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青山俳句工場05

俳句の今日と明日と明後日を語り合う。
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ひいらぎ文庫(42・最終回)

2015年06月08日 | 芹沢愛子
 秩父道場への乗換駅〈お花畑〉。木の短冊が並ぶ中のこの句が目に飛び込んできた。「あべかんをあかんべと読みしたたれり」。同行していた道場ゲストの筑紫磐井氏は近著で、阿部完市氏の評論を〈阿部詩論〉として取り上げている。「阿部完市は作品と評論で戦後俳壇に大きな成果をあげたにもかかわらず、現在、正当な評価を受けていない不幸な作家である」(『戦後俳句の探求』)。しかしこの本では金子主宰に〈阿部完の韻律〉と言われ、〈あべかん調〉とも呼ばれた独特な作品が紹介されていない。
 翡翠をあつとこころはこえるなり 完市
 「意味ということ、「わかる」というその事をこえて、直感する、「何かある」という心の、心自らの心への了解、充足の感‥‥それをあるいは〈俳句と言い〉それをわが〈現代俳句〉と言う」(「俳句へ‥‥言葉」7『海程』)。
 完市氏の俳句と言葉は音楽のように響き合い、溶け合っている。作家として幸福なことであろう。                      (芹沢愛子)

「海程」2015年6月号掲載

ひいらぎ文庫(41)

2015年06月08日 | 芹沢愛子
 シャルリー・エブド紙襲撃テロについて、オランド大統領は「最大の被害者は一般のムスリム」だとして「宗教の壁を越えた融和」を呼びかけた。私は六年ほど前に吟行した日本最大のモスク「東京ジャーミィ」を思い出していた。礼拝堂で祈るムスリムの人々、白と青を基調にした荘厳かつ光に満ちた空間での異文化体験は忘れがたい。作句の題材としてはなかなか難しかったが。
 コーランの軌跡蠟梅のあかるさに  浩司
 冬の終わり天井すみずみまで綺麗  斗士
 難しくしないで世界実南天  遊子
 トルコ遠し信仰のスカーフしてくしゃみ  愛子 
 「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。―そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」、亡き後藤健二さんの言葉である。
 オレンジは突き刺さる色冬のテロ  巌            (芹沢愛子)

「海程」2015年5月号掲載

一球のゆくえ―宮崎斗士句集『そんな青』/芹沢愛子

2015年04月08日 | 芹沢愛子
 『そんな青』―『翌朝回路』から八年半ぶりの彼の第二句集。
 まずその帯文に惹きつけられる。「詩が溜っているから峠をどんどん歩いてゆく 鹿や狐や猪によく出会う どっちも笑う 金子兜太」。「詩が溜っているから」と言われる、俳人としてのこころと体、ちょっと羨ましくもある。そして栞文には、「言葉の跳躍力へ/安西篤」「感覚と喩と/塩野谷仁」「〈おっぱい〉という語感/柳生正名」「ひとりっきりのポストモダン/小野裕三」と海程のそうそうたる論者が並ぶ。

  百千鳥僕にも投げるべき一球

 1980年代、世に言うコピーライターブームの最中、まだ学生だった彼は糸井重里氏のキャッチコピー投稿欄への投稿を始める。作品は次々高評価を得るが、六年間の連載が終わり、しばらくして彼は唐突に俳句を始めてしまうのである。そして師も、たった一人の仲間も持たずに、五年間ひとりぼっちで俳壇という大海原に向けて、俳句の投稿という形で「自分」を投げ続けていたのだった。

  二十秒ずつビデオテープに冬溜まる(「抒情文芸」第70号・金子兜太選)

 ここにおいて初めて金子兜太師と邂逅するのだが、この頃には少しずつ句会への誘いがあり俳句仲間との交流も始まっていた。先輩俳人の勧めをきっかけに平成八年より『海程』に作品の発表を始める。茫漠とした俳壇へ向けていた言葉を金子主宰と海程の連衆へ投げる、生の付き合いが始まった。

  ぶらんここぎすぎて畳屋のようなり
  蛍狩り歯ブラシ買いに行くように
  薬局のように水母のうごくなり

 第一句集の『翌朝回路』に掲載されているこれらの句を金子主宰は「解る人と解らない人がいていい。自分の感覚だけで押し通すという行き方もある」と肯定。堀之内長一氏は「直喩の快楽、直喩は純粋な〈子供体験〉そのものである」と新鮮さを述べ、「清潔な抒情が漂う」次の二句などを挙げた。

