青山俳句工場05

俳句の今日と明日と明後日を語り合う。
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05工場長日誌(19)

2012年12月31日 | 宮崎斗士
今、大晦日の午後7時頃。
実は僕はこの「大晦日の午後7時頃」という時間帯が一年のなかで一番好きなのです。
心が快くざわめく感じ。

皆様の2012年はいかがでしたでしょうか。
当ブログ、来年もどうぞよろしくお願いいたします。

ひいらぎ文庫(17)

2012年12月14日 | 芹沢愛子
 都市伝説に、アニメ「トムとジェリー」の最終回と言われる物語がある。
 〈トムがいなくなって退屈していたジェリーは新しく現れた猫を喧嘩相手にしようと考える。いつもトムにしていたように罠を仕掛けるが猫はジェリーに襲いかかる。薄れる意識の中でジェリーは鼠が猫と喧嘩して勝てるわけが無い事、トムがやられたふりをしてわざと捕まえずにいてくれた事を知る‥‥〉トムが望んだからこそ続いた友情と平和。雲の上で追いかけっこは続く。
 遠い国の出来事と思ってきた戦争や紛争が領土問題によって身近な憂いとなっている。「核武装まで視野に入れる」という政治家が大声を出している今、俳人たちの血を流すように発してきた声に耳を傾けたい。
 軍馬描かれ春は私を泣かすなり 大野千穂
 万緑や宇宙にひとつ被爆星   岡崎万寿
 死ぬまでの戦後木に蝉兄は兵  有村王志
 自分史は自虐の記憶白鳥来   足利屋篤
                                          (芹沢愛子)

「海程」2012年12月号掲載

青山俳句工場05第四十五号(3)

2012年12月08日 | 青山俳句工場05
「工場長スパナ/宮崎斗士」より。

読む機会のあった俳句作品、皆様にもぜひ読んでいただきたい作品を、宮崎が鑑賞させていただくページです。

ジャングルジムは穴のかたまり鳥渡る 大石雄鬼
シーチキンの缶詰ごほと夕焼ける    〃
 句集「だぶだぶの服」(ふらんす堂)より。
 「ジャングルジムは」。中七「穴のかたまり」という斬新な捉え方、その詩想の切れ味にまず唸らされた。「鳥渡る」との配合がまた絶妙であり、我々の地上での生活のおぼろげな様相‥‥空虚感までもが伝わってくる。
 「シーチキンの」。夕飯の仕度だろうか。中味を缶から出す時の「ごほ」の擬音にどことなく郷愁あり。「夕焼け」の効果とも相俟って、その一家の、そしてその町全体の温もりが立ち上ってくるようだ。

自転車で運ぶ硝子や秋の蝶    柳生正名
和光より何処をどう来て新豆腐   〃
 「WEP俳句通信」69号・70号より。
 「自転車で」。秋の蝶ならではの、あの繊細さ、若干の弱々しさをどう表わすか。「自転車で運ぶ硝子」とはまさしく慧眼である。僕も以前、大きな鏡を自転車で運んだことがあるが、そうかあの感覚‥‥ひやひやと秋の蝶。
 「和光より」。新豆腐をモチーフに素晴らしいご当地句が生まれた。銀座のあの空気、佇まいが読者の中で広がってゆく。とりわけ、中七「何処をどう来て」の粋な感じ、いにしえよりの「銀ブラ」に思いを馳せる。

機関車に抱かれる夢や日向ぼこ らふ亜沙弥
猫たちとこっそり舐める天の川   〃
 句集「女のうしろで」(火の会)より。
 「機関車に」。機関車に対して作者がイメージするパワフルさ、雄々しさなど、そういった要素をさらに展開させ、「抱かれる」対象として夢見るという何とも大胆な発想。独特の艶かしさの中に、ある種のファンタジー性をも含んでいる作品。「日向ぼこ」のまろやかさが効果的。
 「猫たちと」。猫たちと自分だけの時間、それも星月夜。「こっそり舐める」がしっとりと寛げるひとときを表わす。この句もやはりどこか艶かしく、心に残る味わい。

原発反対孑孑が手を挙げた     小町圭
マニュアルを読むのは苦手冷奴    〃
 句集「一億円」(東京四季出版)より。
 「原発反対」。孑孑の反原発。ユーモラスな発想の中に作者の原発に対するクリアな意識がある。あのちっぽけな孑孑までもが挙手‥‥こう来られると、ある意味どんな有名人・お偉方が反対するより効果的かも、と思う。
 「マニュアルを」。ちょっとした家電など、電話帳かと思うような分厚いマニュアルがついてくる。持ってみただけでうんざり。確かに「冷奴」の明快さ、さっぱり加減が恋しくなってくる。すこぶる共感の一句。

登山靴命二つのごと置かれ     岩淵喜代子
いわし雲われら地球に飼はれたる    〃
  句集「白雁」(角川書店)より。
 「登山靴」。目の前の登山靴。その靴を見ているだけで、持ち主には様々な登山の思い出が広がってくることだろう。登山者をしっかりと支えてきたその強さ、その重みが、「命二つのごと」という措辞に定着している。
 「いわし雲」。中七下五の突き抜けた諧謔に圧倒され、そして惹かれた。大らかに広がる鰯雲の下、「飼はれたる」としながらも、きっと作者は地球に生まれたことを喜んでいるのだろう。

