歴程日誌 (Process Diary)

Philosophy of Absolute Nothingness and Process Theology

第11回目の国際ホワイトヘッド会議ーポルトガル・アゾレス島にて

2017-07-24 | 日誌

7月25日よりポルトガルのアゾレス島で第11回目の国際ホワイトヘッド学会が開催されます。基調講演を依頼されたので、少し早めに出発し、リスボン経由でアゾレス島に着いたところです。会場の下見に行ったところ、会議の主催者であるマリア・テレサ・テイクセラ先生より、彼女の翻訳したホワイトヘッドのProcess and Reality のポルトガル語訳をいただきましたので、アップします。今回の国際会議のテーマはNature in Process です。私は基調講演の他に初日のプレナリー・セッシオンのパネリストも依頼されましたが、このパネルの主題は ローマ教皇フランシスが一昨年に出した回勅 「ラウダート・シーともに暮らす家を大切に」における統合的エコロジーの問題です。エコロジーの様々な次元、単に生態学的なレベルだけでなく、人間、社会そして宗教のすべての次元を統合し、「他者のために他者とともに生きること」の意味を問うわけですから、私としては上智大学で宮本久雄神父とともに行ってきた共生学の理念が漸くローマ教皇の回勅でも取り上げられたという感慨を持っています。そして、ホワイトヘッドのProcess and Reality のコスモロジーは西田幾多郎と田辺元に由来する京都学派の哲学とともにアゾレス島での国際会議においても重要な意味を持つものとして再評価されるでしょう。

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西田幾多郎とゲーテ: 「汎神論者よりも大なるもの」の自覚

2017-06-24 | 日誌
「ゲーテが<エペソ人のディアナは大なるかな>といえる詩の中にいった様に、人間の脳中における抽象的の神に騒ぐよりは、専心ディアナの銀龕(ぎんがん)を作りつつパウロの教を顧みなかったという銀工の方が、ある意味においてかえって真の神に接して居たともいえる。」(西田幾多郎『善の研究』、岩波文庫新版253頁)
 西田は四高のドイツ語と倫理学の教師をしていたころ、ゲーテの詩劇「ファウスト」を輪読し、「自然のなかに神を、神の中に自然を見る」ゲーテの詩の世界に傾倒していた。
「吾人は基教の所謂有神論者にあらずして無神論者なり、無神論者にあらずして汎神論者なり、汎神論者にあらずして汎神論者よりも大なるもの也」とは、若き日の鈴木大拙が書いた『新宗教論』の根本思想のひとつであるが、
西田の『善の研究』の宗教論の一つの課題は、この「汎神論者よりも大なるもの」の立場を究明する事にあったと言って良い。
その場合、ゲーテの詩劇と叙情詩が、藝術の創作(ポイエーシス)に於て西田の課題を表現するものとして、関心を惹いたのであろう。1905年2月1日の西田の日記には、「鈴木大拙からオープン・コート社の雑誌が送られてきた」という記述がある。この雑誌に編者のポール・ケーラスによる論説「ゲーテの多神教とキリスト教」が掲載されており、ケーラス自身によるゲーテの当該の詩の英訳(Great is Diana of the Ephesians) とドイツ語のゲーテ著作集にあるH.Knackfuss のイラストが掲載されている(その挿絵をここに転載ー日本の仏師にも通ずる印象深い畫である)。
 ゲーテの詩に触発された西田は「一幅の画、一曲の譜において、その一筆一声いずれもいずれも直に全体の精神を現さざるものはなく、また画家や音楽家おいてに一つの感興である者が直に溢れて千変万化の山水となり、紆余曲折の楽音ともなるのである。斯くの如き状態に於ては神は即ち世界、世界は即ち神である」と書く。
 不注意な読者にはスピノザ的な汎神論と響くであろうが、私の理解するところでは、そこには既に「汎神論者よりも大いなるもの」の立場がいかなるものであるかが予感されている。「芸術家の創造作用は、それが行であると共に知である。筆の先、鑿の先に眼があると云うべきであろう。我々はこの立場に於て、知識によって達することの出来ない世界を歩みつつあるのである」という藝術論(『藝術と道徳』(全集3-468))が、純粋経験を根本実在とし、そこから真善美の統一を求めた西田の創造作用論から帰結するのである。
 この時期の創造作用論は、「無の場所の自覚」を創造作用とした中期西田の「絶対無の自覺的限定の神学」、そして最晩年の「場所的論理と宗教的世界観」へと展開していく。それは、「汎神論者よりも大いなるもの」の宗教的自覚の展開であった。
 西田は「神は即ち世界」「世界は即ち神」と書いた。この「即」は、決して否定を含まぬ即自的な一体性を表現しているのではない。「即」は「即非」によって成りたつ。「神は即ち世界であり、世界は即ち神である」の倒置反復語法(キアスムス)に深い意味がある。
 絶対否定の峻厳さを忘れぬ「即」の意味こそが、「西田幾多郎と鈴木大拙と共に考えるもの」の課題であり、それは大乗仏教の枠組みを超えた普遍性、キリスト教にも通ずる普遍性を持たねばなるまい。鈴木大拙の「即非」、西田の「矛盾的自己同一」の場所的論理の試みは、「汎神論」と「超越神論」「一神教」と「多神教」の抽象的な対立、「我々の頭の中で捏造された宗教の教義上の対立」を越えた活きた宗教的世界のロゴスとなりうるのである。
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若き日の西田幾多郎ー「我尊会有翼文稿」から

2017-05-31 | 日誌

大日本帝国憲法公布の日(明治22年2月11日)に撮影された7人の第四高等学校学生たちの記念写真がある。後列右から二人目が西田幾多郎(当時19歳)、前列右端の山本(旧姓:金田)良吉は「頂天立地自由人」と書かれた旗幟をもっている。後列左端福島淳吉のもつ旗幟には「Destroy, destroy」とある。彼等は、明治憲法に対して、また当時の自由民権運動に対してどのような考えをもっていたのか。当時の西田の思想をうかがい知ることのできる貴重な資料がいくつか残されている。

「頂天立地自由人」の旗幟をもっている山本良吉はこの写真を撮影した後にまもなく、明治憲法発布当時の薩長政府による学制改革に反発して退学している。明治22年5月に、退学した金田良吉を含むサークル「我尊会」が、西田、藤岡、松本らによって設立された。評論・漢詩・小説などを会員が和紙に毛筆で書き、それを回覧して批評し合った文書である。この「我尊会」に「有翼」というペンネームで投稿した西田幾多郎の文章が「我尊会有翼文稿」として西田幾多郎全集に収録されている。

「有翼」とは若き日の西田幾多郎のペンネームの一つ。天馬空をゆく自由人としての境涯を荘周にならってユーモラスに自称したものであろう。「有翼」という雅号の由来を尋ねた客人に答えるという趣向で西田が書いた「答賓戯」という文がある。当時の西田は、「有翼の天馬」よりも「鈍牛」のごとき存在と友人から評されていたが、おそらく畏友山本良吉の影響を受けて、「有翼」に、自由奔放にして如何なる権威をも恐れない自己の理想的なありかたを託したものと思われる。

西田は明治22年7月、行状点が100点萬点中8点という成績のため落第が決まるが、「我尊会有翼文稿」には、「行軍あれば則去り、体操あれば則去り・・」という言葉がある。薩長政府による中央集権的な学制改革で新たに導入された兵式体操や行軍という軍隊式の教練に西田は参加しなかったのである。落第が決まった後、恩師北条時敬に諭されたこともあって、留年して第一学年をやりなおすが、結局、山本良吉の後を追うような形で明治23年春に四高を中退している。「我尊会有翼文稿」には、西田の書いた最初期の文章が幾つか収められている。幾つか紹介しよう。
「余が最愛スル諸君ヨ」―西田は冒頭に「旧約全書第一葉」を引用して、人が万物の霊長たる所以は、「人が道理(Reason)の動物」たるところにあると述べる。次に西儒「麻鴻礼(Thomas Macaulay1800-1859 大英帝国の歴史家、詩人、政治家で「イングランド史」の著者)」のボルテールと「彌兒頓(Milton )」の評言を引き、腕力や武力よりも「道理の力」の大なることを説いたもの。西田は、この文の中で、ときの薩長政府による国家主義的な学制改革による教育方針を反啓蒙的な武断主義として嘲笑している。
「Jean 「Jauques Rousseau」―仏蘭西革命を引き起こした「悪人」としてルーソーを糾弾することの愚かなることを英仏の歴史家の書を西田が引用したもの。野蛮なる遺風たる「天子神権」を「道理の力」によって克服した人類の恩人であり「真箇ノ英雄である」としてルーソーを讃える文である。文末に「世間で世間に従って生きることは易しい。孤独の中で自己の孤独に従って生きることも易しい。しかし偉大なる人間は大衆の只中にあって孤独なる独立精神を完璧な優美さをもって保持する」というエマーソンの言葉を西田は英語でそのまま引用している。西田は後年次のように回想している。(「山本晁水君の思い出」1942)。

第四高等中学となってから、校風が一変した。つまり地方の家族的な学校から天下の学校となったのである。当時の文部大臣は森有礼という薩摩人であって、金沢に薩摩隼人の教育を注入するというので、初代校長として鹿児島の県会議長をしていた柏田(盛文)という人をよこした。その校長について来た幹事とか舎監とかいうのは、皆薩摩人であって警察官などをしていた人々であった。師弟の間に親しみのあった暖かな学校から、忽ち規則づくめな武断的な学校に変じた。

山本良吉とともに西田の生涯の友となった鈴木大拙(貞太郎)は、明治憲法発布の日に撮影した写真には姿がないが、このとき大拙は経済的な困窮が原因ですでに退学していた。西田は、その大拙のために「與鈴木兄」と題し漢詩を二首詠んでいる。

挽風微動清涼催 名月懸空似玉珠 哲学妙玄人無識 清宵月下夢韓図  (韓図=カント)
除去功名営利心 独尋閑處解塵襟 窓前好読道家册 月明清風払俗塵

第一首で「カントを夢見る」人物は西田自身であるのかも知れない。ただし、高等学校の学生時代の西田が、カントの思想について西田がどの程度の理解と評価をもっていたかは分からない。第二の「功名や営利の心を除去」して月光のさす窓辺で「道家の書物」を読むのは、西田よりも鈴木大拙のイメージによくあっている。

明治23年9月、西田は自分に先立って高校を中退した金田良吉、病気で留年した藤岡作太郎らとともに「我尊会」の精神を受け継ぐサークル「不成文会」を結成した。西田の関心は数学から哲学に向かい、政治的な自由主義思想から内面的な精神の自由を目指す哲学的探求へと転換した。中退後独学の時代に、眼病にかかり読書をしばらく禁止されるという試練に遭った西田は、当時の心境を次の漢詩に託している。

    高節自許波斗曼 功業独冀大俚爾 両眼雖病志益固 久枕哲書待他日
                            *俚爾(ヘーゲル) *波斗曼(ハルトマン) 

注釈:

波斗曼(エドワルド・フォン・ハルトマン1842-1906)はヘーゲルとショーペンハウアーの思想を統合した「無意識の哲学」によって独自の美学思想を展開したドイツの哲学者である。ショーペンハウアーの著作が再評価された世紀末のヨーロッパでは、彼の著作は英仏語に翻訳され、ドイツ以外の国でも国際的かつ学際的に著名であった。日本でもその名は早くから知られ、明治22年刊行の三宅雄二郎の「哲学涓滴」には、「ショーペンハウアー氏すでに意志をもってヘーゲルの知恵に代えし上は、両々あい反対し合い抵拝せざるを得ざる勿論にして、これを総合してさらに豊富の意見を立つるは、すなわちハルトマンの任なるが如し」とある。西田が入学した頃の東京大学の哲学科教授であった井上哲次郎も、欧州留学中にハルトマンと親交を結び、それが機縁となって、後に、ハルトマンが推薦したラファエル・フォン・ケーベル(1848-1923)を東京大学哲学科に外国人教師として招聘した。ケーベルは、ハイデルベルグ大学でショーペンハウアーにかんする学位論文を書き、その後継者としてのハルトマンの哲学史に於ける重要性を、シュベーグラーの「哲学史」の増補校訂者となったときに強調している。ケーベルは、東大哲学科に明治26年に着任すると、ショーペンハウアーの晩年のエッセイ「パレルガ・ウント・パラリポメナ」を講義で使用し、西田もそれを聴講している。

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ホワイトヘッドの教育論

2017-03-01 | 日誌

ホワイトヘッドの教育論

―古典教育と科学教育を統合する教養教育のために―田中 裕

1 ホワイトヘッド自身が受けた古典教育の「公共性」 

 1861年に生まれたホワイトヘッドは「自伝的覚書」[1] のなかで、南部イングランド・ドーセットシャー州のシャーボン校で自分が受けた古典語学習と一体化した教養教育について語っている。10歳でラテン語を12歳でギリシャ語を学び始めたホワイトヘッドは、19歳6ヶ月に至るまで、休日以外毎日、ギリシャ・ラテンの古典的著作について数頁ずつ解釈しつつ文法を学んだおかげで、登校前には何頁ものラテン語文法規則をすべてラテン語で暗唱、引用文で例証することができるようになったという。後にケンブリッジで数学を専攻したホワイトヘッドは、数学の学習を間に挟みつつ、ヘロドトス、クセノポン、ツキディデスなどの歴史書を含む古典の学習によって、ペリクレス時代のアテネの民主制を大英帝国の民主主義と重ね合わせつつ、「近代生活を古代文明と無意識のうちに比較させる古典の授業」が如何に楽しいものであったかを回想している。さらに、このような古典教育は人文教育だけではなく宗教教育も包含していた。ベネディクト修道会の教育機関として西暦741年に創立されたという伝承を持つシャーボン校は、古典語による教養教育のなかに、キリスト教的な宗教教育を統合していた。毎週日曜午後と月曜日朝の聖書の授業では、英訳聖書(欽定訳聖書)ではなく、新約聖書はギリシャ語原文、旧約聖書はアレクサンドリアのユダヤ人達がキリスト教成立以前にヘブライ語からギリシャ語に翻訳し、新約聖書のギリシャ語にも多大の影響を与えた「七〇人訳聖書(Septuaginta)」が読まれた。「学校で誰かが聖書を英語で読んでいるなどと聞いたこともなかった」と言うホワイトヘッドは、「ギリシャ語で宗教を学ぶものにおのずから備わる中庸の美徳(Golden Mean)」を重視し、「プラトンの薫陶を受けていたアレクサンドリアのユダヤ人たちが、五月のドーセットシャー州の修道院の建物(シャーボン校の校舎でもあった)と私の心の中で溶け合っている」と当時を回想している。

ギリシャ語聖書による宗教教育と古典重視の人文教育を少年時代に受けたということは、東方教会の霊性に由来するキリスト教的プラトン主義の伝統とホワイトヘッドの晩年の宗教哲学との関係を考える上で重要である。ホワイトヘッドの祖父はイギリスの国教会の牧師であったが、この教会は、ローマ・カトリック教会と同じく「カトリック(普遍の教会)」を名乗る「聖公会」であり、キリスト教教会の持つ古き「伝統」と「公共性」を大切にしていた。聖公会の聖職者達は、「教会と国家によって神に奉仕する」ことをモットーとしていたが、彼等は、ラテン語を公共語とする西方教会の伝統だけではなく、ギリシャ語を公共語とする東方教会(ギリシャ正教)の霊性的伝統もまた重視したのである。

ホワイトヘッドの晩年の宗教哲学は、『過程と実在』の最終章「神と世界」で展開されているが、そこで彼が使用しているキーワードは「神化(テオーシス)」である。[2] この語は対象化しえぬ神の活動(エネルゲイア)と、恩寵に基づく人間の自由な「協働(シュネルギア)を重視する東方教会の霊性的伝統に由来するものである。有限なる世界と無限なる神との活きた相互関係にもとづく「万有の神化」を主題とするホワイトヘッドの形而上学は、東方教会の「受肉の形而上学」を独自な形で20世紀において刷新し展開したものだということができるだろう。

 ところで英国の中高等教育をになう代表的な学校は「公共学校(public school)」と呼ばれるが、これは日本でいうならば「公立学校」ではなく「私立学校」である。国家や行政の支配から独立した「私立」学校が、なぜ英国では「公共学校」と呼ばれるかは、学校教育の公共性にかんするひとつの大切な視点を与えているように思う。それは単に私的利益を求めない公共機関ではあることを示すという税法上の理由だけではなく、「普遍のキリスト教」の宗教的な教育理念が根底にあると考えるべきではなかろうか。

キリスト教の信仰告白の起源に他ならない初代キリスト教徒の「使徒のしるし」は、一人称単数形で「私は信じる credo」という形で宣言する。「普遍の教会」に所属するものは、「一個人の立場」で「公に」信仰を宣言するのであって、「我々は信じる」という複数形で特殊な宗派団体への帰属関係を宣言するのではない。言い換えれば、最も普遍的な公共性は、一人称単数の「私」の告白を原点としており、その立場からすれば、個人を越えるように見える組織や政府のもつ公共性よりも更に普遍的な公共性の理念の表明という性格をもっている。このような「個の人格」を重視する立場は、個人の人権の尊重や信仰の自由を支える「公共性」を重視する立場であり、公共性の名を借りて私的利益を追求する特殊な集団的イデオロギーを批判することを可能ならしめる「個に具体化した普遍」の立場であろう。このように何処までも自由なる個の単独者性に立脚しつつ、他者との連帯を求め、常に異質なもの対立するものの統合を自己と公共世界に於て求める立場こそ、ホワイトヘッドの宗教哲学と文明論および教育論の根底にあるものであるが、その淵源のひとつは、彼が受けた「公共学校」での教養教育にあったと言って良いであろう。 

2 ケンブリッジ大学の「使徒団」とプラトン的対話による自己啓発 

1880年にホワイトヘッドは19歳でケンブリッジ大学のトリニティカレッジに入学するが、そこでは「純粋数学と応用数学以外の教室に足を踏み入れたことはない」と述べている。彼は、ケンブリッジ大学では専門教育の科目のみを受講したわけであるが、実は講義は教育の一面に過ぎず、午後6時か7時頃夕食と共に始まり、十時頃まで続く友人達とので、知的会話が、その専門教育を補うものとしてあった。この知的会話を行った友人達は専門科目の一致によって作られたのではなく、古典語による教養教育を受けてきた仲間達と共に政治、宗教、哲学、文学の全ての領域が論じたという。ここでの知的刺激を受けて、ホワイトヘッドは1885年に数学専攻の特別研究員(フェロウ)になるまえにカントの純粋理性批判の一部を殆ど暗唱するまでになっていた。それは、「プラトンの対話の日常版」という様相を呈していた当時のケンブリッジ式の教養教育の特徴であった。そして、1820年代後半に詩人テニスンが友人達と共に始めた「学会(ザ・ソサイアティ)」―外部からは「使徒団(アポスルズ)」と呼ばれていた―の例会は、学生のみならず、卒業生―とくにケンブリッジに週末を過ごしに来た判事、科学者、国会議員―も含めて、毎土曜日午後10時から翌朝まで、プラトンの方法を踏襲する自由な哲学的討論の場があった。後にホワイトヘッドの勧めで1892年に「使徒団」に加えられたバートランド・ラッセルによれば、

「この集会で議論するに当たっては、何のタブーも設けないこと、何の制限もおかないこと、どんなことを言ってもショッキングなこととは考えないこと、いかなる推測も理論も絶対に自由であって何等の妨げもないこと」[3]

が根本方針であった。「使徒団」という通称は、創始者達が12人であったということに由来するが、そこでは特定のイデオロギーを宣伝することが目指されていたのではない。「使徒のしるし」はいかなるドグマも究極のものと見做さない「知的誠実」ということであり、「画一性の福音」も「力の福音」も斥けられた。[4] すなわち、自己の思想と根本的に対立する異論にも謙虚に耳を傾け、自己が公理として暗黙の下に前提していたことを認めないものを積極的に対話の相手とすることによって理性的な討議を続行するという意味での「プラトン的な弁証法・対話術(ディアレクティケー)」の実践が重んじられたのである。清教徒的な息苦しい家庭の雰囲気の下で育てられたラッセルは、後に彼の自伝の中で、この「使徒団」の一員となったことが彼の精神を如何に自由にしてくれたかを感激を以て語っている。

プラトン哲学の神髄は、イデア説や二世界説のような所謂プラトン主義のドグマにあるのではなく、我々自身が「公理」と考えてきたものを、異質な思想を持つ他者の前で常に批判的な吟味に晒し、そのような「公理」のもつ独断的性格を乗り越えて、自己と他者の対立するドグマをさらに越えていく「普遍性」をめざす探求にほかならないからである。プラトン対話編の自由な精神の働きを直観するものにとっては、アリストテレスのイデア説批判であれ、ニーチェの反ソクラテス主義であれ、プラトン主義に対する有名な反論ないし異論は、すでにプラトン自身によって、「対話編」の中で先取りされていること、そのような徹底した自己吟味の精神こそがプラトンの弁証法(対話術)の精神であることに気づくであろう。このことは、「西洋哲学の伝統をプラトンの対話編の脚注」として要約したホワイトヘッドのプラトン理解の根本的特徴であったが、そのルーツをたどっていくならば、ケンブリッジ大学の「使徒団」での自由討論の習慣がそれを涵養したといえるだろう。

ホワイトヘッド自身の受けた古典的教養教育は、現代の我々から見れば嘗ての大英帝国の民主制が「大衆支配」の衆愚政治に陥らないように、その制度を実質的に支えてきた知的エリートのものであって、宗教の世俗化、学問の専門化、大学の大衆化がすすみ、科学技術の進歩による国力の増大を至上命令とする近代国家には適合しないのではないかという見方もあるであろう。