  芹と雲雀と机上に何もない母と
  青葉木菟たとえば籠を編む時間

 そして『そんな青』。俳壇での反響は大きく、非常に好意的であった。句集という形で改めて彼は俳壇と向かい合うことになった。

  すーっと春わが洗面器わが水面
  野遊びのあの子編集者のセンス    
  桜咲いたよ石を運べば石屋のよう  
  林檎の花打楽器配るおじいさん
  画材屋のががんぼとして全うす
  夕顔や施錠もじゃんけんも一瞬    
  水引草に触れた時間が入り口です
  帽子へこんでぽこんと直る母の秋

 『翌朝回路』の続きのような佳句をたくさん見つけ、まずほっとする。

  東京暮らしはどこか棒読み蜆汁

 『そんな青』の中でも支持の多い句である。「十数年前から宮崎作品の不思議な魅力に取りつかれていた」という外山一機氏は、この句について、「〈東京〉という地名の力と〈蜆汁〉というウエットな着地点を安易に呼び寄せてしまったように見える。宮崎はこのような場所から最も遠い場所でこそ輝いていたのではないか」(『鬣』俳句時評)と指摘する。外山氏はまさしく主宰の言う(宮崎の感覚を)「解る人」であったのだ。この一句では、「自分の感覚だけで押し通す」ではなく、解らない人にも感情移入できるアイテムとして「蜆汁」を選択している。
 安西篤氏は栞文で「個の内面から外への広がりを持つようになっている」と述べた。明らかに読者層も広がってきている。

  疲れたかな一羽の冬かもめに夢中 

 東日本大震災の翌年、宮城の人たちと吟行句会を持った。柳生正名氏は『そんな青』の栞に、日頃の句会で接する宮崎俳句について、「そのつど、軽やかで、どこか懐かしい青春性を香らせる、他には決して真似の出来ないイマジネーションの闊達さに舌を巻かずにはいられない」と記している。私も目の前でこんな句を作られて素直に感服した。もう一つの驚きは被災地を巡り、その実態を知る旅においてそれらが句に反映されていないことだ。それはきっと「態度の問題」というより、詩的体質にかかわることのように思える。『そんな青』にも震災関連の句は見当たらず、全体としてのバランスが保たれている。作句についての彼との会話にたびたび出てくる言葉は、「世界観」ではなく「空気感」である。「空気感」で描くには社会的現実は重たすぎるが、反映させる時は感覚的に書かれている。

  原爆ドーム一は何乗しても一
  青鬼灯いじめの最初かすかな音

 彼の言葉の選択、配合のセンスには定評がある。中でも私は生きものがうまく配合された時、句がふわっと優しくなったり、あるいは静謐さを湛える、そんな句がとても好きだ。

  地平線を描けとうるさい春の馬    
  猫の子に石かな切り株かな空だ
  鮎かがやく運命的って具体的   
  ががんぼとまだ雨音にならぬ雨
  母と握手ふつうの握手かたつむり
  ひとり言の意外な重さ秋の蛇
  ギンヤンマいい質問がつぎつぎ来る
  昏睡の人のてのひら鶴よ来い

 「ギンヤンマ」の句について金子主宰は、「雰囲気を伝える句。俳句が雰囲気を伝えられるということは貴重なことなんです。宮崎の軽い意味の俳句の代表句だね。〈いい質問がつぎつぎ来る〉の気持ちのよさを伝えるために、どういう生きものを持ってきたらいいか。それで宮崎の中にあるギンヤンマというものを組み合わせてみたら、何とも言えずいい雰囲気だなあと。それで彼がこう書くわけ。明るくて。いかにも宮崎斗士らしい。それほど意味を伝える句ではない」と言う。この文章には彼も頷き、まるで脳内を覗かれているようだと驚いた。まさに宮崎俳句の本質をついている言葉であり、現代俳句のありようまで語っている。特に凄いと感じたのは、「宮崎の中にあるギンヤンマというもの」というくだりである。そして主宰の帯文、「詩が溜っているから峠をどんどん歩いてゆく」の、「詩」もまた〈宮崎の中〉にある。彼が次に投げるべき一球は、自分の中にある言葉に、詩に、じっと耳を傾けて、対話することによって生まれてくるのだろう。      

  蓑虫は今日も朝から動かずじまい
  蓑虫は揺れてしまえば簡単なり

 と作者の自画像として一体化していた蓑虫は今、作者と並んで幸せそうだ。

  蓑虫にも僕にもちょうどいい雨音


「海程」2015年4月号掲載

ひいらぎ文庫(40)

