昨日の夜から13ヶ月ぶりにナイター練習を再開しました。
東日本大震災の福島第一原子力発電所の大事故後、節電のため施設も秋までストップしていましたので・・・
クラブとしても水曜日を各自練習にしていましたが、
私にとっては、平日の阿見での練習こそが、中学、高校の部の原点の練習場です。
火・木は、サッカー団体の阿見FCと共同でグランドをお借りして半分使用料負担
水は、クラブ単独で借りて、平日、週3日の練習をやりくりしていきました。
世代間育成システムをこうして作り上げていきました。
芝生を使った練習、特にラダーをしっかりやり、芝生のjog、坂の練習と多彩にできるのもこの場所です。
時代は進み、たつのこフィールドでの練習が平日のメイン会場になり、いつしかサブ阿見ナイター練習になり、
水曜日は高校生は、各学校でやるメンバーも、自衛隊体育館のウエートのメンバーなど自由に進化していきました。
それはそれで、私は良いと思っていました。
そんな時に、東日本大震災、ナイター練習は厳しいと判断して、13ヶ月が経過しました。
水曜日は、このままの形でも良いのかなとも思いましたが・・・・
阿見のナイター練習を無くしてしまうと阿見アスリートクラブが無くなってしまいそうな気がして・・
中学の部を作り、2004年のNHK首都圏ネットワーク『夢をかなえるために』で撮影されたのもこの場所です。
私が、ヤクルトの会社勤めをしながら、柏方面から吹っ飛んで、PM7:00にこの会場に来てトイレで着替えて、子供達を教えるときの喜び・・・
生き甲斐でした。
その思いは、忘れることはありません。
あの時の子供達の顔、思いは、
坂道の練習では、この坂はいつか世界に繋がるんだ!
そういうと、子供達はニコッとして頑張ってくれました。
そんな、思いのつまった練習場が再開したのは、今こそ原点を忘れない。
阿見の陸上競技場は小学生の部のスタートしたクラブ発祥の地
阿見の多目的競技場のナイター練習会は、中学生の部のスタートした世界を意識した原点の地
この二つの練習会場がなければ、阿見アスリートクラブは発展しなかったと思います。
阿見町にこの会場があったからこそです。
昨日の練習は、そんなこんなの思いを回想しながらの練習会でした。
時代は進んでも、変わらない子供達の顔、思いは、変わりませんね。