阿見AC日記

阿見アスリートクラブで起こった出来事、試合速報、お知らせ、などなど

選手決定戦 私にも思い出があります。

2012年09月05日 | 楠康夫 理事長
昨日の天気、気にはなりましたが・・・

選手たちは、本気モード、

東洋大牛久高短距離陣は新人戦の選手決定戦、100m、200mバトルをやっていました。

こういうのは、ギリギリの選手は、いやですよね。

でもやらないと気が治まらない。

本人も、仲間も、指導者も

それが、競技者でもあります。

大切なことは、その時にきっちり自分の強さを見せるということ、自分の存在をわかってもらうこと。

なかなかやるじゃないか・・・

そう、皆に思ってもらえる絶好のチャンスでもあります。


私も選手決定戦は、2回やりました。

1回目は、駒沢大学1年生時の箱根駅伝選手決定戦、駒沢公園20km決戦です。

1977年12月25日 クリスマス決戦

だったんですね。

12月24日 練習日誌 メモ欄
明日は、20kmTT箱根駅伝、最後の選考レースです。勝っても負けても、悔いの残らない走りをするだけだ。

現役選手、かっこいいですね~~~~(笑い)

25日当日の練習日誌には、うれしいコメントは一言もなく、結果と記録だけが書かれていますね・・・

残念、何を考えていたのでしょうね・・・

確か、親と香取先生に電話をしたと思います。

1年生から箱根を走ることは、大学に行った夢でもあり、目標でした。それが達成できたのだから、もうちょっと喜んだ、気のきいたメモ書いとけよ。

気持がわからないよ~~~

本人も、記憶が薄れているしな~~~

ブログにいいこと書けないよ~~~

過去の自分に不満をぶちまけてますが・・・

きっと、心にかみしめていたのでしょうね。

同部屋で共にメンバーを目指していた、岡先輩と同級生の阿部が選考から漏れたので、複雑な気持ちだったのでしょうね。

年間を通して、一番走れていなかった私が、たまたま、この時期は走れてしまった。まぐれな様なものでしたから・・・

まぐれも実力のうち、そのチャンスをどう、競技人生に活かすか、私にとっての最初の選手決定戦は、間違いなく、競技人生をいい方向性に導いてくれる入口でした。


もう1回は、ヤクルト5年目の全日本実業団駅伝選手決定戦です。

1985年12月13日

三重県伊勢市全日本実業団駅伝コースにて3km決戦

こちらも、結果的には勝ったのですが、現役引退を決意した決定戦になりました。

これは、競技人生の出口になりました。


私の選手決定戦の思い出です。








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