『そんな青』―『翌朝回路』から八年半ぶりの彼の第二句集。
まずその帯文に惹きつけられる。「詩が溜っているから峠をどんどん歩いてゆく 鹿や狐や猪によく出会う どっちも笑う 金子兜太」。「詩が溜っているから」と言われる、俳人としてのこころと体、ちょっと羨ましくもある。そして栞文には、「言葉の跳躍力へ/安西篤」「感覚と喩と/塩野谷仁」「〈おっぱい〉という語感/柳生正名」「ひとりっきりのポストモダン/小野裕三」と海程のそうそうたる論者が並ぶ。
百千鳥僕にも投げるべき一球
1980年代、世に言うコピーライターブームの最中、まだ学生だった彼は糸井重里氏のキャッチコピー投稿欄への投稿を始める。作品は次々高評価を得るが、六年間の連載が終わり、しばらくして彼は唐突に俳句を始めてしまうのである。そして師も、たった一人の仲間も持たずに、五年間ひとりぼっちで俳壇という大海原に向けて、俳句の投稿という形で「自分」を投げ続けていたのだった。
二十秒ずつビデオテープに冬溜まる(「抒情文芸」第70号・金子兜太選)
ここにおいて初めて金子兜太師と邂逅するのだが、この頃には少しずつ句会への誘いがあり俳句仲間との交流も始まっていた。先輩俳人の勧めをきっかけに平成八年より『海程』に作品の発表を始める。茫漠とした俳壇へ向けていた言葉を金子主宰と海程の連衆へ投げる、生の付き合いが始まった。
ぶらんここぎすぎて畳屋のようなり
蛍狩り歯ブラシ買いに行くように
薬局のように水母のうごくなり
第一句集の『翌朝回路』に掲載されているこれらの句を金子主宰は「解る人と解らない人がいていい。自分の感覚だけで押し通すという行き方もある」と肯定。堀之内長一氏は「直喩の快楽、直喩は純粋な〈子供体験〉そのものである」と新鮮さを述べ、「清潔な抒情が漂う」次の二句などを挙げた。
芹と雲雀と机上に何もない母と
青葉木菟たとえば籠を編む時間
そして『そんな青』。俳壇での反響は大きく、非常に好意的であった。句集という形で改めて彼は俳壇と向かい合うことになった。
すーっと春わが洗面器わが水面
野遊びのあの子編集者のセンス
桜咲いたよ石を運べば石屋のよう
林檎の花打楽器配るおじいさん
画材屋のががんぼとして全うす
夕顔や施錠もじゃんけんも一瞬
水引草に触れた時間が入り口です
帽子へこんでぽこんと直る母の秋
『翌朝回路』の続きのような佳句をたくさん見つけ、まずほっとする。
東京暮らしはどこか棒読み蜆汁
『そんな青』の中でも支持の多い句である。「十数年前から宮崎作品の不思議な魅力に取りつかれていた」という外山一機氏は、この句について、「〈東京〉という地名の力と〈蜆汁〉というウエットな着地点を安易に呼び寄せてしまったように見える。宮崎はこのような場所から最も遠い場所でこそ輝いていたのではないか」(『鬣』俳句時評)と指摘する。外山氏はまさしく主宰の言う(宮崎の感覚を)「解る人」であったのだ。この一句では、「自分の感覚だけで押し通す」ではなく、解らない人にも感情移入できるアイテムとして「蜆汁」を選択している。
安西篤氏は栞文で「個の内面から外への広がりを持つようになっている」と述べた。明らかに読者層も広がってきている。
疲れたかな一羽の冬かもめに夢中
東日本大震災の翌年、宮城の人たちと吟行句会を持った。柳生正名氏は『そんな青』の栞に、日頃の句会で接する宮崎俳句について、「そのつど、軽やかで、どこか懐かしい青春性を香らせる、他には決して真似の出来ないイマジネーションの闊達さに舌を巻かずにはいられない」と記している。私も目の前でこんな句を作られて素直に感服した。もう一つの驚きは被災地を巡り、その実態を知る旅においてそれらが句に反映されていないことだ。それはきっと「態度の問題」というより、詩的体質にかかわることのように思える。『そんな青』にも震災関連の句は見当たらず、全体としてのバランスが保たれている。作句についての彼との会話にたびたび出てくる言葉は、「世界観」ではなく「空気感」である。「空気感」で描くには社会的現実は重たすぎるが、反映させる時は感覚的に書かれている。
