日々雑感  ~ 青亀恵一

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いのちの色えんぴつ

2006-09-27 07:16:38 | 音楽
いのちの色えんぴつ


11歳の少女が書いた詩をもとに作られた絵本がある。

それは、わずか11歳で、脳腫瘍のために亡くなった少女が、
不自由な手で必死につづった、いのちの記録。

豊島加純ちゃん



出版社へは、読者から感動の便りが届いているという。

元気に生まれ、すくすく育っていたが、
10歳の夏祭りのときに、異変が起きた。

左目が寄っていた。

翌日、病院へ。
思いも寄らぬ病名を告げられた。

「脳幹が腫れています。」

脳幹グリオーマ。

お父さんがインターネットで調べると、

1万人に1人かかる病気
手術は不可能
間違いなく死ぬ


札幌の病院で、1ヶ月に及ぶ放射線治療の結果、
病状は好転。
学校へ通えるようになった。

加純ちゃんの通っている小学校は、
中学校と合同の小さな学校。

友達との楽しい時間も、長くは続かなかった。

半年後、脳は、腫瘍で圧迫され、
右半分の麻痺が始まっていた。

この日から、車椅子生活へ。

親は、どうしようもない。

加純ちゃんが、ぐちを言ったときには、
「何言ってるのよ。」と叱る。
ただそれだけしかできなかった。

みるみる、病状は悪化。


そんなある日、家庭科の小山内先生が、
色えんぴつをプレゼントしてくれた。

それが、彼女に生きるちからと望みを与えた。

12色の色えんぴつ

加純ちゃんは、先生にもらった色えんぴつで、
そこに一編の詩を書いた。

「12色」



加純ちゃんのクラスは、5・6年生の12人。

クラスの12人を、色えんぴつの12色になぞらえた。

「目立たない色」とは、自分自身のことか ?

横に12本の線を添えた。
その線は互いに寄り添っている。




その後、詩を書くことに没頭していく。

12色の色えんぴつが、
病気で沈みがちな心に変化をもたらした。

もっともっと、書きたい。


一生懸命、左手で字の練習をした。

父が、
「加純、左手で書くのか ?」

「右手が動かないの。 しかたないっしょ」
「右手がなくても、左手あるから、いいっしょ」


その後も、書き続ける。

「成長」





1人だけ応援することになった運動会を題材に、

 負けたとか 勝ったとか   どっちでもいい
 がんばれたなら それでいい


詩には必ず、日付・時刻が記されている。
まるで生きている証を綴るかのように。

人前では、決して弱音を吐かなかったと小山内先生。

ただ一度だけ、泣いていたことがあった。
小山内先生は、ただ抱きしめてやるだけ。
「泣いていいんだよ。 いっぱい泣きなさい。
泣いていいんだよ」


「こころ」



その後、入退院を繰り返し、
そして、発病してから1年2ヶ月。
永い眠りについた。
享年 11歳。


加純ちゃんは、この世に生まれて、
ついに自分ですべきことを見つけ、
そして、それをしてこの世を去った。














人は、生まれながらにこの世にすべきことを持っていると。
この世に生まれたわけが、あるはずである。
それを見つけるかどうかは、個人の資質。

五体不満足の乙武氏も、
自分が身体障害者として生まれたのは、
身体障害者でなければできないことをするために、
生まれてきたと理解し、その後の人生を歩んでいる。

私の生まれた目的は何なのか。
人生を50余年過ごしてきたが、
見出せないままなのか。


考えながら終わってしまうかもしれないが、
加純ちゃんより、
とにかく考える機会を、いただいた。

ご冥福を祈り、合掌。

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