「あの、本当に大丈夫なんですか?」
依頼人の女性は不安そうな面持ちだ。初めてうちに来た人は、全員同じ顔をする。
「あなたがやるよりは確実ですよ」
ジョクも慣れたもんだ。とびっきりの営業スマイルで依頼人の不安を取り除こうとする。が、あまりうまくいってる様子はない。
仕方ないよな。僕は思う。ここに来る客は特別だ。余所じゃそうそう口に出来ないようなことを依頼に来るんだ。頼みの綱であるその人が、十代後半の優男ときては、不安にならないほうがどうかしてる。
「でも……」
女性はなおも云い淀む。
「ハヤタ、お客さんがお帰りだ」
後ろに控えていた僕に顔を向ける。これもよくあることだ。短気はジョクの欠点のひとつ。みなに注意されてるが、治る気配はない。困ったものだ。
「ハヤタ!」
強い口調で促してくる。冗談じゃない。この程度のことで即座にお客さんを追い返すなんて、ただでさえ店の評判は良くないというのに。
「あのっ」
僕が何か云うよりも先に女性が切り出してきた。
「疑ってすみませんでした。話に聞いていたのと少し違っていたので。どうしても依頼、受けてもらいたいんです。お願いです。話だけでも聞いてください」
深々と頭を下げる。胡散臭そうにそれを見ながら、
「ちなみに、誰になんて聞いたの?」
とジョク。
「情報屋の方に、筋肉質の巨漢で気難しい三十代の独身男性だと」
やや困惑気味に女性が答える。
おもわず吹き出してしまった。まるでジョクと似ていない。だいたい、独身かどうかは関係ないだろ。
「ハヤタ」
ジョクの冷めた声。いけない。慌てて背筋を伸ばし姿勢を整える。
「後でお客さんから情報屋の名前、聞いておけ。会ってゆっくり話がしたい」
「わかりました」
一流の執事並みの礼をしてみせる。ここに来て最初に覚えた特技だ。
「では、依頼内容の方、伺いましょうか」
椅子に深く座り直し、ジョクがようやく本題に入る。
「相手は武器商人のクリストファーです。彼は父の持つ鉱山に眼をつけ、強引な手法で手に入れようとしました。しかし、父が頑として聞き入れなかったので、母もろとも殺したのです。わたしは勉学のため、家を離れていたので難を逃れました。しかし、その為に真相を知るのが遅れ、半年も両親の仇を野放しにしてしまいました。お願いです、どうかジョクさんの力を貸してください」
途中から涙声になっていた。だが、ジョクはどうといったこともないような態度で話を聞いていた。僕も同じだ。この仕事を始めてから、こんな話は飽きるくらい聞かされている。いい加減感覚も麻痺してきた。そりゃあ、良くないことだとはわかっているが。
「失礼。確か、シンシアさんだったかな?」
取り出したハンカチで、涙を拭う女性にジョクが訊ねる。
「はい」
「あなたの依頼は仇討ちのお手伝いなのかな? だったらお門違いだ。余所をあたってほしい」
「いいえ、違います」
女性は力強く、はっきりと口にした。
「手伝いなんかではなく、わたしにかわってクリストファーを殺してほしいのです」
ジョクが嬉しそうに微笑む。
「そう。ならば受けよう。俺に相応しい仕事だ」
話はまとまったようだ。これで一か月振りの仕事が入る。内容的に眉をひそめる者もいるかもしれないが、やはり仕事があるというのはいいものだ。
「それで、費用の件ですが」
ジョクが切り出すと、心得てるとばかりに女性が鞄の口を開いた。
「はい。用意してあります。普通の相場より高いと聞いてますので、これだけ」
取り出したのは、普通の人が半年は遊んで暮らせる程の金額だった。
「私財を投売り、あらゆるつても使いました。いまわたしに用意できるお金の全てです。どうかこれでお願いします」
見たところ二十代前後のようだ。普通に考えたら簡単に用意できる額ではない。話の様子では親の財産が入ったようにも思えないし、そろえるのに相当苦労しただろう。可愛そうに。ジョクは依頼人の努力だとかを汲んでくれるような人間じゃないからな。
「残念ながら」
申し訳なさそうにジョクが首を振る。
「これでは足りないです。俺の相場は、もっと高いんですよ」
ジョクが提示した額に女性が眼を丸くする。当然だ。うちの相場は普通の人間が三年遊んで暮らせる額だ。おそらくこの街で一番高い。いや、大陸一かも。評判が良くない一番の理由だ。
「そんな……、そんな大金、無理です。用意できません」
「でしたら、お帰り下さい。無理強いはしませんよ」
そっけない口調だ。しかし、女性も引き下がらない。
「待ってください。いくらなんでも高すぎます。そんなお金、普通用意できるはずがないじゃないですか」
相変わらず涙が頬を濡らしているが、今の涙は先程までとあきらかに違うのだろう。
「そう、普通は用意できないでしょうね。でもあなたは俺に何を依頼しにきたんですか? 殺しでしょ? 普通の人間が頼むことじゃない。だから、料金も普通じゃないんですよ」
「でも、他ではもっと安いと」
「なら他に行けばいい。あなたは何故俺を選んだんだ? こんな荒んだ世の中だ。俺以外にも殺しを生業にしてる奴はこの街にだってたくさんいる。その中で何故俺なんだ?」
「それは、あなたを薦められたから」
「薦めた奴はなんて云った?」
「あなたがこの街で一番だと。それどころか、西方大陸でも五本の指に入ると」