1869年に『教養と無秩序』を書いたマシュー・アーノルドは、オックスフォード大学の詩学教授を務めた詩人でもあったが、彼のいう「教養」の背景にあるものは、ホワイトヘッドが受けた古典教育と通底するものがあったと言って良かろう。アーノルドは、ヘブライズムの道徳的宗教性とギリシャ哲学の知的誠実性を統合する「完全性の追求」をもって「教養」の定義し、「この世を我々が見いだしたものよりも、よりよく、より幸福にしてゆこうとする崇高な理想」のもとに「理性と神の意志を世におこなわしめる」こと、すなわち旧約聖書の道徳的エネルギーをプラトン的理想主義に結合することを力説したからである。[5]

しかしながら、1888年になくなったアーノルドの「教養主義」の理念とおなじようなものを繰り返すことだけがホワイトヘッドの教育論の特質ではない。文学と芸術の価値を力説する点では、ホワイトヘッドもアーノルドと同じであるが、ホワイトヘッドは同時にケンブリッジ大学とロンドン大学では応用数学と理論物理学を研究する科学者でもあった。「科学と近代世界」の関係を主題としたことは、アーノルドとは異なるホワイトヘッドの文明論と教育論の特質である。それは、あくまでも伝統的な教養教育の意義を保持しつつも、科学技術の発達が文明の行方を左右するようになった近代において生じる複雑な課題に対応するものでもあった。そのような教育論はとくにケンブリッジ大学を退職して彼が務めたロンドン大学時代の教育論の特質でもあった。 

3 ロンドン大学時代のホワイトヘッドの教育論―教育の目的と自己啓発の三段階 

1880年からホワイトヘッドは、最初は特待生として、次は特別研究員兼主任講師としてケンブリッジ大学に在籍し、弟子のバートランド・ラッセルとともに数理哲学の歴史に於ける記念碑的な大著「數學原理」第一巻を1910年に出版したが、その直後、彼はケンブリッジ大学を退職してロンドン大学に移った。1911年から1914年夏にかけてユニバーシティ・カレッジで、1914年から1924年夏までインペリアル理工カレッジの教授を務めたが、この時期に彼はロンドン大学理学部長、ロンドンの教育行政を司る学術評議会議長、市会議員、ゴールドスミス・カレッジ評議会長、大ロンドン自治区ポリテクニーク評議員など大学及び理工学校を含むロンドンの教育行政に深く関わるようになった。近代社会が直面する教育上の様々な問題について、ホワイトヘッドは次のように回想している。

14年にわたりロンドンの抱えている諸問題を経験したことは、近代産業社会における高等教育の問題にかんする私の考え方を変えた。大学の機能については狭い見解をとることが当時の風潮であったーまだ消えてはいないが。オクスフォード=ケンブリッジ型」とドイツ型とがあり、他のあらゆるタイプは無知から来る蔑視の対象となった。知的啓蒙をもとめる職工大衆、適切な知識を求めるあらゆる社会層の青年達、彼等のもたらす各種の問題―これらはみな、文明社会に於ける新たな要因であった。しかし、学問の世界は過去に浸りきっていた。ロンドン大学は、近代生活のこのあらたな問題に対処するための相異なる各種の施設の連合体である。(中略)実業家、弁護士、医師、科学者、文学者、学部長達―このあらたな教育問題に専任ないし兼任の男女のグループが、焦眉の急だった改革を達成しつつあった。こうした企画は彼等のものだけではなかった。アメリカでも、異なる状況の下で同様なグループが同様な諸問題を解決していた。教育のこのあらたな適応は文明を救済する要因の一つであると言っても言い過ぎではない。[6]

ロンドン大学時代のホワイトヘッドの教育論は、さまざまな機会に彼が行った講演が主体であるが、ここでは、まず、1916年にホワイトヘッドがイギリス数学者協会会長に就任したときの記念講演「教育の目的」を取り上げよう。この講演で、ホワイトヘッドは教養(culture)を、「思惟の能動性(Activity of thought)であり、美と人情に対する受容性(receptiveness to beauty and humane feeling)」と定義する。様々なテーマについて広く浅い断片的知識をもつ単なる「物知り」は、彼が定義する「教養」とは無縁である。自己啓発(self-development)の能力としての教養は、専門知識を哲学のように深め、芸術のように高めるものであるとのべる。

ホワイトヘッドのロンドン大学時代の教育論でもう一つ特筆すべきものは、1922年、ロンドン師範学校協会でおこなった「教育のリズム」と題した講演であろう。[7]音楽論はアウグスチヌスやプラトンにまで遡るヨーロッパの伝統的な教養教育の要諦であったが、ホワイトヘッドはその伝統を換骨奪胎して、近代の産業科時代の教養教育に適応させようとして居る点が注目される。

ホワイトヘッドはまずヘーゲルの正反合の三組みにもとづく知的成長の三段階に言及した後で、「教育理論にヘーゲルの考えを応用した場合、かかる名称は内容を伝えるのに適切なものとは思えぬ」と批判した上で、彼自身の知的成長の三段階説を提唱している。それは、「ロマンスの段階」「精密化の段階」「普遍化の段階」である。

第一段階の「ロマンスの段階」とは、「生の事実から出発して、いまだとらえられていない個々の関係がいかなるものかについての認識へと移行する過程で生じる」ロマンチックな感動である。第二段階の「精密化の段階」とは、言語や文法を習得し、認識相互の関係を正確に秩序立てることによって知識の範囲を広げ、諸事実の分析方法を教え込むことによって分析に適した多くの新事実を与える段階である。そしてホワイトヘッドが強調するのは、現場の教育でもっとも避けなければならないのは、第一段階抜きで第二段階から始めることである。その理由は、たとえ漠然としたものであっても、幅広い全体的な理解がなされていなかったならば、事象を分析したところで、抽象的で他との関連もない空虚な事実を無意味に叙述しただけで終わってしまうからである。そして最後の「普遍化の段階」とは、秩序立てられた概念や適切な処理がなされた専門的知識をもってするロマンチシズムへの復帰であり、前の二つの段階を統合するものである。ホワイトヘッドは、このようなリズム重視の教育論を、「自由と規律とのリズミックな要求」という論文の中でも更に詳しく展開しているが、主知主義的なヘーゲルの三段階の理性的なものの弁証法と違う点は、美的感性の涵養と情操教育が理性の発達に先行すべきだと言う論点である。それは大学に於てなされる教育活動のなかで、惰性的で応用力のない細分化された知識が無目的に学生に注入されていく結果、学生の創造性が低下し、思考が麻痺していく有様への警鐘でもあった。 

4 ハーバード大学時代のホワイトヘッドの哲学における「宇宙の直観と感情」 

ホワイトヘッドは1924年63歳の時にハーバード大学から哲学科教授として招聘され、以後1936年名誉教授になるまでアメリカで活動したが、この時期は、『科学と近代世界』、『宗教とその形成』、『過程と実在』『観念の冒険』といった彼の哲学上の主著が書かれた時代である。ケンブリッジ大学の時代が論理学と数学の哲学、ロンドン大学の時代が自然哲学であるのに対して、ハーバード大学の時代は形而上学と文明論をテーマとしていると言って良いであろう。この時代は、『科学と近代世界』の最終章をのぞけば主題的に教育を語った論文は少ないとはいえ、我々の宇宙と社会にかんする普遍的な理論を展開したかれの後期哲学は、教育の問題にもロンドン時代におとらず多大の示唆を与えるものである。

西洋の哲学史をプラトンの対話編の脚注にすぎないと喝破したホワイトヘッドは、同時に自己の提示する「有機体の哲学」が20世紀のプラトニズムの復興であるという自覚を持っていた。ドイツ理想主義が仏蘭西革命以後の時代の近代ヨーロッパに於けるプラトン主義の復興という側面をもっていたことと類比的に言えば、ホワイトヘッドの場合は、第一次世界大戦というヨーロッパの文明の危機と試練の経験を踏まえた上で、文明の未来のために、あらためてプラトンの哲学の精神を復興させようとしたものであるといってよかろう。

ホワイトヘッドの後期哲学がイギリスの経験論だけではなくシェリングやヘーゲルに代表されるドイツ理想主義との関わりが深いということは従来たびたび指摘されてきた[8]が、ホワイトヘッドに先立つこと約100年前、ドイツ理想主義の全盛期、ベルリン大学の創設時に、国家や教育行政から独立した大学の学問の自由を力説し、ヘーゲルと対立しつつヘーゲルは異なる意味での「弁証法」―プラトン的な開かれた対話の精神―と、「解釈学」の始祖でもあったシュライエルマッハーの思想と対比することが、ホワイトヘッドの後期哲学と、それが教育の問題に対して有する意味をよりよく理解ならしめるであろう。[9]

ホワイトヘッドの後期形而上学とその宗教論を理解する鍵のひとつは、「宇宙(universe)」と「世界」との間の厳格な区別である。キリスト教の神学者は「世界」と「神」の区別と関係を強調し、有神論と汎神論の選択肢を立てた上で「有神論」の優位を主張するものであるが、ホワイトヘッドは『宗教とその形成』でキリスト教のみならず仏教にも世界宗教としての普遍性を認めていた関係上、『観念の冒険』の文明論および宗教論では、「現実世界」と区別されつつも、「現実世界」と不可分の関係にある「宇宙」のほうを「神」にかわるキーワードとして使っているのである。[10]

「宇宙」という語のこのようなホワイトヘッド的用法は、シュライエルマッハーの『宗教論』にその先駆的な形をもっていることに注意したい。「宗教を軽蔑する教養人への講話」として書かれたシュライエルマッハーの『宗教論は』、啓蒙主義とロマン主義の洗礼を受けた教養人との対話のために、キリスト教的教義学の用語を使わず、また倫理道徳や政治からは独立の領域に宗教を確保するために、有限な個が無限なる宇宙を直観し感受するところに宗教の本質を見たが、このような「宇宙の直観と感情」こそは、ホワイトヘッドの形而上学の原点でもあった。ホワイトヘッドにとって、哲学とは一言で要約するならば「無限なる宇宙を有限なる言葉で表現しようとする試み」であり、そのような有限なる人間の理性的な営みにふさわしい作業は「対話において開かれた諸々のシステム(Open Systems in Dialogue」の統合にほかならないのである。[11]

「直観」という語は、シュライエルマッハーの場合は、おそらくシェリングの知的直観と同一視されることを恐れたためであろうか、『宗教論』の第二版以後では使用を差し控えるようになったし、「感情」もまた、哲学的な範疇としてではなく、「絶対依存の感情」として説かれるようなったこと、そのために彼の宗教論は、反理性主義という批判を浴びるようになったことは良く知られており、この点はホワイトヘッドとは違うところであろう。ホワイトヘッドの場合は、このような反理性主義の立場をとるものではなく、むしろ反理性主義の立場を否定せずに、それとの対話によって刷新された新たなる理性主義という性格を持つものである。したがって、彼の形而上学では、「宇宙の直観と感情」は、根本的な哲学的範疇となっている。たとえば宇宙の「直観envisagement」は『科学と近代世界』においては、現実の与件を越えて新しきものを創造していく創造性(基底的な活動力)を可能ならしめる「見る」働きとして、無限なるプラトン的形相の領域の三重の「直観」として表現されている。[12]

ホワイトヘッドの場合は、宇宙に於ける「感情feeling」もまた、諸々の活動的な個と、それぞれの個の内に多様なパースペクティブのもとに対象化された現実世界とを可能ならしめる「無限なる宇宙」の活きた関係性をあらわす根源語である。それは、ヘーゲルがシュライエルマッハーを揶揄したときに意味したような単に主観的かつ心情的な概念などではなく、主客の対立以前にあって主観と客観の双方を成立せしめる活動であり、自己と世界を結ぶ宇宙を貫く根源的にして具體的な関係性である。[13] 

5 日本の教養教育の今後とホワイトヘッド―岡潔の思想との対比を通して 

私はこの論文の第3節で、ロンドン時代のホワイトヘッドが理工系の大学で数学の専門教育を行う教員を対象とした講演会で、「美と人情に対する受容性」の涵養を重視したことに言及した。科学教育の基礎にある数学と美的感性と情意との間に存する密接な関係を指摘している点で、数学を情緒とは無縁の論理にのみ立脚する学問と見做す一般的通念とは全く異なったユニークな見解とも思われよう。しかし、これは決してホワイトヘッドだけの特殊な数学論ないし教養論なのではない。

日本の代表的な数学者の一人であり、多変数解析関数論の独創的な世界的業績によって文化勲章を受章した岡潔の数学論と教養論はホワイトヘッドの思想に深く通底するものがある。岡潔にとって、数学教育は情操教育と切り離すことが出来ず、情緒の涵養こそが、「ないものからあるものを作る」数学者の創造活動の根本であった。岡潔は、数学者リーマンの全集とともに道元禅師の「正法眼蔵」を座右の書として常に参照しており、また浄土教の明治時代の刷新者の一人であった山崎弁栄上人の念仏三昧の実践者でもあった。彼は、大乗仏教の唯識教学にも造詣が深く、学問的知識が人間に謙虚さを忘却させ自我への執着によって無意識のうちに抑圧と差別の構造を産み出すこと、そしてそのような「妄知」としての「分別知」を乗り越えることのできる「眞智」としての「無差別智」を重視していた。彼は、さらに座右の書として芭蕉の七部集と蕉風俳論をあげており、自分でも連句の実作を行っていたが、このような文学的教養が、小林秀雄との対話「人間の建設」や、蕉風俳諧についての山本健吉との文学的対談を可能ならしめたものであった。[14]

岡潔は晩年、様々な場所で日本の教育システムにかんする提言をしているが、そのひとつは、日本人の心を伝統的に形成してきた古典の教育によって情緒を涵養することが大切にすることがあげられている。ホワイトヘッドが人格形成をおこなった英国のパブリックスクールの教養教育の基礎はギリシャ語とラテン語であったが、それに対応するものは日本の場合は、漢文と古文による古典教育であろう。グローバリゼーションという掛け声のもとで、近代語の一つに過ぎない英語の学習に没頭する以前に、日本人の精神文化を形成した伝統を伝えるということが教育の一つの大切な務めである。ホワイトヘッドは英語ではなくギリシャ語で聖書を読んだが、それは漢文で仏典を読んできた我々日本人の父祖達の伝統と対応するであろう。仏教は日本だけではなく東アジアの精神文化の規定を為すものであり、イデオロギーを越えた普遍宗教としての大乗仏教の伝統に基づく教養教育は、科学的な専門知や形式的な倫理学だけでは与えることの出来ない宇宙論と社会論の深き教養の基盤を与えるであろう。

ホワイトヘッドの哲学は、ヨーロッパの人権や自由にかんする理念の根底にある宇宙論と社会論が何であったかを教えるものであった。「自由・平等・博愛」といった民主政治の根本理念を、単に外来思想の受売りないし押しつけと考えるのでは、排外的な国粋主義に顛落するであろう。それらを真に日本の伝統的な精神文化に受肉するためには、その背後にある「普遍のキリスト教」の精神的伝統から学ぶことが必要である。「自由(自在ないし無礙)」も「平等」も元来は大乗仏教に由来する宇宙的な広がりを持った概念であったことをおもえば、私は、キリスト教と仏教という二つの世界宗教を視野においたホワイトヘッドの哲学こそは、岡潔の力説したような「日本人の心」にさらなる宇宙的普遍性を与えると考えるものである。 



[1] Alfred North Whitehead, “Autobiographical Notes” in Science and Philosophy, A Philosophical Paperback, New York , 1948, pp.9-21

[2] Alfred North Whitehead, Process and Reality, Corrected Edition, Ed.by David Griffin and Donald Scherburne, The Free Press, 1978, pp.342-351

[3] Bertrand Russell, Autobiography 1872-1914, George Allen and Unwin LTD, 1967, pp.68-69

[4] 人間の魂による思想の冒険を欠いたGospel of Uniformity も、他者の自由を尊重する説得ではなく暴力に訴えるGospel of Force も共にホワイトヘッドは文明の衰退をもたらすものと考えていた。A.N.Whitehead, Science and the Modern World, The macmilllan Company 1925, The Free Press, 1953, Chap.XIII pp.193-208参照

[5] マシュー・アーノルド、多田英二訳、「教養と無秩序」、岩波文庫、2015, 58頁参照

[6] Alfred North Whitehead, “Autobiographical Notes” (前掲書) pp.18-19

[7] Alfred North Whitehead, The Aims of Education, The Free Ppress, 1925, pp.15-28

[8] Whitehead und deutsche Idealismus, herausgegeben von R.Lucas, Jr. Antoon Braeckman, Peter Lang, Berlin・Frankfurt am Mein・New York・Paris, 1990

[9] シュライエルマッハーの思想史的意義については、山脇直司、「シュライエルマッハーの哲学思想学問体系」、廣松渉監修 講座「ドイツ観念論」弘文堂、第四巻「自然と自由の深淵」(1910)所収 (218-258頁)参照。また、シュライエルマッハーの解釈学や弁証法とホワイトヘッド哲学との関係については、Schleiermacher and Whitehead-Open Systems in Dialogue, Edited by Christine Helmer, Walter de Gruyer-・Berlin・NewYork, 2004 参照

[10] ホワイトヘッド自身の形而上学の用語を使って表現するならば、「現実世界(actual world)」とは一個の活動的生起(an actual occasion)において対象化された「既成の」現実的諸存在(actual entities)の「全体」をさすのであって、当該のその活動的生起に相対的に定まる有限なる結合体(nexus)である。このような閉じた有限な存在である「現実世界」に対して、「宇宙」とは、現在生成しつつある一個の活動的生起と現実世界との活きた相互関係がそこにおいて成りたつ「無限への開け」を示す言葉である。そしてこの「無限への開け」は第一義的には直観され感じられるものなのであって、我々の意識や悟性によって対象化されるものではないということがポイントである。

[11] 2003年にクレアモントで開催された「システムと生命―シュライエルマッハーとホワイトヘッド」という学術会議において、プロセス神学者のジョン・カブはシュライエルマッハーの『宗教論』を、多元主義の時代における宗教間対話(それは宗教を否定するものとの対話をも含む)」の可能性を示した先駆者として位置づけている。Schleiermacher and Whitehead-Open Systems in Dialogue, Edited by Christine Helmer, Walter de Gruyer-・Berlin・Newyork, 2004 pp.315-333参照。

[12] 三重の直観とは(1)永遠的客体の直観(2)もろもろの永遠的客体の総合という点から見た価値のもろもろの可能性の直観(3)未来を待ってはじめて成就される境位全体に加わらなければならない現実的事実の直観である。(SMW 105)ホワイトヘッドの言う直観(envisagement)は、フッサールの本質直観や範疇的直観と同じように、我々の経験が単なる感性的直観の所与を越えていくことを可能ならしめるものである。

[13]感情(feeling)とは、既存の他者と他者の世界をすべて肯定的に抱握(prehend)することによって新たなる主体としての自己を形成するはたらきである。実体的な自己が先ず存在して、それが他者を「感じる」というのではなく、諸々の「感情」が、感じる主体を目指すのである。ホワイトヘッドの宇宙的感情は、彼がカントの三批判書のなかで第三批判をもっとも重視し、「純粋理性批判」ではなく、「純粋感情批判(the critique of pure feeling)」こそが、第一批判(科学批判)と第二批判(道徳批判)の根底になければならぬと言ったことに対応している。

 

[14] 情緒の涵養を重視する岡潔の数学論・教育論・宗教論については、高瀬正仁、『岡潔とその時代』―評伝岡潔 ⅠおよびⅡ(医学評論社)2013が詳しい。

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日本ホワイトヘッド・プロセス学会 第38回全国大会

2016-10-05 | 日誌
日本ホワイトヘッド・プロセス学会 第38回全国大会
日 程 : 2016年10月8日(土)~9日(日)
会 場 : 立正大学 品川キャンパス
http://www.ris.ac.jp/access/shinagawa/
10月8日(土) <公開シンポジウム>
「科学と宗教」 
会場:11号館6階・1161教室
時間:14時~18時00分
       提題者
Steve Odin(ハワイ大学):「Science and Religion: Nishitani and Whitehead」
石田正人(ハワイ大学) :「有機体と因果性―日本仏教哲学からの問い」
村田康常(名古屋柳城短期大学):「ホワイトヘッドの科学哲学と宗教哲学」
板橋勇仁(立正大学):「科学の方法と宗教 ―パースと西田」
      司会
田中裕(上智大学)
 (JSPS科研費16K02141の助成を受けています。)
 
<懇親会> 会場:6号館1階 学生食堂スエヒロ
時間:18時30分~20時30分
 
10月9日(日) 研究発表(発表35分、質疑応答15分)
会場:
発表グループ1(11号館6階1161教室)
10:00~10:50  
有村 直輝 :「美学の基礎となる論理学 
――1930年代以降の諸論文を手がかりとした一考察――」
司会・コメンテーター:中村 昇
10:50~11:40  
平田 一郎 :「エナクティヴィズムとホワイトヘッドの知覚論」
司会・コメンテーター:中村 昇     
14:00~14:50  
吉田 幸司 :「クワインとホワイトヘッド ―哲学の方法を巡って―」
司会・コメンテーター:荒川 善廣
 
発表グループ2(11号館6階1162教室)
10:00~10:50  
堀越 耀介 :「J.デューイの政治思想における「成長」の概念」
司会・コメンテーター:乘立 雄輝
10:50~11:40  
大厩 諒 :「多元的な純粋経験の宇宙における人間の不滅性」
司会・コメンテーター:乘立 雄輝
14:00~14:50
佐藤 陽祐 :「『象徴作用』再考  
――ホワイトヘッドの象徴理論についての理解と問題点を探る――」
司会・コメンテーター:守永 直幹
14:50~15:40
濱崎 要子 :「ホワイトヘッドの「美的直観」と夏目金之助の美意識
―「feeling」を題材にして―」
司会・コメンテーター:守永 直幹
 
発表グループ3(11号館6階1163教室)
10:00~10:50
清水 祐輔 :「ホワイトヘッド哲学における〈生成の途中〉という問題」
司会・コメンテーター:村田 康常
10:50~11:40
中村 友 :
司会・コメンテーター:村田 康常
14:00~14:50
飯盛 元章:「抱握と魅惑 ―ホワイトヘッドの「有機体の哲学」と
ハーマンの「オブジェクト指向哲学」―」
司会・コメンテーター:本郷 均
14:50~15:40
遠藤 弘 :「ホワイトヘッドとハイデガー ――FeelingとSeyn――」
司会・コメンテーター:本郷 均
 
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Whitehead's conception of Buddhism as a methaphysic generating a religion

2016-09-15 | Essays in English

Whitehead characterizes Christianity as a religion seeking a metaphysic in contrast to Buddhism which is a mataphysic as seeking a religion (RM 40, 1927). What is the source of the system of the Buddhist metaphysic which Whitehead mentions?

