。さらに中学三年時に浜松へ。大学は仙台。大学卒業後は、そのまま宮城に就職。しかし、結婚を機に福島県に。以来、福島県に25年、ですね。うち5年間は、妻子の自主避難に伴って、山形県と往復もしています。で、結論ですけれど、東北はいいですね。温泉があって、穏やかで。しかも野性味もある。個人的には、女性の声が、高すぎないのがいいですね。ずいぶん前ですが、沖縄を旅して東北に戻ってきたら、空気の匂いがまったく違っていたのに驚きました。沖縄の、果実の熟したような独特の匂いの世界から、東北の森の、すーっと胸をすくような匂いの世界に戻ってきたときは、同じ日本といえども多様性があるなあと実感しました。幼い頃から、あちこち動くことが多く、慣れずに嫌な思いもしたけれど、今思うと、そういうことも少しは俳句に生かされているのかなあ。
なつはづき◆子供のころ北海道に住んでいたせいなのか、親友が岩手に住んでいるせいか、どうも西(南)よりも東(北)の方が思い入れも強く、もし好きなところへ旅行してもいい、と言われると西よりも東に飛ぶことの方が多いのです(基準は今住んでいる神奈川です)。
そんな私が強烈な印象を受けた西側の都道府県は…徳島県です。四国は実はまだ一度しか行ったことはないのですが、徳島の印象が本当に強いのです。その旅行は徳島県から高知県、愛媛の一部を回る、というものでしたが、飛行機で降り立った7月の徳島は今まで体験したことのない「夏」でした。何これ!なんで夏がこんなにも「濃い」の?全然空気感が違うんです。暑い、というのともまた違う、濃い、という言葉がぴったりだったんです。
あの暑さは一体何だったんだろう…。(あとから調べたらその日が特別暑かったわけではなかったようです)。今は旅行の予定さえないわたしですが、あの夏の濃さを確かめるべくいつかまた徳島に行ってみたいです。
抜山裕子◆私の故郷は東京です。東横線沿線で、お出かけと言うと終点の渋谷、渋谷から地下鉄で銀座、浅草に行った記憶が懐かしい。当時開閉式だった勝鬨橋が開くのを見たり、銀座通りにはチンチン電車が走っていたり、手動式キャラメル販売機があった記憶も。戦争と疎開で、私の故郷の記憶は途絶えました。
昨今の東京は私の知らない街になってしまいました。渋谷はワケの分からない駅になり、銀座は私にとって味気ない街に。これが進歩、進展ということなのでしょう。
平田恒子◆父の生家が大分県の久住山の麓にあります。今は代も変わって先方も当方も核家族化していますが、やれ従姉弟会だとか、傘寿の祝いだとか、何かと口実を作っては集合します。時間がゆっくり、のびやかに流れる懐かしい空間があって、吹く風も山から流れ来る水にも透明感があり、時間を忘れてしまいます。うっかりすると町へ帰れなくなるような、まったりとした感覚に包まれます。
藤田敦子◆愛媛県。関東から松山に嫁して三十五年。盛大に「瀬戸の花嫁」で送られた。
先日、新聞で女性が最もストレスを感じない県と書かれていた。まあ、気候風土を考えても、(今のところ)地震や台風の甚大な被害はないし、暑すぎず、雪掻きもせず、せいぜい水不足が最大の問題というところだ。そしてまじめだ(ジュースだけでなく)。最初の頃、バスを降りる時、大人も子供も「ありがとう」と言うのに驚いた。料金を払ってるのだから当然と思うところがだ。家庭ごみが最も少ないとも言われてる。
先日、横浜の娘が帰省し驚いていた。「高校生がみんなヘルメットをかぶってる!」一昨年から県費でチャリ通の全員に買い与え、私立も導入した。髪型を気にする年頃だが、暑い日も必ず被ってる。俳句甲子園で、全国から高校生が集まるが、スカート丈が普通なのに驚かれる。特に厳しい指導をしてるとも思えないが・・。
ごみの分別やら校則やら、ルールを逸脱する方がストレスなのかもしれないね。
山本幸風◆大学四年間を東京で過ごしたほかはずっと静岡県に住んでいます。まだ訪れていない県を確認してみたら、青森、岩手、秋田、山形、和歌山、鳥取、高知、大分と8県もありました。意識的に制覇していかないと。特に岩手県や山形県にある「おくのほそ道」の名所を早く辿りたいです。