「そんな凄腕をあなたは選んだ。何故か? 確実に殺したいからだろ。なんとしても、両親の仇であるクリストファーを殺したいのだろ。本当ならば自分の手で殺したいところだが、なにをどう足掻いたところで自分の手で殺すのは無理だ。だから、赤の他人である俺に頼んだのだろ」
「そうです。わたしはなんとしても親の仇を討ちたい」
強い意思の光をたたえた眼でジョクの瞳を直視する。
「なら、金を払え。そうすれば殺してやる。確実にな」
「でも、これは高すぎです」
「ふっ、高すぎだって?」
バカにしたような笑い。頭にきてるのだ。付き合いの長い僕には理由も、この後ジョクがなにを云いだすのかまで全部わかった。
「あなた勘違いしてないか? 殺しをするんだぞ。人の命を奪うんだ。決して褒められることのない、誰からも後ろ指を指されることをするんだ。相手が誰かなんて関係ない。そいつが何をしたのかも、あなたが何をされたのかも関係ない。その人間の未来を奪う。そいつを愛してる人間に最大の悲しみを味あわせる。あなたが望んでいるのはそういうことなんだ」
「あの男がわたしにしたのもそういうことよ。愛する両親を殺し、わたしを絶望の淵に追いやった」
「やられたからやり返す。いいさ、悪いとは云わないよ。自分でやりな。俺には関係ないことだ。俺にやらせたいのなら金を払え。それもたんまりとだ。なんとしても殺すと誓ったその想いと覚悟を金に換えて俺に差し出せ。そうすれば叶えてやる。あなたのその静かな、だけれども熱い蒼炎の如き殺意で、代わりに俺が殺してやる」
ジョクは人を殺すことを嫌ってる。自分が殺すのもそうだし、他人が殺すのも嫌いだ。殺し屋のくせして平和な世の中ってやつを真剣に望んでいる。だから、軽い気持ちで来る客、怨み辛みを述べて自分を正当化する客を受け入れない。そういった連中を追い払うために料金を高額にしている。ここに来る人間はすべからく、自分が悪人であることを受け入れ、覚悟の提示を求められる。最もわかりやすく、誰にでも出来る簡単な方法、つまり金によってである。
女性はすぐには応えなかった。黙ったまま、まっすぐジョクの瞳を見据えている。ジョクも目を逸らさない。
僕はいつも思う。本当にこれでいいのだろうかと。ジョクの考えは理解できるし賛成もしている。でも、全ての依頼人をここまで追い込む必要があるのだろうか? 依頼人が気に食わないのならすぐ追い返せばいい。受ける気があるのなら料金の多寡は関係ないはずだ。問答を繰り返し依頼人の覚悟を引き出すこのやり方は、本当に正しいのだろうか?
「わかりました」
やがて、静かな声で女性は頷いた。頬の涙は乾いていた。
「覚悟を示せばいいのですね」
「そうです」
「では、日を改めてその覚悟をお見せします」
女性の中で全ての答えが出ているようだった。立ち上がりドアへと向かう。慌ててその後を追う。客を見送るのは僕の仕事だ。
ノブに手を掛けようとしたところで女性が振り返った。正面に僕がいる。すぐにどいた。用があるのは僕にではないはずだ。
「依頼自体に問題はないのですね?」
「もちろんです」
座ったままジョクが頷く。
「なんらかの理由で煙たがられてる訳ではないのですね?」
「安心してください。内容的には簡単な仕事です。契約が済んだらすぐに片を付けてあげますよ」
「簡単な仕事にずいぶんな覚悟を要求するんですね」
「簡単かどうかは関係ないからです。人を殺すってのはどういったものであれ重いものなんですよ。たとえ事故だとしてもその重さはかわらない。この世の中、そのことを理解してない人が多すぎるみたいですけどね」
「ほんと、その通りですね」
ドアを開けて目の前にある階段を降りていく。長い階段だ。三階から曲がらずに一階へと続いている。会話はなかった。かなり思いつめているようで空気が重い。一階の通りに面したドアを開けながら、僕はやんわりと女性に声を掛けた。
「あの、無理しないで下さいね。復讐なんてそんないいもんじゃないですし、亡くなられた親御さんだって、そんなことは望んでないと思いますよ」
女性が無理をするのはわかっていた。その結果が良いものでないというも。云うべき台詞じゃないのに、僕は口にせずにいられなかった。甘い、と散々ジョクに叱られてるがいまだ治らない。
「ありがと。でも、わたしは両親が大好きだったから、その言葉に従おうと思うの。幼い時からよく云われたわ。どんな時も、自分の心に正直でいなさいって」
女性は最後に笑顔を見せてくれた。うちに来て初めての笑顔。迷いのない、とても綺麗な。
やはり、云うべきではなかった。僕は後悔を悟られないよう気をつけながら、最後の仕事をした。
「またのご来店をお待ちしてます」
「彼女、また来ますよ」
夕食の席で僕はそう切り出した。ちなみに夕食は僕が作った。生牡蠣の良いのが入ったんで、それをメインにさっぱり味のものを揃えた。見た目もよく、我ながらたいしたものだと思う。この歳でここまで出来る者はそうはいないだろう。料理はここに来て、二番目に覚えた特技だ。
「いいことじゃないか。商売繁盛、めでたいことだ」
食べる手を止めずにジョク。
「商売繁盛を目指すのなら料金を下げてください。これじゃあ、そのうち客が来なくなります。それに彼女だって」
「彼女は来るんだろ?」
「だから問題なんです。あの歳であんな大金用意するとなったら、どれだけ無茶しなきゃならないかわかるでしょ?」
