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大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

となりのトトロ と大分県佐伯市

2021-06-04 06:07:00 | アニメ

宮崎駿監督の映画の中で何が一番好きかと聞かれたら、間違いなく「となりのトトロ」だと答えます。

となりのトトロですが、義父の実家、大分県佐伯市の九州でも最も山深い村落のひとつと関係がありそうなんです。


 佐伯の「木浦鉱山地区」の近くには「トトロの森」があり、映画で幼い2人の子供が待つバス停を思わすバス停名が「轟=ととろ」があるというのです。



となりなトトロでは、病気(おそらく結核)の母を心配した幼な子のさつきとメイを母のもとに連れていく「猫バス」が出てきます。

大人には見えないけれど、トトロは巨大な楠木の精霊です。




大分の佐伯のトトロのバス停に、ある日突然誰かは分からないのですが看板を設置した人がいたらしく、山奥に「猫バス」が出現したとして話題になったようです。




結核が不治の病だった時。それはそう遠くない昔です。義理の母は5歳でお母さんを結核で亡くしました。この映画をみると、主人公のさつきやメイが優しい義理の母に重なります。




関西でお商売をやっていた義理の母の実家は、結核患者がでたということで商売が立ち行かなくなったそうです。差別的な言葉もかけられたそうです。夫の祖父(故人)は全てのお金を祖母の薬に注ぎ込みました。しかし、皆んなの願いも虚しく、幼い子供達を残して義理の母の母(夫の祖母)は先立ちました。なくなるときの言葉はごめんね、ごめんね、だったそうです。


義理の母は幼かったからお母さんがそう言って亡くなったことは覚えておらず、それをお姉さんから後に聞いたようです。無念が強かったと思います。その話を私にする時は義理の母はいつも涙ぐみます。


結核菌は、肺をおかします。また、ハンセン病の原告団竪山さんから、結核菌はハンセン病の菌と酷似しており、症状が肺にでるか皮膚にでるかの違いくらい似ているとか。

実は竪山さんは、療養所で結核にもかかり、当時結核に効くとされた薬を飲み、ハンセン病が不思議とおさまったと話してくれたことがありました。


移るとおそれられ差別された病、結核。今では、そういう病も治る病として有効な薬が発見され過去のことになりつつあります。医学の進歩は、差別を溶かしながら進んでいます。今は世界中コロナ一色です。早く終息してほしいです。病への差別はあってはならないです。


義理の母が、母(夫の祖母)が亡くなって1年くらい経ってから、結核に有効だとされる薬ができたと言っていました。義理の母は、お母さんはもう少し頑張れば生きていられたのにとも言っていました。お母さんをよく覚えていない義理の母。大切にしたいです。


となりのトトロは結核が不治の病だった時代の、結核の母をもち、綺麗な澄んだ空気のある地に引っ越した家族を、美しい森の精霊が応援する優しい映画です。


【画像はとなりのトトロ、大分トトロ検索画像より】


つづく


千と千尋の神隠し まとめ

2021-05-29 05:26:00 | アニメ
千と千尋の神隠しでは最初に放られた祠が沢山でてきます。そして、千尋は神の世界に迷い込みます。日本最古の温泉、道後温泉をおそらく舞台にして描かれたストーリーです。


愛媛、道後温泉には大国主命を助け国造りをした神様、スクナビコナが、身体を癒した伝説が残っています。また、昔に傷して苦しんでいた一羽の白鷺が岩間から噴出する温泉を見つけ、毎日飛んできてその中に脛を浸していたところ、傷は完全に癒えてしまい、白鷺は元気に勇ましく飛び去ったという白鷺伝説もあります。




脛に、アラハバキ神長髄(脛)彦を思い浮かべました。


白鷺は、津野山神界の事をし始めて見かけます。田舎の従兄のお嫁さんも、裏山によく見かけるらしくこんな事無かったのにと言っていました。


ところで、出口なおさんという江戸時代末期から明治時代中期の極貧生活の中で、日本神話の高級神国常立尊」の神憑り現象を起こした御方がいらっしゃるようです。




なおさんのことを教えていただいた時に、金勝要大神についても教えていただけたから、初めて聞いた御祭神だし調べました。色々感じた事がありますが、今日は少しだけ書きたいと思います。