2015年04月08日 | 芹沢愛子
 今年のグラミー賞のボブ・ディランの功績へのトリビュートコンサート。豪華アーティスト競演のあと、ディランは「多くの人を顧みず少数の人を擁護してきた。俺は今ももがいている」と四〇分に渡るスピーチをした。最後にニール・ヤングが『風に吹かれて』を歌い、場内は感動に包まれた。
 この曲の魅力は歌詞にあると言われている。ディラン自身は「プロテストソングなど書いてはいない」というが、比喩的にまた曖昧に書かれているので、いつの時代をも映しだす鏡のような普遍性を持った。ディランの文学的な歌詞を忌野清志郎が自分流にくだいて歌っている。
 「どれだけニュースを見てたら平和な日がくるの? どれだけ強くなれたら安心できるの? どれだけ嘘をついたら信用できるの? どれだけ人が死んだら悲しくなくなるの? いつまで傷つけあったら仲良くできるの? その答えは風の中さ 風が知っているだけさ」。
 世界が好戦的になっている。                 (芹沢愛子)

「海程」2015年4月号掲載

ひいらぎ文庫(39)

2015年02月15日 | 芹沢愛子
 海程同人の斉木ギニさんが2013年度「未来賞」(短歌結社「未来」主催)を受賞。「わかったわデイブ」という意表を突いたタイトルも作品も選者たちを驚かせた。
  ブラインドを少し開いて湾を見るわかったわデイブとラジオは言った
  友だちか友だちの友だちのままなのかチーズケーキと分る重たさ
  タクシーから見える満月の輝きがお月さまと言わせるのだろう
 短歌という器に入れてもギニさんの世界はギニさんの不思議さ。
  雁帰る愛のあとには油浮く  ギニ
  一晩中鶴を通して鏡曇る   ギニ
 かつて「歌壇賞」を受賞した守谷茂泰さんの幻想的な世界観、独特の透明感。
  街は今かなしい巨人まっしろな雪の靴はき眠りつづける
  屋上より流星群を仰ぎ見るわれらの中にいる遊牧民
 そして短歌から俳句の世界にきた人も。
  きみのために祈ろうとする坂の下乱丁落丁多き月光 小川楓子    (芹沢愛子)

「海程」2015年2・3月号掲載

ひいらぎ文庫(37)

2014年12月31日 | 芹沢愛子
 秋の秩父道場のゲストは宇多喜代子さん。前の時代のアンカーとして、空襲の体験を語られました。次々と落ちてくる焼夷弾。九歳の少女が見てしまったものは、道沿いに並べられた無数の遺体でした。
 「その中に親しくしていたお姉さんの矢絣を見つけて近づくと、手が腫れ上がっていて、ふっと気がつくと首が無いんです。その時の光景は消そうと思っても頭の一番奥に沁みついて、それから矢絣の模様を見ると、体が硬直して、だめでしたよ」。
 「十八歳の頃、呉服屋の勧める反物の中に矢絣があって、母がすっとそれを後ろに隠したんです。それを見て母は私の気持ちを知っていたんだ、ということが分ってそれからは矢絣の模様が怖くなくなりました」。
 「夏の山国母いてわれを与太と言う/兜太」が大好きという宇多さんの母句を二句。
  母戻るかならず麦のかなたより 喜代子 
  富有柿ふたつに分けむ母在れば  〃              (芹沢愛子)

「海程」2014年12月号掲載

ひいらぎ文庫(38)

2014年12月31日 | 芹沢愛子
  裏山や団栗ならば余っている  小宮豊和
  拾った木の実熊に出会えば手渡したし  植田郁一
 近年野生動物により農作物が甚大な被害を受けている。その原因について京大出身の異色ワナ猟師である千松信也は著書『僕は猟師になった』の中でこう分析している。
 「山が荒れて食べ物が無いのではなく放置された薪炭林は伐採されなくなった大木がひしめき合い、ドングリなどの食べ物の宝庫です。また下草の刈られなくなった植林地は鹿にとっては絶好の餌場です。人間森との関わりを放棄した結果、生息数を増やした野生動物が人里へ溢れ出しているようです」。
 「猟師という存在は豊かな自然無くしては存在しえません。猟師をしている時僕は自然によって生かされていると素直に実感できます」。
 獲物にとどめを刺し、自らさばき、余すところなく食べ尽くす。
 三十三歳の猟師の日常は、生命の発見、生命への驚きに満ちている。 (芹沢愛子)

「海程」2015年1月号掲載

ひいらぎ文庫(36)

