ハワイの思い出

マウイ、ワイレアでゴルフ三昧

満六年

2010-01-31 22:08:34 | Weblog

夫が亡くなって今日で満六年である。

仏壇の前で「六年もお会いしてないのねぇー」と話しかける。私にはとてつもなく大きな存在だったあなたなしで、よくこんなに生きて来られたものとつくづく思う。思い出の沢山詰まっている所~特に成田空港には未だに足が向かない。40年間維持していたパスポートもとうとう失効してしまった! 夫と共に出掛けた数々の海外旅行を回想し、胸が締め付けられる。とても幸せでした。有難うございましたと・・・

七回忌に当たるのだが菩提寺の諒解を得て法要は一ヶ月位延期することにして、31日は私と息子達一家各々お墓参りした。

お願い事をしてきっと叶えてねと・・・!


脚と腰

2010-01-29 13:26:38 | Weblog

25日お茶のお稽古の日、突然左股関節が痛くなりやっと帰宅したのだがだんだん脚が上がらなくなり、椅子から立ち上れない、ベッドから下りられない、バスタブを跨げない、たとえつかまって入れてもいろんな体勢を工夫しなければ湯船から出られないなどの状態になってしまった。原因はわからない。開腹手術した後一年はそんな事もあると素人診断してくれる人もいるが・・・???

病院でレンドゲンを撮ってもらったが骨に異常なしという事で、処方して頂いた痛み止めの内服薬と外用のボルタレンゲルが驚異的に効いて5日ほどですっかり良くなった。こんな事が起るお年と実感した次第。 


筝の会

2010-01-20 10:07:43 | Weblog

18日の衣の会は伝統芸能に親しむ会として例年と異なり会場を借りず、代田八幡のいつものお教室で「筝の会」が催された。全盲の二宮貴久輔さんがお琴を、芸大大学院卒の金子朋沐枝(トモエ)さんが尺八をコラボで演奏して下さった。お正月らしい春の海六段の調、懐かしい曲!澄んだ音色に酔う。日本のわらべ唄は衣の会員の河野貴綾菊さんがお琴を、金子女史が尺八を演奏して下さった。又金子先生の一二三(ヒフミ)鉢返(ハチガエシ)調の独奏は心に響くあたたかい音。黒紋付に袴すがたでバイブレーションを入れたり、バリエイションが入り、素敵。尺八について全部竹で出来ているとか昔は虚無僧が吹いていたなど色々の解説をして下さった。最後はお三人の筝、三弦(二宮先生)、尺八の合奏。それはそれはすばらしかった。北村先生の源氏にふさわしい「夕顔」を選曲してくださった。夕暮れに咲く美しくも可憐な女性のそこはかない命に、哀愁を誘う物語を歌詞としている。二宮先生の三味線を弾きながらのお声が情緒豊かで美しかった。
又二宮先生のピンクのお着物が素敵!いつもご自分で着付けなさる。普通一番はじめに足袋を履くのだが着物の裾を踏んで素足の感覚で長さを調節してお召しになるなど全盲でのご苦労話や、「検校」から「座頭市」のお話~当時幕府の盲人対策で検校の位はとても高かった~など明るい口調でスピーチして下さった。障害に負けず立派な今日を築かれた。感動してすすり泣きの声も聞こえて来た。
私も明るく生きなければと肝に銘じるのだった。
携帯電話でムービーをとり、小さいけど映像や音、お声が保存出来た。時々再生して思い返すことが出来る。

感動のひとときでした。衣の会でこんな企画をしてくださり、一員である幸せを思い、感謝するのでした。

 


2010年幕明け

2010-01-12 23:22:27 | Weblog

美しいモルゲンロートから初日の出  思わず手を合わせる。
今年も日枝神社に向かう首都高3号線上で遮るものなくご来迎を拝め、有難い事!
神社では長男一家と共に各々健康と多幸を
祈願する。例年通り求めた破魔矢を巫女さんに預けてお神楽を踊って息を吹き込んでもらった。厳粛で気持ちが引き締まる。孫は中学合格祈願の絵馬を丁寧に書いて吊るした。大好きだったおじいちゃまのご加護もあるでしょう。
それから雑司ヶ谷へ新年のご挨拶のお墓参り、昨年末にお供えしたお花が美しく、4人で今年も頑張りますとご先祖様や夫に誓った。

 帰宅後一人でお雑煮を祝う。夫のいない6回目のお正月。仏壇の写真が、美しい松入りのお花に囲まれて何か話しかけてくれている様に思えた。
「おめでとうございます!お蔭さまであなたがお浄土からお望みのように、私は豊かな心で日々を過ごして居ります。今年も又色々な形で私に貴方を感じさせて下さいませ」とお返事。

今年の元日は予約しておいたレストランで家族新年会。初めての試みである。ログハウスの雰囲気がよく、思うようにお肉や海鮮料理が注文出来るしデザートが特殊で孫たちが歓声を挙げた。まァ、皆とても満足のようで嬉しかった。又連れて来てと頼む孫たちが今更ながら可愛いこと!

2日は義姉の家で新年会。孫たちはトランプ。大人はおしゃべり。

4日三越劇場で「麦秋」を観劇。二代目水谷八重子(=水谷良重)が母上に似てきたので懐かしかった。新派のお芝居はまあまあでした。

7日はゴルフの初打ちコンペ。千葉のかずさC.C.へ。60人の参加でバス2台で賑やか。スコアはさておきお天気よく楽しい一日。Viva ゴルフ!