「無茶、大いに結構。彼女の望みが無茶なんだからな」
料理を平らげ、飲み物に手を伸ばす。
「その無茶を叶える為にこの仕事をしてるのでしょ。だったら」
グラスを置く強い音が僕の台詞を遮った。
「だったら、なんだというんだ」
声が冷たい。ジョクが本気になったということだ。だからといって、引くつもりはない。
「ハヤタ、ここに来て何年だ?」
「五年です」
「幾つになった?」
「いい加減覚えてください。十二歳です」
「お前もいい加減理解しろ。俺がしているのは人助けじゃないんだ。もちろん、善行でもない。良いか悪いかといえば完全に悪い。必要悪ですらないんだ。殺しを生業にしているような奴はな、この世界に不必要な存在なんだよ。もしも神様がいて、人口が多いから減らすと云い出したら、真っ先に消されてしかるべしな存在なんだ。そう思いながら俺は殺し屋を続けている。だから、悪に徹する。情けも優しさも持ち合わせない。それは標的に対しても、依頼人に対しても同じだ。お前も俺に弟子入りして、殺し屋を目指すというのなら、早く覚悟を決めろ」
「覚悟は出来ている。殺せといわれたら何人だって殺してみせる。でも、覚悟は僕達だけが持てばいい。依頼人に覚悟を要求する必要はないはずだ。彼女は絶対にまた来る。大金を持って。そのとき彼女はどうなっていると思います? 五体が無事ならまだいい。そうでない可能性はかなり高い。五体が無事だとしても短期間で大金を稼ぐのだとしたら、そのとき彼女は幸せでいるのですか? 復讐を終えた後、一体彼女になにが残るんですか?」
思いの丈は熱を帯びた大声量となって放たれた。ジョクは思いの外、やさしくそれを受け止めてくれた。
「なにも残らない。復讐とはそういうものだ」
「なら!」
「だがな、ハヤタ。残らなくていいのだよ。人を殺すということは、なにもない虚無への入り口を開けるにひとしい。殺された側が全てを失くすように、殺す側もまた失くすのだ。それを依頼した者も同様だ」
表情に変化があったわけではない。声の調子もさっきと同じだ。でも、だからこそ、僕に悲しみを与えた。どうにもできない、抗うことの出来ない真理を垣間見たような気がしたから。
「じゃあ、彼女はどうすればいいんですか?」
「好きにすればいいのさ。俺が全て承知の上で殺し屋家業をしているように、お前がそれでも俺の弟子となることを望んだように、彼女も自分でしたいと思ったことをすればいいのさ」
ジョクは言葉を切って席を立った。
「さ、早く食事を済ませて後片付けをしろ。この後もやることが残ってるだろ」
云われるままに食事を済ませ、後片付けをしながら僕は思った。きっとジョクの云うことは全て正しく、納得しきれていないのは僕が未熟だからだ。それでも望まずにはいられない。いつかきっと、誰かを幸せにしたい。ジョク同様、僕も殺し屋になるだろう。悪の権化というような職業だが、それでも、いつかきっと。
二日後、聞き覚えのある足音が階段を上がってきた。ノックの音も同じだった。ドアを開けると想像通り、この間の女性、シンシアが立っていた。
「今日はずいぶんといい顔をしてますね。この前とは大違いだ」
ジョクが優しげな笑顔で迎える。確かに別人のようだった。この間は緊張や恐れ、気負いといったもの感じられたが、今日は自然体でいる気がする。
「ええ。全て片付いたので、すっきりした気分なんです」
どうやら僕の取り越し苦労だったようだ。彼女に不幸の影や、苦労した後など欠片も見えない。どうやら復讐は諦めたらしい。
「さぁ、どうぞ、かけて下さい。この間の続きですよね」
「そうです」
シンシアが腰をおろす。続きといってもたいした話ではないだろう。見ると大きな鞄を持っている。街を出る前に挨拶に来た、という感じだ。律儀な人というのは好感が持てる。いつもと比べ丁寧にお茶をいれ、シンシアの前に置いた。
「お金の用意が出来ました。この間の依頼、受けて下さい」
鞄をひざの上に乗せ、中を見せるように傾ける。確かに、鞄いっぱいのお金があった。
この二日で稼いだのか? ありえない。いくらなんでもそれは無理だろ。もし可能だとして、何故シンシアはこんなにも普通でいられるのだ。というか、復讐を諦めて街を出るんじゃなかったのか。
驚きのあまり眼が丸くなる。かなり動揺している。でも、それは僕だけらしい。ジョクはいたって普通な、あらかじめ全てを知っていたかのような態度だ。
「ご苦労様です。この短期間でこんなにだと、かなり大変だったでしょう」
「いえ、大変なのはこれからです。これは前借りしたお金ですから」
こんな大金を前借り? それは、大変じゃ済まなそうだ。
「わたし知りませんでした。わたしの未来って案外いいお金になるんですね。いや、わりと少ないと云った方がいいのかしら?」
「未来に値段を付けるのだとしたら、それがいくらでも少ないと思いますよ。でも、あなたはいま必要な額だけを稼ぐことが出来た。それは幸運なことだし、そう考えれば価値のある未来ですよ」
「ですね」
嬉しそうな、満足げな笑顔。僕にとってはわからないことだらけだ。
「あの、一体どういうことなんですか?」
おもわず口を挟んでしまう。ジョクの一番嫌う行為だ。でも、何故か今回はなにも云わなかった。
「わたし、奴隷契約を交わしてきたんです」
シンシアはさらりと答えてくれた。
え? 奴隷?