   As the primitive Buddhism which we know from Pali texts  rejects metaphysics as a fruitless and empty speculation, we must specify the source of Whitehea's conception of Buddhism as "the most colossal example in history of applied metaphysics"(RM39).
One of the probable source is Th. Stcherbatsky's The Central Conception of Buddhism (1922)  which introduced a Buddhist ontology of Sarvastivadins (the school which discusses all things, temporal or eternal, as beings).  This book contains  English translations of Vasbandhu's Abidharma-kosa as an appendix,  which treats the problematic of time concerning the reality of past, present and future. Sarvastivadins accepted the reality of time including past and future as well as preset, and tried to lay the foundation of the dependent-arising (pratityasamtpada) in terms of temporal atomism.
  The metapysical system of Sarvastivadins was criticized by Nagarjuna,  who did not consider the ground of beings as an eternal being, but "emptiness(sunyata)" equated with "depending-arising". He identified nirvana(which was thougt by Salvastivadins as an  absolute eternity) with samsara (relative temporality).
    Nagarjuna was traditionally thought as one of the founders of Pure-land Buddhism in Japan. Pure-land Buddhism has been  characterised by many scholars as a Buddhism most akin to protestant Christianity because of its conception of "Shin(faith as a gift of Amidha-Buddha)" and of sinners and evil ones as the very object of Amida's Vows of universal salvation.
  So I think Whitehead's conception of "Buddhism as a metaphysic generationg a religion" may find a justification  if we reflect the historical development of Budhism from Nagarjuna to Pure-Land Buddhism.
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絶対無の創造性と矛盾的自己同一

2016-09-02 | 日誌

 

絶対無の創造性と矛盾的自己同一 

田中裕

はじめに

 西田幾多郎の最晩年の思索の焦点は、鈴木大拙が(般若)即非の論理とよび西田自身が(絶対無の場所の)矛盾的自己同一と呼んだ論理から、歴史と人を語るということであった。そこで云う「歴史」は、当時の哲学思想の領域での中心的なテーマでもあった。一方に於て、辯證法的唯物論という無神論の立場があり、他方に於て辯證法的神学という有神論の立場があった。どちらも「辯證法」という名前を冠してはいるが、西田は両者を真に徹底した辯證法とはみなさず、それに代わるべき辯證法を、場所的辯證法として構想し、その論理によって時間性と歴史性を解明することを目指していたのである。

絶筆となった「私の論理について」によれば、場所的辯證法は「歴史的行為的自己の立場からの思惟の形」、すなわち「歴史的形成作用の論理」を明らかにする論理であると同時に、「自然科学の根本問題及び道徳宗教の根本的問題」も、その論理から考えられるべきものであった。

本稿は、東西宗教交流学会の発表と討議のための資料として作成した。如上の如き西田哲学の根本問題を語ることが東西宗教交流という本学会の目的にどこまで資することができるだろうか。東洋と西洋といってもそれは地理的区分と必ずしも対応しているわけではない。私が念頭に置いているのは、たとえば井筒俊彦が『意識と本質』の副題に附けた「精神的東洋」の意味であり、久松真一が『東洋的無』で表詮した「無」の類比的象徴表現にしめされた東アジアの大乗仏教の伝統である。しかし、私が最終的に目指しているのは、単に「東洋思想の共時的構造化」に留まるものではなく、「精神的な西洋」と真に対話することによって、「東洋」思想の限界をも突破することである。つまり、東西の区別が保存されつつも揚棄される如き真の意味での「カトリック的なるもの(普遍)」を志向することが私の目指す目標である。

たとえば、井筒氏が『意識の形而上学』として注釈された大乗起信論の著者は、大乗の「大」を小乗に対する大乗という如き「相対的大」の意味で使わず、体相用における「絶対的大(三大)」という意味で使っている。そこで云われる「一心即衆生心」なる「心」の形而上学に、洋の東西の区別など本来あってはならぬ者であろう。

井筒氏に倣って「精神的東洋を索める」という場合、私はその一つの試みとして、キリスト教の伝統の中に内在している「精神的東洋」の探求を今回行ってみたい。それと同時に、私は、東洋の霊性的伝統のなかに内在する「精神的西洋」の探求も同様に価値あることと信じる者である。

具體的に云えば、西田の云う「自覚」「無」「矛盾的自己同一」などの根源語によって表現される哲学は、たしかに「精神的東洋の共時的構造化」に資するものであることはまちがいないが、それはキリスト教と決して無縁のものではないという事である。 キリスト教の長き霊性の伝統に中にあって、「西の内なる東」ともいうべき精神性の実例を、西田が最も評価した西欧思想家達、就中、キリスト教的プラトン主義の系譜に属する思想家達、それもとくにこの論文では、ヨハンネス・エリューゲナに焦点を絞って論じてみたい。

そして、このように「西のなかの東」にある霊性的伝統を解明することは、同時に西田哲学が内在化し血肉化した「精神的西洋」の貴重な遺産の何であるかをも明らかにするであろう。それは、たとえば「實在の根柢は人格的である」という個的人格のもつ根源性、相互人格的なる交わりを重視する人格主義、そして、文明開化の明治時代に生まれた若き日の西田の「頂天立地自由人」の旗幟に要約された「自主独立の精神」、「数理の学」への強い関心、国家や団体への帰属意識よりも個人のもつ「創造性」の重視、これらは言うなれば西田哲学に於ける「東のなかの西」ともいうべきエレメントである。

私の発表のタイトルにある「絶対無」については、従来は臨済禅の系譜に属する『無門関』の「趙州無字の公案」と関係づけられ、有無の相対的区別を絶する絶対無というアイデアを西田がそこから得たというごとき解説が多かったように思う。それに異議を唱えるわけではないが 私は、この西田の云う「絶対無」の哲学的起源の一つを、東方キリスト教の霊性的伝統を西方キリスト教にもたらしたエリューゲナの『自然について(ペリ・フュセオン)』にもとめたい。 そしてエリューゲナの議論を東西に通底する深き霊性の表現として受け止めた西田が、その精神のダイナミズムをさらに徹底化して自家薬籠中のものとしたことを指摘したい。そして、禅と浄土真宗に典型的に表現された東洋的・日本的霊性と西洋のキリスト教的プラトン主義の霊性との間で内的対話を行うことによって、西田の絶対無の場所の哲学が如何にして誕生していったか、その精神の遍歴を、彼の云う「悪戦苦闘のドキュメント」の思索の背後にあるものが何であったのかを探求してみたいのである。

エリューゲナの『自然について(ペリ・フュセオン)』を本論では、西田哲学に於ける汎神論ないし萬有在神論の問題と関連させて論じる。それは一切を超越神の「所作物」ではなく内在神の表現とみる初期西田哲学の汎神論的思想が、神的表現を神的創造に結びつけるエリューゲナ「神現」の思想の批判的摂取を経て、西田哲学において「汎神論」から「萬有在神論」への轉換が如何にもたらされたかを追跡すること、さらに所謂「萬有在神論」が、矛盾的自己同一の論理と結びつくことによって、辯證法的神学の超越的内在の論理をも包越する場所的辯證法の論理を提示したことを明らかにしたい。

紙幅の都合上、今回の発表では充分に論じる余裕はないが、このような萬有在神論の徹底化は、神が「顕現しない」世界における「神現」という問題、キリスト教の言葉を使うならば「世俗の中の福音」の原事実に由来する論理、仏教の言葉を使うならば、無量寿・無礙光如来の名号のもつ不思議なる救済の原事実に由来する論理こそが、西田哲学の場所的辯證法を現代に於いて継承するものが引き続き問題とすべき事柄であろう。

サブタイトルにある「歴程神学」とは、筆者自身の神学的立場である。これについては今回の発表の紙幅の都合上、詳論することは出来ないが、大まかに云ってA.N. ホワイトヘッドの哲学、それを「有機体の哲学」や「プロセス哲学」ではなく「創造性の哲学」とよぶのが正しいとらえ方であるという考え方をもととしている。ここでいう「創造性の哲学」とは、形ある者を生み出す根源を対象化しうる存在者ではなく決して対象化できぬ「創造性」に求める点で、存在論の「存在」の脱底化の方向に一歩踏み出した哲学である。それは、第二次世界大戦以後の米国に於て、一時的な影響を及ぼした後に死に絶えた「神の死の神学」の後の世代において誕生した「プロセス神学」に大きな影響を与えた。ただし私が「歴程神学」と呼ぶものは、「プロセス神学」とは別物であり、ホワイトヘッド哲学の解釈に於いても根本的な違いが数多くある。たとえば、存在論の脱底化(De-ontologizing)は、ホワイトヘッド自身がそうした以上に徹底させるべきであると私は考えている。そして、彼の「過程の哲学」でいう「過程」は、神を「活動的存在の一つ」として捉える「存在論的原理」によっては把捉できないという批判的立場をとるものである。

「過程の弁証法」は過程によっては基礎づけられないという西田の批判は、ヘーゲル哲学に向けられた批判であるが、この批判は、ヘーゲル哲学の現代版という側面を持つホワイトヘッドの「過程の哲学」にも当て嵌まるであろう。また、私が「プロセス神学」ではなく「歴程神学」という場合は、予定調和的な進歩史観を前提としないという点で、プロセス神学の多くの流れとは異なっている。ただし、ホワイトヘッドの哲学を積極的に評価するのは、後期西田哲学よりも更にラジカルに、人間的歴史だけでなく、宇宙万物全体をも含めた意味での歴史的世界を主題とする点である。

ホワイトヘッド哲学について論じる場合もまた、「自然神学」という側面を持つこの哲学を、英国とアイルランドに於けるキリスト教的プラトン主義の霊性的伝統の流れの中で位置づける必要があるだろう。ホワイトヘッドの云う「原初的自然」、「帰結的自然」という着想は、「神が始源にして帰結」であるがゆえに自然の第一区分と第四区分が同一の神であるというエリューゲナの自然区分論と類似したものである。さらにホワイトヘッドは、「神の創造は神の自己創造であること」を明確に言う点に於いてもエリューゲナと同様の観点をとっているのである。

ただし、当然のことながら、二〇世紀のプラトン主義者を自認していたホワイトヘッドの哲学的神学と九世紀のカロリング・ルネッサンスの時代に生きたエリューゲナとのあいだには違いもある。たとえばホワイトヘッドはエリューゲナが詳細に論じた「天使論」などは全く語らないし、「自然の四区分」さえも超越する究極の範疇を「創造性」とし、二つの本性を持つ神よりも高次の究極的な範疇としている。そして「創られて創るもの」という規定は、エリューゲナの「自然の四区分」の中の一つ、すなわち「根本的諸原因」(ポイエーシス的理性)に限定されるものではなく、活動的性格を持つ万物の根本規定となる。 それゆえに、エリューゲナの云う「創られて創る事なき」死せる自然というものはホワイトヘッドの宇宙論には存在しない。仏教的に云えば「衆生世間」だけでなく「器世間(環境世界)」もまた生命活動の主体であり、近代哲学で前提とされた主客の二元的関係は人間相互だけではなく万物の間で成立すべき交互的かつ力動的な主-主関係、即ち相互主体性の中において基礎づけられるのである。

このように、エリューゲナを介して西田哲学とホワイトヘッド哲学は両者に共通の根本的問題、すなわち形ある有を存在せしめている根源的な活動としての創造性を何處に於て如何に語るかという根本問題に結びつくのである。

 

第一章   初期西田哲学における「汎神論」の問題

 1-1『善の研究』(1911)の根本的立場は、「意識現象(直接経験の事実)が唯一の実在である」という純粋経験論である。この立場は、ジェームズの根源的経験論、ベルクソンの純粋持続の直観主義、フッサールの純粋意識の現象学など欧米の同時代の思想家達と共通する根源的に経験論的な思惟の課題を担っていた。それは意識に超越的な存在をすべて「排除」ないし「括弧にいれ」、疑うにも疑うことの出来ぬ直接的経験の事実から出発し、意識に超越的な存在のもつ意味を、あくまでも意識に内在的な場に於て解明していくという課題である。そのような哲学的な立場に限界があるかどうか、その限界はどこにあるかということは、実際に根源的経験論、あるいは純粋経験論の立場を徹底した哲学的思惟を遂行した後でなければ自覚されないであろう。とくに、諸々の超越者中の超越者とも言うべき有神論の「神」を意識内在的な立場に還元し、神経験と呼ばれてきたものの真の意味をそこにおいてあくまでも意識内在的に解明できるのかという問題が生じる。

1-2 フッサールは、彼の純粋現象学の構想を立てたとき、神学的な問題を彼の課題から排除していたようにみえる。純粋意識を絶対的存在(Absolutes Sein)とする彼の現象学では、キリスト教のような超越神論の神は、他の諸々の超越者と同じく現象学的還元を施されなければならぬ対象的存在のひとつであるから、「神という超越的存在は遮断される」(IdeenⅠ―58)のは當然であった。フッサールは、純粋意識の現象学の課題から神を排除すべき理由について次のように述べている。

「神的」存在は単に世界を超越するだけではなく、絶対的意識をもあきらかに超越すべきものである。それは、意識の絶対性とは全く異なった意味で「絶対的」であるであろうし、また他方において世界の意味における超越とも全く異なった意味で超越的なものであるだろう。我々の研究領域が純粋意識の領域である限りは、そのような絶対者=超越者はあくまでも遮断されているべきである。(傍点筆者)

1-3 ベルグソンは『道徳と宗教の二源泉』で社会学的見地から、ジェームズは『宗教的経験の種々相』で心理学的な見地から、それぞれ神について積極的に語ったが、それは厳密な意味で哲学的な立場から、すなわち純粋経験ないし純粋持続に内在的な立場から神を語ったわけではない。これに対してフッサールは、上の引用にあるように、純粋現象学という「厳密な学知」の立場からは、神を語ることを排除(ausschalten)しなければならないと言ったが、それは、「現象学の研究領域が純粋意識の領域にのみ限定されるかぎり」という条件のもとにであった。(現象学がこの限定を突破する可能性については後で議論しよう)。

1-4  西田の『善の研究』は、宗教すなわち「神と人との関係」を考察することを「哲学の終結」とする意図をもって書かれた著作である。このように宗教をもって哲学の終結とする考え方は、後期に至るまでの西田哲学の根本的特徴であったが、『善の研究』の場合は、純粋経験論を基盤としつつ、神を哲学の究極の主題とする点において、フッサールの言う純粋な意識の現象学において排除された神の考察をまさに純粋経験論の究極の主題とするものであった。

1-5 「意識現象を唯一の実在とする」『善の研究』の宗教論には、これまでの多くの解釈者が指摘してきたように、哲学的汎神論の一つに分類されてもやむをえぬようなテキストが数多く存在する。たとえば、「神を宇宙の外に超越せる造物者とはみずして、直ちにこの実在の根柢と考え」「宇宙は神の所作物ではなく、神の表現 manifestationとみる」ことから、西田は「宇宙と神との関係は芸術家とその作品との如き関係ではなく、本体と現象との関係である」と述べる。西田自身も、自分の立場が汎神論的であることを充分に自覚しており、汎神論に対して向けられる二つの批判を取り上げ、純粋経験論の立場からそれに答えようとしている。そのふたつの批判とは、一つは「神の人格性」の問題であり、もう一つは「悪の存在」をいかに解釈するかという問題である。

1-6スピノザの哲学的かつ決定論的な汎神論とは異なり、「実在の根柢は人格的である」ということを認める点で、西田は自分の立場が人格主義的汎神論ともいうべきものであることを明言している。このような実在の根柢としての神は「無限の愛なるがゆえに、すべての人格を包含すると共に凡ての人格の独立を認める」(全集Ⅰ-194)立場でもあった。この汎神論は、各個人の人格の独立性と自由を承認する意味で、スピノザの如き必然論ではなく、人間の独立と自由を認める相互人格的契機を内に含んでいる。また善なる神を根柢とする実在は即ち善であるという性善説的立場から「絶対悪」の存在が否定され、悪は「体系の矛盾衝突から起きる」ものであり、矛盾衝突を契機として発展する実在の一契機として位置づけている。そこにはヘーゲルの汎神論的な「合一哲学(Vereinigungsphilosophie)」と同じく、主客未分の一なる實在が、二元的な分裂を経て再統合されるところに実在の動的展開を見る弁証法的論理がある。もっとも西田の場合は、論理学を無前提なる学の始源としたヘーゲルとは異なり、純粋経験を根源的であるとする点に違いがあとしても、その主客未分の即自的な純粋経験が、主客二元の意識の對自的な分裂を経て、再び即且つ對自的な合一を回復するという意味での「合一哲学」の論理を内在させていると言って良かろう。このようにドイツ理想主義に通底する哲学的思惟は、『善の研究』の純粋経験論のうちに内在する論理であり、「意識経験を能動的と考える点で、純粋経験論はフィヒテ以後の超越哲学とも調和する」(全集Ⅰ-4)と西田に言わしめたものでもあった。

1-7 しかしながら、『善の研究』執筆時の西田の人格主義的汎神論の哲学的基礎は、あくまでも「意識現象を唯一の実在とする」純粋経験論である。それは、ヘーゲルのような高度に思弁的な論理の辯證法的体系によって根據づけられてはいない。ベルグソンのごとく随所に宗教の根源に関わる直観的な洞察を秘めているとはいえ、純理論的な哲学的議論だけに制限してみるならば、純粋経験論とは、要するに「神と世界の関係は意識統一とその内容との関係である」という公理(根本命題)から出発する哲学的な汎神論という性格を併せ持つものでもあった。しかし、まさにその哲学的汎神論のアプリオリな前提をなす公理自体は、一切の独断を排すべき純粋経験論のなかにあって、なおも独断的な一つの仮定として残存していたと言わざるをえないのではないか。

1-8問題は、『善の研究』執筆時の西田の人格的汎神論の根本命題、自発自展する純粋経験論の基本前提そのものが、あらゆる先入主を遮断して疑うベからざる確固とした「心霊上の事実」を如実に表現するものであったかどうかという点である。すなわち、このような公理を前提として考えられた神が、はたしてキリスト教の伝統の中で、キリスト者が経験した神、旧新約聖書において啓示された神の経験を如実に表現できていたかということである。フッサールとは違って有神論の神的「存在」を純粋な現象学という哲学知の中から排除するのではなく、あくまでも哲学の終結としての神を、我々の直接経験に基づいて語ることを志向する西田にとっては、神を論ずること自体が根本的な哲学の課題であった。キリスト教的経験を、他人事ではなく自己自身の在り方に深く関わるものとして取り上げた西田にとって、キリスト教の核心に触れる宗教哲学を構築するためには、『純粋経験』の意識内在の立場の限界を突破することが必要であった。しかし、その突破は、あくまでも純粋経験とは異なる立場を独断的に前提することによってではなく、純粋経験論をその根柢へと徹底することによって、そのなかになおも含まれていた汎神論的な独断を突破し、意識に内在的な経験の立場では語り得ないものを根柢から自覚することによって、意識の立場の限界を超出することこそが求められなければなかった。

1-9 『善の研究』以後、『無の自覺的限定』にいたるまでの西田哲学とキリスト教との関わりを考える場合、単なるプラトン主義ではなく「キリスト教的」プラトン主義の系譜に属する思想家達が意味を持ってくるのは、まさに意識経験に内在的な人格的汎神論の立場をさらに超えてゆく論理を彼らが示している点にあった。

1-10 すなわち、プロチヌスやプロクロスに代表される根源的一者からの発出と還帰によって万象を説明する理性主義の極北ともいうべき哲学的な汎神論と、ユダヤ教に由来する聖書的伝統のなかで「神の言葉」として語られてきた超越神に由来する宗教的経験との緊張対立の中で、プラトン主義の立場そのものを、さらに内在的に超越していったキリスト教的プラトン主義の伝統が、西田にとって重要な意味を持つようになった理由がそこにあると言わなければならない。

1-10 『善の研究』の宗教論の第四章「神と世界」の冒頭箇所に、哲学的な汎神論では決して語り得ぬものへ言及したテキストがある。それは西田がキリスト教的プラトン主義の神論に言及する箇所でもあるという点で、単なる自然主義的な汎神論を超え出る契機を内包している点において興味深いものである。西田はまず、「純粋経験の事実が唯一の實在であって神はその統一であるとすれば、神の性質及世界との関係もすべて我々の純粋経験の統一即ち意識統一の性質および其内容との関係より知ることができる。」と述べる。これを便宜上「神の性質及世界との関係の可知性のテーゼ」(テーゼA)と呼んでおこう。それは、「超越的神があって外から世界を支配するといふ如き考は啻に我々の理性と衝突するばかりでなく、かかる宗教は宗教の最深なる者とはいはれない様に思ふ。我々が神意として知るべき者自然の理法あるのみである、この外に天啓といふべきものはない」という超自然否定の理神論ともとられかねない自然主義のテーゼでもある。しかしながら、テーゼAのなかに含意されている自然的態度を根柢から轉換するテーゼが、まさにこの直後に語られていることに着目したい。それは、「我々の意識統一は見ることも出来ず、聞くことも出来ぬ、全く意識の対象となることは出来ぬ。一切は之に由りて成立するが故に能く一切を超絶している。」という文である。これを「我々の意識統一(神)の不可知性のテーゼ」(テーゼB)としよう。西田の汎神論の神の可知性(テーゼA)を支えているものは、實は「神の不可知性」(テーゼB)なのである。