原爆ドーム一は何乗しても一
青鬼灯いじめの最初かすかな音
彼の言葉の選択、配合のセンスには定評がある。中でも私は生きものがうまく配合された時、句がふわっと優しくなったり、あるいは静謐さを湛える、そんな句がとても好きだ。
地平線を描けとうるさい春の馬
猫の子に石かな切り株かな空だ
鮎かがやく運命的って具体的
ががんぼとまだ雨音にならぬ雨
母と握手ふつうの握手かたつむり
ひとり言の意外な重さ秋の蛇
ギンヤンマいい質問がつぎつぎ来る
昏睡の人のてのひら鶴よ来い
「ギンヤンマ」の句について金子主宰は、「雰囲気を伝える句。俳句が雰囲気を伝えられるということは貴重なことなんです。宮崎の軽い意味の俳句の代表句だね。〈いい質問がつぎつぎ来る〉の気持ちのよさを伝えるために、どういう生きものを持ってきたらいいか。それで宮崎の中にあるギンヤンマというものを組み合わせてみたら、何とも言えずいい雰囲気だなあと。それで彼がこう書くわけ。明るくて。いかにも宮崎斗士らしい。それほど意味を伝える句ではない」と言う。この文章には彼も頷き、まるで脳内を覗かれているようだと驚いた。まさに宮崎俳句の本質をついている言葉であり、現代俳句のありようまで語っている。特に凄いと感じたのは、「宮崎の中にあるギンヤンマというもの」というくだりである。そして主宰の帯文、「詩が溜っているから峠をどんどん歩いてゆく」の、「詩」もまた〈宮崎の中〉にある。彼が次に投げるべき一球は、自分の中にある言葉に、詩に、じっと耳を傾けて、対話することによって生まれてくるのだろう。
蓑虫は今日も朝から動かずじまい
蓑虫は揺れてしまえば簡単なり
と作者の自画像として一体化していた蓑虫は今、作者と並んで幸せそうだ。
蓑虫にも僕にもちょうどいい雨音
「海程」2015年4月号掲載
まずその帯文に惹きつけられる。「詩が溜っているから峠をどんどん歩いてゆく 鹿や狐や猪によく出会う どっちも笑う 金子兜太」。「詩が溜っているから」と言われる、俳人としてのこころと体、ちょっと羨ましくもある。そして栞文には、「言葉の跳躍力へ/安西篤」「感覚と喩と/塩野谷仁」「〈おっぱい〉という語感/柳生正名」「ひとりっきりのポストモダン/小野裕三」と海程のそうそうたる論者が並ぶ。
百千鳥僕にも投げるべき一球
1980年代、世に言うコピーライターブームの最中、まだ学生だった彼は糸井重里氏のキャッチコピー投稿欄への投稿を始める。作品は次々高評価を得るが、六年間の連載が終わり、しばらくして彼は唐突に俳句を始めてしまうのである。そして師も、たった一人の仲間も持たずに、五年間ひとりぼっちで俳壇という大海原に向けて、俳句の投稿という形で「自分」を投げ続けていたのだった。
二十秒ずつビデオテープに冬溜まる(「抒情文芸」第70号・金子兜太選)
ここにおいて初めて金子兜太師と邂逅するのだが、この頃には少しずつ句会への誘いがあり俳句仲間との交流も始まっていた。先輩俳人の勧めをきっかけに平成八年より『海程』に作品の発表を始める。茫漠とした俳壇へ向けていた言葉を金子主宰と海程の連衆へ投げる、生の付き合いが始まった。
ぶらんここぎすぎて畳屋のようなり
蛍狩り歯ブラシ買いに行くように
薬局のように水母のうごくなり
第一句集の『翌朝回路』に掲載されているこれらの句を金子主宰は「解る人と解らない人がいていい。自分の感覚だけで押し通すという行き方もある」と肯定。堀之内長一氏は「直喩の快楽、直喩は純粋な〈子供体験〉そのものである」と新鮮さを述べ、「清潔な抒情が漂う」次の二句などを挙げた。
芹と雲雀と机上に何もない母と
青葉木菟たとえば籠を編む時間
そして『そんな青』。俳壇での反響は大きく、非常に好意的であった。句集という形で改めて彼は俳壇と向かい合うことになった。