2014年11月07日 | 芹沢愛子
  紅葉かつ散る老いては顎でおういおうい  上林裕
  妻のわがまま恐ろし可笑しヒヤシンス  中村ヨシオ
 妻俳句から、かけがいのない時間が伝わってくる。
 少し溯れば
  燃えろかんてき妻とはこんなに荒れた指か  阪口涯子
  獄を出て触れし枯木と聖き妻  秋元不死男
 不死男と同様、俳句弾圧事件で投獄された橋本夢道には、長い妻俳句の歴史がある。有名句「無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ」の背景には「あれを混ぜこれを混ぜ飢餓食作る妻は天才」など、敗戦後の極限状態の生活が、自由奔放な筆致で細やかに書き留められている。
 食道癌で夢道が余命幾ばくも無いと知り悲嘆にくれる妻へ、
  古壺に梅青青と泪妻
  妻よ五十年吾と面白かつたと言いなさい
 などの句を残し子供達からは「俳人やくざ」と呼ばれて七一年の生涯を閉じた。
 時代背景ぬきに私の好きな句は、
  妻よ希望に近づいたように鶴を見ている             (芹沢愛子)

「海程」2014年11月号掲載

ひいらぎ文庫(35)

2014年10月22日 | 芹沢愛子
  行行子触らぬ神の今日の夫  佐藤千代子
  泥酔の夫捨てられず春の月  川崎千鶴子
 私にも気持ちはよーくわかります。くすっと笑えるところが緩和剤。
  一夫一妻脱ぎにくそうな蛇の衣  らふ亜沙弥
 独特な味わいの変化球です。
  雑木山ひとつてのひらの天邪鬼  金子皆子
 初心の頃、「天邪鬼」は夫である金子主宰のことよ、きっと、と先輩が囁きました。今ではそんな詮索は句の味わいを狭めてしまうことを知っています。主宰の鑑賞は、「誰のこころにも住んでいる天邪鬼。そいつを作者はひょいと摘まんできて、掌のうえにのせてみたのだが、どうせこのていどのいたずらものですよ、可愛いものです、とその存在のやさしさを強調しているのである」(『愛句百句』より)。
 皆子さんがお好きだった作家・泉鏡花の小説に「魂をあげるわ」とヒロインが少年の掌に折鶴をのせるくだりがありました。掌は大切なものをのせるところなのでしょう。                                (芹沢愛子)

「海程」2014年10月号掲載

ひいらぎ文庫(34)

2014年09月02日 | 芹沢愛子
 西東三鬼の自伝的小説『神戸』は戦時下の掃き溜めホテルの底辺を這うように蠢く登場人物を、哀惜の念を込めて描いている。
 「波子という女との邂逅は、どうも何者かが彼女をぶら下げてきて、私の前にドサリと落としたような気がしてならないのだ。」
 『続神戸』では
 「私は路傍の石に腰かけ、うで卵を取り出し、ゆっくりと皮をむく。不意にツルリとなめらかな卵の肌が現われる。白熱一閃、街中の人間の皮膚がズルリとむけた街の一角、暗い暗い夜、風の中で、私はうで卵を食うために初めて口をひらく。
  広島や卵食う時口ひらく
 という句が頭の中に現われる。」
 「去年の夏、この腰かけている石は火になった。信じ難い程の大量殺人があった。」
 三鬼が京大俳句事件で検挙され文筆活動を禁止されていた頃から七〇年以上が過ぎた今、さいたま市の「公民館だより」に次の句が掲載拒否されたという。
  梅雨空に『九条守れ』の女性のデモ              (芹沢愛子)

「海程」2014年8・9月号掲載

ひいらぎ文庫(33)

2014年07月21日 | 芹沢愛子
 久米宏の教養バラエティー番組『久米書店』で、『日本人には二種類いる 1960年の断層』の著者・岩村暢子さんが金子主宰の言葉を紹介していた。
 「六〇年以降の人間の変わり方ほど恐ろしいものは無かった。物が洗濯機が掃除機が何がと一つ増えるごとに人々の思想も生き方も考え方も人間関係もがらがらと変わった。どうしたらいいか分からない、恐ろしい時代だった」。
 「人を助けるとか平和とかいう言葉が一切通じなくなった。戦後かろうじて残っていた、これからは平和な生きやすい社会を作るんだと言っていた人達がその言葉を失って言い続ける自分が浮き上がり始めた」。
 そして今年、『文藝春秋』6月号での主宰の発言。
 「また青年たちが戦争に駆り出されるのではないかと心配しています」。
  雪女郎にわかに暗き世の端に 武田伸一
  れんぎょう雪柳多数派は大声 芹沢愛子
 平和についての発言や詩歌が浮き上がるような時代は恐ろしい。   (芹沢愛子)

「海程」2014年7月号掲載

ひいらぎ文庫(32)