介護士の深き喫煙冬の鳥    石井薔子
人体に泡詰まり来る桜かな    〃
 句集「夏の谿」(かぷり)より。
 「介護士の」。介護士の仕事のつらさ、重さが表われている。心身共に疲れきってしまった‥‥束の間の一服、さぞかし深いものとなるであろう。その深さは「冬の鳥」の存在感にも似てー。一句独特の余韻。
 「人体に」。桜の季節ならではの高揚感を、新鮮な表現で描いた上五中七。なかなか、こうは書けないと思う。体の中にどんどん生まれてくる泡の質感。読みながら浮き浮きしてくるような一句。

間取図に手書きの出窓夏の山   広渡敬雄
押し返すチューブの空気豊の秋   〃
 第58回角川俳句賞受賞作品「間取図」50句より。広渡さん、この度はおめでとうございます。
 「間取図に」。さすがは表題句というべきか。上五中七と下五のバランスが何とも絶妙。山中の別荘とかの間取図だろうか。「手書きの」から汲み取れる作者(作中主体)のわくわく感。夏山の爽やかさがぱあっと広がってくる。
 「押し返す」。自転車のチューブに空気を入れる時の、あの感じがよみがえる。豊作の時期の盛り上がり、生命感を楽しく演出。
 「間取図」50句、他にも「机より大きな椅子や鳥の恋」「赤ん坊の肘の窪みや緑さす」など、細やかな視点、そして季語との配合が瑞々しく、素晴らしい50句でした。

青山俳句工場05第四十五号(2)

2012年12月08日 | 青山俳句工場05
「工員矢の如し」より。

第四十五回『テーマは「もう一度会いたい」。今までの人生で出会った人たちの中で、ぜひもう一度会ってみたい人(亡くなった方、飼っていたペット等でもOKです)。会いたい人は誰か。その人との思い出。どんなシチュエーションで会いたいか。会って何をしたいか、話したいか。などご自由に。』

浅見敏子◆映画「ツナグ」を観て思ったことですが、主人のお父さんにお会いしたいと思いました。主人がお腹の中に居る時、出征。そしてフィリピン沖にて戦死。父親の顔・話し声も知らないながらも、必死で生きてきた主人。今は孫たちに「おじいちゃ~~ん」と頼りにされて、にこにこしている姿を、「お父さん、貴方の息子は立派に成長して、穏やかな日々を迎えていますよ」‥‥と話をしてみたいと思っています

岡野霧り◆会いたい人。先日急逝された岐阜のD画廊主。たくさんたくさん助けて頂きました。昨年実家引っ越しの折り、行き場のない膨大な量の陶芸初期作品を預かってくださり感謝。接客の時はプロの姿、しかし普段は家族のような気の置けない人。ジョン・レノンが好きだったので、ゆかりの場所をご一緒したい。あっ、でもあちらの世界でもう会っていたりして。
 飼っていた犬、ロッキー。狼のような気質、野性と品を兼ね備えていた。一緒に野山を駆け回りたい。
 45歳で亡くなった姉。私にはいつも厳しい!けど、たくさん遊んでふざけ合った少女時代。私はいつも後を追いかけていた。冬になったら一緒に雪だるまを作りたいな。

北上正枝◆いつも人肌でトックリ二本の日本酒を好む先生は八十三才で突然の死を遂げた。
 陰になり日向になりして私をサポートして下さった恩師に生前はさほど感じなかった教えを亡くなられてみてはじめて実感させられた。ひたひたと押し寄せて来る哀しみと共に会いたさも一入である。
 春日部教室の句会のあと必ず友人と先生と三人で二次会。いつも同じお店で一番奥のテーブルは先生の定位置。人肌の酒とおさしみ、芋の煮っころがしはこれまた定番。ここでの俳句界の話題は今でも私の宝物である。二度と会えない貴重な存在に今でもとても会いたい。

小松敦◆過去のある瞬間の匂いや音楽や風景などと一緒に身体が記憶した感覚や気分が、ふとしたきっかけでよみがえることがある。その人と過ごした日々のディテールは、いくつかは思い浮かぶが、ほとんどは普段自覚されない記憶の断片となって身体のあちこちに記録されているようだ。既にその生活の記憶は希薄であって、実ははじめから居なかったのだと言われても不思議ではない。しかし、確実に今の私をかたちづくっている存在。当時私が小学校五年生だったから1940年生まれの彼はその時四一歳だったはずだ。今年の9月に私もその四一歳に到達した。突然いなくなった父に、もう一度会いたい。

