青山俳句工場05

俳句の今日と明日と明後日を語り合う。
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青山俳句工場05第五十八号(3)

2015年02月15日 | 青山俳句工場05
「工場長スパナ/宮崎斗士」より。

 読む機会のあった俳句作品、皆様にもぜひ読んでいただきたい作品を、宮崎が鑑賞させていただくページです。

腰痛の一本も無き芽吹きかな  中村孝史
渚のよう冷たき朝のキーボード    〃
剥製屋冬青空を内に持ち       〃
 句集『開顔』(現代俳句協会)より。
 「腰痛の」。「腰痛」の一語に思わずにんまり。そして爽やかな後味。木の芽たちの生命力、勢いをぴたりと表現した上五中七。いろいろな痛みを抱えるわれらの日常‥‥木の芽への羨ましさ、ほのかな諧謔味も見えてくる。
 「渚のよう」。朝、起き抜けの頭でパソコンに向かう。一晩を経たキーボードはまるで「渚」の冷たさだ。そしてその渚を温めるように、渚を走り回るように、自らの言葉、思いをどんどん紡いでゆく作者。何とも新鮮な感覚の一句。
 「剥製屋」。生き物を剥製にするという仕事。その生を慈しみながら、その生をくっきりと表現するために今日も作業にいそしむ。その思いの丈、職人としての姿勢。まさに「冬青空」とは見事な斡旋。
 句集『開顔』、他にも、  
夏の山母憶うとき近くなる
土用入り鼻が最初に起きている
青空に新年という孤影置き
不時着のように春野の真ん中に
無精卵抱いて寝たよな雪景色
生きるとは冬の土手行く腕の振り
傷みを知らぬ平和のせいか冬田にゴミ
忸怩とは父思うこと梅の花
北陸に内臓感覚青葉濃し
手袋持つ己の老いも少し持つ
命のように大根洗えり若き後家
人んちの深部に触れしとろろ汁


村の名の消えて大きな蕗の薹   武藤鉦二
芋の露小さい乳房だってこぼれる   〃
はらからやひよこひしめく箱運ぶ    〃
 句集『羽後残照』(しらかみ叢書)より。
 「村の名の」。合併とかだろうか。消えてしまった、村の名前。しかし現地の活力はまだまだ豊か。この土地に生まれる喜びを存分にたたえて、蕗の薹は今年も大きく健やかに。一句の絶妙なバランスに感服。
 「芋の露」。中七下五の軽快さ、この遊び心が嬉しい。たとえ小さくても、しっかりと乳を張らせ我が子を育ててきた乳房。芋の露の瑞々しさと相俟って、作者ならではの乳房への讃歌、すこぶる快い。
 「はらからや」。一読、景がぱあっと浮かんできて、とても幸せな気持ちになれた。「はらから」に対する作者の思いが滲み出る。ひよこの犇いている箱の明るい生命感との配合、何とも麗しい。
 句集『羽後残照』、他にも、
尺蠖の幅に写経の母います
梅雨の入り頑固な眼球模型かな
夕日たっぷりなまはげの蓑を編む
白鳥降りる茶碗酒の真ん中に
青すだれ僧衣は水のように脱ぐ
父の掌に雪の径あり山河あり
だまし絵のなかのふくしま夕桜
棺窓あり風花を数えている
啓蟄や蛇口ひねって待つ男
遺書などはなし辛夷咲く小径あり
村はどか雪六腑のように沼があり
紙風船村をまるごとふくらまし

青山俳句工場05第五十八号(2)

2015年02月15日 | 青山俳句工場05
「工員矢の如し」より。

第五十八回『テーマは「動物」。好きな動物・嫌いな動物。動物との思い出。飼っているペット、飼っていたペット、飼ってみたいペット。動物園、サファリパーク、水族館。ある動物の日常。この動物になってみたい。動物を題材とした文学作品、芸術作品、映画、ドラマ、ドキュメンタリー。動物を詠んだ句の鑑賞。などご自由にどうぞ。』