2014年06月11日 | 芹沢愛子
 『名所江戸百景』は歌川広重最晩年の作。〈雪月花を配した江戸のたたずまいの数々は静けさに満ち満ちている〉と紹介された中の異色の一枚が『四ツ谷内藤新宿』である。
 大きな馬の尻と太い脚がズームアップされた大胆でユーモラスな宿場の様子。しかも路上にはリアルに馬糞が落ちている。当時画壇や知識層から〈百景随一の品性を欠いた絵〉と言われたが、馬糞まで描いた滑稽が江戸の庶民には熱く迎えられた。
  山霧や声うつくしき馬糞かき
  慈悲すれば糞(まり)をするなり雀の子
 同じ文化文政期以後の異端異様の幕末の庶民文化を成した小林一茶の二句である。
 そして金子先生の出征前と戦地での次の二句も生きものである限りの生理を描く。 
  木曽のなあ木曽の炭馬並び糞る
  古手拭(ふるてぬぐい)蟹のほとりに置きて糞(ま)る
 手乗りのオカメインコのぴい助が死んでしまった。生きていた命の証しのように止まり木に糞が残された。                    (芹沢愛子)

「海程」2014年6月号掲載

ひいらぎ文庫(31)

2014年06月11日 | 芹沢愛子
 涙(二)
 「我生きし三月一一日生かされし」岩手の金澤洋子さんのこの句を〈震災一年後の感慨の深さにただただ打たれる〉と武田伸一さんが〈海程集鑑賞〉で取り上げました。
 そして二年を過ぎての「3・11をやっと思える涙かな」。飾らない表現にどれだけの思いがこもっているのか、発信し続けて下さった金澤さんの句を辿ってみました。
  生きた命の置き場所さがす春の闇
  花吹雪避難者と我呼ばれいる
  友の行方わからぬままに咲く牡丹
  茄子漬に炊きたてご飯生きている
  仮設住宅堂々と食うアイスクリーム
  基礎跡の露草集めままごとす
  地吹雪や物乞いやめよと言われたり
  あの日から空を向くくせ花霞
  すみれ草語らずあふれる涙かな
  なぞするってなぞもなんねえ秋の暮
  句の友や月眠るまで語り合う                 (芹沢愛子)

「海程」2014年5月号掲載

ひいらぎ文庫(30)

2014年03月31日 | 芹沢愛子
 涙(一)
 羽生結弦は金メダル決定直後の会見では笑顔を見せなかった。被災地の事を考えるとどんな表情をしていいのか分らなかったという。
 「僕一人が頑張っても、復興に直接手助けになるわけではないので、すごい無力感も感じますし、何もできていないって感じる。僕は結局何ができたのかな」。
 精神的な強さについて「その秘密は」との質問に「感謝の気持ち。応援にこたえようとする気持ちです」と答えていた羽生は涙を見せていない。一度だけかすかに顔をゆがませて「こちらが涙でそうです」と言ったのは、南三陸の仮設住宅で暮らす老女が「一生懸命やって。えらいえらいって。本当にね…涙が出てくるよ」と羽生の活躍に声をつまらす映像を見たときだった。
 そして宮古市田老の仮設住宅で会友の金澤洋子さんは震災後三回目の春を迎える。 
  白蓮や一生分の涙ため  洋子              (芹沢愛子)

「海程」2014年4月号掲載

ひいらぎ文庫(29)

2014年02月25日 | 芹沢愛子
 昨年の紅白歌合戦で美輪明宏は被爆孤児を題材にした『ふるさとの空の下』を歌った。美輪は六〇年代からの社会派シンガーソングライター。『悪魔』という楽曲では「原爆水爆大好きな戦争亡者の親玉よ/お前の親や兄弟が焼けて爛れて死ぬだろう」と歌う。美輪は長崎で被爆し、大勢の惨い死を目撃している。
 彼を題材に『MIWA』を舞台化した同じ長崎出身の野田秀樹。彼の作品には「暴力の連鎖」や「加害者と被害者の境界の曖昧さ」という今日的なテーマを突きつける『THE BEE』がある。
 歌舞伎の演目『熊谷陣屋』を「反戦劇として演じた」と語った二代目尾上松緑は、中国戦線に兵士として出征した体験を持つ。現在この熊谷直実を当たり役とする中村吉右衛門は、松緑の心を受け継ぐように、戦争の不条理や無残さを訴える演目をライフワークとして選んでいる。
 和の国の尖(とんが)る気配去年今年  岡崎万寿
 特定秘密保護法が可決された。                  (芹沢愛子)

「海程」2014年2・3月号掲載