テーゼBは、意識現象に内在的な純粋経験論の内部にあって、それを可能ならしめている根源的な作用(意識統一)であるが、それ自身は純粋経験の内部では語れない特異点として、内在的超越への道を指し示していることに注意したい。そして、西田がこのあとで列挙しているキリスト教的プラトン主義の系譜に属する思想家として、西田はまずディオニシュースの「消極的神学」が神を論ずるに否定をもってしたことを挙げ、次に、「ニコラウス・クザーヌスの如きは、神は有無をも超越し、神は有にしてまた無なりと言っている」とのべ、否定神学と對立の一致を説くキリスト教プラトン主義の神学的伝統に言及している。

1-11 もっとも、クザーヌスの引用が、「隠れたる神」に依拠しているのだとすれば、そこでのクザーヌスは確かに「神は有無を超越している」と述べてはいるが、「神は有にして無である」というごとき矛盾対立の合致を決して「一つのテーゼ」として立ててはいないことはここで指摘しておかなければならぬであろう。クザーヌスが「隠れたる神」で神を賛美礼拝しつつ示した否定神学は、「神は有(aliquid =something)でなく、また無(nihil=nothing)でもなく、有にして無であるのでもなく、有でもなく無でもないのでもない」というテトラレンマ(四句分別)であって、およそ分別的理性が取り得る凡ての言説をすべて網羅した後で、そのような分別そのものの解体・脱構築することを特徴としている。それは正反合という統合によって、正命題と反対命題の部分的な真理性を保存しつつ高次の命題においてそれを共に否定する如き過程的辯證法とは異質な論理である。それは、まさに「智ある無知」(docta igorantia)を示す否定神学であって、そこにおいては有無の二元對立の彼方の「隠れたる神」は、無知を通じて知られるのである。

1-12 西田の『善の研究』の宗教論は、宗教的経験の事実そのものにねざす逆説的な言葉が随所に語られており、それはある意味でその後の西田哲学の論理を直観的に先取りする印象を与えるものが多いが、とくにキリスト教的プラトン主義者としてのクザーヌスの言う「智ある無知」を彷彿とさせるものは、最終章の付論として追加された「智と愛」の末尾の言葉であろう。

「神は分析や推論によりて知り得べき者ではない。實在の本質が人格的の者であるとすれば、神は最人格的なる者である。我々が神を知るのは唯愛又は神の直覺に由りて知り得るのである。故に我は神を知らず我唯神を愛す又は之を信ずという者は、最も能く神を知り居る者である。」

『善の研究』の翻訳者の一人であるVigliermo は『智と愛』という付章を「驚嘆すべき文学作品であり、東西を問わず最も偉大なる宗教詩に比肩する一種の散文詩」として賛嘆を惜しまなかったが、この結びの言葉ひとつとってみても、「善の研究」の哲学的汎神論の「論理」には同意できない読者であっても、その心を撃つ洞察が秘められているように思われる。

哲学的論理としてみる限り、後年の西田自身が認めたように『善の研究』は不十分なものであった。まず「神を意識経験の統一である」という前提ひとつをとってみても、そこでいう「統一」とは、心理学的な意味での経験的統覚であるのか、それともカント哲学で言う意味での「超越論的統覚」なのか、あるいはそのような意識の立場で語られる「統覚」を突き抜けたより根源的なる場所に於ける統一作用を意味するのか、その点は明確ではない。主客合一という立場自体も後年の西田自身によって放棄されるようになるし、人間の根源罪悪と自由意志の問題も、『善の研究』においてはまだ突き詰められて考えられていたとは言えない。

しかしながら、『善の研究』宗教論本論の最後に引用されたオスカーワイルドの獄中記 De Profundis の言葉を引用した結びの言葉もまた、既成の如何なる宗教によっても倫理道徳によっても救済を見いだすことが出来なかった世紀末の詩人、社会から倫理的に糾弾され疎外されたワイルドの「深き淵」より語る聲への西田の共感を示すものであった。

「希臘人は人は己が過去を變ずることのできないものと考へた、神も過去を變ずる能はずといふ語もあった。併し基督は最も普通の罪人も之を能くし得ることを示した。例の放蕩息子が跪いて泣いたとき、かれはその過去の罪悪及び苦悩をば生涯に於いて最も美しく神聖なる時となしたのであるといって居る。ワイルドは罪の人であった、故に能く罪の本質を知ったのである。」

この言葉もまた、決定された過去が懺悔回心の瞬間に於いて、非因果的、非過程的に瞬時に変貌するという、時間論の根本的な問題を提起しているように思われる。しかしそういう哲学的問題は、『善の研究』では「實在はすなわち善であり」、「實在体系の矛盾衝突」より起こる悪は「實在発展の一要件である」という性善説的な立場によって片付けられており、その点に於いて「悪」の問題、魂の底からの懺悔が同時に賛美であるという宗教的経験のパラドックスが、さらに立ち入って論ぜられてはいないのである。

 

第二章 『自覚における直観と反省』―キリスト教的プラトン主義との内的対話の深化
―神現論(テオファニア)と創造論― 

2-1 宗教的経験の原事実に関する西田の鋭利なる直観が、それにふさわしい哲学的な反省と統合された自覚、ないしは内的生命のロゴスを求めていったプロセスとして、『自覚における直観と反省』以後の哲学的思惟を位置づけることができるであろう。その始まりを告げる『自覚における直観と反省』という書は、場所的ロゴスの誕生以前の西田の「悪戦苦闘のドキュメント」であり、そのかぎりではまだ中後期の西田独自の哲学を構築するには至らぬ過渡的な段階のものであった。

2-2 しかしながら、西田とキリスト教的プラトン主義との内的対話の進展という見地からすると、近代のドイツ理想主義の哲学の思想史的背景として地下水脈のごとく活きていたキリスト教的プラトン主義の伝統を、西田が『善の研究』のときよりも遙かに深いレベルで自己自身の哲学的思惟のうちに深く摂取しつつ、さらにそれを乗り越える論理を模索していた文書としてこのドキュメントを読み返すことができる。

2-3 とくにこの時期の西田にとって重要な意味を持つ思想家は、ディオニシュース・アレオパギテースとヨハンネス・エリューゲナである。前者は後者によって西方キリスト教会に知られるようになったわけであるから、ディオニシュースはアウグスチヌスと並んで、中世のキリスト教的プラトン主義の形成に多大の影響を与えた思想家と言っても良いであろう。とくに、エリューゲナについての西田の評価は極めて高く、彼からの引用は、アウグスチヌスについて多く、前期中期にとどまらず後期西田哲学においても繰り返し反復されている。

2-3 西田は『善の研究』では、前述したように「宇宙は神の所作物ではなく、神の表現 manifestationとみる」ことから「宇宙と神との関係は芸術家とその作品との如き関係ではなく、本体と現象との関係である」という汎神論の立場をとっていたが、「創造」というユダヤ・キリスト教的概念と「発出」というプロチヌスに由来するギリシャ的概念を「神現(テオファニア)」というキリスト教的プラトン主義の概念に統合したエリューゲナの影響のもとに、西田は「創造」ないし「創造作用」を自己の哲学の根源語の一つとして積極的に語るようになるのである。

2-4 『自覚における直観と反省』において、エリューゲナの『自然について』を参照しつつ西田は、「多くの紆余曲折の後」「知識以前の或者」に到達したと述べ、「カント学徒と共に知識の限界を認めざるを得ない」ことを認めた後で、ベルクソンの創造的進化の基礎に或る純粋持続の考え方をも批判しつつ、ディオニシュースとエリューゲナを引用して次のように言う。

ベルクソンの純粋持続の如きも、之を持続といふ時、既に相対の世界に堕して居る、繰り返すことができないといふのは、既に繰り返し得る可能性を含んでいる。真に創造的なる實在はディオニシュースやエリューゲナの考えのように一切であると共に、一切でないものでなければならぬ。ベルクソンも緊張の裏面に弛緩があると言って居るが、真の持続はエリューゲナの云った如く、動静の合一、即ち止まれる運動、動ける静止でなければならぬ(Ipse est motus et status, motus stabilis et status mobilis)。之を絶対の意志と云ふも、既にその當を失して居る、所謂説似一物即不中である。(全集Ⅱ-278)

『自覚における直観と反省』はフィヒテ的な自覚の立場を基礎とするものであったが、西田はこの立場にも限界を見いだし、エリュ―ゲナを引用しつつ「説きて一物に似たれども即ちあたらず」という南嶽懐譲禅師の禅語で結んでいる。いまだこの限界を突破する哲学のロゴスを発見するには至らず「刀折れ矢竭きて降を神秘の軍門に請うたという譏り」を甘受しつつも、神秘主義をさらに脱底する道を西田は模索していた。そして、新たなる哲学的な論理で、それを積極的に語る道を西田が歩み始めるためには、キリスト教的プラトニズムの霊性との内的対話こそが重要な契機となっていたと言えよう。

2-5 西田は、エリューゲナの『定命論(予定論)』を重要視し、認識の根柢に意志があるという立場から、「神に於いては何らの必然も何らの定命もない、定命 Praedestinatioは神の意志の決定に過ぎぬ」という彼の言葉に深い意味があることを認め、意志は「創造的無から来たって創造的無に還り去る」と云う考えに共感しつつ「斯く無より有を生ずる創造作用の點、絶対に直接にして何らの思議を入れない所、そこに絶対自由の意志がある、我々は此処において無限の實在に接することができる、即ち神の意志に接続することができるのである」と述べる。(全集Ⅱ-281)

2-6 エリューゲナを介して西田は「無からの創造」というキリスト教の根源的な考え方に賛同するようになるが、そこで云う「創造」とは工作者が、外部から事物を、素材なしに制作するというが如き擬工態的モデルにもとづくものではなく、我々の自由なる意志作用の根源に於いて働く「最も直接的なる創造作用」である。

2.7 エリューゲナの『自然について』における神現論は、後期哲学の哲学論文集でも繰り返し引用されるが、それもすべてエーグレッスス(egressus)すなわち「神から出る」ことと、レグレッスス(regressus)すなわち「神に還ること」という「神から神への往還運動」において創造を捉える文脈である。西田がこのように後期の著作に至るまで繰り返しエリューゲナのテキストを引用した理由の一つは、『自然について』における「無」にかんする独自の辯證法にあると言えよう。   

2-7 『自然について(ペリ・フュセオン)』第二部で、エリューゲナは、神は「無」であると断言すると同時に「神は一切である」ことを肯定しつつ、次の如く云う。

弟子:聖なる神学が無という言葉で(nomine quod est nihilum =無の名号で)表現しているものがなんであるか、先生に説明して頂きたいのです。

教師:その言葉で表現されているのは、人間の知性であれ、どのような知性にも知られない、神の善性の言い表しがたく、捉えがたく、近づき難い明るさだと私は思うのだが。というのも、それは超存在的(superessentialis)で超自然本性的(supernaturalis) であるから。それは、それ自体に於いて考えられる場合には存在していないし、存在しなかったし、存在しないであろう。というのもそれは、すべてのものを超越しているので、いかなるものにおいても考えられないからである。しかし、存在するものどもへのある言い表しがたい下降を通じて(per condescensionem) 、それが精神の目で見られる場合、ただそれだけが万物に於いて存在しているのが見出され、事実存在しているし、存在したし、存在するであろう。それゆえに、その卓越性の故に、それが捉えられないと理解されるかぎりに於いては、それは無と呼ばれるとしても當然のことであるが、しかし、それがその神現に現れ始める場合にはいわば、それは無からあるものに発出すると言われ、本来全ての存在を越えて居ると考えられているものが、すべての存在に於いてもまた独特な仕方で認識されるのである。[1]

ここで言う「無」は決して欠如としての無ではなく、単なる否定的な無でもない。それは、「すべての存在するものを超越している卓越性」と「超存在的で超自然的な本性に従って」「無」と呼ばれているのである。さらに、この「無」から「存在するもの」への神現の運動を、エリューゲナは「下降」と呼んでいるが、それは感性によっても理性によっても見ることの出来ぬ「無」が見ることのできる「有」へと現れることを意味しているのである。まさに「見えるもの」は「見えないものの形」なのである。そして、西洋の有-神論的な哲学や神学の伝統では例外的であろうが、エリューゲナは神を「絶対的な無」という名でも言い表している。

神の知恵は、自分が形成するために自分より上位の形相に向かうことがないので、無形といわれるのが正しいことである。実際それはすべての形相の無限の範型であり、それがさまざまな目に見えるものや目に見えないものの形相に下降するとき、それはあたかも自分の形成を振り返るように自分自身を振り返るのである。それゆえ万物を越えて居ると考えられる神の善性は、非存在、絶対的な無と言われるが、しかしそれは全宇宙の存在であり、実体であり、類であり、種であり、量であり、質であり、すべての被造物において、すべての被造物について、どんな種類の知性によっても考えられるすべてのものであるのだから、万物に於て存在するし、存在すると言われるのである。[2]

2-8 実体、類、種、量などアリストテレスなどアリストテレスが範疇としてあげたものは、帰するところは有のカテゴリーである。それらの概念枠を突破している究極の超越論的(transcendental)一般者を、エリューゲナは「絶対的無」という名号で示したのであるが、それは、「下降」即「上昇」という「神現」の運動に於て[3]、人間が感覚や知性でとらえることのできる「万物に於て存在するし、存在すると云われる」のである。

2-9 この考え方に西田が深く共感したのは、それが、彼が若き時より親炙していた東アジアの霊性的伝統、とくに「形あるものは、形なきもの形」であり、「色(形あるもの)と、それを形あるものたらしめている「空」が、そのまま「逆対応的に同一」であるという大乗仏教の根本思想、すなわち色即是空、空即是色というごとき交差配列語法(chiasmus)によって表現されるダイナミズムに通底するものであったからであろう。[4]

2.8 西田は、場所論的轉換を経た後の彼の中期の代表作である『一般者の自覺的体系』と『無の自覺的限定』のなかで「絶対無」を根源語とする哲学的な思索を展開するようになるが、それは下降の道即上昇の道というキリスト教的プラトン主義の考え方に沿ったものであった。[5]とくに、『無の自覺的限定』は、「絶対無」を神の名号とするエリューゲナのキリスト教的プラトン主義を手引きとしつつ、さらにアウグスチヌス、エックハルトのような他のキリスト教的プラトン主義の系譜に属する思想家、キルケゴールや西田と同時代のドイツの辯證法的神学者、およびマルチン・ブーバーのようなユダヤ教思想とも深く関わる議論を展開している。

 

第三章 『一般者の自覺的体系』と『無の自覺的限定』におけるキリスト教

 3.1 フランス現象学の現代的な傾向として、フッサールとハイデッガーの現象学の方法を徹底させることによって、それを更に一歩超え出て、キリスト教神学の根本的な問題を、現象学によって論じる一群の現象学者がいる。所謂「現象学の神学的転回」とよばれるものである。そのなかでも、とくにJ.L.マリオンは、フッサールの現象学的還元の「還元」を徹底させ、ハイデッガーの「存在」(Sein)への問いを更に根元化するものとして「贈与」の現象学を提唱している。それは、「存在は贈与として与えられる」という表現に含意される「贈与のはたらき」に注目した現象学である。[6] 彼の初期の主著のタイトルである「存在なき神(Dieu sans L’être)」とはまさしく、「存在をさえ超越した神」であって、ハイデッガーではまだ主題化されていた「存在」を更に「還元」し、贈与作用によって「存在」そのものが「与えられる」ことを現象学的に解明しようとしたものである。彼には「聖像と偶像」の違いを述べる興味深い論述もあり、活ける神に導く聖像によって無限なる神を礼拝する代わりに、死せる偶像を神の代わりに礼拝する偶像崇拝を批判している。この聖像と偶像との根本的な区別と共に、人間の理性によって捏造された神概念を立てる有・神論(Onto-theologie)の「神」を、まさしく思索に於ける偶像崇拝と断定し、そのような「形而上学」の神概念を脱存在化する興味深い議論を提供している。

3.2 ここでは、紙幅の都合上、現在も旺盛に現象学と神学との境界領域で思索しているマリオンについてこれ以上論じることは出来ないが、彼に半世紀以上もさきがけて、フッサールが『イデーン』を公刊し現象学の構想と理念を確立した時点で、現象学を根源的な宗教哲学へと転回させた西田の中期哲学の先駆性を指摘しておきたい。

3.3  西田によって宗教哲学へと転換された現象学は、さしあたっては「本来的自己の現象学」ないしは「己事究明の現象学」と言って良いであろう。現象学の方法の基本は、意識現象の志向的内在、ノエシスとノエマの区別、本質直観ならびに範疇的直観に基づく非感性的直観と、根源的な意識の意味付与作用にある。西田はこのような現象学の考え方とその方法を、彼の宗教哲学において場所論として転換したわけであるが、その基本は、意識の根柢に意志と内的生命を見る西田自身の根本的な考え方にある。

3.4 意識の現象学を、知情意の全てを統合する身体性に立脚した人格的存在と、そのような活きた個人の本来的自己がどこに立脚しているのかを、哲学的場所論によって究明すること、すなわち現象学で言う「超越論的自我」に身体性と事実性にもとづく具體性を恢復させ、いわば生活世界の「大地」にしっかりと立たせることが西田の方法の根本にあった。「意識一般」という普遍的立場は、西田にとっては生命を持たぬ抽象的な自我に過ぎないのであって、形相的なるものだけでなく質料的なるものをも含んだ「不合理性」を孕む原事実、そのような事実性に徹した個人が、そこにおいて生死している場所を究明する現象学が要求されたのである。

3.5 『一般者の自覺的体系』では、意識論が行為論(意志論)によって基礎づけられ、行為論が「内的生命論」によって基礎づけられるが、この内的生命が宗教的生命として位置づけられる。西田の第一義的関心は、概念によって探求される形而上学的「存在」をめぐる抽象論ではなく、また意識を絶対的存在としてそこにすべてを還元するフッサールの現象学の知性的立場に留まらずに、「存在」と「行為」以前の「内的生命」に宗教的生命を見る立場であった。

3.6 ここでいう内的生命とは、決して主観的なる思想感情に活きるということではない。西田は、真に内に生きるということは、「外を内となす」ことであると注意した後で、西次の如く内的生命を彼の哲学の中で位置づけている。

内的生命といふのは上に言った如く客観を離れて空虚なる主観に生きることではない。真の内的生命とは自己自身の底に深い非合理的なるものを見ることである客観の底に横たわる深い非合理的なるものを自己自身の内容となすことである。….

非合理なるものの底に神の霊光を見るのである。斯く行為の底に行為を超えたノエシス的限定というものが、私の所謂内的生命と考へるものである。(全集Ⅴ-414)

 

3.7 存在論よりも行為論を、そして行為論よりも生命論のほうをより根源的とみるのが西田の立場であるが、ここで「外を内となす」内的生命は、「自己に外的なるものを自己自身の運命として自己自身の深い内容と考へる」ものでもあった。このような立場からは「感覚的なるものも内的生命の質料として宗教的ならざるものはない」のである。

3.8 西田の宗教哲学はこのように「感覚的なるものにも内的生命の質料として宗教的なものを見いだす」ところにあり、単に「形相的なるもの」すなわち「理性的なるもの」だけに宗教的なるものを見るのではない。そしてこのような内的生命の底は非合理性を孕んで無限に暗いが、しかしそれは単なる暗黒ではなく「ディオニシュースの云ふ輝く暗黒」である。

3.6 このように外にある非合理なる事実を内へと転換する内的生命は、非合理的なるものの底に「神の霊光」を見るのであるが、ここでは、単なる理性の限界では語り得ない根源悪の問題、また感覚的世界に於て引き受けねばならぬ非合理な運命、その運命を引き受ける内的生命、その内的生命自体の暗い根柢、その根柢から「輝く闇」にとして顕現する「神現」というモチーフに注目したい。「宿業」ないし「宿命」というほかない非合理を自ら肯定的に引き受けて、それを「運命」として肯定することによって逆説的に宿命から自由となる根據は、西田の哲学的場所論では、「絶対無のノエシス的限定としての絶対愛」および「絶対無のノエマ的限定としての永遠の今」として位置づけられる。(『無の自覺的限定』序、全集Ⅵ-10)

3.7 「我々の行為を限定するものは単なる理性ではなく、イデアの底にはイデア的に自己自身を限定すると共に、イデア的限定をも否定するものがある」というのが西田哲学の生命論であり、それはやがて、西田がギリシャ哲学の主知主義の限界を超えて旧約聖書の世界と内的対話をする『場所的論理と宗教的世界観』の議論を先取りするものでもあった。非合理的なる歴史的事実を含みつつも、その「外なる非合理を内へ」と転換し、内的生命の底に神の霊光すなわち神現を見た新旧約聖書の記録された宗教的経験に哲学の側から肉薄すること、それが最晩年の西田哲学の主題の一つになるのである。

 

第4章 場所的辯證法の徹底―矛盾的自己同一の論理

 4.1エリューゲナは、西方教会に東方教会の霊性を導入した人であり、その意味でギリシャ正教とローマン・カトリックの霊性的伝統の大胆なる統合者であるが、ルター以後のプロテスタント、およびキルケゴールにはじまりバルトによって先鋭な形で表現された自然神学(哲学的な神学)否定のキリスト教とは、人間本性の堕落(原罪)以後の神認識の可能性については次の点で異なる観点をとっている。

 聖アウグスチヌスはこうのべている。「私たちがそれによって父自身を理解する精神と、私たちがそれを通して父を理解する真理の間には如何なる被造物も介在していない。」[7] 最も聖なる教父の言葉において私たちは、人間本性は原罪の後もその栄位を全くうしなったわけではなく、依然としてそれを保持していると理解すべきことを教えられる。…だから私たちの精神と神との間にはいかなる被造物も介在していないとすれば、私たちは無力さにあっても、神をまったく捨て去ったのではないし、神に見捨てられてしまったのでもないのである。魂や身體の宿痾の病のために、それによって私たちが神を理解するところの、またそこにおいて創造者の像が優れた形で造られたところの、精神の眼を失ってはいないのである。(P-Ⅱ-5-531)