石川まゆみ◆ほぼ30年前、黒猫を飼った。花屋の店先の車の下から抱き上げると、目がまだ開いていなくて霜のかかったようであり、口の方まで這い登ってきてくんくんした。それで離れられなくなった。8年を一緒に過ごし、三度の引っ越しに付き合わせた。最後に新築の家に来て、周りの野良猫と喧嘩し噛まれたのが致命傷で、化膿が元で死んだ。ちょうど夫の祖母の葬儀を終えた時に、預けていた動物病院からその知らせがあった。祖母の時とは比べようもないくらいに泣いたので、今でも親戚のあいだで語り草になっている。
 黒猫が死ぬ前日、病院に見に行った。漆黒の毛は艶を失い、灰を被ったような色になって、むこう向きにうずくまっていた。それが、「ポチ!」(名前はポチという)と呼ぶと、狭いケージの中でうごうごとこちらに向き、草がなびくように毛の艶がつやつやに戻っていったのには驚いた。ほとんど声の出ない状態だったが、口の形がにゃあ、と言った。それがポチを見た最後だった。
 ポチが死んで近所の野良猫に黒いのが増えた。ある時、そのうちの一匹が庭で死にかけていた。日当たりのいい場所にうずくまり、こっくりこっくりしている。ミルクをやろうと指につけて舐めさせようとしたが、舌をぺろぺろするだけで飲み込む力がない。そのうち、陽の当たる場所が変わった。すると、死にかけの猫はちゃっかりそこに移動して、日当たりの真ん中に居た。しかし、そのうちに見かけなくなったので、どこかで死んだのだろうと思う。猫は死ぬ直前まで、自分の快適さを求めるということだけを仕事にしているのだなあと思った。人間のように、死について考える脳は持っていないようである。

桂凛火◆我が家の中庭には、カメとカエルと金魚がいます。とりわけカメは、かわいいですよ。ひょんなところで彷徨っているカメを見かけて家に連れてきたのは6年前です。今は冬なので冬眠しています。5月の末くらいから11月頃までは、元気に泳いだり、庭を探索したりしています。怖がりですが、餌をあげるために縁側の扉を開けると大急ぎで顔を池から出し、おはようと言わんばかりにこちらを向いてちかづきます。名前は「おもちちゃん」昨年の秋お友達を飼うことにしました。二匹は本当に仲良しですが、どちらが雄か雌かはわたしには、判別不能です。
 でも今は、同じ池の中で冬眠中。もちろんカエルも冬眠中。金魚は池の隅で眠ったように密やかに過ごしています。カメのお友達の名前はまだないのですが、春が来て、初夏が来て庭に新緑があふれるころまた彼らの元気な姿に出会えるのが楽しみです。

上脇すみ子◆小さいころから猫が好きで、今でこそ出掛けることが多いので飼っていませんが、私の傍に猫が居ない時はなかったようです。ころ、やす、ポピー、ニュートンとそれぞれ想い出がありますが、中でもニュートンは、まるで私の恋人のような存在で私にべったりしていて、私がお隣の御主人と垣根越しにおしゃべりしようものなら、私とその人との間に割り込んできて「ギャオ!ギャオー!ニャーオウ!」と頭から湯気を出さんばかりにヤキモチを焼いて抗議するのです。勿論、雄猫でした。日常は猫なで声で擦り寄ってきてカワイコぶりっこして、私からお箸で餌を食べさせてもらわないとどんなにおなかが空いていても一人では、いえ、一匹では食べずに待っているのです。生後、6ヶ月の時、6ヶ月ほど行方不明になり諦めていたら、ガリガリに痩せて帰ってきました。犬が帰るのは聞いていましたが、猫でも帰れるのだとびっくりしました。それやこれやで印象深い猫ちゃんでした。10年ほど前の8歳ぐらいの時、また、行方不明になったままです。もうこの世に居ないでしょうね。私の心には確実におります。

黒岡洋子◆小学校三、四年生の頃、山羊を飼いました。私の山羊としていましたので日曜日になると山羊の好物のアカシアの木の下までつれてゆき枝を近寄せて食べさせたり、そのまま木に繋いでおいて帰る事もありました。野に生える草は何でも食べますが、アカシアは好きらしく鼻を鳴らさんばかりに勢いのある食べ方をします。
 山羊の仔が生まれますと人間の子どものような鳴き声を出します。それはそれはかわいく足を畳んで抱いたり友達に抱かせてあげたりして遊んでいました。 
 山羊の乳は仔山羊の他に人間も飲みます。沸騰させると膜が張り、「ゆば」のようにすくって遊びながら飲んだりした思い出があります。
 五年生になったころから父が育ててくれていましたが、その後は忘れてしまい、あの後その山羊はどうしたのか亡父に聞いてみたい思いでいます。

佐藤鎮人◆子供の頃、村に放し飼いのシェパードがいて、その犬の名は忘れもしない「ジョン」。ランドセルや肩に前足をかけてくるので本当に恐ろしくて恐ろしくて、いつも固まってしまいました。それから幾年月、妻の実家でのある日の出来事。そこにも大きなシェパードがいて吠えながら向かってきた。トラウマからか慌てて子供達より先に車内に飛び乗った私。「いざとなれば親なんてそんなものか」と冷たい視線の中で父の面目は丸潰れ。犬に強いお母さんが付いていたので大丈夫だと思ったとの言い訳は見苦しい。高倉健さんのように足は長くないけれど一応九州男児なので・・・。でもよりによって何で犬好きの女と一緒になったのか? 因みに僕は戌年。人生って不可思議 !

