青山俳句工場05

俳句の今日と明日と明後日を語り合う。
見本誌ご希望の方は tosmiya@d1.dion.ne.jp まで。

ひいらぎ文庫(19)

2013年02月10日 | 芹沢愛子
 初夢は子を抱いている夢、次の日は猫を。節電の為の湯たんぽと添い寝していたから、そんな夢を見ていた私のお正月。
 三月十一日去年(こぞ)となす初明かり 猪狩鳳保
 朝日俳壇賞の金子兜太選である。  
 そして同じ日の「声」欄に中村晋さんの高校教員としての投稿が掲載されていた。原発の近くから福島市内に移ってきた女子生徒の「帰還するのは無理ですよね。私は国がおかしいと思うんです。帰れないのなら帰れないとはっきり言えばいいんです」という嘆き、彼女の故郷の荒れ果てた様子を聞いて、「まだ震災は続いているのだと実感する」と中村さん。中村さんの俳句はこういった数々のシビアな現実や自身の実感からできている。
 「生の現実と取り組むのが現代の俳人の姿である」とする金子主宰のもとに育まれた『海程』という土壌と、それに力を得て果敢に自らの俳句を切り開こうとする仲間たちを誇りに思う。
 新しい年が始まる。              
                                          (芹沢愛子)

「海程」2013年2・3月号掲載

青山俳句工場05第四十六号(3)

2013年02月04日 | 青山俳句工場05
「工場長スパナ/宮崎斗士」より。

 読む機会のあった俳句作品、皆様にもぜひ読んでいただきたい作品を、宮崎が鑑賞させていただくページです。

うかつにも人の部分を蚊に刺され  山田露結
鏡店出でて一人にもどる秋      〃
 句集「ホームスウィートホーム」(邑書林)より。
 「うかつにも」。蚊に刺された痒み、その痒い箇所にあえて人間味を見い出す一句。「人の部分を」という押さえ方に妙趣あり。何とも楽しくなる。俳句の「遊び方」を十分心得た作者と思う。
 「鏡店」。「一人にもどる」の発見がとにかく凄い。鏡店、たくさんの鏡に自分を映したあげく、店を出たあとのその感覚。どことなくの、すっと棚引く哀感。時は秋。細やかな意識の流れを捉えて新鮮だった。

春兆すコインロッカーに蝶の本  前川弘明
追伸に美しき駅の名夏来たる    〃
 句集「月光」(拓思舎)より。
 「春兆す」。「春兆す」のニュアンスを端的に詩情豊かに表現している中七下五。コインロッカーの密閉された冷たい空気の中、蝶の詰まっている本が待機している。作者の春の駘蕩への思いが滲む。
 「追伸に」。瑞々しい夏の始まり。中七「美しき駅の名」の措辞に佳き広がりがある。差出人はこれから旅立つのか、帰省中か、それとも‥‥。ちなみに僕が「美しき駅の名」で思い出すのは、北陸本線、富山県の「石動駅(いするぎえき)」。いするぎ‥‥この語感が好きなのです。

パラフィン紙夏の名前をかんがへる  宮本佳世乃
死に行くときも焼きいもをさはつた手   〃    
 句集「鳥飛ぶ仕組み」(現代俳句協会)より。
 「パラフィン紙」。「夏の名前をかんがへる」がとても爽やか。今年の夏はどんな夏になるだろう、あるいはどんな夏だったろうと考えている、そこにパラフィン紙の半透明感、手触り、音がリンクしてきて‥‥何とも繊細な豊かなひととき。この「夏感覚」、すこぶる心地よし。
 「死に行くときも」。生前の様々な出来事、思い出の一つのシンボルとして、「焼きいもをさはつた手」を選んだ作者。その温もり、作者独特の人生観に感じ入る。あの幸福感、「さはつた手」そして「ほほばる口」‥‥湯気が見えてきた。

夜桜に月は脱がされた        加藤邪呑
古里は会釈してポカリスエットのよう  〃
 句集「水曜日はどこでしょう」(文學の森)より。
 「夜桜に」。いい陶酔の一句。確かに夜桜は月をよりいっそう艶かしくさせる。それにしても、「脱がされた」という大胆な持って行き方。思わず唸らされた。自由律も活きている。
 「古里は」。感覚的にすっと入ってきて、とても共感した。久し振りの帰郷だろうか。昔なじみの人たちと挨拶を交わす。その空気をポカリスエットの優しい味わいと健やかさに託した。古里‥‥やはり心身共にリフレッシュできる。

