秩父道場への乗換駅〈お花畑〉。木の短冊が並ぶ中のこの句が目に飛び込んできた。「あべかんをあかんべと読みしたたれり」。同行していた道場ゲストの筑紫磐井氏は近著で、阿部完市氏の評論を〈阿部詩論〉として取り上げている。「阿部完市は作品と評論で戦後俳壇に大きな成果をあげたにもかかわらず、現在、正当な評価を受けていない不幸な作家である」(『戦後俳句の探求』)。しかしこの本では金子主宰に〈阿部完の韻律〉と言われ、〈あべかん調〉とも呼ばれた独特な作品が紹介されていない。
翡翠をあつとこころはこえるなり 完市
「意味ということ、「わかる」というその事をこえて、直感する、「何かある」という心の、心自らの心への了解、充足の感‥‥それをあるいは〈俳句と言い〉それをわが〈現代俳句〉と言う」(「俳句へ‥‥言葉」7『海程』)。
完市氏の俳句と言葉は音楽のように響き合い、溶け合っている。作家として幸福なことであろう。 (芹沢愛子)
「海程」2015年6月号掲載
翡翠をあつとこころはこえるなり 完市
「意味ということ、「わかる」というその事をこえて、直感する、「何かある」という心の、心自らの心への了解、充足の感‥‥それをあるいは〈俳句と言い〉それをわが〈現代俳句〉と言う」(「俳句へ‥‥言葉」7『海程』)。
完市氏の俳句と言葉は音楽のように響き合い、溶け合っている。作家として幸福なことであろう。 (芹沢愛子)
「海程」2015年6月号掲載