9日 初釜で無地の紋付を着て行く。花びらもちとお濃茶が美味しかった。会席料理も作法を思い出しながら懐かしく味わえた。お嬢さんたちの振袖姿がまぶしい。帯の変わり結びが素敵だった。プレゼント交換も楽しく良いお茶会だった。

12日 世田谷文芸散策会で初詣コースのバスツアーに参加。府中の大国魂神社参拝。1900年の歴史を持ち、堂々と美しい建物、古木が多く厳かだった。宝物殿にはお神輿が6基並んでいて、総出のお祭りの賑わいがうかがわれた。裏の大銀杏が立派。参道はけやき並木が続いて緑多く美しい。高安寺では弁慶硯の井見物、義経が鎌倉に入るのを兄頼朝に拒絶された時に弁慶が書いた腰越状がディスプレイされていた鎌倉満福寺を思い出した。次、熊野神社古墳を見学。上円下方墳という珍しい形、その大きさにびっくり!7世紀、土地の有力な人が葬られていたらしいが、人骨、副葬品など持ち出されて、無い由。ただ釘が沢山残っていたので木の棺が置かれていたと推測できる由。この古墳は上空から見ると大地に置かれた「ボタン」のようにも見えるそうで納得。 
雨が降ってきた。府中駅前ビル上階の「歌行燈」での昼食が個室がとれてなごやか、美味しく、心身ともに休まった。
午後は高尾山へ。ケーブルで上ってから石段をのぼり高尾山薬王院へ。みぞれになって来て冷たかった。それぞれ違ったご利益があるそうで本堂のほかに幾つかの御堂で2010年の幸運をお祈りした。孫には合格祈願のお守り、3月に満40才になる次男には前厄除けのお札(オフダ)を求めた。記念に天狗のうちわを買いテレビの隣に置いてある。どうぞお守りください!

生憎のお天気だったが何十年ぶりかの高尾山に来られて嬉しかった。

 


平成21年師走

2010-01-01 17:21:21 | Weblog
12月3日:今年最後の東京厚生年金スポーツゴルフ同好会のコンペ。富士御殿場。雨に降られ16組64名の参加者で、私は女子でアウトスタートの最終組だったので、寒く、ぬれねずみだったがあまりゆっくりお風呂に入れなくて、あせった。 12月は例年、ゴルフ場ではなく東京へ帰って、センターの広いレストランで忘年会を兼ねたパーティが行われる。今年もとても盛大、賑やかだった。勧められるままにしたたかに各種アルコールを飲んだ。ゴルフ仲間は男女とも皆良い方ばかりで遠慮なくおしゃべり出来る。福引で私は大好きなお漬物セットを頂けた。三種類のキムチ、カクテキ、沢庵、野沢菜、山形のおみ漬がとてもおいしい。息子の家にもお裾分け。喜ばれた。
一本締めで皆ニコニコ 「よいお年を!」 なが~い一日。雨の影響もありとても疲れた。

4日:夜水道橋の能楽堂へ宝生流辰巳満次郎さんのお能を見に行く。満次郎の会の旗揚げ公演だ。「邯鄲」は知っているお話だけによくわかり、目を覚ます時にアクロバット的な演出もあり、更に能衣裳が好きな私にはとても充実した時間だった。亡き母のお仕舞いを踊る姿とお謡いの声、顔 をまざまざと思い出していた。多数の衣の会の友人たちとの夕食、観劇はとても楽しかった。


7日:衣の会は振袖着付けのポイントと着付け。数人づつのグループで練習。実技のみ。次回は振袖特訓(テスト)なので皆真剣だ。今月の衣の会の実技は振袖の着付けとふくら雀など各種帯結びなので私は見学することにした。足腰が悪くかがめないので、人に着つけたり帯を結んだりするのはもうギヴアップである。


8日:母の末妹の叔母が満95歳で亡くなった。年はだいぶ違うけど母とよく似ていらしたのでとても淋しい思いだった。特別寒い二日間9日、10日にお通夜、葬儀で千葉へ通ったのだが、地下鉄と横須賀線で随分簡単に行けるのでびっくりした。
葬儀の帰りに三田の友人宅へ寄る。十日会の忘年会なので、喪服とわからないようにジャケットを羽織ったのでした。久しぶりの十日会だったが必ず居る筈ののいない淋しさが際立った。


12日:大学のクラスメイト4人で昼食、豪徳寺の見学。いつも傍を通っているのに境内に入ったのは初めて。井伊直弼のお墓など見物。開運の招き猫で有名なお寺だ。

13日:神楽坂へ勘三郎煎餅を買いに行く。頼まれたりお遣い物にしたかったのだが全部売り切れ。お金を先払いして年末に送って貰うことにした。いつのまにか有名になってしまって・・・!? 私が生まれ育った懐かしい神楽坂、無駄足でもOKです。


大掃除、年賀状作成~180枚~、おせち作り等など、暮はホンに忙しく、無理して冷えもあって、29日に膀胱炎をおこしてしまい、30日にお墓のお掃除とお花を活けに行くのがとてもつらかった。もうそんな無理の出来ない年齢になっているんですね。でも 31日大晦日になり家族皆が一緒に 年越しすべく集まるので、前日までイタイイタイとしゃがみこんで何も手につかなかったのが、しゃんとして、年末ディナーパーティの準備がちゃんと出来たのには我ながら驚いた。アラアラ不思議!
美味しい!と一同に言ってもらえて幸せ一杯だった。
そして家族で紅白歌合戦を楽しみながら、和気あいあい幸せな大晦日だった。

除夜の鐘を聞いてから又明日ね!