すっぴんの妹やねん水やねん  石鎚優
冬の駅赤子が母を抱いてゐる   〃
 句集「舞台稽古」(私家版)より。
 「すっぴんの」。関西弁が効果的。「やねん」のリフレインの快感。肉親だから見せる「すっぴん」の姿なのだろう。この妹のまさに「水」みたいな緩い表情、ふわ~だら~っとした所作まで浮かんで来るよう。でもそんな妹を嫌いになれない兄(姉)、そして肉親一同。ほのぼのと一句成る。
 「冬の駅」。一読、衝撃が走った一句。中七下五、何かに疲れ果ててしまった母を「一緒にいるだけで、抱かれているだけで」支えている赤子の存在、その様相を「母を抱いてゐる」と表現したと解釈。「冬の駅」というロケーションがまたうら悲しく、この母子の行く末を案じずにはいられない。 

コーヒーゼリーの暗き弾力旧軍港  山本左門
チェルノブイリの雪女から来た手紙  〃
 句集「星餐」(ふらんす堂)より。
 「コーヒーゼリーの」。「旧軍港」、その複雑な空気感をいかに描くか難しいところ。コーヒーゼリーの色合い、味わい、そして質感‥‥作者独自の感覚で切り取る。「暗き弾力」の醸す微妙なリリシズムに共鳴。
 「チェルノブイリの」。3・11以降、チェルノブイリと福島は、何かにつけ比較される対象、お互いを意識しあう関係になった。そしてその両者を取り持つのが「雪女」‥‥。雪女へのどこか掴みきれない妖しい恐怖感、そして雪女の存在の悲しみが、原発問題と繋がってゆく。手紙の内容をいろいろと想像して、さらにこの句、僕の中でどんどん膨らんでいる。 

青山俳句工場05第四十六号(2)

2013年02月04日 | 青山俳句工場05
「工員矢の如し」より。

第四十六回『テーマは「演技」。演技が印象的だった映画・ドラマ・舞台など。好きな(好きだった)俳優、女優、役者、演出家について。名演技とは。日常の中の演技。あなた自身の演技体験。自分が俳優だったらこんな演技をしたい。などご自由に。』

石川まゆみ◆昔、演劇にはまった時期があり、何度か素人舞台に立った。そのときに一番難しかったのは、ゆっくりと首をふる、という演技だったことを思い出す。
 最近では、ドラマ「相棒」の年末スペシャルだったか、南果歩の演技が印象的。最後の場面で拘置所の独房に正座し、死んだ子の赤ん坊時代を狂気の中であやす演技は、最小の動きゆえに狂気の中に逃げ込んだ悲しみの全てを物語っていて、あやうく慟哭しかかった。朝の連続ドラマ、梅子の母親役もやれば、このような狂気も演じられるのだ、凄い俳優だと思う。
 また、同じく「相棒」元日スペシャル、麻薬のような恋人を暗示で死に至らしめた女、その独白の美しさ。これもほとんど動かないシーンで、女優の目のかすかな変化だけで勝負、という場面である。監督の力も凄いが、それに応える女優の力量はすばらしい。
 カンカンカンカン!と、早口でやりとりをする芝居が一時はやったが、早い演技は割合に易しいと思う。歌でもフルートでも、線を描くのも、ゆっくりの部分は難しい。柔らかいニュアンス、息遣い、微妙な心理描写、俳句をつくるときも、やはりそこが一番難しい。

石橋いろり◆今もあるかどうか、渋谷のパルコのそばにジャンジャンという小劇場がありました。その昔、かなり昔、私の学生時代のこと。シェークスピア・シアターという劇団の劇がかかるとよく通ったものです。『マクベス』『十二夜』『じゃじゃ馬ならし』『ハムレット』『リヤ王』など。小さな小さな劇場で、舞台と客席に段差があまりなく、熱気を帯びた役者の唾が飛んでくる程、役者さんの鼓動が聞こえるほどの至近距離でした。おのずと役者と観客との一体感が生まれていました。シェークスピアの長台詞を見事自分のものにして演ずる個性的な役者さんたちの迫真の演技は眩しい程に輝いていました。しかしながら、劇の内容というよりも、開演まで長い列を並んで待っている時に、屋台で買ったたこ焼きのタコが大きかった事とか、その帰り道寄った『ジャック&ベッティ』というアメリカンスタイルのお店で役者さん達が来るのを遠くで見つめていた事とか、どうでもいいことが思い出の断片となって去来してきます。

上脇すみ子◆「演技する」というと、わざとらしさが含まれていて余り、いい印象ではないのですが、私は、鹿児島の男尊女卑の風土に育ったせいか、幼いころから家庭では、「おなごらしくしなさい」と、事あるごとに父に躾けられた。だけど、反抗期の頃は、女らしくじゃないでしょう、人間らしくでしょう。と、心の中では思ってはいたのですが。「おなごらしく」は、私にとっては、洗脳的でありました。私は本来の自分ではない、控え目で口答えもしない、いつも、微笑んでいて、おしとやかに歩くという日本女性の典型みたいに演技し続ける人生です(笑)。
 長いこと演技していると、その通りの人間になってきています。
 本来の私? そりゃあもう、なんてたって、潔く、竹を割ったような性格で、男っぽいのです。自分の意見もしっかり持っておりまするが、表だって言いませんのです。はい(笑)。

