日々雑感  ~ 青亀恵一

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年頭所感 「潜時有意」

2009-01-01 00:38:06 | Private
年頭所感 「潜時有意」


あけましておめでとうございます。  

定番の挨拶で始めますが、
今年は、
「ピンチはチャンスの入り口」の年になるように望みたいものです。


「潜時有意」


今年の年賀状のことばに使った語句である。

その意味は呼んで字のごとく。

「潜時」は「有意」であるということ。

「有意」とは、それなりの意味があるということ。

それでは、「潜時」とは、なにか。


それは、一概には言えないが、
基本的には、文字通り、「潜んでいる時」のこと。

「潜んでいる時」をどう把えるかは、
人それぞれであるが、
社会全般を考えてみると、
今この時は、
ひとつの「潜んでいる時」ではなかろうか。


閉塞感あふれる今の社会も「潜時」。
来るべき大試練に、
日々たゆまぬ努力を重ねている人も「潜時」。


そのほか、いろいろな「潜時」があろう。

この「潜時」

狭義でいえば、
「光の当たっている時」の対語とも解釈できるが、
それほど簡単なものではないと思う。


私の「潜時」はというと、
運命として位置づけられたと思うことに対して、
精一杯の準備をし、同時に、
今というときの最善を模索していることが「潜時」とでも言おうか。

少し、理屈っぽいが・・・


あなたの「潜時」は何ですか。

いろいろな厳しい時でも、
それは、完全に無意味かといえば、そうではなく、
それを意味あるものにするのは、本人の意志や思いであり、
そのときに何を学び、それを後年、どのように活かすかである。

さらに、順風満帆の時も、
「潜時」ではないと言い切れないと思う。


人生は、死ぬまで、学びの場であり、
実践の場であり、
ある意味「潜時」であると同時に、
その逆の意味合いをもった場でもある。


光の当たる時の対語としての「潜時」のみではない
とも解しうる。


場が変わっても、時が変わっても、
今までの生きざまが、
その後の行動に有益に作用する有機的な生き方が、
「潜時有意」とでも結論付けようか。

私なりには・・・・




PS
初詣に、地元の「北条八幡神社」と
氏神様「弓原神社」に御参りいたしました。

「北条八幡神社」



次男が、帰省してきて、
「そろそろ結婚の準備を・・・」と言い出した。
さてさて、今年は、忙しい年になりそうである。

うれしい忙しさであるが・・・


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1 コメント

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Unknown (神宮です。)
2009-01-02 03:33:38
潜時...。
私はいつも潜時なんですが...(^-^;

今年も沢山、学ばせて頂こうと思っています。
宜しくお願い致します。
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