「最初の五年間はただ働き。その後の二十五年間、低賃金で働くのを条件にこれだけのお金を頂いてきたんです」
奴隷として、三十年も……。
確かに奴隷制度というものはある。別に国や地方自治体が公然と認めているというわけではないが、確かに存在して、西方大陸のほとんどでは受け入れられている。見たことも接したこともある。でも、シンシアが望んで奴隷になるなんて。
「そんな顔しないで下さい。別に悪いことをしているわけではないし、これで依頼も受けてもらえるわけですから」
よほど酷い顔だったのだろう。シンシアが困ったように云う。だが、僕の顔なんてどうでもいいのだ。
「いいんですか、それで。そこまでして両親の仇って」
「いいのです、これで。両親の仇とはそこまでして討つものなのです。少なくとも、わたしにとっては」
ああ、やはり彼女もなのか。確かに彼女のような人はいる。後先のことを考えずに、この一瞬に全てをかけるような。みんな後悔のない笑顔を浮かべ、これでいいのだ、と全てを肯定する。
「それに、自分の意思で進むべき道を選べない、という人はこの世界にたくさんいると思います。その中で、わたしは思い通りの道を選ぶことが出来ました。このさき死ぬほど辛いめにあったとしても、それはわたしが望んだことなのです。どうして悔やむことがあるでしょう」
揺るがない意思。一点の曇りもなく、純粋で、美しい。
僕の出る幕はもうない。最初からなかったのかも。それを思い知らせるために、ジョクはあえて僕に口出しさせたのかもしれない。僕はジョクの後ろで控えているべきだったのだ。それが僕の仕事だし、それ以外に出来ることなどありはしないのだから。
「ところで、提示した額より少し多いみたいですけど」
「あなたは覚悟が見たいと、そう云ったので、わたしの覚悟の量だけお持ちしました」
「わかりました。確かにあなたの覚悟、受け取りました」
契約が済んだ。これでいいのだ。これしかないのだ。これが、この場で行われる事の正しい姿なのだ。
「その前に、この間は云い損ねたのですが、クリストファーはゲイルという用心棒を雇っています。わたしに云わせれば、用心棒というよりはただの殺人狂ですが、かなり腕が立つと聞いています」
「いいですよ。そいつも殺してあげます」
「ありがとうございます。たぶん実際に両親に手を下したのは、ゲイルだと思うのです」
「でしょうね。ご安心を、二人とも確実に殺してみせますよ」
「ええ、安心してます」
にこりと微笑んで席を立つ。それを見て、僕はすばやく動いた。先回りしてドアを開く。
「最後に、ひとつ質問しても」
シンシアは立ったままでジョクに問いかける。
「構いませんよ」
「ジョクさんは人殺しをなにより憎んでいるみたいですけど、それなら何故このような仕事をしてるのですか?」
重い口調ではなかった。夕食のメニューを訊ねるみたいな感じ。答える方も気安かった。
「俺が初めて人を殺したのは五歳の時でした。もちろん理由あってのことですが、それで許されるとは思いませんでした。死んで詫びることも、あらゆる形で罪を償い続けるということも考えましたが、どれも違うと思いました。どんな形であれ、俺は許されるべきではないのです。そう思ったので、それより修羅となって生きる道を選びました。どんな理由があっても人は人を殺すべきではない。それが理想ですが、そう上手くいかないのが世の中です。だから、俺が人に代わって人を殺す。誰かが手を汚さなければならないのなら、すでに汚れている者が代わりにやるべきだ」
「その代わりというのが、自分だと」
「五歳で親殺しを経験するような人間こそが相応しいとは思いませんか?」
ジョクは自分の過去を普通に話す。自分の中ですでにケリがついているからだろう。あるいは、これが覚悟の違いなのかもしれない。
「人殺しは、あるいはそれを依頼するような者は、幸せになるべきではないのですか?」
「少なくとも、俺は幸せになるべきではない。俺の依頼人は……、どうですか、いま幸せですか?」
「幸せです」
春の日の午前の光を思わせる、暖かで優しい、そんな声と笑顔であった。
「良かった。いや、良くないのだが、それでも少し救われます」
ジョクがたまに見せる。ほんとに極稀に見せる、満ち足りた表情。
シンシアはそれを見て満足したのか、一礼して部屋を後にした。
「奉公に出るのはいつからです?」
下まで降りたところでジョクの声がシンシアの背にあたる。
「明朝からです」
「では、それまでに終らせますよ」
シンシアは再び頭を下げて、外へ出た。
ドアを閉めて、心を入れ替える。
さぁ、殺しの時間の始まりだ。
後編に続く
依頼人の女性は不安そうな面持ちだ。初めてうちに来た人は、全員同じ顔をする。
「あなたがやるよりは確実ですよ」
ジョクも慣れたもんだ。とびっきりの営業スマイルで依頼人の不安を取り除こうとする。が、あまりうまくいってる様子はない。
仕方ないよな。僕は思う。ここに来る客は特別だ。余所じゃそうそう口に出来ないようなことを依頼に来るんだ。頼みの綱であるその人が、十代後半の優男ときては、不安にならないほうがどうかしてる。
「でも……」