道後温泉のある愛媛(伊予)や、四国にあたる話がありましたので以下抜粋いたします。


 ここに天(あめ)の御柱(みはしら)の神(かみ)、国(くに)の御柱(みはしら)の神(かみ)は、伊予(いよ)の二名(ふたな)の島(しま)を生(う)み、真澄姫神(ますみひめのかみ)をして、これが国魂(くにたま)の神(かみ)たらしめたまふ。之(これ)を愛媛(えひめ)といふ。一名(いちめい)竜宮島(りうぐうじま)ともいひ、現今(げんこん)の濠洲(がうしう)大陸(たいりく)なり。而(しかし)て我(わ)が四国(しこく)は、その胞衣(えな)にぞありける。


難しいですね。なかなか。濠洲(がうしう)はオーストリア、ニュージーランドの豪州であり、昔はよく罪人?が流されたと言われた島です。四国と繋がります。世界規模の話であり、日本は小さいけれど世界の縮図?なのかもしれません。アフリカは九州、北米は北海道、らしいです。


千尋という言霊もありました。


(すく)ひの神(かみ)と鳴戸灘(なるとなだ)同(おな)じ心(こころ)の姫神(ひめがみ)は 根底(ねそこ)の国(くに)へ五柱(いつはしら)千尋(ちひろ)の深(ふか)き海(うみ)よりも 業(めぐり)の深(ふか)き罪咎(つみとが)を清(きよ)むるための塩(しほ)をふみ 浪路(なみぢ)を開(ひら)きて出(い)でましぬ無限無量(むげんむりやう)の御恵(みめぐ)みは 現界(うつつ)、幽界(かくりよ)、神(かみ)の世(よ)の救(すく)ひの神(かみ)の御柱(みはしら)ぞ。


これまた、難しいですね。神様の言葉は何度読んでも、読む度、読む人により解釈できるから私も何度も読まないとです。


宮崎駿さんがこれを読んでいたかどうかはわかりませんが、放られた祠の神や、隠された神を宮崎駿さんなりに隠しながら、神々の世界を描いているように思います。


釜爺の言葉

やるならさいごまでやれ


ハクの言葉

自分が誰なのか正体をしっかり覚えておかないと元の世界に帰れなくなってしまう


カオナシ

無言のカナシミ


これらは、とても深く私の心に残りました。


津野山神界のことをはじめ、自分が生きている間はお山の神様の事を思うことはできても、自分が死んだあとは自分にはどうすることもできない。やるならさいごまでやれ。最後って自分が死ぬ時(最期)まででよいはずはないです。


口伝や伝承で昔の津野山の祖先は残していました。大変神威の強い神様がおられると、伝わっていました。しかし、過疎に伴い村人が話しあった結果お宮を壊し移すことが実際おこってしまいました。




1人止めない不思議。でも実際に起こってしまった。こういう事が繰り返されて欲しくないです。


有名な神社にはその心配はないかもだけど、山奥の過疎の村を護り、四万十川を生み出す神様、津野山大神を未来永劫お祀りしてほしい。残る形で残す。繋がる人には繋がる。これを信じました。これがブログを始めた理由です。ひとりで頑張る妹を応援したかった。


人間の都合で放られたり、人間の都合で名前を変えられたり。「千尋の深い海よりも深い罪」を人は神々、大地に沢山してきたのだと思いました。


いるのに居なくさせられた神様、手を合わす人が急にいなくなった放られた神様、名前を変えられた神様、名前は人がつけるからどうでもよいかもしれないけれど、名前を変える事は支配を意味するとしたら、御祭神を変えることによって、実際いる神様の前で違う神様を思い手を合わせている場所があるかもしれない。


自然を破壊することによりいる場所を奪われた神様や眷属神や眷属。見えないけれど、千と千尋の神隠しのキャラクターに神様を想像すると何だか悲しい気がします。


令和の時代は人が神々の偉大さに謙虚になり、貪り続けることをやめ、元のお姿に戻していけるといいなと思います。


千と千尋の神隠し カオナシ

2021-05-28 06:28:00 | アニメ

千と千尋のキャラクター、最後は顔無しについて書いてみようと思います。


キャラクターは、ヤオロズの神様だけあって本当に色んな特徴があります。その中で、正邪全て併せ持ちつつ、形がかわり、全てを呑み込んだり、吐き出したりするカオナシ。なんだか、その佇まいに、無垢と哀しみ(カナシミ)を感じてしまいます。