佐藤千代子◆冬になると我が家に居ついた猫たちの不運を想わずにいられない。数か月を雪の上で暮らす羽目になるからです。先住の室内犬も居るし二匹の猫が部屋を飛び回ることを考えると残念ながら外で飼う事しかできない。ベランダから時々屋内を覗かれているが心を鬼にしている。ねぐらは古くなった羽毛の衣類や毛布を使用して夫が甲斐甲斐しく作ったし、毎回凍り付いてしまう飲み水にはヤカンのお湯が必要で皮下脂肪が厚くなるよう食事への留意も欠かさない。環境に適応し雪上を歩き回る姿に、猫はコタツで丸くなるものと刷り込まれている知人達は皆びっくりする。食事の世話をするせいか特別に懐いて私が外に出ると直ぐに近づいてきて甘えて抱いてくれという。抱き上げると頬ずりしてきて私の目を舐めようともする。愛犬の毛と異なって猫の毛はとても柔らかい。人の気持ちを推し量るときは測り間違えもするけれど動物の気持ちは察し易いと自負しています。

藤田敦子◆子供が独立し、夫婦二人になる。「嫁と何を話したらいいんだろう」と同僚に泣きつかれたことがある。「犬を飼うかテレビを大型にすること」と答えた。我が家がそうだった。夕食後、個室で仕事やらで過ごすことも多かったが、今は、同じ部屋でパソコン2台で向き合い、海外ドラマ(主に北欧やイギリス)を観ながら、二人と一匹の時間を過ごす・・というと、CMみたいでかっこいいが、実際はやんちゃ盛りの犬で傷だらけの50インチと片付かない部屋で初老がごそごそしてるだけなのだ。四国犬ポンは、この十カ月で十五キロになった。リフォームしたての家は、壁も床もバリバリ、本来は山で熊を追いかけてる天然記念物らしいが、うちに来た時は、豆柴だと思ったのだ。散歩も朝晩、引きずられるように付いていく。食欲も半端ない。毎日が子育てのやり直しのような(いや、娘たちには手はかからなかった)定年後である。アドバイスにもう一つ加えれば「犬はチワワに」である。

渡辺惠子◆うちには五才になる柴犬のゴンがいます。私は子どもの頃に犬に噛まれたことがあり犬好きだけど苦手ということで、自分が犬を飼うことなど生涯ないと思っていました。
 二回目のインド旅行の時、世界遺産であるカジュラーホーの寺院群を巡った後ジャンスィー駅にいました。駅にはいつものように沢山の犬や何匹かの牛がいました。その日はインドの新幹線と言われるぐらい速い列車に乗る予定でした。インド人のガイドさんが嬉しそうに「もうすぐ着きますよ」と言っていました。大きな格好の良い列車がシューッとホームに入って来ました。「これがインドの新幹線といわれる列車か」と皆で見ていました。その時一匹の犬がトコトコと列車に近づき停止したとたん片足を挙げて「シィー」とおしっこをかけたのです。連れ合いは感動して短歌を作りました。「吾が家のゴン、お前もインドの犬のように新幹線に立ちションしてみろ」とありました。私が「吾が家のゴンてうちには犬なんかいてへんやんか」と言うと連れ合いは「インドから帰ったら飼うんや」と言いました。
 犬を飼ってみて、こんなにも可愛いものだったんだなあと知りました。

青山俳句工場05第五十八号(1)

2015年02月15日 | 青山俳句工場05
参加者
油本麻容子・天宮風牙(初)・有田莉多・石川まゆみ・石橋いろり・泉陽太郎・伊藤巌・伊藤幸・稲葉千尋・岡野霧り・岡村知昭・奥野ちあき・片町節子・桂凛火・上脇すみ子・カルロス ノマド・川崎千鶴子・川崎益太郎・北上正枝・木村子・黒岡洋子・黒済泰子・小池弘子・小西瞬夏・小林八千代・小松敦・小宮豊和・齊藤しじみ・佐藤詠子・佐藤鎮人・佐藤千代子・篠喜美子・清水恵子・白井健介・白黒木子・新城信子・鱸久子・芹沢愛子・田中雅秀・直野ふみえ・永井克明・中塚紀代子・中野淳子・中村晋・抜山裕子・野村眞理・帆万歩・平田恒子・藤田敦子・堀真知子・前塚満・増田暁子・峰尾大介・宮崎斗士・望月士郎・山下一夫・渡辺惠子