女性はなおも云い淀む。
「ハヤタ、お客さんがお帰りだ」
後ろに控えていた僕に顔を向ける。これもよくあることだ。短気はジョクの欠点のひとつ。みなに注意されてるが、治る気配はない。困ったものだ。
「ハヤタ!」
強い口調で促してくる。冗談じゃない。この程度のことで即座にお客さんを追い返すなんて、ただでさえ店の評判は良くないというのに。
「あのっ」
僕が何か云うよりも先に女性が切り出してきた。
「疑ってすみませんでした。話に聞いていたのと少し違っていたので。どうしても依頼、受けてもらいたいんです。お願いです。話だけでも聞いてください」
深々と頭を下げる。胡散臭そうにそれを見ながら、
「ちなみに、誰になんて聞いたの?」
とジョク。
「情報屋の方に、筋肉質の巨漢で気難しい三十代の独身男性だと」
やや困惑気味に女性が答える。
おもわず吹き出してしまった。まるでジョクと似ていない。だいたい、独身かどうかは関係ないだろ。
「ハヤタ」
ジョクの冷めた声。いけない。慌てて背筋を伸ばし姿勢を整える。
「後でお客さんから情報屋の名前、聞いておけ。会ってゆっくり話がしたい」
「わかりました」
一流の執事並みの礼をしてみせる。ここに来て最初に覚えた特技だ。
「では、依頼内容の方、伺いましょうか」
椅子に深く座り直し、ジョクがようやく本題に入る。
「相手は武器商人のクリストファーです。彼は父の持つ鉱山に眼をつけ、強引な手法で手に入れようとしました。しかし、父が頑として聞き入れなかったので、母もろとも殺したのです。わたしは勉学のため、家を離れていたので難を逃れました。しかし、その為に真相を知るのが遅れ、半年も両親の仇を野放しにしてしまいました。お願いです、どうかジョクさんの力を貸してください」
途中から涙声になっていた。だが、ジョクはどうといったこともないような態度で話を聞いていた。僕も同じだ。この仕事を始めてから、こんな話は飽きるくらい聞かされている。いい加減感覚も麻痺してきた。そりゃあ、良くないことだとはわかっているが。
「失礼。確か、シンシアさんだったかな?」
取り出したハンカチで、涙を拭う女性にジョクが訊ねる。
「はい」
「あなたの依頼は仇討ちのお手伝いなのかな? だったらお門違いだ。余所をあたってほしい」
「いいえ、違います」
女性は力強く、はっきりと口にした。
「手伝いなんかではなく、わたしにかわってクリストファーを殺してほしいのです」
ジョクが嬉しそうに微笑む。
「そう。ならば受けよう。俺に相応しい仕事だ」
話はまとまったようだ。これで一か月振りの仕事が入る。内容的に眉をひそめる者もいるかもしれないが、やはり仕事があるというのはいいものだ。
「それで、費用の件ですが」
ジョクが切り出すと、心得てるとばかりに女性が鞄の口を開いた。
「はい。用意してあります。普通の相場より高いと聞いてますので、これだけ」
取り出したのは、普通の人が半年は遊んで暮らせる程の金額だった。
「私財を投売り、あらゆるつても使いました。いまわたしに用意できるお金の全てです。どうかこれでお願いします」
見たところ二十代前後のようだ。普通に考えたら簡単に用意できる額ではない。話の様子では親の財産が入ったようにも思えないし、そろえるのに相当苦労しただろう。可愛そうに。ジョクは依頼人の努力だとかを汲んでくれるような人間じゃないからな。
「残念ながら」
申し訳なさそうにジョクが首を振る。
「これでは足りないです。俺の相場は、もっと高いんですよ」
ジョクが提示した額に女性が眼を丸くする。当然だ。うちの相場は普通の人間が三年遊んで暮らせる額だ。おそらくこの街で一番高い。いや、大陸一かも。評判が良くない一番の理由だ。
「そんな……、そんな大金、無理です。用意できません」
「でしたら、お帰り下さい。無理強いはしませんよ」
そっけない口調だ。しかし、女性も引き下がらない。
「待ってください。いくらなんでも高すぎます。そんなお金、普通用意できるはずがないじゃないですか」
相変わらず涙が頬を濡らしているが、今の涙は先程までとあきらかに違うのだろう。
「そう、普通は用意できないでしょうね。でもあなたは俺に何を依頼しにきたんですか? 殺しでしょ? 普通の人間が頼むことじゃない。だから、料金も普通じゃないんですよ」
「でも、他ではもっと安いと」
「なら他に行けばいい。あなたは何故俺を選んだんだ? こんな荒んだ世の中だ。俺以外にも殺しを生業にしてる奴はこの街にだってたくさんいる。その中で何故俺なんだ?」
「それは、あなたを薦められたから」
「薦めた奴はなんて云った?」
「あなたがこの街で一番だと。それどころか、西方大陸でも五本の指に入ると」
「そんな凄腕をあなたは選んだ。何故か? 確実に殺したいからだろ。なんとしても、両親の仇であるクリストファーを殺したいのだろ。本当ならば自分の手で殺したいところだが、なにをどう足掻いたところで自分の手で殺すのは無理だ。だから、赤の他人である俺に頼んだのだろ」
「そうです。わたしはなんとしても親の仇を討ちたい」
強い意思の光をたたえた眼でジョクの瞳を直視する。