カオナシは、神道でいう大自然の気そのものかなぁと思いました。大自然は目に見えますが、確かに目には見えないけれど自然や大地にはその土地特有の気があると思います。


その気をお祀りしたのが神社や祠。それは、気をきちんと感じることができた太古の方が畏怖や尊敬、人間とは格段に違う何かがある、いると感じたのだと思います。


神社や祠は神様の為のものではないと教えていただきました。津野山神界で民が不敬をしたから、神様のために祠を建てなければと思っていた自分の考えの浅はかさを思い知りました。


神様には我がないから神様であって、自分のために祠を建てて貰いたいとは思っていない。と気づかないといけませんでした。妹が、祟りなんていうのも、神様に不敬をしたからでもなく、神様の御神威がおりなくなっただけで、そうなったら人間なんて生きられないと言っていました。


人がいう祟りは、実は自分で作っていた。というカラクリ。


神は人の祈りにより威を増す。威を増したら、神は民や氏子を護れる。民や氏子が嬉々としている姿が神様は嬉しいのだと思いました。


食べるものも狩猟採集だった時代、衣食住の住は岩窟で、やっと時代。それが稲作に変わりました。狩猟採集、食べ物の保存も出来ず、明日の食べ物が無い時代を生き抜き、稲に辿り着くまでに長い時代がありました。


苦しい時こそ、獣が目の前に現れてくれた事に感謝し、神様を感じたのだと思います。ああ、これで家族が生きることができると。赤子を育てる乳も、栄養がなかったら出ませんから。


稲作は多くの民が食べること、食の心配を狩猟採集の時よりはしなくてもよくなくなりました。しかし、自然災害、旱魃は、食べることを脅やかします。


雨を祈る、大地のエネルギーを祈る、循環に感謝する。龍神様に感謝する。これは、生きることと結びついていました。


そして、話は現代にとびます。食べ物は溢れ、捨てる時代。私を含めて、神様をみえない人が物に溢れた社会にはあふれました。


大地を傷つけて自然を破壊しました。神社にいったら、自分のお願いばかり祈る人が多くなりました。もっと、もっとと。


内なる神様から離れた人が溢れ、神社が壊され、御神祭が置き換えられ、祈りすらされない神様がでて、威が増さないから、民を癒したくても癒せない無念の神様がでてきました。目には見えないけど確かにいるのに。


津野山神界の神様。


そして、荒脛巾(アラハバキの神)は長髄彦だと教えてもらいました。知りませんでした。神社でも、人の思惑で端っこに置いやられたり、または、祠さえ無いところもあるようです。


神様が見えない私には気づく術がない。審神できる特殊な能力のある方は、商売に走らないで欲しい。教えて欲しい。そうしていただけるとありがたいです。感謝です。


神様の声をきけるなら、気づかない人にいる事だけでも伝えて欲しい。神様をみえないし、声も聞けないけれど、私だって想像力なら働かす事ができるから。


カオナシ。存在するけど目には見えない、心で感じる偉大な神。太古からいて、人の心の変化に無言の哀しみを感じているような佇まい。


形あるものは消えます。お金で買えるもの。人もなくなれば魂のみとなります。本当に大事なものは、隠れて見えない。竹内まりやさんのいのちの歌にあります。この歌が大好きです。


カオナシや、釜爺、ハクは、幼いまだ穢れていない無垢な子供の主人公千尋と仲良くなります。


無垢とはいえ、最初は性格が可愛い女の子というわけではなくて、神様の世界で誰かを助けようとしたり、働いたりするなかで磨かれました。宮崎駿さんは、千尋をどこにでもいそうな女の子として最初描いています。




日本のアニメ史上、千と千尋の神隠しはずっと興行成績一位でしたが、鬼滅の刃に追い抜かれました。こちらも子供にも大人にも響く御神気溢れる剣をテーマにした作品のようですね。


