だいすき

基本的に自分の好きなものについて綴っていきます。嫌いなものやどうでもいいこと、さらに小説なんかもたまに書きます。

彼女の歩方

2008年07月10日 00時34分55秒 | オリジナル小説
 男爵の称号を名前につけた関西弁を喋る男の人が、テレビで変な歩き方をしていたのは何年前のことだろう。
 あの頃はへんなの、なんて笑っていた結城ひなただが、いまは少し歩き方に興味を持っていた。もちろん、あんな変な歩き方ではない。
 ファッションモデルのそれとも違う不思議な、けれどとても美しい歩き方だった。
 ひなたは気付いた瞬間に虜になり、以来なんとか真似しようと試みていた。
 まず最初には背筋を伸ばす。
 見た瞬間の印象は凛としているだった。
 凛としているといえば、背筋が伸びている。
 なんで? なんて訊かれても答えられなかったが、ひなたのイメージはそうであった。
 だが、実際背筋を伸ばしてみてもなにか違う。
 鏡の前に立ってみてもその立ち姿は似ても似つかなかったし、歩く姿はなおさら違うようであった。
 次に試してみたのは手の振り方だった。そして足の上げ方。
 手は指の先までびしっと伸ばし、極力振らないようにした。足は膝を曲げすぎず、地面からも離さないように努力した。
 途端に歩き方がぎこちなくなり、よくつまずくようになったし、スピードも遅くなった。
 それでもいつかは、なんて根気よく続けようとしたが、友達に気味悪がられ、遅刻の回数も増えたので、すぐに諦めてしまった。
 人間不思議なもので、届かないとわかると余計欲しくなってしまう。
 ひなたは勇気を出して話し掛けてみることにした。
 彼女が焦がれる存在は身近にいたのだ。
 同じ高校の隣のクラスの女の子。
 歳が一緒。通う高校も一緒なのだからきっと生活環境もそう違いはないはず。なのにその存在はなにもかもが全て違っていた。
 同級生の中でもひときわ高い身長。同性から見て惚れ惚れしてしまうほど艶のある、腰まで伸びた黒髪。男女の別なくときめかせてしまう美貌。
 おまけに学力も学年トップクラスなのだから、ひなたが話しかけるのを躊躇ってしまうのも無理はない。
 それでも、ひなたは頑張った。いまだ異性に告白などしたことはなかったが、きっと告白するのもこれと同じぐらいドキドキするんだろうな、なんて思いながら意を決して廊下で話しかけた。
「ね、ねぇ、志藤さん」
 声の震えが少し恥ずかしかったが、振り返り自分を見下ろす彼女の視線を受け、ひなたはそんな些細なことが吹き飛ぶぐらいに緊張した。
「なに?」
 志藤紫は初対面の相手であるにもかかわらず、気さくな口調でひなたに応えた。
「あの、質問なんだけど」
 声の震えは治まらなかった。紫はそんなひなたの緊張をほぐそうとしたのか、あるいはそれが地なのだろうか、
「なにかしら? 恋人なら、まだいないけど」
 なんて冗談を返してきた。
 ひなたは顔を真っ赤にしてパニックに陥りそうになったけど、ころころと愉快そうに笑う紫を見て、逆に落ち着きを取り戻した。
「そうじゃなくて。志藤さんって、なにか不思議な歩きかたしているでしょ? それってどうやっているのかなって思って」
 ひなたの言葉に、紫はやや目を大きくした。どうやら、意外な質問であったらしい。
「これは別に不思議でもなんでもないけど、興味ある?」
 紫は覗き込むようにして聞いてきた。
「へへっ、ちょっと」
 ひなたは少し恥ずかしくなって笑った。
「これはね、武道の歩き方なの」
「武道?」
 漢字が思い浮かぶのに、少し時間がかかった。思い浮かべてみても、あまりに馴染みがなさ過ぎてピンと来なかった。
「そう。ここだけの話だけど、あたしの家、道場をやっているのよ。それで昔から慣わされていてね。いまはもうやらないようにしているんだけど、知らないうちに身についてしまったものが出ていたみたい。おかしいかしら?」
 ひなたは大きく首を振った。
「ううん、そんなことないわ。すごく素敵よ」
「ありがと。そういってもらえると救われるわ。でも、恥ずかしいから、これは内緒にしてよ」
 紫はそう云って、歩き去ってしまった。その姿は相変わらず凛として美しい。
 しばしうっとりとそれを見送ったひなただったが、ふと我に返って気がついた。
「内緒の話って、だったらこんな簡単に話さないでよ」
 ひとりごちてから、急に笑みがこみ上げてきた。
 武道? 武道ってあの武道? そんなのまでやっているんだ。どんだけの才女なのよ。いや、この場合は才女って云わないのかしら。なんであれ、私とは全然違うんだ。
 だが、その差が妙に気持ちよかった。痛快であった。
 背が高く、容姿端麗で頭脳明晰。おまけに武道までたしなんでいる。それでいて、気さくで変な冗談も云う。
 志藤紫。なかなかいい女じゃない。
 次の授業の開始を告げるチャイムが鳴っている。
 他の生徒に混じって教室に戻りながら、ひなたはひとり笑っていた。
 その後もひなたは事あるごとに思い出しては、歩き方の工夫をしたが、結局は身につかなかった。
 だが、いい女になろうとする彼女の努力はやがて実を結ぶこととなる。
 その話は、また別の機会に。


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