「なら、金を払え。そうすれば殺してやる。確実にな」
「でも、これは高すぎです」
「ふっ、高すぎだって?」
バカにしたような笑い。頭にきてるのだ。付き合いの長い僕には理由も、この後ジョクがなにを云いだすのかまで全部わかった。
「あなた勘違いしてないか? 殺しをするんだぞ。人の命を奪うんだ。決して褒められることのない、誰からも後ろ指を指されることをするんだ。相手が誰かなんて関係ない。そいつが何をしたのかも、あなたが何をされたのかも関係ない。その人間の未来を奪う。そいつを愛してる人間に最大の悲しみを味あわせる。あなたが望んでいるのはそういうことなんだ」
「あの男がわたしにしたのもそういうことよ。愛する両親を殺し、わたしを絶望の淵に追いやった」
「やられたからやり返す。いいさ、悪いとは云わないよ。自分でやりな。俺には関係ないことだ。俺にやらせたいのなら金を払え。それもたんまりとだ。なんとしても殺すと誓ったその想いと覚悟を金に換えて俺に差し出せ。そうすれば叶えてやる。あなたのその静かな、だけれども熱い蒼炎の如き殺意で、代わりに俺が殺してやる」
ジョクは人を殺すことを嫌ってる。自分が殺すのもそうだし、他人が殺すのも嫌いだ。殺し屋のくせして平和な世の中ってやつを真剣に望んでいる。だから、軽い気持ちで来る客、怨み辛みを述べて自分を正当化する客を受け入れない。そういった連中を追い払うために料金を高額にしている。ここに来る人間はすべからく、自分が悪人であることを受け入れ、覚悟の提示を求められる。最もわかりやすく、誰にでも出来る簡単な方法、つまり金によってである。
女性はすぐには応えなかった。黙ったまま、まっすぐジョクの瞳を見据えている。ジョクも目を逸らさない。
僕はいつも思う。本当にこれでいいのだろうかと。ジョクの考えは理解できるし賛成もしている。でも、全ての依頼人をここまで追い込む必要があるのだろうか? 依頼人が気に食わないのならすぐ追い返せばいい。受ける気があるのなら料金の多寡は関係ないはずだ。問答を繰り返し依頼人の覚悟を引き出すこのやり方は、本当に正しいのだろうか?
「わかりました」
やがて、静かな声で女性は頷いた。頬の涙は乾いていた。
「覚悟を示せばいいのですね」
「そうです」
「では、日を改めてその覚悟をお見せします」
女性の中で全ての答えが出ているようだった。立ち上がりドアへと向かう。慌ててその後を追う。客を見送るのは僕の仕事だ。
ノブに手を掛けようとしたところで女性が振り返った。正面に僕がいる。すぐにどいた。用があるのは僕にではないはずだ。
「依頼自体に問題はないのですね?」
「もちろんです」
座ったままジョクが頷く。
「なんらかの理由で煙たがられてる訳ではないのですね?」
「安心してください。内容的には簡単な仕事です。契約が済んだらすぐに片を付けてあげますよ」
「簡単な仕事にずいぶんな覚悟を要求するんですね」
「簡単かどうかは関係ないからです。人を殺すってのはどういったものであれ重いものなんですよ。たとえ事故だとしてもその重さはかわらない。この世の中、そのことを理解してない人が多すぎるみたいですけどね」
「ほんと、その通りですね」
ドアを開けて目の前にある階段を降りていく。長い階段だ。三階から曲がらずに一階へと続いている。会話はなかった。かなり思いつめているようで空気が重い。一階の通りに面したドアを開けながら、僕はやんわりと女性に声を掛けた。
「あの、無理しないで下さいね。復讐なんてそんないいもんじゃないですし、亡くなられた親御さんだって、そんなことは望んでないと思いますよ」
女性が無理をするのはわかっていた。その結果が良いものでないというも。云うべき台詞じゃないのに、僕は口にせずにいられなかった。甘い、と散々ジョクに叱られてるがいまだ治らない。
「ありがと。でも、わたしは両親が大好きだったから、その言葉に従おうと思うの。幼い時からよく云われたわ。どんな時も、自分の心に正直でいなさいって」
女性は最後に笑顔を見せてくれた。うちに来て初めての笑顔。迷いのない、とても綺麗な。
やはり、云うべきではなかった。僕は後悔を悟られないよう気をつけながら、最後の仕事をした。
「またのご来店をお待ちしてます」
「彼女、また来ますよ」
夕食の席で僕はそう切り出した。ちなみに夕食は僕が作った。生牡蠣の良いのが入ったんで、それをメインにさっぱり味のものを揃えた。見た目もよく、我ながらたいしたものだと思う。この歳でここまで出来る者はそうはいないだろう。料理はここに来て、二番目に覚えた特技だ。
「いいことじゃないか。商売繁盛、めでたいことだ」
食べる手を止めずにジョク。
「商売繁盛を目指すのなら料金を下げてください。これじゃあ、そのうち客が来なくなります。それに彼女だって」
「彼女は来るんだろ?」
「だから問題なんです。あの歳であんな大金用意するとなったら、どれだけ無茶しなきゃならないかわかるでしょ?」
「無茶、大いに結構。彼女の望みが無茶なんだからな」
料理を平らげ、飲み物に手を伸ばす。
「その無茶を叶える為にこの仕事をしてるのでしょ。だったら」