エウリゲナはディオニシュース文書の翻訳以前に、当時問題とされていた神学的な二重予定説に反対する著作を書いている。その議論は高度に思弁的であり、かつ真の哲学は真の宗教であるという立場で書かれていたために、同時代の神学者には理解されなかった。時代に先駆けた彼の見解は、基本的には、人間の自由意志の「存在」は神の贈与として、決して無に帰するものではなく、ただその能力のみが毀損されているという立場である。そして悪というものは第一義的には存在しないのであるから、予知は虚無には関わらず(虚無を知ることはナンセンスである)、永劫処罰も予定されてはいない。神の選びと予定は救済の決定であって、罪を犯すものはそのこと自体が罰なのであって、神はさらに永劫の罰などは予定しない。悪人・罪人の未来における救済は未決定のまま据え置かれるのである。

万物が神に由来し神へ還るというコスモロジーをとる限り、救済されぬ例外的存在があると云うことは論理的に首尾一貫せず、そのかぎりで、悪行と永劫処罰への予定というものはありえないという立場(普遍的・宇宙論的救済)を説くことが、首尾一貫した帰結と云うべきであろう。

4.2人間本性は、如何に堕落したとしても、神を識別する人間の精神の目は毀損されずに存在するという考え方は、哲学とキリスト教との関係にかんするエウリゲナの考え方と深く結びついている。この目を持つとき、哲学は真の哲学となり、哲学を啓示された真理にむけて開眼させる力となるというエリューゲナの考えは、神の恩寵に基づく神人協働(シュネルギア)と神化(テオーシス)を重視する東方教会の正統的な考えとは全く齟齬をもたらさぬものであったが、西方教会では、その考え方は受容されなかった。アウグスチヌスの晩年の教えから、滅びへの予定をも強調する二重予定説を導出する考え方は、宗教改革の時代の神学者たち、とくに二重予定説を復活に対して、周知のようにバルトはブルンナーとの論争において、堕落後の人間が恩寵なしで神を認識する能力があることを否定し、自然神学を汎神論として全面的に切り捨てた。[8]バルトの自然神学批判は、徹底した超越的内在の立場であり、人間から神に至る道を否定し、神から人間に来る道のみを一方的に認めるものであった。

バルトの「超越的内在」の神学の議論は、その徹底性に於て、自由主義神学のみならず、彼に追随した辯證法的神学者をぬきんでていたラジカルなものであるということは西田は充分に認めていたに違いない。しかし、西田が言う「内在的超越」の立場は、バルトの如きキリスト論的集中にもとづく「超越的内在」の立場をも含んで成立するものとして構想されていたのではないか。

4.3 私は、そのような意味での萬有在神論の徹底こそが、西田の萬有在神論の特徴であると考える。それは、単に万物が神に於いてあるという考え方、世界を神の場所と考えるのではなく神を世界の場所と考える思想だけを指すのではない。そういう意味での萬有在神論といえども、が神と世界の区別を明確にした上で両者を関係づける点に於て優れた思想であり、無神論か、さもなくば無世界論になる傾向性をもつ汎神論を更に一歩進めた神学的立場であることは確かであるし、伝統的なユダヤ・キリスト教の有神論とも調和する思想として西田以外の多くの神学者・哲学者にも見られる思想であろう。

しかし、後期西田哲学の萬有在神論は、「矛盾的自己同一の論理」をもつことで、バルトの如き徹底した超越的内在の立場を超える方向性を示している点に於て独自のものであり、エリューゲナの如き萬有在神論をさらに徹底させた思想でもある。

4.4 バルトは『教会教義学』の救済論のもっとも重要な箇所、十字架上での贖罪死を選んだ「神の子の従順(Der Gehorsam des Sohnes Gottes)」を語るときに、イエス・キリストを「我々に代わって審かれたもうた者としての審判者(Der Richter als der an unserer Stelle Gerichtete)」と言表する。審判者が同時に審かれた者であるということは対象論理によって理解できる言説とは言えない。これは自己が自己自身を審くなどという道徳レベルの話ではない。十字架の死に至るまで従順であった神の子を審き、贖罪の子羊として犠牲に供させた父なる神が、子なる神と同一の神であるというのが正統信仰の基本である。このような同一性こそ、まさに矛盾的自己同一そのものではないか。

4-5 「我々に代わって」とは文字通りに訳せば「我々の場所に於いて」である。それは、十字架に附けられたイエスが、われわれ各人が今此処で生きている「場所」に於いて、隠れたる神として「神現」することではないか。

4-6 対象論理的にいえば、2000年という時の隔たりをもち、空間的にも遠く隔てられたゴルゴダの丘で、十字架の刑に処せられたイエスは、多くの異邦の民にとっては目立たぬローカルな年代記的な事件に過ぎぬであろう。しかし、イエスをキリストと信じて信仰告白をする者にとっては、その事件は、一人一人が今此処で死の深き淵より活かされて生きる実存の「場所」において生起する出来事となるのである。 そのとき、この出来事は、各人の場所に於ける「原始歴史」として、まさに新しき時の始まりとなる。そのとき、贖罪死の出来事は、まさに自己自身の事柄となるのである。

4.7 我々はキリスト者の信仰告白の中で、時に「キリストは私一人のために十字架で死んでくださった」という如き言葉を耳にする。これも対象論理的に考えれば理解不能な発言であり、人によっては傲慢な発言と思うであろうが、実際は全くその正反対である。

なぜかといえば、語り手は、「私の場所」に於いてキリストの贖罪死を受け入れたのであり、自己自身を地獄の業火に焼かれること必定の反逆者に他ならなかったことを心の底から自覚したのである。そうであればこそ、「義人」のためではなく、極悪非道の罪を現に犯した私、キリストを誹謗しキリストに反逆した私のためにこそ、キリストは死んでくださったという意味がそこになければならないであろう。

4.8 「キリストと共に十字架上で死に、キリストと共に復活する」という贖罪死の古き教義における「共に」を「キリストに於いて」という場所論的な言語で言い換えるならば、キリストは「私の場所において(私に代わって)死に」「私はキリスト於いて復活する」ということが可能であろう。この逆対応的な場所の論理は、キリストや私を実体的な人格として捉える限りでは、法的な贖罪論―そこでは身代わりとなった人と、助けられた人は、あくまでも別人で有る―の域を出ることはなく、キリストと共に死に、キリストと共に甦るというパウロのような言葉は出てこないであろう。

4.6 バルト自身も教義学の「救済論」のなかで「イエスキリストに於ける人間の存在(Das Sein des Menschen in Jesus Christus)」を語る。「人間の存在の場所」であるキリストに於て語ることは、新約聖書の多数のテキストが証しすることである。

4.7 このような場所論に基づく神学的思惟をもっとも端的に表現しているものは、時代は中世と近代の境界にまで遡るが、エウリゲナと同じく東方教会の霊性の影響を強く受けたニコラス・クザーヌスの萬有在神論において先取りされていたと言っても良かろう。クザーヌスは、かつて公現節の説教で「イエスは今どこに居ますか(Ubi est Jesus?)」という問いかけに対して、「イエスこそが場所である(Ubi est Jesus.)」と答えたが、これこそが対象論理的な「場所」への問にたいして、場所的論理の「場所」をもって答えたと言えるのではないか[9]

 



[1] Johannis Scoti Eriugenae Periphyseon, edited with English translation by P. Scheldon-Williams, Ⅲ Dublin 1981;pp.681-182

[2] 邦訳は、中世思想原典集成第6巻、カロリング・ルネッサンス(上智大学中世思想研究所編)平凡社、2002 所収、ペリフュセオンの今義博訳(同書第19章573頁参照)に基本的にしたがったが、今氏が言葉と訳されたnomen を私は「名号」と訳したい。

[3] エリューゲナが新プラトン主義の元来の用語である「発出」と「帰還」という表現ではなく下降と上昇という表現を用いた理由は、「絶対無」が「欠如的な無(質料)」とはちがう卓越性による「無」であることを示すためであろう。この往還の運動は、時間的な因果的プロセスを必要とする物質の運動ではなく、往還同時的なる魂の運動であることに注意したい。

[4] 実際、西田は「一般者の自覺的限定」の總説において、彼の云う「絶対無の自覚」を仏教的な用語で、「色即是空、空即是色の宗教的体験」と説明している。(全集Ⅴ-451)

[5] エリューゲナは、神現でいう神の下降を基督の謙遜に結びつけて次のように云う。

神現は神以外のものから惹きおこされるのではなく、神の御言葉、つまり父の知恵である独り子が、いわば下の方へ、御言葉によって造られ浄められた人間本性のほうへと謙遜すること、上の方へは先に語り出されている御言葉の方へ、神の愛を通して人間本性が向上することから生じるのである。ここで私が謙遜と云っているのは、すでに受肉によって成されたことではなく、被造物のテオーシス、つまり神化によって起こることである。つまり恩恵による人間本性への神の知恵のそういう謙遜と、選びによる神の知恵へのその同じ本性の向上から神現は生じるのである。(P-Ⅰ-9-449)

[6] ここでは詳論する余裕がないが、エリューゲナは贈与(dationes)と恵与(donationes)を区別して次のように云っている。

贈与というのは、本来それによってすべての自然本性が存在するところの分配であり、またそのようにいわれている。他方、恵与というのは、それによって存在しているすべての自然本性が引き立てられるところの恩恵の分配である。このことから、すべての存在は贈り物(datum)と呼ばれ、すべての力が賜物(donum)と呼ばれることとなる。それゆえ神学は、「善い贈り物と完全な賜物とは、皆、上から、光の父から下ってくる」(ヤコブ1-17)というのである。(P-Ⅲ-3-632)

[7] Augustinus, De vera religione 55,113

[8] 「自己が自己において自己を見る」自覚を深めていく『一般者の自覺的体系』は「本来の自己の現象学」で有り、仏教的な用語を使うならば聖道門の竪出ないし竪超の立場と言って良かろう。これに対し、『無の自覺的限定』において「絶対の他」を語る文脈は、弁証法神学の他者論を西田の立場から論じたものであり、仏教的な用語を使えば本願他力による横超の立場の哲学的解明に繋がるものである。西田はこの二つの道を共に「場所の論理」で論じるのであるが、その具体的な展開は、辯證法的なる歴史的世界を主題とする哲学論文集の創造作用論を挟んで、最晩年の「場所的論理と宗教的世界観」において再び取り上げられたと見て良い。

 

[9] Josef Koch, Cusanus Texte: I, Predigten 2/5, In die Epiphaniae, Brixinac, 1456, pp.84-117

[10] Karl Barth, Die Kirchliche Dogmatik, Die Lehre von Gott, II,2 §§32-33, Gottes Gnadenwahl, I, 1942, Theologische Verlag Zürich, Teilband 10, 1988, S.101

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ホワイトヘッドの平和論

2016-09-02 | 歴程の哲学

ホワイトヘッドの平和論

 

 田中 裕

 

 はじめに─ラッセルからホワイトヘッドへ

 

「ホワイトヘッドの平和論」を語る前に、私は、嘗てケンブリッジ大学でホワイトヘッドに数学を学び、特別研究員(Fellow)の資格を得た後で、ホワイトヘッドと共に数理哲学の記念碑的な大著「数学原理(Principia Mathematica)」を著したバートランド・ラッセルの平和論、とくに、その基本的な思想を表明した「ラッセル・アインシュタイン宣言」の中で、決議文の前に置かれた次の文の引用から議論を始めたい。[1]

我々の前には、幸福、知識、知恵の絶えざる進歩の道があって、我々の選択を待っている。我々が諍いを忘れられないからといって、その代わりに、死を選択すべきなのであろうか? 我々は、人間として人間に向かって訴える― 諸君の人間性を想起し、他のことを忘れよ。もしそれが可能ならば、新しき楽園(a new Paradise)への道が開かれる。もし不可能ならば、諸君のまえには全面的な死の危険(the risk of universal death)がある。

1955年7月9日に湯川秀樹博士をふくむ多数のノーベル賞受賞科学者とともに書かれたこの決議文は、戦後の東西冷戦の時代、アメリカとソ連の全面的核戦争が人類の絶滅を招きかねないという歴史上嘗て存在しなかった新たなる事態をふまえて書かれたものである。 この宣言を受けて1957 年、米ソをはじめ世界から科学者 22名がカナダの漁村パグウォッシュに集まり、核兵器の危険性、放射線の危害、科学者の社会的責任について真剣な討議を行おこなった。爾来、「対立を超えた対話と科学的根拠を政策決定者に提供する」という科学者の社会的責任に立脚した活動が継続され、最近では、2015年に、第61回目のパグウォッシュ会議が長崎で開催され、原子力発電所の存否と核兵器との関連を問わねばならぬ現代の歴史的状況を踏まえた上で「長崎宣言」が出されたことが記憶に新しい。

 さて、ラッセル・アインシュタイン宣言のなかの、「人間として人間に向かって、諸君の人間性を想起せよ」と訴える、上記の宣言文を、61年後の現在において振り返ってみたときに、再考しなければならない問題が多々あると思う。

ひとつは、東西冷戦の終結が世界大戦と核戦争の危機の終焉を意味しなかったという歴史的現実である。現在では、超大国であるアメリカとロシアないし中国が核戦争をするという危険は以前よりも薄れたかも知れないが、それにかわって、北朝鮮やイスラム国のような全体主義的国家ないし疑似国家が核戦争ないし核によるテロ攻撃を始める危険性が現実味を帯びている。従って「長崎を最後の被爆地に」という長崎宣言の標語は決して色褪せてはいない。さらに、プルトニウムの軍事利用のために作られた原子炉の商業的転用であったという歴史的経緯から見ても、原子力発電を「核の平和利用(atom for peace)」と位置づけることは大きな問題を孕む。子々孫々に至るまで、未来の世代に危険な放射性廃棄物の處理を押しつけるという問題が解決されない以上、核兵器のみならず原子炉を廃絶することこそ、反核運動の目的となるべきだという認識は、日本では福島の原子力災害以前では少数派であったが、そのような考え方もまた近年では真剣に取り上げられるようになった。

これらの問題群については、既に多くの論者が様々な議論を展開しているので、私は、ここではそのような議論に深入りするつもりはない。そのかわりに、そのような政治的ないし技術的な問題の背後にある「人間の問題」をあらためて取り上げたいのである。つまり、「諸君の人間性を想起せよ」と「人間として人間に向かって呼びかける」場合に、そこで前提されている、「人間」ないし「人間性」とは何を意味するかという問題である。その場合、「人間」を「人間を越えるもの(超越者)および人間以前のもの(自然)」との関わりから切り離して、「人間」にむかって、その「人間性」に訴えるのではなく、むしろ超越者(神あるいは仏)と自然とのダイナミックな聯関において、個々の人間が生きてきている具体的な歴史的生の文脈において捉えることが肝要であろう。

今日では穏健なイスラム諸国は、西ヨーロッパ主導の人権概念を基本的に受け入れるようになったとはいえ、イスラム教の原理主義者からすれば、神から独立に、理性の限界内で「人間が固有の権利を持つ」ことを人間が演繹することを決して受け容れないであろう。西洋の人権思想の歴史においても、たとえば、仏蘭西革命を経験したドイツ理想主義の哲学者フィヒテは、啓示宗教を理性の名において批判し、個人の基本的な人権を、超越者の権威に依存せずに、カント的な実践理性の内的な根本原理から演繹したが、そのように普遍的道徳を宗教の上に置く理性の立場は当時、無神論として告発されたという歴史的事実がある。つまり、外的な権威への服従を説く制度化された宗教と実践的理性のあいだには、避けがたい緊張関係があり、既成の宗教の批判を抜きにして、単に「人間性」に訴えるだけでは不十分だということである。「人間性」とは、歴史的な状況に根ざした個々の活きた人間存在のうちに実現されねばならず、「人類」という如き抽象的存在にとどまるかぎり、その議論は地に着いたものにはならないのである。

    

ホワイトヘッドの宗教論

 

数理哲学、科学哲学に関しては共同研究者であったラッセルとホワイトヘッドは、宗教については、一見すると正反対の立場であったように見える。ラッセルはキリスト教の批判者として著名であり、理性を越える如何なる外的権威も認めない「自由人の崇敬(Free Man’s Worship)」を説いた哲学者である。これに対して、ホワイトヘッドの米国に於ける継承者は基本的にリベラルなキリスト教の神学者達が多く、彼らはホワイトヘッドの後期形而上学に立脚した「プロセス神学」という米国独自の神学運動を起こしたことで知られている。ホワイトヘッドは、みずからを二〇世紀に於けるプラトン主義の復興者であると位置づけており、「科学的唯物論」と機械論的な世界像の批判者でもあり、同時に、藝術と宗教と科学の調和をめざす新たなるコスモロジーの創設をめざしていた。年代的にはホワイトヘッドはラッセルよりも前の世代に属し、イギリスの講壇哲学がドイツ理想主義の形而上学的思弁の影響下にあった時代に属しており、彼自身、英国の精神文化を受け継ぎつつもそれを普遍化したニューマン枢機卿の影響を若い頃に受けていた。このように、後期のホワイトヘッド哲学を見る限り、ラッセルとはいかにも対照的であるが、ラッセルと同じくホワイトヘッドの哲学には、宗教のドグマと宗教的狂信の批判が含まれていることを指摘したい。しかしながらホワイトヘッドにはラッセルにまだ残存している科学的理性への楽天的な信頼はない。それゆえに、ホワイトヘッドは、ラッセル流の「自由人の崇敬」の立場からの宗教批判を踏まえた上で、ラッセルがいまだに囚われていた科学的な合理性への信頼をも批判する立場を内包するが故に、むしろラッセルの後に読まれるべき哲学者なのである。

「人間にとって最も大切なものは宗教である」とは、カトリック教会の昔の「公教要理」の冒頭の言葉であった。ここで云う「宗教」を普通名詞であると解するならば、それは人間の究極的な関心の所在を表現している。この命題の後で、「真実の宗教はキリスト教である」とか「真実の宗教はイスラム教である」という主張が続くならば、それはそれぞれの宗教の神学上のドグマ(独断)となるであろう。しかし、歴史的に与えられた宗教が文明に与えた役割を反省する場合、独断的にみずからの属する宗教を「真実の宗教」と主張する前に、他宗教のみならず自宗教も含めて、「宗教」の哲学的批判が先行しなければなるまい。ホワイトヘッドは、とくに普遍的な倫理・道徳との関係を論じる次のような言葉から、彼の『宗教とその形成』における宗教批判を始めている。

宗教は決して必然的に善ではない、それは非常な悪であり得る。悪の事実は世界の仕組みとからみあうと、それは事物の本性の中になお堕落をうむ力が残っていることを示している。諸君が契約を結んだ神は、諸君の宗教的経験において、破壊の神であるかもしれない。すなわち、すなわち、通り過ぎた後に、より大きな実在の喪失を残す神であるかもしれない。宗教を考える場合、我々はそれが必然的に善であるという観念にとりつかれてはならない。これは危険な幻想である。注意すべき点は宗教の超越的重要性であり、この重要性の事実は歴史に訴えることによって十分に明らかである。[2]

90年前に書かれたこの文章に、ホワイトヘッド研究者は、存在するものの彼方にある「善のイデア」の立場から同時代の反道徳的な宗教を批判したプラトンの現代的反響を見いだすであろうが、「諸君が契約を結んだ神は、諸君の宗教的経験において、破壊の神であるかもしれない」という一節は、宗教的狂信とテロリズムとの結びつきを指摘したものとして、現代的なリアリティをも感じさせる。それは、ヨーロッパで教育を受けながら世俗化した近代世界に空虚さを覚えてイスラム原理主義に帰依し、テロリズムに走った若い世代のイスラム教徒や、オウム真理教に荷担した日本の若き科学者達の特殊な事例を我々に想起させるが、それだけでなく、いかなる宗教にも潜在的に内在する原理主義のもつ破壊性を自覚すべきことを指摘したものである。ただし、ここで注意すべきことは、このような宗教批判は、宗教の持つ「超越的重要性」を決して否定するものではないということである。宗教を無視するもの、単にそれを否定するものは、自らが、科学技術の成果の物神崇拝や、異民族排斥によって国家の結束を図るナショナリズムという疑似宗教に絡め取られる危険を免れないであろう。

それでは、破壊と戦争をもたらす宗教ではなく、創造と平和をもたらす宗教としてホワイトヘッドはどのようなものを考えていたのか。『宗教とその形成』ではそれを次のように語っている。

宗教とは、孤独性(solitariness)である。諸君が孤独でなければ、諸君は決して宗教的ではない。集団的熱狂、信仰復興運動、宗教団体、教会、儀式、聖書、行動の成典は宗教の外飾物であり、その移行的な形式である。それらのものは有益であるか、あるいは有害である。それらは権威を以て定められることもあろうし、あるいは単なる

一時的な便法であるかもしれない。しかし宗教の目的はこれら一切を超えている。…

信仰と合理化が十分に確立されて後、初めて孤独性が宗教的重要性の中心を為すものとして認められるのである。文明化された人間の想像力に絶えず浮かんでくる偉大な宗教的諸概念は孤独性の情景である。岩に縛られたプロメテウス、砂漠で黙想するマホメット、仏陀の瞑想、十字架上の孤独の人がそれである。神によってさえ、見捨てられたと感じたことこそ宗教的精神の深さに属する。[3]

一読すると上記のような宗教観は、孤独性(単独者)を強調する点で、キルケゴールのような実存主義的なキリスト教を連想させるであろう。しかしながら、孤独性と人間の連帯性ないし社会性という相対立するものの間の動的な聯関を考える点で、ホワイトヘッドは単なる実存主義者ではない。人間の孤独性を深い意味での理性と結びつけ、最も個的なるものと最も普遍的なものとの逆対応的な動的統合を考えるところに彼の哲学の主題があるのである。ホワイトヘッドを実存主義の文脈で捉えた批評家のひとりにコリン・ウィルソンがいる。彼が1957年に出版した「宗教とアウトサイダー」の最終章でホワイトヘッドに言及し、次のように指摘しているのは、卓見であろう。

いくら英国人が形而上学に無関心であるとは言え、驚くべきことにホワイトヘッドが彼独自の実存主義を創造したと言う事実に気づいた人は一人も居ない。しかも彼の実存主義は、ヨーロッパ大陸の如何なる思想家のそれよりも充実したものなのである。『科学と近代世界』は二〇世紀の『非学問的後書き』にほかならず、おまけにそれは読むに値するという利点を有している。[4]