鱸久子◆昨年十二月十日俳優の小沢昭一さんが亡くなられました。私は何年か前、独特の語りで名優と謳われた小沢さんのお話をお聞きする機会がありました。
 小沢さんは少し前こごみの足どりで壇上に現われ、口を開かれました。ところが聞こえないのです。私は肩に力を入れ首を突き出すように耳をそばだてました。
 会場は静まり返り壇上に集中しました。
 小沢さん体調が悪いのかしらお風邪かなと思った時、ズシンズシンと土を踏むように小沢流の語りが近寄って来たのです。思わず椅子に掛け直しました。
 小沢さんのお話は会場にしみ渡ります。「私は桜が嫌いです」と渋い声で歌い出されました。
   万朶の桜か襟の色
   花は吉野に嵐吹く
   大和男子(おのこ)と生まれなば
   散兵戦の花と散れ
 (これは「歩兵の歌」の題で幼年学校・士官学校でも歌われていました)
 小沢さんは「私ら若い者は桜にたとえられ戦争に狩り出され、殺されかけたんです。だから花見には行きません。戦争はやっちゃいけません。憲法九条は守らなきゃいけません」と、その時は屈んだ背はピンと伸び、声は会場を圧していました。
 あるかなきかの声から会場を圧するまでの声、今になって思うのは「あれは演技だ、しかも一流の」です。
 会場で披露された小沢さんの二句をご紹介いたします。
  若桜と呼ばれし恨み花見せず
  危うくもわれ祭られず招魂祭
 (耳で聞いただけなので表記は違っているかもしれません)

永井克明◆若い頃よりは確実に人が悪くなっている。演技しているからだ。昔は自分をストレートにぶつけて顰蹙を買ったりして、それでもやっぱりこうだよなと自分に正直にジタバタして、要らぬエネルギーを使って他人に迷惑がられていたが、でもまぁ、自己にも他者にも真面目に取り組んで他意がなかった。今は演技してるね。それも後ろめたさを感じずに演技できるようになってきた。その方がラクだからな。そして周囲の人間にもウケが良かったりするからな。昔ならそんな自分に我慢ならなかったけど、今はわりと平気で受け入れてます。なんでそんな自分に我慢ができるようになったのかっていうと、それだけ自分の限界を知ってしまったからなんですよ。さみしいなぁ。でもラク。しかしそんな上っ調子でいると、いつか足をすくわれそうだな。ヘラヘラ調子いいところばっかりステップしている足を。私にとって演技はラクな乗り物でありかつ危険な猛獣のような二律背反的なものでしょうか。だから俳優のように演技を演技としてみせるのは想像つかない生き方だ。全てにすごい自信を持っているか、あるいは脳天気に楽天的でないと、できないのではないだろうか。

渡辺恵子◆演技と言えるのかどうかですが、保育士をしていた時です。発表会、運動会など子どもたちが演じるのですが演出が大切です。ある年の運動会の思い出です。一才児一五人〇才児三人と保育士二人が直径一m以上の大玉を所庭を転がして走ります。所庭の中央で保育士二人で大玉を素早く二つに割ります。すると大玉の中から色とりどりのボールが一八個パァッと出て来ます。四〇〇人位の保護者席が一瞬の静寂の後どよめきと歓声が起こるのです。その時子ども達はきっと素晴らしい表情と仕草なのでしょうね。「やった!」という満足感と快感がありました。演者というのは時々この満足感と快感を得ているのでしょうね。

青山俳句工場05第四十六号(1)

2013年02月03日 | 青山俳句工場05
参加者
浅見敏子・足利屋篤・油本麻容子・有田莉多・石川まゆみ・石橋いろり(初)
伊藤幸・岡野霧り・岡村知昭・奥野ちあき・上脇すみ子・川崎千鶴子
川崎益太郎・北上正枝・黒岡洋子・小池弘子・小松敦・小宮豊和・齊藤しじみ
佐藤鎮人・佐藤千代子・篠喜美子・清水恵子・白井健介・白黒木子・新城信子
鱸久子・芹沢愛子・田中雅秀・直野ふみえ・永井克明・中塚紀代子・中村晋
中村安伸・抜山裕子・野村眞理(初)・帆万歩・平田恒子・堀真知子・前塚満
増田暁子・峰尾大介・宮崎斗士・山口マツエ・山下一夫・渡辺恵子

