無門関 第二十六則 二僧巻簾
清涼の大法眼、因みに僧齋前に上參す。眼、手を以て簾を指す。時に二僧有り、同じく去って簾を巻く。眼曰く、「一得一失。」
無門曰く、「且く道え、是れ誰か得、誰か失。若し者裏に向って一隻眼を著け得ば、便ち清涼國師敗闕の處を知らん。是の如くなりと然雖も、切に忌む得失裏に向って商量することを。」
頌に曰く、
巻起すれば明明として太空に徹す、太空すら猶お未だ吾宗に合わず。
爭でか似かん空より都べて放下して、綿綿密密、風を通ぜざらんには。
(以上テキストhttp://www.shomonji.or.jp/soroku/soroku.htmは松門寺HPから)
仏法とは「一得一失」であるという。
何を得、何を失うのだろうか?何も得るものがなく、何も失うものがなくても、「一得一失」である。
「一得一失」は、いついかなる時も疑い得ない真実である。
因果に囚われている現象的事実を指すものではない。因果を断つ法の言葉として、不変の真実である。
仏陀とは単に覚った人ではない。真理により衆生を覚らせる力を行使される方である。(仏にそのような神力がないとすれば、それは大乗の仏ではない。)
覚りとは知識でも気付きでも知覚の変化でもない。因果を断ち、生死の輪廻を離れさせる仏の力である。
仏陀として法眼禅師は、無明に迷う衆生のために真理の法を口にされた。
「一得一失」
あらゆる衆生はこの仏語を拠りどころとすべきである。
仏の言葉を真実と頂くとき、衆生はもはや迷いの輪廻から遠く連れ出されている。
清涼の大法眼、因みに僧齋前に上參す。眼、手を以て簾を指す。時に二僧有り、同じく去って簾を巻く。眼曰く、「一得一失。」
無門曰く、「且く道え、是れ誰か得、誰か失。若し者裏に向って一隻眼を著け得ば、便ち清涼國師敗闕の處を知らん。是の如くなりと然雖も、切に忌む得失裏に向って商量することを。」
頌に曰く、
巻起すれば明明として太空に徹す、太空すら猶お未だ吾宗に合わず。
爭でか似かん空より都べて放下して、綿綿密密、風を通ぜざらんには。
(以上テキストhttp://www.shomonji.or.jp/soroku/soroku.htmは松門寺HPから)
仏法とは「一得一失」であるという。
何を得、何を失うのだろうか?何も得るものがなく、何も失うものがなくても、「一得一失」である。
「一得一失」は、いついかなる時も疑い得ない真実である。
因果に囚われている現象的事実を指すものではない。因果を断つ法の言葉として、不変の真実である。
仏陀とは単に覚った人ではない。真理により衆生を覚らせる力を行使される方である。(仏にそのような神力がないとすれば、それは大乗の仏ではない。)
覚りとは知識でも気付きでも知覚の変化でもない。因果を断ち、生死の輪廻を離れさせる仏の力である。
仏陀として法眼禅師は、無明に迷う衆生のために真理の法を口にされた。
「一得一失」
あらゆる衆生はこの仏語を拠りどころとすべきである。
仏の言葉を真実と頂くとき、衆生はもはや迷いの輪廻から遠く連れ出されている。