『科学と近代世界』は『宗教とその形成』とほぼ同時期に執筆された姉妹編とも云うべき著作であり、前者が科学批判を後者が宗教批判を扱っている。コリン・ウィルソンは前者をキルケゴールノ「非学問的後書き(unscientific postscript)」にそれをなぞらえているが、ホワイトヘッドの場合、それはあくまでも否定ではなく批判であって、我々が「科学」や「宗教」として考えているところのものを、具体的な生活世界の現場に立ち戻ることによって、そこから批判的に考察し、科学を科学のドグマから、宗教を宗教のドグマから解き放つことを目的として書かれた二つの書物なのである。

我々は、科学の発達が人類の幸福を保証するという楽天的な進歩史観のリアリティが失われた時代を生きている。知識と技術は加速度的に進歩したが知恵(wisdom)においてもそうであるというわけにはいかない。「宗教が必然的に善である」と考えてはならないのと同じように、我々は、「科学の進歩が必然的に善である」と考えてはならないであろう。すくなくとも科学の進歩によって、地上に「新しき楽園(a new Paradise)」が構築されるなどと云う楽天的な考え方そのものを批判しなければならない時代を我々は今生きているのである。人類の存続そのものの危機は、核戦争だけによってもたらされるものではなく、現在では地球の環境危機という新たなる問題が登場している。この問題は、「自然と人間との共生」の問題、すなわち「エコロジー文明」の創出という新しい研究課題を哲学に与えるものとなったが、この問題にいち早く対応したのが、米国でホワイトヘッドの影響を受けたプロセス神学者達であった。

 

文明の転換期における平和の重要性

 

1987年にアメリカのバークリーで開催された、仏教とキリスト教の対話を主題とする国際会議のテーマは、「地球の癒し(Global healing)」であった。 この国際会議を主導した米国のプロセス神学者のジョン・カブは、クレアモント大学あるホワイトヘッド研究のメッカともいうべきProcess Centerの創設者でもあるが、彼はホワイトヘッドのコスモロジーが地球の環境危機を考察する上で極めて重要であるという認識を早くから持っていた。彼はこの国際会議の基調演説で次のように述べた。

宗教的な観点から死について語る場合、従来は、ほとんど個人的な次元にとどまっていて、私という個人の死、あるいは、死後の世界はどのようなものであるかという観点から、この問題が扱われた。今日では、我々は、地球全体に死が広がりつつあるという状況に直面している。このことは、もはや、様々な宗教的伝統に属する人間にとって、避けられない問題となっている。[5] 

地球全体に「死」が拡がりつつあるということは、あくまでも人間的な比喩、もしくは、神話的象徴によって語られていることであって、科学的事実の客観的な記述ではない言う意見があるかもしれない。普通に我々が理解している自然科学には「病」とか、「死」という語は登場しない。もし、自然科学の最も基底的な言語に、生死(生成と消滅)、価値、目的というような範疇が存在しないならば、自然科学的な事実を根拠として、「病める」地球の「癒し」について語ることはできないであろう。健康であったり、病気であったりするのは、あくまでも人間についていえるのであって、他の生物種や無生物について言うのは無理であるとも思われよう。 しかしながら、「健康」や「病」を人間にのみあてはまる特殊な述語と考え、自然そのものを人間の外部に対象化された単なる物質の運動に還元するような自然観そのものが、現在の生態学的危機と密接に結びついているとしたらどうであろうか。 宗教が人間の個人的な内面的生の問題のみに関わり、科学が自然を外部から操作可能な物質の機械論的システムに還元するとき、自然と人間の関わりを問う「環境問題」を、「科学的にかつ宗教的に」語るという道はほとんど閉ざされていたと言ってよい。ホワイトヘッドの自然哲学のコスモロジーはまさにそのような近代に固有の機械論的自然観と、科学から切り離された実存的宗教観の断絶を克服するために亭主すされたものであった。すなわち、人間の生死を、ひろく生きとし生けるもの生命のつながりにおいて捉え、自然を外部から操作し、意識を持つ人間の自己中心的な価値に奉仕させる道具的存在と見做す考え方そのものを批判することが『科学と近代世界』の根本的テーマの一つであった。

単なる科学的な理性は、手段知としていかに優れていても、無知の自覚において成りたつ本来の哲学的智の基準からすれば、人間と自然との間の分離不可能な依存関係について、また自己と他者との社会的依存関係に対しても、甚だしき無智と共存しうるのである。

ホワイトヘッドの哲学は、自然を支配する道具として理性を見る立場が批判されるだけでなく、「存在するために他者を必要としない」実体の哲学的概念が迷妄として斥けられている。これは、これまでの西欧のプラトン主義やアリストテレス主義にはなかった哲学の新しい考え方であり、仏教の縁起説に通じる徹底した実体否定論を説いている。このような実体否定論に基づいて、ホワイトヘッドは、自然の外部から神の如き立場で干渉する人間の科学的理性の「暴力」を斥けるだけでなく、一神教の中にあってこれまで無批判的に受容されてきた神概念、すなわち世界に全く依存しないが、世界のほうは全面的に依存する絶対的な実体的としての神の概念、万有を外部から専制君主のように支配する神の概念を、一神教に特有の偶像崇拝として批判し、またその偶像崇拝に基づく暴力の是認を、平和を脅かす宗教的イデオロギーとして斥けるのである。

ホワイトヘッドは、『過程と実在』の「神と世界」の関係を論ずる章で次のように伝統的な「万軍の主」の神概念を批判している。

「不動の動者」としての神の観念は、すくなくとも西欧思想に関するかぎりアリストテレスに由来する。「勝義にリアルな実体」としての神の観念は、キリスト教神学好みの説である。此等二つの神の観念が結合して、根源的で、勝義にリアルな超越的な創造主-その命令一下、世界が成立し、それが課した意志に世界が服従する超越的な創造主の説になるのであるが、これは、キリスト教とイスラム教の歴史に悲劇を注入してきた誤謬である。西欧世界がキリスト教を受け容れたときにローマ皇帝が勝利を収めたのであるし、西欧の神学の受け取ったテキストは、ローマ皇帝の法律家達によって編集された。ユスティニアヌス法典とユスティニアヌス神学とは、人間精神の一つの運動を表現している二巻である。ガリラヤの謙譲についての簡潔なヴィジョンは、諸時代を貫いて、不確かに明滅した。キリスト教の公式化においては、救世主に対して誤解を抱いたということを、唯ユダヤ人だけのものとみなす些末な形をとった。しかし、神をエジプト、ペルシャ、そしてローマの皇帝のイメージにかたどって作るという、より深刻な偶像が保持された。教会は、もっぱら皇帝に属しているいろいろな属性を付与したのである。[6]

ここでユダヤ人が救世主に対して誤った観念を抱いたというのは、失われた王国をダビデの子孫として復興する王としてのメシアというユダヤ人中心の考え方であり、民族の壁を越えて異邦人をも救済するという普遍的な救済の教えではなかったことを指している。しかし、ホワイトヘッドは、誤解したのはユダヤ人のみならず、初期のキリスト教の神学者達もまた、神を皇帝のイメージにかたどるという、より深刻な偶像崇拝に陥っていたというのである。

嘗ての西欧文明がキリスト教を非キリスト教国に宣教する場合でも、歴史はその布教活動が帝国主義的な政治的支配と分かちがたく結びついていたことを示している。この点がホワイトヘッドのいう一神教のなかでまだ克服されていない深刻な偶像崇拝のポイントであろう。ホワイトヘッドがキリスト教において重視するのは、「統治する皇帝でも、呵責のない道徳家でも、不動の動者でもなく」、「世界の内で、ゆるやかに、そして静謐の内に働く」「ガリラヤの謙遜(humility)」、すなわち福音書に記されているキリストのケノーシス(自己譲与の愛のはたらき)である。

先に名前を挙げたプロセス神学者のジョン・カブは、ホワイトヘッドの哲学が、キリスト教だけでなく仏教にも深い関わりを持っていることを理解し、米国宗教学会で仏教とキリスト教との宗教間対話を積極的に推進した人でもあった。ホワイトヘッドは、大乗仏教については知識を持たず、当時英訳された倶舎論に示されていたような小乗仏教的を論じただけにとどまったが、彼自身が『過程と実在』で展開した宗教哲学が、小乗仏教の二世界説的形而上学を克服した大乗仏教の根本思想と通底するものであることは、日本のホワイトヘッド研究者もまた詳細に指摘している。[7] 

ホワイトヘッドが積極的な意味での平和を語っているのは、『観念の冒険』の文明論においてである。ここで云う平和(Peace) は「平安」とも訳しうるが、単に個人の心の内面的な世界だけにとどまるものではない。平和は、宗教論の文脈では外的なものに優先する個の内面に関わるが、内的なものは常に外化され他者によって受容され、継承されるという意味で、内なる世界と外なる世界は互いに動的に転換するという働きがあるからである。言い換えるならば個人の魂に平安のないところに、政治的・外的な意味での平和も到来することはないのであり、地の平和のないところに、魂の平安もあり得ないのである。

まず、ホワイトヘッドは、文明を「まこと(Truth)」「美しさ(Beauty)」「冒険(Adventure)「藝術(Art)」の四つの徳性がいかに実現されているかによって特徴付ける。美を重視するのは、ホワイトヘッドに特徴的であって、広義の美的判断がそれ自身において価値あるものを我々に伝える点で、また最も具体的な生に直接に関わるという意味で、倫理学の形式的な当為判断よりも実質的な重要性を持つというホワイトヘッドの考え方が現れている。しかし、此等の特質をひとつひとつ彼自身の哲学の立場から論じた後で、ホワイトヘッドは次のように「平和」の重要性を説くのである。

我々が探し求めているのは、他の四つの徳性を総括し、それらの徳性に実際しばしばつきまとってきたやむことのない自我主義を文明の観念から排除するような、<調和の調和>の観念である。「非人格性」は死語でありすぎるし、「優しさ」は、狭すぎる。私は破壊的な騒々しさを鎮静し、文明を完成させる<調和の調和>に対して、<平和>という用を選ぶ。こうして社会が文明化されていると呼ぶことができるのは、そのメンバーが五つの徳性―<まこと><美しさ><冒険><藝術><平和>に関与する場合である。

ここで云われている文明は、近代科学の成立以後に意味されているような機械文明ではない。それは精神的な文明であり、構成員が関与する徳性である。<冒険adventure>は、未来の方から到来して過去を刷新する力を表わしており、進取の気性をもつ自由人としての個人の気概を表現するものである。しかし、真理を探究する科学も、美を探求する藝術も、冒険を重んじる起業家の気概も、それだけでは文明を構成しはしない。それらの徳性、古い哲学の用語を使うならば、知的卓越性や倫理的卓越性を統合する宗教的卓越性の根本を表現するものが、ホワイトヘッドにあっては「調和の調和( Harmony of Harmonies)」としての「平和」なのである。ここでいう「平和」は消極的な概念ではなく、「魂の生命と躍動の花冠である積極的な感情(positive feeling)」である。それは「未来に対する希望」ではなく、「現在の細々したものへの興味」でもない。言葉で表現することは難しいが、「人格性の超越を伴う、相対的な価値の逆転」であり、「目的の制御を越えた賜物として到来するもの」である。この<平和>は抑止の除去であって、抑止の導入ではない。

転換期に於ける文明を特徴付ける徳性としてのこのような「平和」の概念は、諸宗教で伝統的に語られてきた「平和の概念」でもある。即ち、創造の御業を完成し休息された神に倣う「安息日の平和(シャローム)」、キリスト教のミサで唱えられる「主の平和」、そして、生死の苦しみに満ちた世界から逃避して来世に希望を託す消極的な涅槃ではなく、衆生の苦の世界をみずから積極的に引き受けて、生死の世界との往還のダイナミズムにおいて捉えられた大乗仏教的な涅槃(無住處涅槃)など、様々な宗教的叡智の伝統につながる「平和」である。このような宗教的伝統のなかで育まれた叡智の伝統を尊重しつつ、なお既成の宗教や疑似宗教的イデオロギーのなかに認められるさまざまな偶像崇拝的要素を除去し、そのような集団的エゴイスムを乗り越える「平和」を、文明論の転換という文脈で論じたものがホワイトヘッドの平和論である。



[1] ラッセル・アインシュタイン宣言の英語原文は、日本パグウォッシュ会議のHP

http://www.pugwashjapan.jp/ 参照 ただし、日本語訳は私自身のものである。

[2] Alfred North Whitehead, Religion in the Making, 1926, Newyork: Fordham UP, 1996, p.7 ホワイトヘッド著作集7巻『宗教とその形成』(齋藤繁雄訳)松籟社7頁

[3] 前掲書 p.9 邦訳8頁

[4]Colin Wilson, Religion and the Rebel, Littlehampton Book Service, 1957

『宗教とアウトサイダー』、中村保男訳、河出文庫、1992,下巻271頁、 

[5] この国際会議については、拙著『ホワイトヘッド』講談社、1998、183頁以下を参照

[6] A.N.Whitehead, Process and Reality, 1929, Corrected Edition. New York:Free Press, 1978,p.342 ホワイトヘッド著作集第11巻『過程と実在』下、山本誠作訳、松籟社、610頁 

[7] 武田龍精、「大乗仏教とホワイトヘッド哲学―特に中観と瑜伽行唯識に関して」、「プロセス思想」創刊号、1985,5-18頁は、ホワイトヘッド哲学でいう創造性を大乗仏教の動的な「空」の理解に結びつけている。

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アウシュビッツ以後の神学―ハンス・ヨーナスとの対話―

2016-03-29 | 日誌

アウシュビッツ以後の神学―ハンス・ヨーナスとの対話―

田中裕(プロセス思想第16号2014, pp.9-24より転載)

 ハンス・ヨーナスといえば、「責任という原理―科学技術文明のための倫理学の試み」という主著で提示された世代間倫理の提唱者として著名であり、日本でも環境倫理学の文献でよく引用されている。私もまた、二〇一〇年度の本学会シンポジウムで「共生の哲学」をテーマとして発表したときに、生命と環境に関する彼の哲学をホワイトヘッドの有機体哲学との関連において論じた。今回の講演ではその続きとして、ハンス・ヨーナスの思想を倫理学や存在論といった哲学的文脈ではなくて、伝統的には「神義論(theodicy)」として知られている神学的文脈において取り上げたい。

 (一)ハンス・ヨーナスの「アウシュビッツ以後の神概念」について

 ハンス・ヨーナスは、ハイデッガーとブルトマンの指導の下でグノーシス思想の研究で学位を修得したことから知られるように、古代末期のヘレニズム世界の宗教者の生の実存論的分析に通じていた人であったが、日本で紹介されてきた倫理学的著作においては、ユダヤ教やキリスト教の宗教的傳統に明示的に言及することは稀であり、理性的な討議を超えた宗教に関わる事柄には禁欲的な哲学者としての立場を守っていたといえる。しかしながら、その晩年において、強制収容所でなくなったユダヤ教のラビ、レオポルド・ルーカス博士を記念する賞を、チュービンゲン大学より授けられた時に、ヨーナスは、ルーカスの母と同じくアウシュビッツで死亡した自分自身の母親のことを思いつつ、受賞記念講演のテーマに選んだのが「アウシュビッツ以後の神概念―ユダヤの声」であった。その講演の内容はヨーナスから哲学者としての発言を期待していた聴衆を驚かせたが、ヨーナスは、それまで自らのユダヤ教信仰については寡黙であった自分が、敢えてこのようなテーマを選んだ理由について、「アウシュビッツの靈たちが黙せる神に向かってあげた長くこだまする叫びに対して、なにがしかのの答えのようなものを試みる、そのことを断念しないことこそ、その人々に対する責務である」と述べている。[i] 数千年にわたる受難の歴史を持つユダヤ民族にとっても、アウシュビッツの出来事は、先例のない途方もなく苛烈な経験であって、ヨーナスはこの経験が神とどう関わるのかと問わないわけにはいかなかったからである。哲学者として普遍妥当的な論證をすることはカント以後の理論的哲学ではとうに断念されたことではあるが、実践理性に関わる信仰の事柄として、ヨーナスはあえて神学の領域に踏み込んだのである。世俗化した現代においては、哲学者が神について語ることは異例である。しかしながら、理性にもとづく概念的思索が及ばぬ場合であっても、知りうるものの彼岸の領域を前にしてミュトスを語ったプラトンに倣い、ヨーナスは、様々な神話的な象徴を援用しつつ、倫理的実践の指針となるべき理念としては首尾一貫した神概念を提示することを辞さなかったのである。そのような理論理性を超えた領域に踏み込むことを、アウシュビッツの犠牲者たちと同じ時代を生きた一人のユダヤ人の哲学者の義務と考えたことが、ヨーナスがこの記念講演を行った理由であった。

「この世で義しき人、信仰篤き人が受難を被るのはなぜか」あるいは「神に選ばれた民であるユダヤ人がなぜ異教徒に侵略され、虐殺され、祖国を失い、捕囚の屈辱を受け、異教徒のうちにあって隷従しつつ生きなければならないのか」という問は、受難の民と言うべきユダヤ教徒にとっては歴史的なものであった。それは、聖書の諸書、たとえばヨブ記や預言書のなかでアブラハム・ヤコブ・イサクの神への無条件的な信仰、モーゼの律法の遵守という文脈で繰り返し語られたものであったし、ある意味で旧約聖書の根本的主題でもあった。この歴史的な問が、第一次世界大戦以後のドイツにおけるユダヤ人の虐殺という現実を前にして、新たに切実な問いとして蘇る。

ユダヤ教やキリスト教における神義論の歴史を繙いてみれば、我々は様々な解答の試みを見いだすであろう。ユダヤ人の受難は、この民族が神との契約を守らなかったこと、神に忠実ではなかったことの罰として因果応報的に説明されたか、あるいは「もっとも正しく罪のない人が民族の罪を背負って最も過酷な悪を被る」こと、つまり罪なき人の贖罪的な犠牲ないし殉教として説明されてきた。しかしながら、ヨーナスはこのような類型的な説明は、現代人にとっては説得力を失っているという。アウシュビッツという名を持つ出来事は、ユダヤの歴史経験にいまだかつてなかったものを新たに付け加えたのであり、それは従来の神学のカテゴリーでは手に負えぬものであるからである。

とくに真の救済を来世に期待するのではなく此岸に神の創造、正義と救いの場を見ようとするユダヤ教徒にとっては、アウシュビッツそのものが大きな問題となる。神は歴史を支配するものであり、この伝承された神の概念を信ずるものにとっては、厳密な学問的論證はできずとも、神義論の根本的な問いに対して新たな答えを探さなくてはならないからである。

ヨーナスの神学的議論の特徴は、伝統的なユダヤ・キリスト教の神学的な神の概念の一つである「神の全能」を否定することにあった。正統的な神学では異端とも見えるこのような見解を彼が取らなければならないとなぜ考えたのか、それを説明する前に、彼の理性的な議論の根源にあるパトスを端的に表現するものとして、ヨーナスに大きな影響を与えた一つの証言、アウシュビッツの犠牲者の一人であった若きユダヤ人女性、エティ・ヒレスムの残した次のような証言をあげなければならない。

「神が命じるところなら、私はこの地上のどんな場所にも行く。私はどんな状況でも、死に至るまでこう証言する用意がある。・・・」

「神よ、あなたが私をお見捨てにならないように、私はあなたを助けましょう。でも、私はあらかじめ何も保証することができないのです。ただひとつこのことだけが私にはますますはっきりしてきました。あなたは私たちを助けることができず、私たちがあなたを助けなくてはならないということです。そうすることで、私たちはついには私たち自身を助けることになりましょう。肝心なのはただ一つのことです。私たちのうちにあるあなたの一部を救うこと、神よ。・・・・ええ、神様、あなたにしても、この状況の多くを変えることはできないようにみえます。・・・・私はあなたから説明を求めません。あとになって、あなたは私たちに説明を求めるでしょう。ほとんど心臓が脈打つたびに私にますますはっきりしてくるのは、あなたは私たちを助けることができず、私たちがあなたを助けなくてはならないということ、私たちの内にあるあなたの住処を最後の最後まで守らなくてはならないということです。」[ii]

 ヨーナス自身が引用しているこのユダヤ人女性の証言は、我々の外部にあって、世界と歴史を支配する「全能の神」にたいする信仰の告白ではない。その点において、義人の受難という問に対して旧約聖書のヨブ記の作者が与えた解答とは全く異なっている。アウシュビッツという極限的な状況で発せられたこの言葉は、全能の神でなければ信仰に値しないと考える伝統的なユダヤ・キリスト教の神概念では説明ができないであろう。

 エティ・ヒレスムの証言に深く突き動かされたヨーナスは、この信仰のパトスのうちに内在しているロゴスを「アウシュビッツ以後の神学」のなかで展開している。その議論の出発点は、「神の全能」、「神の善性」、そして「神の理解可能性」をすべて認めることは論理的に不可能であるというトリレンマである。全能にして絶対的に善なる存在でありながら、アウシュビッツのような根源悪を前にして沈黙する神は、全く理解不能なものとなるであろう。しかしユダヤ教の教えであるトーラーは、神の理解可能な言葉によって預言者に伝えられたものであり、完璧ではないにせよ、人間が神を理解できるということを前提としている。したがって、神を理解可能であって、善であり、しかも世界にはアウシュビッツのような不合理な災禍が現に存在したということを真摯に認めるならば、神の属性と伝統的に考えられたもののなかで真に否定しなければならないのは「神の全能」という概念である、というのがヨーナスの議論である。

 しかしながら、いかにアウシュビッツが新しい神学的思索を要求するといっても、その神学は、それを語るものがユダヤ教徒あるいは、キリスト教徒であるならば、ユダヤ教やキリスト教の傳統と無縁なものであることはできない。伝承された様々な物語、ミュトスの再解釈ということが必要となるであろう。ヨーナス自身は、もともとグノーシス思想の研究者であったという経歴があるからであろうか、ユダヤ教の「神の収縮Zimzum」[iii]という神話を手掛かりにして、神と世界の関係を次のように説明している。

