阿見AC日記

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2012年を振り返って ②

2012年12月28日 | 楠康夫 理事長
世代間育成システム勝負の年、①のトップ選手育成事業の世界への挑戦は、ジュニア日本代表を2名を生み出すことができました。新しい環境にいっても実績を出せる育て方と確信できました。

次に意識していたことが、

②1年生でインターハイ出場 2011年全日本中学チャンピオン2名が活躍できるか?

大野晃祥(下根中→東洋大牛久高)全日本中学200m優勝 

小林航央(取手東中→東洋大牛久高)全日本中学800m優勝

この2人が高校生になり、指導環境を変えず育てて、まずは1年インターハイ出場、そして、秋に全国優勝・入賞という目標を掲げていましたが、ほぼ予定通りになったこと嬉しく思っています。

でも、振り返ると本当に良くやったと思います。

心配したのは、

航央が、2012年の1月の都道府県駅伝の練習の過程で足の故障をして、1月上旬から3月上旬までの約2ヶ月走れず、リハビリ、精神的ショック等、練習不足、さすがにインターハイは厳しいかなとも思いましたが、練習再開して約1ヶ月半の県南高校の走る姿を見て、これは、大丈夫と確信をしました。そして、北関東高校で800m2位でインターハイを見事に決めてくれました。

また、晃祥も練習は、順調にこなしてきて、さあ、北関東高校、その直前で腰を痛めてしまい。400mリレーは、見送り、100mと200mに賭け、予選、準決、決勝とマリエコーチと1本1本慎重にテーピングをして、チェックしながら走りきったこと、忘れられませんね。そして、見事に100m2位200m3位でインターハイを決めてくれました。

でも、2人とも北関東で、優勝できず悔しがっていました。頼もしい限り・・・

そして、北信越インターハイは、仲良く準決勝進出、悔しい思いもしました。


秋のシーズン

晃祥の岐阜国体少年B200m、優勝の可能性を持っていましたが、予選で足を痛めて、思うようなパフォーマンスがとれないまま、何とか準決を勝ち上がり、決勝は、4位に入賞しました。もちろん悔しかったでしょうが、下限の目標は見事にやってくれました。

一方、航央は、国体の出場はならなかったので、日本ユース800mでの入賞を目標にやりました。この試合の戦い方は、康成の時に経験していたので、そのノウハウを生かし、航央版に改訂して予選に臨ませました、予定通り、プラスで決勝進出、そして、1~2年生の中で6位入賞、来年が見えてきました。


2人の全中チャンピオンの努力、そして、予定通り育ってきたことが何よりも嬉しい。

航央のお母さん、晃祥のお母さんと競技場でガッチリ握手できたこと、嬉しかった。

クラブとしての大きな一つの責任も果たせた1年になったと思います。

世代間育成システムのノウハウが更に深まりました。


次は、③~

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