「通信欄」より。

岩淵喜代子◆このたびは貴誌「青山俳句工場05」のご恵与ありがとうございました。また、拙句集「白雁」をご照射くださいまして、感謝申し上げます。
 御誌は句会を雑誌にまとめているのでしょうか。おもしろい内容だとおもいました。句会というのは、案外、その場かぎりで、選のほかは記録しませんので、こうした反芻もまた新鮮です。お礼までに。(宮崎→お便りありがとうございます。当工場は通信句会なのです。もうけっこう長くやっております。ますますのご健勝を。)

小池弘子◆今冬の富山は雪また雪で丸く埋もれています。暮れから正月にかけて、目の前に横たわる剣岳で遭難が相次ぎました。捜索は打切られ、春を待つとのこと。ベテランの登山者なのに、山は拒絶した。そんな思いです。夕映えの剣岳は、息を呑む美しさです。

芹沢愛子◆昨年の一二月の電気料金がまた一七%減っていたので年賀状で自慢してしまいました。数人からの返事に「頭がさがります」とか「徹底した節電」とかあって気恥ずかしくなり原因を考えてみました。思い当たるのは就寝中に時々低くつけていたエアコンや加湿器をやめて、猫に抱かれているようになめらかでもこもこの毛布に切り替えたこと。相変わらずの湯たんぽを脇に置いて温かすぎるくらいです。気密度の高く日当たりに恵まれた部屋にいられるからできることも多く、寒い東北の方々のご苦労を想うと私こそ頭が下がります。もっと丈夫になって寒さにも暑さにも強くなりたい。今年もテーマは丈夫になる事。北里大学病院の漢方治療センターで煎じ薬を処方してもらい欠かさず飲むようになりました。石の上にも、三年は待てないけれどこつこつと今二か月目です。低体温と微熱の発熱を繰り返す、風邪をひきやすい体質が改善されますように。幸い深大寺の初もうでで引いた御みくじは初めての『大吉』でこう記されていました。「さいなんもついにわが身をしりぞきて望みの花の咲くぞ嬉しき」。新しい工員も次々増えて嬉しい新年です。今年もよろしくお願いします。

らふ亜沙弥◆青山俳句工場05第四十五号到着です。錚々たる会員の方々に驚いております。そんな素晴らしいご本に拙句を掲載していただきありがとうございます。感激でございます。今後共どうぞよろしくお願い申し上げます。(宮崎→いつもお世話になっております。らふさんもますますのご健吟ご活躍を‥‥。)

若森京子◆今年も残り少なくなり心忙しい毎日でございます。昨日は今年最後の関西カルチャーで早朝から一日大阪中央公会堂におり、終って忘年会を致しました。
 午前中は武田編集長指導の新人句会、午後は同人も加わり合同句会です。三年間の成果があり関西も海程人が増えました。
 青山俳句工場05も第四十五回と重ねてこられ大勢の参加者もあり楽しく読ませて頂いております。
(宮崎→関西エリアのますますのご発展をお祈り申し上げます。いずれまた「比叡山勉強会」みたいなイベントがあればなあ‥‥と思います。)

◆2012年12月13日付の朝日新聞朝刊に中村晋さん関連の記事が掲載されました。その一部をここに再録いたします。中村さんのあらゆる媒体へ向けての発信、今後もさらに注目していきたいと思います。(宮崎)

福島のいまを俳句で 県立高教諭、東京学芸大で授業
 東日本大震災後、福島の学校や子どもの様子を俳句に詠み、「朝日俳壇」にも投稿している福島県立福島西高校の中村晋教諭(45)がこのほど、東京学芸大学(東京都小金井市)で学生に公開授業をした。原発事故で自然が失われ、人間関係が分断された福島のいまを、俳句を通じて語りかけた。

 中村教諭が俳句を始めたのは1995年。受験指導で模試や課外授業に追われるなか、歳時記を手にしたのがきっかけ。福島の自然を詠んでいた。しかし、昨年3月の原発事故で、作風は大きく変わる。「春の牛空気を食べて被曝した」「陽炎や被曝者失語者たる我ら」。
 公開授業ではまず、3月11日以前と以後の俳句を学生に読ませ、感想を話し合ってもらった。
 その後、以前の句として「1.秋の海馬いくたびも往復す」「2.鳥白く山ぐんぐんと夏に入る」、以後の作品として「3.ひとりひとりフクシマを負い卒業す」などを取りあげ、句に託した思いを説明した。「1.相馬野馬追の馬が往復した海岸は津波で失われた」「2.鳥が飛ぶ美しい空の句はもう詠めない」「3.卒業生は福島出身だと差別を受けるかもしれないが、頑張って生きていってほしい」。
 自身の教えた生徒の作品「放射能悲鳴のような蝉時雨」も紹介。「放射能は大丈夫」「いや不安だ」と対立するのを避けようと、生徒同士が率直に話せなくなっている実情を話した。
 教員をめざす学生たちへの授業で、「福島では、教育の土台である命や自然が揺らいでいる。その姿を伝えたかった」と中村教諭。