「通信欄」より。

油本麻容子◆近況報告。寒いですね。北陸、特に石川県(小松)は雷が多く、よく落ちます。停電にもなります。雷を貯蓄してエネルギーに使えたら!!と、昔から空想、想像しています。実現できたら、超エコクリーンなエネルギーになるのでは?
 最近ショックを受けた言葉で、「かきやま」が方言だと初めて知った。あられ、かきもち、 せんべい、米菓全般のことで、私の中では広辞苑に載っているぐらいの言葉だと思っていたのに、方言とわかり、びっくり!!いかに井の中の蛙なのか実感。富山県にあるおかきの有名店「柿山本店(カキヤマホンテン)」から「かきやま」と呼ぶようになったらしい。ネットで調べたら、「立山のかきやま(柿山)の味鮴(ごり)の味」高浜虚子この句、初めて知りました・・・。勉強不足です。
(宮崎→「かきやま」って言葉、僕は知らなかった。なかなか味のある言葉だね。)

天宮風牙◆藤田敦子さんへ。初めまして天宮風牙と申します。五十七号を読んでいるとどこかで聞いた話やはり夏井いつきさんのこと。私は一昨年の四月に夏井さんの投稿サイトへの投稿をきっかけとし何度か特選を頂けたことが自信となり昨年四月より本格的に俳句を始めました。そして、昨年末いつき組の句会に初参加し俳人としての生みの親のような夏井さんと会うことができました。その折に五十七号の藤田さんの文をお見せするとなんとも懐かしそうにお読みになっていらっしゃいました。俳句の世界とは狭いもんだなとも思いつつもこれも縁とよろしくお願いします。
(宮崎→ご参加嬉しく思います。今後とも末永くどうぞよろしくお願い申し上げます。) 

小池弘子◆今年のお正月は近年にない大雪にみまわれ、年が明けるころは猛吹雪で、村の氏神さんのお灯明もかき消されるほどで、真っ白になって拝んできました。賀状も元日の夕方に届くほど道が閉ざされました。暮れに買い込んだ食品で私なりのお節料理。三日間食いつなぎました。
(宮崎→大変でしたね。東京も今年また、去年のソチ五輪の頃のような大雪がくるのかな‥‥。)

清水恵子◆先月、初めて胃カメラの検査をしました。鼻から入れようとしたのですが、軽い副鼻腔炎があるせいか痛くて入らず、口から挿入。「えづいて動くと危険」と言われていたので、えづきそうになるのも呼吸が苦しいのも必死で我慢。よだれを拭くティッシュを看護士さんが一度交換してくれましたが、それほどよだれも出ず無事終了。看護士さんから、「こんな言い方は変ですが、お上手でしたね。片付けが楽です。ありがとうございます」と言われました。幸い、ポリープは何個もあったけれど、全部良性。軽い胃炎だけで済みました。ピロリ菌も陰性でした。安心のためにも、たまには検査をするべきですね。
(宮崎→良かった。)

辻村麻乃◆この度は青山俳句工場05に拙句集を取り上げて下さり、更にご恵送賜わり、ありがとうございました。
 「をかしくてをかしくて風船は無理」はふくらませようとすると子どもやまわりのお母さんたちから笑われて、つい自分も笑ってしまい、結果ふくらまずという懐かしい子育て体験句です。「風船のようになりたい」という鑑賞文のフレーズでまた違う一面を引き出して頂いたようで光栄です。

中塚紀代子◆先日ある会合での雑談中、マナーと行儀はどう違うかという話になり、マナーは決められた作法に沿うが、行儀は自発の作法に沿うことだろうと結論の出ないままに‥‥。今年もよろしくお願いいたします。

ひいらぎ文庫(39)

2015年02月15日 | 芹沢愛子
 海程同人の斉木ギニさんが2013年度「未来賞」(短歌結社「未来」主催)を受賞。「わかったわデイブ」という意表を突いたタイトルも作品も選者たちを驚かせた。
  ブラインドを少し開いて湾を見るわかったわデイブとラジオは言った
  友だちか友だちの友だちのままなのかチーズケーキと分る重たさ
  タクシーから見える満月の輝きがお月さまと言わせるのだろう
 短歌という器に入れてもギニさんの世界はギニさんの不思議さ。
  雁帰る愛のあとには油浮く  ギニ
  一晩中鶴を通して鏡曇る   ギニ
 かつて「歌壇賞」を受賞した守谷茂泰さんの幻想的な世界観、独特の透明感。
  街は今かなしい巨人まっしろな雪の靴はき眠りつづける
  屋上より流星群を仰ぎ見るわれらの中にいる遊牧民
 そして短歌から俳句の世界にきた人も。
  きみのために祈ろうとする坂の下乱丁落丁多き月光 小川楓子    (芹沢愛子)

「海程」2015年2・3月号掲載