この仮説的ミュトスによれば、世界を存在せしめるために神は自己の存在を断念し、その完全性をみずから放棄したというのである。つまり世界の創造とは、超越的なる神の自己否定に他ならず、このような神の自己否定によって、世界が存在するのである以上、私たちの世界に対する帰属は、世界の外に立つような「摂理」によっては決して緩和されることのない厳しいものともなりうるのである。このような世界において、人間は世界の外部からの「全能なる神」の超越的救済をあてにすることはできない。本質的に偶然と冒険に支配されたこの苦しみに満ちた世界のただ中において、人間は、被造物としての自己に内在する神に対して責任を負わなければならないというのである。

 ヨーナスはそのようなミュトスから、(1)受苦する神(2)生成する神(3)気づかう神、という三つの神概念を引き出している。最初の「受苦する神」という概念はキリストの受難という概念と類似しているが、救済論ではなく創造論の文脈ですでに語られている点で、伝統的なキリスト教神学とは異なっている。「生成する神」とは「永遠に自己と同一である完璧な存在を所有する代わりに、時間の中で明らかとなる神」という概念である。それは、超時間性、非受動性、不可変性を必然的属性としてもつという伝統的なキリスト教神学の神概念とは矛盾するが、旧約聖書の神概念とは対立しないものである。またこの「生成」という概念は、キリスト教的形而上学に対するニーチェの代替案にほかならぬ「永劫回帰」とも矛盾し、同一事態の反復を決して許さない。神自身が、世界の歴史的過程を通じて冒険を行っている以上、世界と共につねに、否定によって自己の同一性を越えて時間的に進展しゆく存在である。最後に「気づかう神」とは、「遠くに身を置き、自らのうちに完結している神ではなく、自分が気づかうことに巻き込まれてしまう神」であり、「被造物のことを被造物のために気づかう神」であって、それこそが聖書にもとづくユダヤ教の根本信仰の中でもっともよく知られたものである。そしてこの三つの概念によって、聖書の傳統と結びつきつつ、「全能なる神」という絶対的に超越的な力を強調する伝統的な神概念を否定するところにヨーナスの神学的思弁の特徴があると言って良いであろう。

 (二)プロセス神学における神義論について

 ここで、ヨーナスとは独立に、「神の全能」という概念を退けてきた米国のプロセス神学における神義論を参照しつつ、「アウシュビッツ以後の神学」というテーマをヨーナスとは違った観点から再考してみたい。ヨーナス自身は、プロセス神学については全く言及していないし、またプロセス神学者達も、神義論の文脈では、私の知る限りでは、ハンス・ヨーナスの神学的思弁を無視しているようである。そうであるにもかかわらず、前節でのべた神概念の三つの契機と神の全能という概念の否定は、基本的にはプロセス神学の基本的特徴でもある。そしてこの一致は偶然ではなく、両者ともにホワイトヘッドの形而上学的思弁の影響をそれぞれが違った形に於てではあるにせよ受けているからであろう。

 たとえば、チャールズ・ハーツホーンの『全能およびその他の神学的誤謬について』は、ハンス・ヨーナスの「アウシュビッツ以後の神概念」とほぼ同じ時期に出版された著作であるが、その後のプロセス神学の神義論の背景となる神学的な論点を要約したものと言って良い。そこで彼は、従来のキリスト教神学の「誤謬」として(1)神は絶對的に完全であるがゆえに不変である(2)神は全能である(3)神は全知である(4)神の善性は共感を欠いている(5)不滅とは死後に生命の担い手が存続することである(6)啓示は不可謬である、という六つの論点を挙げている。[iv] この本のタイトルにもしめされているように、「神の全能」の否定こそが、彼が提唱するプロセス神学、すなわち「新古典主義的有神論(neo-classical theism)」の根本特徴であるという主張を展開している。また、デイヴィッド・グリフィンの『神、権力、そして悪―プロセス神義論』[v]は、伝統的な「神の全能」概念を前提すれば、悪の實在という経験的な論拠から無神論が帰結するという直截な議論を展開している。それは、神の理解可能性、神の善性、および神の全能という三つの概念は同時に主張することができないという点でヨーナスの議論と同じである。

このようにプロセス神学者達は、伝統的な神学上の概念である「神の全能」を退ける点において、ヨーナスと同じであるが、ヨーナスとは違って、単なる神話的なイメージによって、真実らしき物語として神学的思弁をしているわけではなく、ホワイトヘッドの「過程と實在」の形而上学と「形成途上の宗教」における宗教哲学に依拠しつつ、「新古典主義神学」ないし「プロセス神学」という新しい神学を積極的に提唱している点が異なっている。

ヨーナスにおいては、神の存在の自己否定という出来事―自らの力を放棄して世界に完全に譲渡する神について神話的に語られたために、この神話的な物語において、世界創造以前の神が、「存在するもの」として、依然として前提されている。そのような存在者としての神が「存在」と自らの「完全性」を放棄することによって世界の「創造」という一回限りの出来事が生起し、それ以後は、神は全能をみずから放棄して、世界の進行を世界自身にゆだねるというごとき図式が残存している。これに対して、ホワイトヘッドの「過程と實在」で中心的な位置を占める概念は、「無からの創造」という天地開闢のときにのみ生起した一回限りの出来事ではなく、今この瞬間において、そしていかなる瞬間においても同じように絶え間なく作用している「創造性(creativity)」である。

 「創造性」は如何なる意味でも対象化されざる根源的な活動であり、現実的な存在者としての神よりも存在論的に先行する。時空を越えた無限なる現実的存在者としての神をすら超越する「創造性」は、一性と多性とならび、神と世界とに共通の超越論的述語であり、普遍の普遍(the universal of universals)である。「創造性」は存在と価値に関しては無記であり、それが現実化するために神と世界を共に必要とする。活動的存在(Actual Entity)としての神は、伝統的神学で前提されていたような「全能の創造主」ではないが、決して無力なる存在ではない。そもそも「存在とは力である」というのがホワイトヘッドの存在論の根本的特徴であり、神であれ有限なる活動的生起であれ、およそ現実に存在するものにして無力なるものは何一つ存在しない。ただし、ここでいう力とは、ホワイトヘッドが、プラトンの対話編である『ソフィステース』に登場するエレア派の客人の言葉から取ったものであるが、それは「他者からの影響を受容し、かつ他者に影響を与えることのできる力(デュナミス)」という意味であり、「力」の概念は「他者」を必然的に前提するのである。ホワイトヘッドはこの考え方をさらに徹底的に推し進め、存在者としての自己と他者の相互主体的な関係性を、創造性の活動によって常に新たなる活動的存在が生成していく出来事としてとらえている。すなわち、経験の主體は他者の存在を前提として生成し、自らをあらたなる一つの存在として、他者の新たなる生成のために自己を与える自己超越的主體(subject-superject)でもある。ヨーナスは、唯一回限りの世界創造において神はその力を世界に譲渡したと物語的に語ったが、ホワイトヘッドの場合は、自己の存在の他者への譲渡は、生成する歴史的世界のひとつひとつの存在者の間で各瞬間瞬間において常に生起している根源的な出来事である。いうなれば、それは神話としての物語ではなく、客観的にして主体的な事實そのものである。「創造性」は、さらに「一」と「多」という超越論的述語と組み合わさって究極の範疇(the categories of the ultimate)を形成する。「多」を「一」とならんで超越論的述語とするところに、ホワイトヘッドがプラトン主義の伝統を批判的に継承しつつ、プラトン以後の人類の経験を総括して、世界の多様性を積極的に肯定する独自の形而上学を構想したことを示している。すなわち、自己同一性(self-identity)だけではなく、自己差異性(self-diversity)が創造性の活動に必要であり、自己同一は、「多」と「一」が時間的に相互に創造的に転換するプロセスによって歴史的世界が成立する。それは「多は一となることによって、一によって多様化される(The many become one, and are increased by one)という根本命題によって表現されている。

 ホワイトヘッド哲学における創造性と神の関係は、伝統的なキリスト教神学には見られぬものである。アリストテレスの実体概念を前提すれば、創造性は実体の属性であり、創造性よりも実体という「存在」が優先するであろう。しかるに、「具體的な関係性の事実(Concrete facts of relatedness)を実体よりも根源的と見なすホワイトヘッドにおいては、創造性は、神にせよ世界内存在にせよ、およそ存在するものに先行し、それらを存在せしめる究極の活動であり、それ自身は「存在」ではない。この世界における自由の起源を、存在者としての神を神ならしめる神の根柢に求める点で、形而上学的に究極的なる活動を、存在者としての神から区別している。その点においては、シェリングの『自由論』に於ける「神の内なる自然」と神の関係、ないしベーメの「無底」と神の関係と類似しているように見えるが、「全能」という言葉と伝統的に結合していた「絶対者」の概念をホワイトヘッドが否定する点において、ドイツの理想主義哲学の自由論とは区別すべきであろう。ホワイトヘッドの神概念は、単に全能でないというにとどまらず、「絶対者」としての神という概念を、抽象的な無力な概念として退けている点に根本的な新しさがある。その形而上学の根本原理は、「普遍的な相対性の原理」であって、活動的存在を存在概念の基盤とする「存在論的原理」は、実体概念のラジカルな否認に他ならぬこの「相対性の原理」とともに理解されるべきである。すなわち、創造性と神との関係は、伝統的なキリスト教神学における属性とその基体としての実体という概念ではとらえられず、むしろ「縁起・無自性・空」を存在者の存在よりも根源的と見なし、そこにおいて、かたちある仏の存在を考える大乗仏教の傳統のほうに親和性を持っていることはプロセス神学と仏教との対話において縷々指摘されることである。仏教的にいえば苦悩する衆生の救済を、煩悩に満ちたこの世からの解脱としての涅槃寂静においてではなく、むしろその世界を絶対的に肯定し、言うなれば此岸と彼岸をともに超越して、両者が交互に転化する歴史的な世界の創造性のただなかに求める点が、ホワイトヘッドの宗教哲学の根音特徴である。そこにおいては、輪廻転生する生死の円環的連鎖、永劫回帰する世界(そこには来世においても新しきものは無い)からの解脱ではなく、一回きりのかけがえのない歴史的世界における創造性の活動が根本であり、そこに救済を求める点に、「空性」ではなく「創造性」を超越論的述語とした意味があろう。

神も世界における有限なる存在者も、およそ存在するものはすべて力を持つものであつと前に指摘したが、それと同時に現実に活動している存在者はすべて物質性と精神性を兼備している。このばあい意識を持つ人間だけに精神性があるのではない。すなわち、ホワイトヘッドの語る歴史的世界においては、既在性が物質的世界からの限定を表現するとすれば、将来性が理念的世界からの限定を表現するのである。両者の限定のもとに現在に於いて自己形成を行う主体は、自己創造的被造物(self-creating creature)であり、世界をその都度抱握することによって、世界を内在させ、そのことによってその現実世界を超越する存在として、他者としての諸々の現実的存在に自己を与える。この自己能与の結果が活動的存在の自己超越性(superjective nature)である。

 この意味で、有限なる活動的存在は、物質性と精神性を両極として統合するモナド的な生起であるが、世界を内在させることによって、本質的に新しい未来の世界に向けて自己超越するのである。この点に於いて、個々の活動的生起は、創造的世界の創造的要素として、神と世界との関係を、逆対応的に表現する。すなわち、神に於いては、無尽蔵の永遠的形相の理念的評価が先行し、物質的世界によるこれらの理念の世界による制約された実現が後行するのに対し、個々の有限なる活動的生起は、世界に於て既に実現された諸理念を物質的に抱握することから自己形成を開始し、自己の主体性を導く原初の目的因を神より理念的に与えられること(理念的転換)によっての自己をあたらしき存在として既存の世界に与える。神において先なるものは個的実存である活動的生起にとっては後なるものであり、神に於いて後なるものはその活動的生起にとっては先なるものである。このような神と個々の実存者との逆対応的関係によって世界の歴史的過程が成立する。

 (三)不滅性と今日の実存―ヨーナスの神話的象徴の哲学的解釈

  ハンス・ヨーナスの神学的思弁として「アウシュビッツ以後の神概念」とならんで特筆すべきものは、一九六一年に彼がハーバード大学でおこなったインガソル特別講義、「不滅性と今日の実存」である。「不滅性」の世俗的な意味、すなわち「名声や影響の不滅性」が如何に信頼し得えないかということ、また「人格の不滅性」という神学的な観念が、時間的な現象と永遠的なる本質という形而上学的二元論に基盤をおいているかぎり、第二次大戦の瓦礫の中にたたずむ現代人の根本的気分に他ならぬニヒリズムを超克するものとはなり得ないであろう。このニヒリズムを真正面から取り上げた実存哲学の主張にヨーナスは賛同しないが、その精神を共有し、とという二重の無の狭間、時間の中の孤独な足場に身を置いて不滅性を再考することを試みている。

ヨーナスの出発点は、「永続性」とは異なる意味を持つ「永遠」を、持続のうちにではなく、決断の瞬間においてとらえることである。すなわち、「持続というかたちで自己を肯定するもののうちではなく、自己を否定するものの内に、永遠への―まだ確定されていない―関係を探し求める」こと、これが不滅性を再考するときの指針となる。ただし、永遠との接点が瞬間であるといっても、それは神秘主義者が時間の運動からの解放を味わう静止した「今」としての瞬間ではなく、まさに時間の運動を生み出し、それを内奥から動かすものとしての瞬間である。彼は、このような時を生み出す瞬間について次のように語る。

この瞬間は、行為の敷居のところで時間を宙づりにし、私たちの存在を、時間を越えたものに曝し、決断という転回によって私たちの存在を行為と時間へと速やかにもたらす。瞬間は、それが始めた運動にすぐに絡め取られてしまうとはいえ、まさに状況の中の滅びうるものを私たちにゆだねるが故に、私たちが超越に対して開かれていることを示している。あらゆる関心の本質を構成するこの(現世的なものと超越への)二重の開放性において、瞬間は責任を持って行為するものを永遠と時間の間に置く。この二つの狭間から新たな始まりの可能性が、したがって、人格の真の歴史性の可能性が生じる。その際の歴史性が意味しているのは、とへその都度飛ぶようにして舞い戻ることである。[vi]

 ヨーナスがここで問題としている不滅性は、実体的な霊魂や人格の概念にもとづくものではないとはいえ、決断と行為の「瞬間」のうちに永遠なるものとの関係を見いだし、我々の活動的な経験、自由、責任が経験において示唆するものに従いつつ、「正義」という倫理学の中軸的概念に実質的な意味を恢復しようとする試みである。そのために、ヨーナスは、のちに「アウシュビッツ以後神概念」のなかで反復される神話的物語に依拠しつつ、「生命の書」と「超越的な肖像」という二つの象徴を提示している。

「生命の書」とは、元来はユダヤ教の伝承において、我々の名前が功績に応じて書き込まれている天上の台帳を意味していたが、それをヨーナスは、功績の如何に関わらず、我々の時間的行為それ自体が現世に関する永遠の記録簿に登録されるという意味に再解釈する。すなわち、いまここで行われている全てが、時間の因果関係の編み目を通じたその影響と最終的なその消失を超えて、あらゆる未来にわたって超越的な領域に影響を刻印し、存在に関する未完の記録帳書にほかならぬ「生命の書」を常に刷新していくという意味をそこに見いだしている。死すべき定めをもつ私たち自身の時間的世界における運命は不確定であり予測のできない偶然性に曝されているが、それは、永遠なるものの根柢としての神が自己と共に行う冒険にほかならぬという思想がそこで暗示されている。

「超越的肖像」とは、ヨーナスがイラン周辺のグノーシス主義の様々な文献に発見した神話的象徴である。それよると、人は皆天上界に「大切にまもられている」もう一人の私をもちながら、この地上を勞苦しているのであるが、自分の最終的な状態については自らの責任にゆだねられている。このような「超越的な肖像」を、個々人の水準だけでなく人類全體にまで拡大したバージョンをヨーナスは一九三〇年頃にエジプトで発見されたマニ教のテキストにも発見している。それは、世界のプロセス全体にわたって、そしてそのプロセスそれ自体を通じて、徐々に作成される人間の「最後の肖像」であって、不滅でありながら受苦しうる神が起源において有していた全体性を、歴史において具体化し完成するものである。この神は、個々の人間の本来的自己として「原人」とも呼ばれており、それが世界の誕生に先立って自己を生成の暗闇と危険へ委譲することによって、物質的な宇宙が可能となったというコスモロジーがこの神話の背景として考えられるであろう。

「生命の書」と「超越的肖像」という二つの神話的象徴が、現代人に対して有している潜在的な意義を確認するために、ヨーナスは次のような神学的思索を展開している。

束の間のがたえずに貪り食われていく時間をもつ世界の出来事において、一つの永遠の現在が育っていく。その永遠の現在の相貌は、神的なものが時間の中で経験する喜びと苦しみ、勝利と敗北をつうじて描線が刻まれていくにつれて、ゆっくりと姿を現す。それらの経験はこのような仕方で不滅のものとして持続する。絶えず消え去っていく行為者ではなく、彼の行為そのものが生成する神のなかに入り込み、決して確定されることのない神の像を、拭い去れないすがたで形成する。この万有において賭けられているのは神自身の運命なのである。神は自らの実体を、知を欠いた万有の過程にゆだねたのであり、人間は、この最高の、常に見捨てられ得る信託財産の、卓越した管理者となったのである。ある意味で神の運命は人間の手に握られているのだ。[vii]

ヨーナスが神学的思弁の手引きとして依拠している神話的な象徴は古代後期のグノーシス主義であることから、そのような特殊な思索が普遍的な意義を有することに疑義を申し立てることは十分にあり得るであろう。また、神話的な象徴其者は本来概念的な水準で思索すべきものを表象の水準で語っている以上、哲学としては根據を持ち得ないという疑義も考えられよう。しかしながら、宗教哲学においては、個々の実存の宗教的経験の深みの中で経験された事柄が、普遍的な意義を獲得するということが起こりうる。また、事柄が、従来の神学的な思惟では手に負えぬアウシュビッツの体験を踏まえた神学としてヨーナスが提示したものは、実存的経験のただなかにあってそれを超えていく普遍的なる哲学の道を示唆するものでもある。

時間的世界の根本的特徴を「絶えず滅び行く(perpetually perishing)」ととらえたのはホワイトヘッドであるが、そのような生々流転する世界の出来事において、「一つの永遠の現在が育っていく」とヨーナスが言うとき、それはは、まさにホワイトヘッドが「神の結果的本性(the consequent nature of God)」と呼んだものに符合していることに注意したい。この結果的本性を持つことによって、神は生成する神となり、つねに世界のすべての活動的生起の決断による影響を受容する。それは文字通り「受苦する」神でもあるが、このような神の結果的本性は、神の永遠なる「原初的本性」が世界の内に受肉することの結果として世界と共に生成していくのである。この結果的本性と不滅性との関わりについてについてホワイトヘッドは『過程と実在』の結語の部分で次のように言っている。

われわれは、ここに、客体的不滅という学説の最後の適用に達する。時間的な被造物の各々の生命における消滅する諸生起のいたるところにみられる、嫌悪ないし刷新の内奥の源、事物の真の本性から生じてくる審判、救済者ないし災いの女神、それは、神の存在のうちに永続している〔その被造物〕それ自身の変換なのである。このようにして、執拗な渇望は、義とされる- 存在への心からの喜びが、消滅しつつもなお永久に生きるわれわれの直接の行為のつねに現在し衰えることなき重要さによって更新されるように、と願う執拗な渇望が。[viii]

 アウシュビッツはユダヤ民族の絶滅の可能性を示すものであったが、アウシュビッツ以後の人類は、たんにユダヤ民族には止まらないさらなる普遍的な絶滅の可能性に直面している。すなわち人類は、みずからを含む地球の生態系を、人間自身の力によって絶滅させてしまう可能性に直面している。

ヨーナスは、「希望の原理」ではなく「責任の原理」にもとづく倫理学を提唱した。「人類の存続」を定言命法とする彼の倫理学の背景には、このように、自由なる人間に被造物としての責任を問う神学的な思想がある。

ホワイトヘッドはヨーナスに先行する思想家であり、ヨーナス自身がその生命の哲学を構築する際に大きな影響を受けたことを認めている。アウシュビッツの悲劇も核兵器による人類の絶滅の危惧、地球の環境危機などは、基本的にはホワイトヘッド以後の世代において顕在化した問題である。我々は、アウシュビッツ以後の神学のあり方にかんする根本的な問題提起と、責任倫理をあらためてホワイトヘッドの形而上学とそれにもとづく神学思想から捉え直す必要があるであろう。

 



[i]  この受賞記念講演は、のちに論文集 Gedanken über Gott, Suhrkamp Verlag, Frankfurt am Main, 1994に収録された。邦訳(品川哲彦)は「アウシュビッツ以後の神」叢書ウニベルシタス924、2009

[ii] エティ・ヒレスム(Etty Hillesum 1914-1943)の日記と書簡は、一九八一年に公刊され、ヨーナスの前掲書の第三章で引用されている。

[iii] ユダヤ教神秘主義者Isaac Luria (1534-1572)の秘伝(カバラ)の神話のなかの中心的概念のひとつ。原初の無限なる神En Ssof が、神ならざるものを自己の内に創造するために、被造物の存在する場所を空けるために自ら収縮すると考えた。

[iv] Charles Hartshorne, Omnipotence and other Theological Mistakes, State University of New York Press, 1984,p.3

[v] David Ray Griffin, God, Power, and Evil-A Process Theodicy, The Westminster Press, 1976, p.9

[vi] Hans Jonas, Das Prinzip Leben, suhrkamp taschenbuch 2698,Erst Auflage 1977, Insel Verlag Frankfurt am Main 1994, S.384
(細見和之・吉本陵訳)『生命の哲学』(法政大学出版局)2008, 四二六頁

[vii] Ibid. S.389

[viii] A.N. Whitehead, Process and Reality, edited by David Ray Griffin、p.351

 

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All That Remains - Special extended preview

2015-08-29 | 日誌

All That Remains - Special extended preview

「長崎の鐘」や「この子等を残して」など永井隆博士の著書は英訳されていますが、それをもとにしてイギリスで制作された映画です。

永井博士を主人公とする映画は、すでに日本でも制作されていますが、英国で制作されたこの映画は、浦上天主堂のうえに投下された原爆、その廃墟に佇むマリア像など、原作にあるキリスト教的メッセージが明確に表現されているように思いました。

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The Bells of Nagasaki

2015-08-09 | 日誌

Here is the text of Funeral Address delivered by Dr. Takashi Nagai at the totally ruined site of St. Mary's Cathedral in 1945.

