オール習志野行動の有志は9/19~9/22まで沖縄行動に参加しました。
初日の19日は長崎のグループと合流してマイクロバスで普天間基地、嘉手納基地などを
視察しました。
夜、現地の活動拠点でレクチャーを受けて交流会を行いました。
翌日(20日)は早朝から辺野古のキャンプシュワブゲート前で約100人と共に座り込みを
行いましたが、程なく機動隊が出動し排除が開始され、屈強な隊員に
排除されました。機動隊は女性に対しても4人がかりで手足を抱え狭いエリアに
拘束しました。その間数十台のダンプが次々と土砂などを積んでゲートに入って行きました。
機動隊に阻まれながらも基地建設反対の声を上げ続けました。
その後辺野古の浜から抗議船に乗り埋立現場まで肉薄。すぐに暴力で悪名高い海上保安庁の監視船が抗議船に最接近し
直ちに離れろと連呼と威圧。抗議船は海保の威圧も跳ね返し工事をヤメロと現場を周回しました。
その後高江に移動。急な土砂降りの中ではありましたがテントの中で現闘の人からレクチャーを受けました。
長崎の人を中心に沖縄の歌を歌い連帯を深めました。
翌朝(21日)は再びゲート前に座り込みをしましたが、午前中は機動隊の排除とダンプの搬入がない事がわかり
沖縄島ぐるみ会議や県内外からの人達約150人で集会を行いました。
リレースピーチではオール習志野からも発言、オール習志野行動の経緯と千葉での沖縄とのかかわりの行動
(辺野古へのカヌー送り込み運動、山城博治さんとの交流、沖縄と千葉を結ぶ市民集会など)を報告、
又PACのある習志野基地の事や木更津オスプレイや秋葉原での「アベヤメロ」決起について報告しました。
アベヤメロコール決起についてはとりわけ大きな拍手が起きました。
その後ゲート前をデモ行進。「ワッショイ」の掛け声の下、オール習志野の幟も先頭にゲート前を周回デモを
行い、キャンプシュワブに向けシュプレヒコールの声をあげました。
その後は埋め立て問題の泡瀬干潟のウミエラ館で谷津干潟や三番瀬とも繋がりの深い方と交流。
最終日(22日)は瀬長亀次郎氏ゆかりの不屈館などを訪問し沖縄現地行動を終えました。
※戦争法強行成立2ヵ年の9.19国会前行動には10,500人が集まり抗議の声をあげました。
オール習志野からは10名が参加しました。
初日の19日は長崎のグループと合流してマイクロバスで普天間基地、嘉手納基地などを
視察しました。
夜、現地の活動拠点でレクチャーを受けて交流会を行いました。
翌日(20日)は早朝から辺野古のキャンプシュワブゲート前で約100人と共に座り込みを
行いましたが、程なく機動隊が出動し排除が開始され、屈強な隊員に
排除されました。機動隊は女性に対しても4人がかりで手足を抱え狭いエリアに
拘束しました。その間数十台のダンプが次々と土砂などを積んでゲートに入って行きました。
機動隊に阻まれながらも基地建設反対の声を上げ続けました。
その後辺野古の浜から抗議船に乗り埋立現場まで肉薄。すぐに暴力で悪名高い海上保安庁の監視船が抗議船に最接近し
直ちに離れろと連呼と威圧。抗議船は海保の威圧も跳ね返し工事をヤメロと現場を周回しました。
その後高江に移動。急な土砂降りの中ではありましたがテントの中で現闘の人からレクチャーを受けました。
長崎の人を中心に沖縄の歌を歌い連帯を深めました。
翌朝(21日)は再びゲート前に座り込みをしましたが、午前中は機動隊の排除とダンプの搬入がない事がわかり
沖縄島ぐるみ会議や県内外からの人達約150人で集会を行いました。
リレースピーチではオール習志野からも発言、オール習志野行動の経緯と千葉での沖縄とのかかわりの行動
(辺野古へのカヌー送り込み運動、山城博治さんとの交流、沖縄と千葉を結ぶ市民集会など)を報告、
又PACのある習志野基地の事や木更津オスプレイや秋葉原での「アベヤメロ」決起について報告しました。
アベヤメロコール決起についてはとりわけ大きな拍手が起きました。
その後ゲート前をデモ行進。「ワッショイ」の掛け声の下、オール習志野の幟も先頭にゲート前を周回デモを
行い、キャンプシュワブに向けシュプレヒコールの声をあげました。
その後は埋め立て問題の泡瀬干潟のウミエラ館で谷津干潟や三番瀬とも繋がりの深い方と交流。
最終日(22日)は瀬長亀次郎氏ゆかりの不屈館などを訪問し沖縄現地行動を終えました。
※戦争法強行成立2ヵ年の9.19国会前行動には10,500人が集まり抗議の声をあげました。
オール習志野からは10名が参加しました。