アニメは日本の誇るべき文化です。日本が奥深い文化をもつからこそ生み出されるストーリー。日本って素敵な国ですね。




千と千尋の神隠し ハク

2021-05-27 04:40:00 | アニメ

宮崎駿監督、千と千尋の神隠しで出てくるハクについても書いてみたいと思います。


千尋を終始助ける中性的な美しさをもつハク。千尋が消えそうになった際も存在が消えないように手助けしたり陰ながら支えています。


ハクは本来の名前を奪われ、本来の自分を忘れます。支配されてしまうのです。しかし千尋と会い変わります。千尋も千と名前を変えられています。


千尋に自分が誰なのか正体をしっかり覚えておかないと元の世界に帰れなくなってしまうと忠告します。ハク自身自分の正体を忘れて苦しんでいるのです。岩戸が閉まって自分では開けられなくて苦しんでいるイメージがしました。


しかし、ハクは最後に千尋によって自分の名前を思い出します。ハクはコハク川の白龍神。


ハクの本当の名前は


ニギハヤヒコハクヌシ。

饒速日命琥珀主。




ところで、ニギハヤヒノミコトとハクの本名は繋がっていて、何か隠されているよねと妹と話したことがあります。

『先代旧事本紀』では、ニギハヤヒノミコトは「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」といい、天忍穂耳尊のお子様で瓊瓊杵尊のお兄様です。お名前の中にある櫛玉は、奇魂と響きが同じです。

 

奇魂 は神が持っている側面の一つで、幸魂と同じく、和魂(にぎたま)の一部。非常に不思議な力を持っているとされる神霊。


また、神話のニギハヤヒノミコトは物部氏、穂積氏、尾張氏、海部氏、熊野国造らの祖神と伝えられているようです。(ウィキペディアより)


天孫降臨は、瓊瓊杵命(弟)の先にニギハヤヒノミコト(兄)が天照大神から十種の神宝を授かり天磐船に乗り天降った話があります。


十種の神宝検察画像より



ニギハヤヒノミコト検察画像より

長髄彦について書いた時には、頭の回路が繋がっていませんでしたが、なるほど、2人の兄弟の天孫降臨があり、先に降りたニギハヤヒノミコトを長髄彦がお慕いしていたのだと調べていくとわかりました。


長髄彦は、後から攻めてきたカムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)に抵抗したのです。自分も天孫を大事に思っていると。そして、討たれてしまう。その縁者は、東北に逃れ蝦夷と呼ばれたり、四国なんかにも逃れたりしたようです。


話が飛んでしまいすみません。話をもどします。千と千尋の神隠しの中の感動的なシーン。千尋がハクに言います。


「ハク、聞いて。お母さんから聞いたんで自分では覚えてなかったんだけど、わたし、小さいとき川に落ちたことがあるの。その川はもうマンションになって、埋められちゃったんだって。でも、今思い出したの。その川の名はその川はね、コハク川。あなたの本当の名は、コハク川!」


ニギハヤヒコハクヌシという本当名前を思い出したハクは、嬉し涙を流しながら手を繋いで千尋と天から舞おりてきます。千尋を思うハクの気持ちとハクを思う千尋の気持ちがぴったり合わさったのです。感動。






ハクは白龍神。埋めたてられた川の土地の精霊そのものだったのです。



映画では違う場面ですが、この画像の隠れたメッセージ、神様を痛める自然破壊に胸が痛くなりました。


ニギハヤヒノミコトは天孫降臨した神様ですが日本記紀では神話の表舞台からは姿を消しています。


ニギハヤヒノミコト(古事記では 邇芸速日命、日本書紀では 饒速日命)は先代旧事本紀では大物主神のようです。


天の浮船に乗って国外からやって来て、神武天皇以前の王朝、三輪王朝を建て統治し、没後は三輪山に埋葬されたとの記述もありました。


三輪山に参拝したいと思いました。




とにかく、ジブリ映画は噛めば噛むほど味わえる映画です。宮崎駿監督は何か日本人の心の奥底に隠れた所をくすぐるメッセージを映画を通して送ってくださっている監督だと思います。