Funeral Address for the Victims of the Atomic Bomb (from the Bells of Nagasaki, translated by William Johnston)

On August 9, 1945, at 10:30 A.M. a meeting of the Supreme Council of War was held at the Imperial Headquarters to decide whether Japan should capitulate or continue to wage war. At that moment the world was at a crossroad. A decision was being made that would either bring about a new and lasting peace or throw the human family into further cruel bloodshed and carnage.

And just at that same time, at two minutes past eleven in the morning, an atomic bomb exploded over our district of Urakami in Nagasaki. In an instant, eight thousand Christians were called into the hands of God, while in a few hours the fierce flames reduced to ashes this sacred territory og the East. At midnight of that same night the cathedral suddenly bursd into flames and was burned to the ground. And exactly at that time in the Imperial Palace, His Majesty the Emperor made known his sacred decision to bring the war to an end.

On August 15, the Imperial Rescript which put an end to the fighting was formally promulgated, and the whole world welcomed a day of peace. This day was also the great feast of the Assumption of the Virgin Mary. It is significant to reflect that Urakami Cathedral was dedicated to her. And we must ask if this convergence of events—the ending of the war and the celebration of her feast—was merely coincidental or if there was here some mysterious providence of God. 

I have heard that the second atomic bomb, calculated to deal a deadly blow to the war potential of Japan, was originally destined for another city. But since the sky over that city was covered with clouds, the American pilots found it impossible to aim at their target. Consequently, they suddenly changed their plans and decided to drop the bomb on Nagasaki, the secondary target. However, yet another hitch occurred. As the bomb fell, cloud and wind carried it slightly north of the munitions factories over which it was supposed to explode and it exploded above the cathedral.

This is what I have heard. If it is true, the American pilots did not aim at Urakami. It was the providence of God that carried the bomb to that destination.

Is there not a profound relationship between the destruction of Nagasaki and the end of the war? Nagasaki, the only holy place in all Japan—was it not chosen as a victim, a pure lamb, to be slaughtered and burned on the altar of sacrifice to expiate the sins committed by humanity in the Second World War?

The human family has inherited the sin of Adam who ate the fruit of the forbidden tree; we have inherited the sin of Cain who killed his younger brother; we have forgotten that we are children of God; we have believed in idols; we have disobeyed the law of love. Joyfully we have hated one another; joyfully we have killed one another. And now at last we have brought this great and evil war to an end. But in order to restore peace to the world it was not sufficient to repent. We had to obtain God’s pardon through the offering of a great sacrifice.

Before this moment there were many opportunities to end the war. Not a few cities were totally destroyed. But these were not suitable sacrifices; nor did God accept them. Only when Nagasaki was destroyed did God accept the sacrifice. Hearing the cry of the human family, He inspired the emperor to issue the sacred decree by which the war was brought to an end.

Our church of Nagasaki kept the faith during four hundred years of persecution when religion was proscribed and the blood of martyrs flowed freely. During the war this same church never ceased to pray day and night for a lasting peace. Was it not, then, the one unblemished lamb that had to be offered on the altar of God? Thanks to the sacrifice of this lamb many millions who would otherwise have fallen victim to the ravages of war have been saved.

How noble, how splendid was that holocaust of August 9, when flames soared up from the cathedral, dispelling the darkness of war and bringing the light of peace! In the very depth of our grief we reverently saw here something beautiful, something pure, something sublime. Eight thousand people, together with their priests, burning with pure smoke, entered into eternal life. All without exception were good people whom we deeply mourn.

How happy are those people who left this world without knowing the defeat of their country! How happy are the pure lambs who rest in the bosom of God! Compared with them how miserable is the fate of us who have survived! Japan is conquered. Urakami is totally destroyed. A waste of ash and rubble lies before our eyes. We have no houses, no food, no clothes. Our fields are devastated. Only a remnant has survived. In the midst of the ruins we stand in groups of two or three looking blankly at the sky. 

Why did we not die with them on that day, at that time, in this house of God? Why must we alone continue this miserable existence? 

It is because we are sinners. Ah! Now indeed we are forced to see the enormity of our sins! It is because I have not made expiation for my sins that I am left behind. Those are left who were so deeply rooted in sin that they were not worthy to be offered to God.

We Japanese, a vanquished people, must now walk along a path that is full of pain and suffering. The reparations imposed by the Potsdam Declaration are a heavy burden. But this painful path along which we walk carrying our burden, is it not also the path of hope, which gives to us sinners an opportunity to expiate our sins?

“Blessed are those that mourn for they shall be comforted.” We must walk this way of expiation faithfully and sincerely. And as we walk in hunger and thirst, ridiculed, penalized, scourged, pouring with sweat and covered with blood, let us remember how Jesus Christ carried His cross to the hill of Calvary. He will give us courage

“The Lord has given: the Lord has taken away. Blessed be the name of the Lord!”

Let us give thanks that Nagasaki was chosen for the sacrifice. Let us give thanks that through this sacrifice peace was given to the world and freedom of religion to Japan.

May the souls of the faithful departed, through the mercy of God, rest in peace. Amen.

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長崎の鐘

2015-08-09 | 日誌

永井隆の「長崎の鐘」の最後の二章「壕舎の客」と「原子野の鐘」を読む。廃墟となった天主堂での合同葬で信徒代表として弔辞を述べた永井隆の原稿が収録されている。原爆がなぜ長崎に、それも浦上天主堂の上に落ちたのか、なぜ天主堂で祈りを捧げていた無辜の信徒達、明治維新直後のキリシタン迫害(浦上四番崩れ)を耐えて信仰を守り抜いた浦上のカトリック信徒の末裔が、なぜホロコーストの犠牲となったのか。根源的な問いに直面したキリスト者、永井隆の言葉が記されている。
2008年、永井の生誕百周年に、プロテスタント神学者の大木英夫は、この「原子爆弾合同葬弔辞」について次のように書いている。
「ひとつひとつの言葉まで燔祭の火のように、聖なる垂直次元に燃え昇るような言葉である。..ヨブ記に堪える、いやヨブ記を超えるほどの言葉ではないか。ヨブ記を超えるほどの言葉なしにあの現実に、そして全ての人間の現実に取り組むことは出来ない。ヨブ記に堪えるということは、人生と歴史の究極の悲惨にさえも堪えることができるということ、人生と歴史の不条理をも超えることができるという事である。この言葉が右に或いは左に傾斜した理性には不可解であるとしても、天が裂けてまっすぐ垂直次元に輝く光の下では決して不可解ではない。それは啓示によって可能となる神学的認識なのである」(『人格と人権』上 50頁、教文館)
大木氏は、敗戦を契機として、軍国少年から一転して、キリスト教の洗礼を受けた神学者である。永井隆の言葉を、「弁証学のための<言葉>の獲得、原爆体験から発出した言葉」ととらえて詳しく論じている。それは、右翼や左翼の政治的言説の喧噪を離れて、原子野の虚無と沈黙のただなかから生成する「十字架の学知(scientia crucis)」の始まりを示す言葉に他ならない。

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The Report of Eco-sophia Symposium 2011 held in Sophia University during September 26-29

2013-01-05 | Ecosophia 2011

Please browse the official website of Sophia University:

From the closing address by Yutaka Tanaka (President of the Japan Society for Process Studies,Professor and Chair of the Graduate School of Philosophy,Sophia University)

It is with great pleasure that I give a report of this international conference today as the chair of the organizing committee in the closing session of Eco-Sophia Symposium 2011.

 I would like to express my heartfelt gratitude to Sophia University for her support for this international conference as a project of her 100th anniversary and as a project of Sophia Symposium as well. I am very glad to invite many scholars to this conference from India, China, Korea, Russia, Poland, Germany, Portugal, U.S.A. Thank you so much for all of you. You have kindly come here in spite of the difficult situation after the Great East Japan Earthquake on March 11. Your participation in this conference is very encouraging. I also feel much gratitude to the Japan Society for Process Studies and the International Process Network.

This conference was held as the 33rd annual conference of JSPS as well as the 8th International Whitehead Conference. The Japan Society for Process Studies was founded 34 years ago, and published the Works of Whitehead in 15 volumes in Japanese translation. The second international Whitehead conference was held in 1984 at Nanzan University in Japan. At that conference Japanese philosophers including me had an opportunity of meeting eminent process thinkers including Charles Hartshorne, Johna Cobb, and Van der Vecken, The International Process Network (or IPN)was founded on 2001 at Claremont. The purpose of this network is, as stated in its bylaws, “to support, generate and disseminate an international discourse on the meaning and implications of process thought across academic disciplines and conflicting truth-claims, and in relation to the entire community of life and the cosmos.” IPN has sponsored International Whitehead Conferences in Beijing (4th 2002), Seoul (5th 2004), Salzburg (6th 2006), Bangalore (7th 2009), and Tokyo (8th 2011).

The central theme of the Eco-Sophia Symposium 2011 is Sapientia Convivendi, i.e. the Wisdom of living together, the Care for Others, with Others. We have set four topics to be discussed in this conference.

1 Philosophical Studies of Being for Others, with Others / Process-relational Philosophy of Becoming and Creativity / Theology of Ecology / etc.

2 Ecology, Economy, and the Problems of Global Ethics for the Future of Civilization Environmental Ethics and Bio-Medical-Ethics / Ecological Civilization in the Ecozoic Era / Sustainable Management / System Theory / etc.

3 Creativity and Harmony in Cultural Interaction and Inter-religious Dialogue Biblical Tradition and Ecology / Ecology in Natural Religion / Hinduism, Buddhism, and Ecology / Ecology and Yi-Ching Studies / Ecology in Chinese Korean and Japanese traditons of Philosophical thoughts

4 The Relevance of Whitehead's Philosophy of Organism to the 21st Century Re-reading of Science and the Modern World, Process and Reality, the Adventure of Ideas, and the Aims of Education / etc for the coming ecolocical civilization.

There are three plenary sessions and 19 parallel sessions. I would like to report mainly the plenary sessions which I have modulated as a co-chair. 10 distinguished invited scholars gave us stimulating lectures and discussions as panelists in the plenary sessions.

 At the opening session Prof. Takeda Ryusei , who is one of Hibakusha( sufferers from Nuclear bombs dropped on Hiroshima) gave us a lecture on the birth, sickness, aging and death in the nuclear age.

The key word of the first symposium on Monday is the “ecozoic age” which has been coined by Thomas Berry (1914-2009), a catholic priest and eco-theologian. “Eco” means “house or community”, and “zoics” means “life and spirituality” which is more important than “logic”. Thus “ecozoics” has become more fundamental than “ecology”. NOBUHARA Tokiyuki has discussed the philosophico-theological problem of two ultimates: one is the metaphysical ultimate such as “Creativity” in Whitehead or “Emptiness (Sunyata)” in Mahayana Buddhisim, and the other is the religious ultimate such as God in Christianity or “Amida Buddha” in Pure Land Buddhism. NOBUHARA’s paper contains the proposal of an “ecozoics of the deity” from the standpoint of his unique theology of loyalty. Jai-Don LEE also discussed Thomas Berry’s eco-theology. Herman GREEN, Director of the Center for Ecozoic Studies has made a programmatic address or a grand program for the future study of ecozoics. Later, he himself l explained the necessity of ecozzzoics

At the second symposium on Monday we had three panelists, ENDO Hiroshi, Kurian KACHAPPILLY, and Steve ODIN . ENDO Hiroshi discussed Whitehead’s theory of the sense of peace asking what occurs on the edge of consciousness. “Peace” is the most important element among the qualities characterizing a civilized society in Whitehead’s Adventures of Ideas. He will show how the other four qualities, i.e. Truth, Beauty, Adventure, and Art, fuse into the sense of Peace. Kurian KACHAPPILLY proposed an Indian Model based on his conceptualization of man-nature relationship which he calls “holocoenotic”. His paper, citing classical texts of Indian spirituality, aims at leading us out of the moral impasse created by the separation of humanity and nature. Steve ODIN discussed Whitehead’s perspectivism as a basis for environmental ethics. As he is well-versed in Mahayana Buddhism as well as in process metaphysics, Odin also analyses the Zen/Kegon teaching of interfusion between part and whole and its expression in Japanese art and literature in terms of Whiteheadian process philosophy.

We have also set the Special Panel: The Future of Civilization -- Japan and the World after 3/11 as the third plenary session held in Wednesday. The third symposium on Wednesday invites three scholars, MIYAMOTO Hisao, YAMAWAKI Naoshi, and YAMAMOTO Ryoichi. MIYAMOTO Hisao is a Catholic priest of Dominican Order, and a renowned theologian for his unique biblical hermeneutics, i.e. Hayathology based on the texts of Exodus. He will discuss environmental problems today including Minamata and Fukushima from the standpoint of hayathology. YAMAWAKI Naoshi is a philosopher of politics, and renowned for his idea of “public philosophy”. He will criticize the so-called “atomic energy village” which consists of TEPCO, the Japanese Government including The Nuclear Safety Office, and many uncritical self-serving scholars. He will also lay special emphasis on the lack of the public philosophy among them. YAMAMOTO Ryoichi is a renowned scientist for his contribution to eco-technology. He has proposed the Intergovernmental Ethics Panel for ecological civilization.

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原子力の「平和利用」と開発途上国への原発輸出

2013-01-02 | Ecosophia 2011

以下は、2011年5月に旧ブログにかいた記事であるが、日本の企業が原発先進国と結託して、原子炉を開発途上国へ販売する危険性が現実化した現在に於いて、再掲することととした。 

原子力の平和利用は、アイゼンハワー大統領の国連総会での演説、Atoms for Peace に始まるというのが通説になっている。たしかに、ソビエト連邦が核武装し、核兵器の開発競争によって人類が、はじめて自己自身を絶滅させる可能性に直面した事実の重さが、この演説の背景にあった。この演説によって、第二次世界大戦の戦勝国、とくに英米仏を中心として、原子力の平和利用を目指す国際原子力機関IAEAが1957年に設立された。IAEAは福島原発以降一般の日本人にもおなじみとなったが、元来は、核の軍事利用を制限し、核査察を行うことを使命としている国際組織である。

日本では、中曽根康弘が音頭をとって原子力三法を成立させ、原子力を未来のエネルギーとして、資源を持たぬ日本の国策として原子力発電所の建設を推進させることとなったが、それもこの演説をきっかけとしてのことであった。

「平和のための原子力」という観念は、当時は多くの人を引きつけ、国立大学には原子力工学科が新設され、多くの優秀な学生が原子力を専攻したものであった。

しかしながら、現代に於いて焦眉の問は、そもそも原子力の「平和利用」なるものが可能であったのか、ということである。それは未来のエネルギー資源を確保するなどと言う楽観的な科学万能主義では片付かない深刻な問題を提起している。そもそも原子力エネルギーの「平和利用」はありえず、「平時利用」が原発で「戦時利用」が原爆ではないか、という疑念を払拭することがどうしても出来ないのである。原発は原爆と密接に結びついていたのであり、平和のために開発されたわけではない。そして、原子力の平和利用の筆頭に掲げられた原子力発電所が、それが建設された場所に住む住民からみれば、いつ核汚染に晒されるかも分からぬという意味で、「平和」の対極に位置している。

原発は平和のための道具ではなく、戦争のための道具であり、平時に於いては住民の「不安」の源であることを明記すべきであろう。原発推進派、あるいは原発維持派は次の諸点を考慮して貰いたいものだ。

(1)原子炉は長崎原爆を開発するために製造されたのが始まりであり、一国が原子力プラントを有つということは、その国に原爆を製造する技術が完成していることを意味している。北朝鮮の核査察が大問題となったが、事の発端は、北朝鮮が原子炉を使って少量のプルトニウムを製造したことであった。イスラエルが中東戦争の時に、アラブ側の製造中の原子炉を破壊したことも記憶に新しい。

(2)原子炉は高レベルの放射性廃物を大量に産み出すが、その処分に関する有効な方策もなければ、処分場の場所も確保されているとは言いがたい。とくにプルトニウムのように半減期の長大なものを大量に産み出す原発の廃物処分は、我々の子孫に巨大な負の遺産を残す。

(3)ウランの資源は有限であり、エネルギー換算しても、石炭や石油には遙かに及ばない希少資源である。ウラン238をプルトニウムに核変換して再利用する核燃料リサイクルの計画、とくに高速増殖炉の建設は現在では日本だけが膨大な経費をかけて研究したものの、ナトリウムを冷却剤として使うことに伴う技術上の難問が解決せず、挫折してしまった。MOX燃料によるリサイクルは経済的には外貨の無駄遣いであり、ウラン燃料の枯渇を僅かに先延ばしにするに過ぎぬ程度のリサイクルに過ぎない。そして、廃物として処理すべきプルトニウムの危険性は言うまでもない。

(3)原発のコストは、安全基準の高まりに伴う建設費の高騰、廃炉にかかる期間の長大さ、事故時の補償の天文学的な数字を考慮すれば、とんでもない高額なものとなり,経済的に採算がとれなくなる。

(4)原発が炭酸ガスを出さぬが故に、環境問題に寄与するという説は、たちの悪い神話である。放射性廃棄物の危険性は、温暖化ガスの排出などとは比較にならぬ。また,原発による発電には、ウランの採掘、精錬、濃縮、使用済み燃料の再処理などに膨大な化石エネルギーを使うのであるから、その過程で温室効果ガスを排出する。また発電時に於てさえ、一級河川の流量に匹敵する温排水を大量に海に流すわけであり、海の生態系をみだすと同時に、海水を暖めることによって直接に、そして海から二酸化炭素を放出させることによって間接的に、地球の温暖化に寄与しているのである。

このように、経済的にも割が合わず、我々の子孫に負の遺産のみを残す原発をなぜ廃止しないのであろうか。そこには、「核という幻想」への執着がある。1960年代に動き始めた「国策」の罠にはまった日本人の共同幻想にほかならぬ原発神話からの一刻も早い離脱を求める所以である。

脱原発の道のりは長いが、我々は福島原発の事故の終息にむけての技術的解決を段階的に実施するのと同じように、反原発の原則を明確にしたうえで、原子力エネルギーに関する国策を転換すべきである。転換に失敗すれば、そのつけは原発建設を許容した我々だけでなく、子々孫々の生命を損なう環境汚染を引き起こすであろう。そして、脱原発は日本だけでなく、世界全体に及ぼさねばならない、特に、先進国は、開発途上国に原発プラントのようなものを輸出することをやめなければならない。それは核拡散を容認することであり、非核三原則をかかげる日本の外交の基本に矛盾する行為である。

非核三原則を掲げながら、米国の「核の傘」にはいっていたのが戦後の日本であったが、今後は、開発途上国に原発を売り込もうとしている英米仏などの「先進国=環境後退国」の「原発の傘=下請け国」に入ることによって日本の原子力産業は延命をはかるかもしれない。そのようなエコノミック・アニマルになることは、先進国では建設できない原発を途上国に売りつけて利益を計ろうとする点において、環境正義に悖る行為であることはもちろんであるが、それとともに広島と長崎の、そしてチェルノブイリ福島の被爆者に対する裏切り行為である。我々は過去の世代に対しても未来の世代に対しても責任を負うものである。

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「もんじゅ」と「大間原発」の危険性

2013-01-02 | 日誌

山脇先生の紹介された「デイリー東北紙」のサイトは、「大間原発」の再開か工事中止か、核燃料サイクル政策の撤回か続行か、という日本の原子力政策にとって根本的な選択を考える上で、是非とも参照すべき現地の貴重な資料を纏めている。「大間原発」をこれから建設し稼働させることは、単に電力不足を当面補うという如き消極的な意味だけを有つのではない。それは、原爆製造に直結するプルトニウムをウランと混合して燃料として使用する「新原子炉」を認可し、稼働させるという電力会社・経産省・自民党政権の意思表明である。小選挙区のからくりによって圧勝した自民党であるが、原発政策については大多数の国民の意思とは異なる方向に動いている。

原子力発電維持派ないし推進派は、この原子炉建設によって、高速増殖炉「もんじゅ」の致命的な事故によって挫折中の核燃料サイクル政策の継続を狙っている。すでに北朝鮮の千倍以上のプルトニウムの備蓄をしている日本が、それを民生用に使用していなければ、核拡散防止条約に加盟している手前、日本の核武装疑惑をそらすことができないからである。論者によっては、プルトニウムをこのように多量に所有していること自体が潜在的な核抑止力になるという主張をする者さえもいる。彼らは、「エネルギーの安定確保」だけでなく「国防上の配慮」をその論拠の一つに置いているからである。もっとも、現在の日本のように、数多くの原子炉を一箇所に集中させて立地させていることが国防上いかに危険かという議論は、推進派の面々は無視しているようだ。原子炉が一箇所に集中している場所にテロやミサイルによる攻撃をされたならば、日本の受けるその被害は計り知れないだろう。

国防上のみならず、地震の多発する地域、活断層の近い場所に「もんじゅ」のような高速増殖炉を建設したということ自体の危険性ははかりしれない。金属ナトリウム冷却剤としてつかう高速増殖炉は、水とナトリウムを分離しておかなければ爆発事故を起こしやすい。まして地震や津波に遭った場合に、その災害に対してどうやって対応するつもりなのか。その危険性は福島の比ではない。またプルトニウムを混合燃料として使う「大間原発」の周辺にも活断層のある疑いが濃厚であり、この発電所の工事再開そのものに問題があることは、原子力規制委員会の指摘の通りである。

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