グラスを置く強い音が僕の台詞を遮った。
「だったら、なんだというんだ」
声が冷たい。ジョクが本気になったということだ。だからといって、引くつもりはない。
「ハヤタ、ここに来て何年だ?」
「五年です」
「幾つになった?」
「いい加減覚えてください。十二歳です」
「お前もいい加減理解しろ。俺がしているのは人助けじゃないんだ。もちろん、善行でもない。良いか悪いかといえば完全に悪い。必要悪ですらないんだ。殺しを生業にしているような奴はな、この世界に不必要な存在なんだよ。もしも神様がいて、人口が多いから減らすと云い出したら、真っ先に消されてしかるべしな存在なんだ。そう思いながら俺は殺し屋を続けている。だから、悪に徹する。情けも優しさも持ち合わせない。それは標的に対しても、依頼人に対しても同じだ。お前も俺に弟子入りして、殺し屋を目指すというのなら、早く覚悟を決めろ」
「覚悟は出来ている。殺せといわれたら何人だって殺してみせる。でも、覚悟は僕達だけが持てばいい。依頼人に覚悟を要求する必要はないはずだ。彼女は絶対にまた来る。大金を持って。そのとき彼女はどうなっていると思います? 五体が無事ならまだいい。そうでない可能性はかなり高い。五体が無事だとしても短期間で大金を稼ぐのだとしたら、そのとき彼女は幸せでいるのですか? 復讐を終えた後、一体彼女になにが残るんですか?」
思いの丈は熱を帯びた大声量となって放たれた。ジョクは思いの外、やさしくそれを受け止めてくれた。
「なにも残らない。復讐とはそういうものだ」
「なら!」
「だがな、ハヤタ。残らなくていいのだよ。人を殺すということは、なにもない虚無への入り口を開けるにひとしい。殺された側が全てを失くすように、殺す側もまた失くすのだ。それを依頼した者も同様だ」
表情に変化があったわけではない。声の調子もさっきと同じだ。でも、だからこそ、僕に悲しみを与えた。どうにもできない、抗うことの出来ない真理を垣間見たような気がしたから。
「じゃあ、彼女はどうすればいいんですか?」
「好きにすればいいのさ。俺が全て承知の上で殺し屋家業をしているように、お前がそれでも俺の弟子となることを望んだように、彼女も自分でしたいと思ったことをすればいいのさ」
ジョクは言葉を切って席を立った。
「さ、早く食事を済ませて後片付けをしろ。この後もやることが残ってるだろ」
云われるままに食事を済ませ、後片付けをしながら僕は思った。きっとジョクの云うことは全て正しく、納得しきれていないのは僕が未熟だからだ。それでも望まずにはいられない。いつかきっと、誰かを幸せにしたい。ジョク同様、僕も殺し屋になるだろう。悪の権化というような職業だが、それでも、いつかきっと。
二日後、聞き覚えのある足音が階段を上がってきた。ノックの音も同じだった。ドアを開けると想像通り、この間の女性、シンシアが立っていた。
「今日はずいぶんといい顔をしてますね。この前とは大違いだ」
ジョクが優しげな笑顔で迎える。確かに別人のようだった。この間は緊張や恐れ、気負いといったもの感じられたが、今日は自然体でいる気がする。
「ええ。全て片付いたので、すっきりした気分なんです」
どうやら僕の取り越し苦労だったようだ。彼女に不幸の影や、苦労した後など欠片も見えない。どうやら復讐は諦めたらしい。
「さぁ、どうぞ、かけて下さい。この間の続きですよね」
「そうです」
シンシアが腰をおろす。続きといってもたいした話ではないだろう。見ると大きな鞄を持っている。街を出る前に挨拶に来た、という感じだ。律儀な人というのは好感が持てる。いつもと比べ丁寧にお茶をいれ、シンシアの前に置いた。
「お金の用意が出来ました。この間の依頼、受けて下さい」
鞄をひざの上に乗せ、中を見せるように傾ける。確かに、鞄いっぱいのお金があった。
この二日で稼いだのか? ありえない。いくらなんでもそれは無理だろ。もし可能だとして、何故シンシアはこんなにも普通でいられるのだ。というか、復讐を諦めて街を出るんじゃなかったのか。
驚きのあまり眼が丸くなる。かなり動揺している。でも、それは僕だけらしい。ジョクはいたって普通な、あらかじめ全てを知っていたかのような態度だ。
「ご苦労様です。この短期間でこんなにだと、かなり大変だったでしょう」
「いえ、大変なのはこれからです。これは前借りしたお金ですから」
こんな大金を前借り? それは、大変じゃ済まなそうだ。
「わたし知りませんでした。わたしの未来って案外いいお金になるんですね。いや、わりと少ないと云った方がいいのかしら?」
「未来に値段を付けるのだとしたら、それがいくらでも少ないと思いますよ。でも、あなたはいま必要な額だけを稼ぐことが出来た。それは幸運なことだし、そう考えれば価値のある未来ですよ」
「ですね」
嬉しそうな、満足げな笑顔。僕にとってはわからないことだらけだ。
「あの、一体どういうことなんですか?」
おもわず口を挟んでしまう。ジョクの一番嫌う行為だ。でも、何故か今回はなにも云わなかった。
「わたし、奴隷契約を交わしてきたんです」
シンシアはさらりと答えてくれた。
え? 奴隷?