千と千尋の神隠し 釜爺

2021-05-26 06:08:00 | アニメ

宮崎駿さんの作品は、わかるようには作らないとご本人がおっしゃっているようです。確かに、何回見ても発見があったり、子供だけでなく大人の心の奥に響くキャラクターが沢山います。


神話の神、しかも隠されたりした神様にも焦点をあてていたり、神=自然という視点からも描かれていたりしているように思います。わかるようには描かないという宮崎駿監督の言葉に、「わかりたい」気持ちがふつふつと湧いてきます。笑


恋愛は人が心惹かれやすいから、キャラクターには多少恋愛もとりいれていますが、恋愛もどちらかというと人間愛、また自然と人、神と人、人に根付く差別意識、自然破壊なんかをテーマに壮大なストーリーが様々な作品に織り込まれ創作されている気がしています。


今日は、千と千尋の神隠しの名脇役について書いてみようと思います。まずは、釜爺。


ヤオロズの神様の世界に迷いこんだ千尋。名前を変えられます。名前を変えられる。これは、支配を意味したり、本来のものを隠すことを意味していると思います。岩戸を無理矢理閉められる感じ。


自ら名前を変えて、本来の自分を隠すことも歴史の中にありました。平家落人が名前を変えて山中に隠れて暮らしたこともあったようです。


人間だけでなく、神社の御祭神だって、名前を変えられ隠された神様もいらっしゃるようです。


また、名前を纏めて差別的に呼ばれた土着民もいましたし。土蜘蛛のように。


千と千尋の神隠しに出てくる愛すべきキャラクター釜爺は手が沢山ある蜘蛛と人間が合わさったようなキャラクターです。


千と千尋の神隠しの神様の世界では、人間が差別されます。人間であることを隠さないといけない世界に人間の少女千尋は迷いこみます。千尋も千と名前も変えられます。その中で、人間である千尋をそこまで差別していない神様が釜爺です。


宮崎駿さんはボイラーの火の調節をする釜爺を蜘蛛のような姿で描いています。釜爺は無数の引き出しから薬草の調合なんかをします。





お名前から想像するに、竈門の神様や塩竈神社の神様なんかから釜爺のヒントを得ている気がしました。そして、身なりは土蜘蛛からも。千尋ははじめギョッとします。しかし、釜爺は優しいのです。


釜爺の目にはサングラス。光を苦手にしているのかな。これは、岩窟に住んでいたとされる太古の土着の民、土蜘蛛も結びつけているのかなぁと思いました。勝手な私の空想です。


また、釜爺のカマからカマド、竈門の神様。三宝荒神を思いました。木彫りのご本尊が三面の津野山神界の耳の神様を思いました。御神体は磐笛。耳の神様は、神と人を繋ぐ神様だと教えてもらいました。


人が差別される世界で、釜爺は千尋の話をきいたり、千尋にアドバイスします。人と神を繋ぎます。まるで、耳の神様のように。


ところで、映画の中で釜爺が「えんがちょ」という言葉を真っ黒なススを踏んだ千尋にかけます。


えんがちょという言葉が何かわかりませんでした。調べると縁がちぎれるとか書かれていました。


竈門の神様は不敬あれば焼き尽くす火の神とも。台所でお祀りされたりしています。


しかし、チギには、契るという結びの言霊や、千木の響きもあります。高天原(天)に届く千木。祝詞にも千木高知りて、とあります。千木はお宮の天辺のの木。霊木。






えんがちょには、穢れがついたら祓い結界をはるようなイメージと、お宮の天辺の霊木、クロスの形の木のように、人の心にも感合したら天に届けるみたいなイメージが湧いてきました。これも勝手な空想です。


千と千尋の神隠しに出てくる釜爺の沢山の手は、働き者の手です。温泉の湯の温度や湯質を手を抜かず調節しています。


千尋に、手を出すならしまいまでやれ。と、ピシャリと言います。しかし、厳しいだけでなく千尋を助けたり。また、あんたも気まぐれに人の仕事とっちゃならねぇ。なんて語ります。愛すべきキャラクターの釜爺です。


千と千尋の神隠しは、千尋が神隠しにあった話かと思っていましたが、実は神様の中に、差別された太古の土着民のイメージを投影して隠したりしている気がしました。


つづく