法然上人に弟子入りした鎮西の聖光坊が、地元へ帰ろうとして法然上人に暇乞いに行った際の逸話。
「両三年ののち、あるときかご負かきおいて聖光坊、聖人の御前へまゐりて、「本国恋慕のこころざしあるによりて鎮西下向つかまつるべし、いとまたまはるべし」と申す。すなはち御前をまかりたちて出門す。聖人のたまはく、「あたら修学者が髻をきらでゆくはとよ」と。その御声はるかに耳に入りけるにや、たちかへりて申していはく、「聖光は出家得度してとしひさし、しかるに髻をきらぬよし仰せをかうぶる、もつとも不審。この仰せ、耳にとまるによりてみちをゆくにあたはず。ことの次第うけたまはりわきまへんがためにかへりまゐれり」と云々。
そのとき聖人のたまはく、「法師には三つの髻あり、いはゆる勝他・利養・名聞これなり。この三箇年のあひだ源空がのぶるところの法文をしるし集めて随身す。本国にくだりて人をしへたげんとす、これ勝他にあらずや。それにつけてよき学生といはれんとおもふ、これ名聞をねがふところなり。これによりて檀越をのぞむこと、詮ずるところ利養のためなり。この三つの髻を剃りすてずは、法師といひがたし。よつて、さ申しつるなり」と云々。
そのとき聖光房、改悔の色をあらはして、負の底よりをさむるところの抄物どもをとり出でて、みなやきすてて、またいとまを申して出でぬ。」
(口伝鈔第九段。寺子屋ネット/浄土真宗本願寺派蓮浄寺経典・聖教データ中http://www.terakoya.com/seiten/seiten.cgi?c0869より)
柔和な人柄として知られる法然上人だが、別にその信仰までが柔なものであったわけではない(仏教は人の人柄の都合で変えられるようなものでない)。信仰にかける眼差しは深く鋭い。
信仰者である限り、法然上人のこの言葉にまともに答えることは不可能である。衆生が宗教(それ以外についても当てはまるけど)に関わる限り、勝他・利養・名聞を願わないことなどないのだから。
法然上人の仰っていることがどれだけ普通とかけ離れたことかを見るには、(多かれ少なかれ)社会の現実とされている「生存競争」「競争社会」等の観念と並べてみると良い。こちらにおいては、他に勝ち、利養を得、名声を獲得するのが生の目的であり良き生である。
仏道には自尊心(勝他・利養・名聞)は不要である、と法然上人は言われる。
親鸞聖人も同旨のことを正像末和讃で詠われる。
(以下引用はいずれも、寺子屋ネット/浄土真宗本願寺派蓮浄寺経典・聖教データ中http://www.terakoya.com/seiten/seiten.cgi?c0600より)
「僧ぞ法師のその御名は
たふときこととききしかど
提婆五邪の法ににて
いやしきものになづけたり」
僧と言い仏教と言って尊い素振りをするが、実際のところは五逆の提婆達多(仏を押しのけ、自分が最高指導者になろうとした)と何ら変ることがない。仏法を尊んでいるつもりで、事実は自らを尊び自他に加害して仏法を損なっているのである。
「外道・梵士・尼乾志に
こころはかはらぬものとして
如来の法衣をつねにきて
一切鬼神をあがむめり」
「かなしきかなやこのごろの
和国の道俗みなともに
仏教の威儀をもととして
天地の鬼神を尊敬す」
外観は仏教徒であるが、実際に尊崇しているのは道から外れた心である。
仏法の名を借りて、煩悩のままに自分の好きなことを語り、他を非難して、自分自身や我(=鬼神)を尊んでいる。
(外道とは他人のことではない。自分の普段の姿がそのまま外道なのだ)
自尊心で生きてどうするというのか、という法然上人の問いかけに、親鸞聖人はこう応えられている。
「是非しらず邪正もわかぬ
このみなり
小慈小悲もなけれども
名利に人師をこのむなり」
仰るとおりです、返す言葉もありません、ということだろうか。
しかし、衆生には、本当の意味で自尊心を投げ捨てることも、自尊心を持っていることを悔いることさえもできない。
「悪性さらにやめがたし
こころは蛇蝎のごとくなり
修善も雑毒なるゆゑに
虚仮の行とぞなづけたる」
反省や懺悔の行すら虚仮の行いである。
だから、
「蛇蝎奸詐のこころにて
自力修善はかなふまじ
如来の回向をたのまでは
無慚無愧にてはてぞせん」
衆生が真に自らを羞じ、懺悔することができるのは、他力の回向によってのみである。
念仏以外に真実の懺悔はない。真実の心はない。