小宮豊和◆上林裕さん。
 上林さんには句会などでお会いする機会は多かったが、親しく話したことはあまり多くはなかった。なにしろ年令は十六、七年先輩だし、句歴は何倍も違う。畏れ多くて下世話な話など持ち出し難いし、持ち出しても話はあまり合わなかったろう。まして句論などは、謹聴あるのみである。しかし忘れ難い人柄である。私が本当の彼を知ろうとするには、彼の句集「かまきり誕生」をよすがとするのみである。そして本来俳人としてはこれが正統であると思っている。年令と句歴とともに理解は深まっていくので、時に彼の句集を読み返すことは、私にとって有益、いや必要なことだと思う。句集の帯には彼の自選十句が載っているが、私には他の句が親しい。
  枝揺する八重桜賀籠で通りたい
  わが駅あり夏雲行きの単線なり
  許せる男だがまずみの実を噛むときは
 
抜山裕子◆是非会いたい人、これが名前も知らず顔も覚えていない人なのです。何十年も経った或る日、ふいに記憶に蘇ったその人は、昭和19年、静岡の浜松に学童疎開をしていた私の前に立っていました。場所は小学校の校庭、鉄棒に一人寄りかかっていた淋しげな私に話しかけてくれた人。覚えているのはカーキー色の服と「江田島に行く」と言う一言だけ。突然「江田島」が噴き出す様に思い出されたのは、零戦・特攻隊等々、出版物などで目にする様になった頃かもしれない。カーキー色は軍服、「江田島に行く」は、特攻隊で死を覚悟していたのかもしれない。人生の最期に誰かに何かを話したくてもしかしたら自分の娘か妹に私が似ていたのかもしれない。いっぱい話しかけてくれたに違いないのにその時私はきちんと返事が出来たのだろうか。軍国少女として御挨拶が出来たのだろうか。
 9歳だった自分を責めている。会ってお詫びをしたい。

青山俳句工場05第四十五号(1)

2012年12月08日 | 青山俳句工場05
参加者
浅見敏子・足利屋篤・油本麻容子・有田莉多・石川まゆみ・伊藤幸・岡野霧り・岡村知昭・奥野ちあき・上脇すみ子・川崎千鶴子・川崎益太郎・北上正枝・黒岡洋子・小池弘子・小松敦・小宮豊和・齊藤しじみ・佐藤鎮人・佐藤千代子・篠喜美子・清水恵子・白井健介・白黒木子・新城信子・鱸久子・芹沢愛子・田中雅秀・直野ふみえ・永井克明・中塚紀代子・中村晋・中村安伸・抜山裕子・帆万歩・平田恒子・堀真知子・前塚満・増田暁子・峰尾大介・宮崎斗士・山口マツエ・山下一夫・渡辺恵子

「通信欄」より。

鱸久子◆今年六月に倒れてから今日まで努力もせずに5kgの減量が出来ました。
 好きな古い上着が着られるようになり体の軽い感じも楽しんでいました。
 ところがズボンの中で体が泳ぎます。ダブダブズボンに加齢のオー脚。チャップリンさながらの吾が姿。戻せ返せ時間を年を、と云っても無いものねだり。
 齢相応の格好の良さも有るはずですよね。でも面倒‥‥今のままで生きて行こ。
(宮崎→鱸さんはパワフルさが身上です。これからもどうぞお元気で。)

中塚紀代子◆青山工場の工員となって早一年がたちました。毎回、いろいろな句に出会えて楽しいです。(宮崎→これからもどうぞよろしく。)

平山圭子◆青山俳句工場05第四十四号を頂き、御健筆に「さすが!」と嬉しくなりました。例年ですと比叡山の勉強会にて今頃はお目にかかれますのに残念です。
 自分の拙作を棚に上げて「何をか言わんや」なのですが、いつも皆様のチャレンジ精神にエネルギーを頂いています。
 『工員矢の如し』のコーナーも見逃せません。浅見敏子さんが「オランジュリー美術館」のモネの睡蓮の絵に触れておられましたが、たまたまこの九月にパリのオランジュリー美術館で見て来たばかりでしたので、思わず「そう!そう!」と握手です。
これからは凌ぎ易い天候が続きそうです。お大事にお過ごし下さいませ。(宮崎→オランジュリー美術館、やはり一生に一度は行ってみたいですね。)

堀真知子◆十一月の俳句道場でお会いした皆様、お世話になりました。久しぶりにお会いできてやっとスイッチがはいりました。「壊れかけのレィディオ~~♪」より。
(宮崎→お世話になりました。秩父道場、数多く先生の選にも入り絶好調でしたね。)

矢野千代子◆昨日の奈良公園は快晴。鹿の角切りに長蛇の列。公園の鹿のほんのひとにぎりの角切りなのですが、雄鹿ですから見ごたえがあります。それに子鹿が煎餅をねだってしきりにお辞儀をするのですよ。生きてゆく知恵を早くも身につけて‥‥。
 いつも「青山俳句工場05」をありがとうございます。これだけ打ちこまれるのはホントに大変! 存分にたのしませて頂きました。お元気でー。(宮崎→奈良公園の鹿って、けっこう強引ですよね。鹿せんべいをねだって体当たりしてきます。)

渡辺恵子◆初めて俳句工場に投句して選んで戴いて安堵しました。(宮崎→ご健吟、期待しております。)