すーっと春わが洗面器わが水面
野遊びのあの子編集者のセンス
桜咲いたよ石を運べば石屋のよう
林檎の花打楽器配るおじいさん
画材屋のががんぼとして全うす
夕顔や施錠もじゃんけんも一瞬
水引草に触れた時間が入り口です
帽子へこんでぽこんと直る母の秋
『翌朝回路』の続きのような佳句をたくさん見つけ、まずほっとする。
東京暮らしはどこか棒読み蜆汁
『そんな青』の中でも支持の多い句である。「十数年前から宮崎作品の不思議な魅力に取りつかれていた」という外山一機氏は、この句について、「〈東京〉という地名の力と〈蜆汁〉というウエットな着地点を安易に呼び寄せてしまったように見える。宮崎はこのような場所から最も遠い場所でこそ輝いていたのではないか」(『鬣』俳句時評)と指摘する。外山氏はまさしく主宰の言う(宮崎の感覚を)「解る人」であったのだ。この一句では、「自分の感覚だけで押し通す」ではなく、解らない人にも感情移入できるアイテムとして「蜆汁」を選択している。
安西篤氏は栞文で「個の内面から外への広がりを持つようになっている」と述べた。明らかに読者層も広がってきている。
疲れたかな一羽の冬かもめに夢中
東日本大震災の翌年、宮城の人たちと吟行句会を持った。柳生正名氏は『そんな青』の栞に、日頃の句会で接する宮崎俳句について、「そのつど、軽やかで、どこか懐かしい青春性を香らせる、他には決して真似の出来ないイマジネーションの闊達さに舌を巻かずにはいられない」と記している。私も目の前でこんな句を作られて素直に感服した。もう一つの驚きは被災地を巡り、その実態を知る旅においてそれらが句に反映されていないことだ。それはきっと「態度の問題」というより、詩的体質にかかわることのように思える。『そんな青』にも震災関連の句は見当たらず、全体としてのバランスが保たれている。作句についての彼との会話にたびたび出てくる言葉は、「世界観」ではなく「空気感」である。「空気感」で描くには社会的現実は重たすぎるが、反映させる時は感覚的に書かれている。
原爆ドーム一は何乗しても一
青鬼灯いじめの最初かすかな音
彼の言葉の選択、配合のセンスには定評がある。中でも私は生きものがうまく配合された時、句がふわっと優しくなったり、あるいは静謐さを湛える、そんな句がとても好きだ。
地平線を描けとうるさい春の馬
猫の子に石かな切り株かな空だ
鮎かがやく運命的って具体的
ががんぼとまだ雨音にならぬ雨
母と握手ふつうの握手かたつむり
ひとり言の意外な重さ秋の蛇
ギンヤンマいい質問がつぎつぎ来る
昏睡の人のてのひら鶴よ来い
「ギンヤンマ」の句について金子主宰は、「雰囲気を伝える句。俳句が雰囲気を伝えられるということは貴重なことなんです。宮崎の軽い意味の俳句の代表句だね。〈いい質問がつぎつぎ来る〉の気持ちのよさを伝えるために、どういう生きものを持ってきたらいいか。それで宮崎の中にあるギンヤンマというものを組み合わせてみたら、何とも言えずいい雰囲気だなあと。それで彼がこう書くわけ。明るくて。いかにも宮崎斗士らしい。それほど意味を伝える句ではない」と言う。この文章には彼も頷き、まるで脳内を覗かれているようだと驚いた。まさに宮崎俳句の本質をついている言葉であり、現代俳句のありようまで語っている。特に凄いと感じたのは、「宮崎の中にあるギンヤンマというもの」というくだりである。そして主宰の帯文、「詩が溜っているから峠をどんどん歩いてゆく」の、「詩」もまた〈宮崎の中〉にある。彼が次に投げるべき一球は、自分の中にある言葉に、詩に、じっと耳を傾けて、対話することによって生まれてくるのだろう。
蓑虫は今日も朝から動かずじまい
蓑虫は揺れてしまえば簡単なり
と作者の自画像として一体化していた蓑虫は今、作者と並んで幸せそうだ。
蓑虫にも僕にもちょうどいい雨音
「海程」2015年4月号掲載