念仏以外に生を羞じそこから抜け出させる道はない。
「両三年ののち、あるときかご負かきおいて聖光坊、聖人の御前へまゐりて、「本国恋慕のこころざしあるによりて鎮西下向つかまつるべし、いとまたまはるべし」と申す。すなはち御前をまかりたちて出門す。聖人のたまはく、「あたら修学者が髻をきらでゆくはとよ」と。その御声はるかに耳に入りけるにや、たちかへりて申していはく、「聖光は出家得度してとしひさし、しかるに髻をきらぬよし仰せをかうぶる、もつとも不審。この仰せ、耳にとまるによりてみちをゆくにあたはず。ことの次第うけたまはりわきまへんがためにかへりまゐれり」と云々。
そのとき聖人のたまはく、「法師には三つの髻あり、いはゆる勝他・利養・名聞これなり。この三箇年のあひだ源空がのぶるところの法文をしるし集めて随身す。本国にくだりて人をしへたげんとす、これ勝他にあらずや。それにつけてよき学生といはれんとおもふ、これ名聞をねがふところなり。これによりて檀越をのぞむこと、詮ずるところ利養のためなり。この三つの髻を剃りすてずは、法師といひがたし。よつて、さ申しつるなり」と云々。
そのとき聖光房、改悔の色をあらはして、負の底よりをさむるところの抄物どもをとり出でて、みなやきすてて、またいとまを申して出でぬ。」
(口伝鈔第九段。寺子屋ネット/浄土真宗本願寺派蓮浄寺経典・聖教データ中http://www.terakoya.com/seiten/seiten.cgi?c0869より)
柔和な人柄として知られる法然上人だが、別にその信仰までが柔なものであったわけではない(仏教は人の人柄の都合で変えられるようなものでない)。信仰にかける眼差しは深く鋭い。
信仰者である限り、法然上人のこの言葉にまともに答えることは不可能である。衆生が宗教(それ以外についても当てはまるけど)に関わる限り、勝他・利養・名聞を願わないことなどないのだから。
法然上人の仰っていることがどれだけ普通とかけ離れたことかを見るには、(多かれ少なかれ)社会の現実とされている「生存競争」「競争社会」等の観念と並べてみると良い。こちらにおいては、他に勝ち、利養を得、名声を獲得するのが生の目的であり良き生である。
仏道には自尊心(勝他・利養・名聞)は不要である、と法然上人は言われる。
親鸞聖人も同旨のことを正像末和讃で詠われる。
(以下引用はいずれも、寺子屋ネット/浄土真宗本願寺派蓮浄寺経典・聖教データ中http://www.terakoya.com/seiten/seiten.cgi?c0600より)
「僧ぞ法師のその御名は
たふときこととききしかど
提婆五邪の法ににて
いやしきものになづけたり」
僧と言い仏教と言って尊い素振りをするが、実際のところは五逆の提婆達多(仏を押しのけ、自分が最高指導者になろうとした)と何ら変ることがない。仏法を尊んでいるつもりで、事実は自らを尊び自他に加害して仏法を損なっているのである。
「外道・梵士・尼乾志に
こころはかはらぬものとして
如来の法衣をつねにきて
一切鬼神をあがむめり」
「かなしきかなやこのごろの
和国の道俗みなともに
仏教の威儀をもととして
天地の鬼神を尊敬す」
外観は仏教徒であるが、実際に尊崇しているのは道から外れた心である。
仏法の名を借りて、煩悩のままに自分の好きなことを語り、他を非難して、自分自身や我(=鬼神)を尊んでいる。
(外道とは他人のことではない。自分の普段の姿がそのまま外道なのだ)
自尊心で生きてどうするというのか、という法然上人の問いかけに、親鸞聖人はこう応えられている。
「是非しらず邪正もわかぬ
このみなり
小慈小悲もなけれども
名利に人師をこのむなり」
仰るとおりです、返す言葉もありません、ということだろうか。
しかし、衆生には、本当の意味で自尊心を投げ捨てることも、自尊心を持っていることを悔いることさえもできない。
「悪性さらにやめがたし
こころは蛇蝎のごとくなり
修善も雑毒なるゆゑに
虚仮の行とぞなづけたる」
反省や懺悔の行すら虚仮の行いである。
だから、
「蛇蝎奸詐のこころにて
自力修善はかなふまじ
如来の回向をたのまでは
無慚無愧にてはてぞせん」
衆生が真に自らを羞じ、懺悔することができるのは、他力の回向によってのみである。
念仏以外に真実の懺悔はない。真実の心はない。
念仏以外に生を羞じそこから抜け出させる道はない。