日々雑感  ~ 青亀恵一

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「がんばれ」「がんばろう」「がんばったね」

2006-03-21 12:50:40 | 社会
今、WBCの決勝戦を行なっている。
日本が、4-1でリードしている。
「がんばれ」

私たちは、応援の言葉として、つい「がんばれ」を使ってしまう。
しかし、この応援を受けたほうからすれば、余裕のあるときは、素直に聞けると思うが、この言葉が辛いときがあるようだ。

それは、究極の状況で辛い日々を送っている人にとっては、
「今まで、一生懸命にがんばってきたのに、もっともっとを要求するの」という思いだということだ。

確かにそうだ。
所詮、他人事と言う気持ちが奥底にあるために、相手の気持ちの奥底まで気遣う気持ちに欠けていたのであろう。

難病を患って辛い中、なんとかがんばらなくてはと努力している時、
何とかしなければという思いで、保健室にやっと登校できた時、
そのほか努力して、何らかの成果を上げつつある場合は、つい「がんばれ」と言ってしまう。

当人にしてみれば、「がんばったね」と言う言葉のほうが温かい。
自分の成果を評価してくれる言葉が、辛いときにはうれしい。

よく考えると、
「がんばれ」は、
今までもよくがんばったという評価もその言外にはあるだろうが、言葉としては、「もっともっと」を要求する第三者の言葉である。

「がんばろう」は、
私もあなたと一緒に歩みますという気持ちが入っていて、第三者の言葉でなく、対面したあなたと私の関係を根底にしている。

「がんばったね」は、
立場としては、第三者の言葉とも取れるし、対面したあなたと私の関係の言葉とも取れるが、その根底に過去・今の行動・努力に対する評価がある。
褒めているのである。

褒められて嫌な人はいない。
特に、辛い立場にいる人には、何よりの薬かもしれない。
自分の心の置き所がここにもあるという充足感が沸くのかもしれない。

この事は、子育てにも言える。
親は、どうしても「もっともっと」を求める。
一度、子どもの立場に立ってみたらどうだろう。

以前、小学校のクラスPTAの先生と保護者の懇談会のときに、「子褒め懇談会」をしたことがある。
普段、不満に思っている自分の子どものことを別の角度から見てみようということで、一切悪くは言わないという取り決めで行なった。

例えば、
「うちの子はぐずぐずして行動が遅い。」は、
別の見方からすれば、
「慎重にじっくり構えてから行動に移す。」
と言う具合である。

子どもは伸びる力を持っている。
一つの良い部分を伸ばすことによって、他も伸びてくることも多く、「褒めて伸ばそう子どもの力」が必要であると思う。

これからは、「がんばれ」「がんばろう」「がんばったね」の使い分けをしっかりしたい。


追記、
やりました!!
日本の野球が世界の頂点に達しました。
ご苦労さん。
努力の甲斐あって、いい人生の一コマを手にしましたね。

日本の男もがんばりました。
私も応援しました。

ちゃっかり、WBC効果に便乗する未熟な私。






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1 コメント

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一生懸命について (青亀恵一)
2006-04-28 14:14:46
ご指摘、ありがとうございます。

「一生懸命」について、「一所懸命」の間違いではないかというご意見をいただきました。



元々は、「一所懸命」が正しく、「一生懸命」は間違いとされていました。



「一所懸命」の意味は、文字通り、「一つの所に、命を懸ける」ということです。



言葉は、生き物です。時代とともに変わってきます。

「一生懸命」は、当初は間違いながらも多くの人に使われ、市民権を得てしまったため、辞書にも載るようになりました。



私も、今回は敢えて、「一生懸命」を使わせていただきました。



「まちがい日本語」というタイトルで、コメントをしながら、なぜ、「一生懸命」と書いたと言うご意見だと思いますが、ご理解いただきますように。

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