「最初の五年間はただ働き。その後の二十五年間、低賃金で働くのを条件にこれだけのお金を頂いてきたんです」
奴隷として、三十年も……。
確かに奴隷制度というものはある。別に国や地方自治体が公然と認めているというわけではないが、確かに存在して、西方大陸のほとんどでは受け入れられている。見たことも接したこともある。でも、シンシアが望んで奴隷になるなんて。
「そんな顔しないで下さい。別に悪いことをしているわけではないし、これで依頼も受けてもらえるわけですから」
よほど酷い顔だったのだろう。シンシアが困ったように云う。だが、僕の顔なんてどうでもいいのだ。
「いいんですか、それで。そこまでして両親の仇って」
「いいのです、これで。両親の仇とはそこまでして討つものなのです。少なくとも、わたしにとっては」
ああ、やはり彼女もなのか。確かに彼女のような人はいる。後先のことを考えずに、この一瞬に全てをかけるような。みんな後悔のない笑顔を浮かべ、これでいいのだ、と全てを肯定する。
「それに、自分の意思で進むべき道を選べない、という人はこの世界にたくさんいると思います。その中で、わたしは思い通りの道を選ぶことが出来ました。このさき死ぬほど辛いめにあったとしても、それはわたしが望んだことなのです。どうして悔やむことがあるでしょう」
揺るがない意思。一点の曇りもなく、純粋で、美しい。
僕の出る幕はもうない。最初からなかったのかも。それを思い知らせるために、ジョクはあえて僕に口出しさせたのかもしれない。僕はジョクの後ろで控えているべきだったのだ。それが僕の仕事だし、それ以外に出来ることなどありはしないのだから。
「ところで、提示した額より少し多いみたいですけど」
「あなたは覚悟が見たいと、そう云ったので、わたしの覚悟の量だけお持ちしました」
「わかりました。確かにあなたの覚悟、受け取りました」
契約が済んだ。これでいいのだ。これしかないのだ。これが、この場で行われる事の正しい姿なのだ。
「その前に、この間は云い損ねたのですが、クリストファーはゲイルという用心棒を雇っています。わたしに云わせれば、用心棒というよりはただの殺人狂ですが、かなり腕が立つと聞いています」
「いいですよ。そいつも殺してあげます」
「ありがとうございます。たぶん実際に両親に手を下したのは、ゲイルだと思うのです」
「でしょうね。ご安心を、二人とも確実に殺してみせますよ」
「ええ、安心してます」
にこりと微笑んで席を立つ。それを見て、僕はすばやく動いた。先回りしてドアを開く。
「最後に、ひとつ質問しても」
シンシアは立ったままでジョクに問いかける。
「構いませんよ」
「ジョクさんは人殺しをなにより憎んでいるみたいですけど、それなら何故このような仕事をしてるのですか?」
重い口調ではなかった。夕食のメニューを訊ねるみたいな感じ。答える方も気安かった。
「俺が初めて人を殺したのは五歳の時でした。もちろん理由あってのことですが、それで許されるとは思いませんでした。死んで詫びることも、あらゆる形で罪を償い続けるということも考えましたが、どれも違うと思いました。どんな形であれ、俺は許されるべきではないのです。そう思ったので、それより修羅となって生きる道を選びました。どんな理由があっても人は人を殺すべきではない。それが理想ですが、そう上手くいかないのが世の中です。だから、俺が人に代わって人を殺す。誰かが手を汚さなければならないのなら、すでに汚れている者が代わりにやるべきだ」
「その代わりというのが、自分だと」
「五歳で親殺しを経験するような人間こそが相応しいとは思いませんか?」
ジョクは自分の過去を普通に話す。自分の中ですでにケリがついているからだろう。あるいは、これが覚悟の違いなのかもしれない。
「人殺しは、あるいはそれを依頼するような者は、幸せになるべきではないのですか?」
「少なくとも、俺は幸せになるべきではない。俺の依頼人は……、どうですか、いま幸せですか?」
「幸せです」
春の日の午前の光を思わせる、暖かで優しい、そんな声と笑顔であった。
「良かった。いや、良くないのだが、それでも少し救われます」
ジョクがたまに見せる。ほんとに極稀に見せる、満ち足りた表情。
シンシアはそれを見て満足したのか、一礼して部屋を後にした。
「奉公に出るのはいつからです?」
下まで降りたところでジョクの声がシンシアの背にあたる。
「明朝からです」
「では、それまでに終らせますよ」
シンシアは再び頭を下げて、外へ出た。
ドアを閉めて、心を入れ替える。
さぁ、殺しの時間の始まりだ。
後編に続く
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます