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大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

薩都神社 in 茨城

2024-08-29 08:56:00 | 神社仏閣

大分県佐伯は大和朝廷に抵抗し、サエギったとも言われ、山の佐伯野の佐伯と言われたとありました。義父の実家が佐伯なので、縁のある地に行こうと一昨年は九州をまわりました。

土蜘蛛が抵抗した地に行きました。そこは、数えきれないほどのトンボが飛んでいました。


「茨城」の地名の起りについて『常陸国風土記』には佐伯のことが記されています。

「山の佐伯と野の佐伯 が土地の人々に危害を加えるので、この悪賊を滅ぼすのに茨(うばら)で城 (き)を造った」という説です。山の佐伯、野の佐伯を土雲、都知久母(ツチグモ)ともよんでいます。

茨城の地名の由来のもう一つは、黒坂命が国栖(くず)たちを征伐する際に、彼らの住居に茨棘(うば ら)を仕掛けたからという説でした。国栖とは、ツチグモと同じようなまつろわぬ抵抗勢力です。


茨城県にあります竪破山の頂上にこの黒坂命が祀られている黒前神社があるようです。

この山はもとは角枯山(つのかれやま)と呼んだようですが、紀元前80年頃、蝦夷征服に出征していた黒坂命(くろさかのみこと)がこの地で病気になって死んで以来、黒前山と呼ぶようになったと、「常陸国風土記」で紹介されています


その後、江戸時代になって、八幡太郎源義家の故事にちなんだ岩に、西山公徳川光圀が「太刀割石(たちわれいし)」と名づけ、この名前からこの山を竪割山、竪破山と呼ぶようになったようです。


八幡太郎源義家の故事とは、寛治元年(1087年)、八幡太郎源義家が、奥州遠征(蝦夷討伐)の折立ち寄り、巨石の前で野宿をしていると、夢の中に「黒坂命」が現れ大太刀を差し出し、その大太刀を一振りすると、岩が真っ二つに割れた話で、太刀割石(たつわりいし)→竪破山(たつわりやま)となった、とか、、。

この地は、ツチグモ征伐の黒坂命が病に倒れた地であり、また、八幡太郎源義家が平安時代末期に奥州の蝦夷征伐の戦勝祈願した地など、戦いの伝説がのこります。

この竪破山にある巨岩は、刀で切られたような岩であり、鬼滅の刃の聖地みたいですね。


写真はお借りしました。


この夢の中ででてきた「黒坂命」は、茨蕀(うばら)(いばら)をもって土着先住民の国巣(栖)(くず)をほろぼし、また、陸奥の蝦夷を討ったとつたえられています。


茨城の薩都神社に行ってきました。薩摩が都、というような名前だなぁと思いました。こちらの神社は風光明媚な田舎に静かにたたずむ神社でした。周りの雰囲気は、どこか、阿蘇の霜神社に似てるねと夫と話しました。






薩都神社の御祭神は、
立速日男命(たちはやおのみこと)
風土記では、立速日男命の祟りに苦しんだ住民たちの要請を受けて、中臣鹿嶋連の祖・片岡大連が朝廷より派遣されて祭祀させたとあります。


また、常陸国風土記』には薩都神社の項が存在し、788年松澤の地に社を建てたのを創祀とする。800年には村人の奏上により大連を派遣したところ「穢れ多い里よりも高山の浄境に鎮り給へ」と託宣があり賀毘礼之峰(日立市入四間町)に遷座、更に806年には山が険しく人々の参拝が困難であるから小中島(常陸太田市里野宮町)へ遷座したとありました。


参拝をおえると、不思議なことがありました。一枚ヒラヒラと空から白いものが落ちてきました。なんだろうと思って地面に落ちたものをみると、鳥の小さな羽なのです。この羽🪶、大切にします。




薩都神社のあとは御岩神社にむかいます。御岩神社の中腹には、薩都神社が祀られているし、御岩山頂まで登拝したいと思い、以前も御岩神社は姉と参拝しましたが、再度、今回は登山装備で御岩神社に向かいました。


薩都神社を去ってすぐ、大きな青鷺がもう少しで車にぶつかるかもしれないほどの距離で飛翔していきました。先日も、妹と大瀬神社に行った時に同じ事がありました。

不思議だなぁと思いながらも、薩都神社で手にした羽の主かもなと思いました。


大瀬神社 in 伊豆 土佐との縁

2024-08-07 09:20:00 | 神社仏閣

伊豆に妹が気になる神社があるというので参拝いたしました。大瀬神社です。

伊豆は大室山に以前家族と行って以来です。

大瀬神社は由緒が興味深く、下記のとおりです。

大瀬崎は、白鳳13(684)年の大地震で海底から現れた島が始まりとされている。いにしえの人々はその島が、地震で海没した土佐国から神が引いてきた土地だと信じ、大切に祭ったという。そして神から授かったその池を、神池と名付けた。

2年前の春,桜の時期に、妹と参拝しました高知の南国市にあります琴平神社 (海の痕跡 )は小高い山の上にあり太平洋や南国の街並み全貌を見下ろすことができます。

そこの神社まで、白鳳の大地震の津波がやってきたことが記され、高知はかなり海に沈んだことが書かれていたのを思い出しました。

南海トラフ、恐るべしです。

伊豆の神社には龍のような迫力の木が沢山ありました。ビャクシンの木のようで、ビャクシンは和の白檀とか言われているようですね。



まるで、土佐の海にいた龍がこれでもかというほどのエネルギーを時代を超えて体現しているようで、木々は樹齢1000年を超えるもののようです。土佐の地が深海に沈んだのが684年。1000年以上時が確かに経過しています。

この海では、沢山のダイバーがダイビングをしていました。そういえば昔ダイビングのライセンスを伊豆の海でとったことを思い出しました。この海だったかは、残念ながら忘れましたが、なぜか懐かしい気がします。まだ、大学生の頃で神社は興味がない若い頃です。笑


大瀬神社には引手力命(ひきてちからつのみこと)が祀られており、この神を祀る神社は日本全国でこの神社だけなのだそうです。

戸隠神社や、天岩戸神社、天手長男神社壱岐島)に祀られます、岩戸開きにでてこられます手力男神と近い神様かなぁと、妹と話しながら,この地で一番高い所にあります社にのぼっていきました。本当の岩戸開きは皆一人一人がするものだと思っています。



ところで、沈んだ土佐のご神域を次の日に引っ張ってくる力のある神様。土佐を7世紀に襲った南海トラフ。土佐が壊滅した次の日にできた島は、駿河トラフや相模トラフ上にあるわけです。考えが及ばない巨大なエネルギーの吸収と放出が1000年以上前になされます。地球の年齢からいうと、1000年もほんの少し前かもしれませんが。


いつの時代も人間は小さくて、サムシンググレイト、神のお働き、大地の上で、生命活動をさせてもらっている小さな小さな存在に過ぎないと感じます。

鳥居をくぐります。クロアゲハにあいました。手水舎のあたりで妹がアライグマ🦝がいる!というのでよくみてみると、ハクビシンではないですか。



右手に海、左手には龍泉木のようなビャクシン樹木の参道をあるいたあとに出会うハクビシン。



なんだか音の響きが似ていませんか。

ビャクシン,ハクビシン。

ビャクシンは、和の白檀。白檀はお香に使います。

ハクビシンは白眉神かなと調べたら、白鼻芯 😄だそうですね。鼻からスサノオ神を思ってしまう。。


海上安全、ダイバーの安全、美しい海を守る土地神様。この地の動植物、精霊、やおよろずの神のエネルギーの土地。

周りを海に囲まれたこの島は、島全体がご神域です。島の真ん中には外周1キロの淡水の池があります。土佐の地震の後、島と共に突如現れた池は、神池と呼ばれており、海水に囲まれたこの地に突如うまれた淡水の池。


伊豆の7不思議だそうです。

神池には、沢山の淡水魚が生息しており、この魚をとったりしたら、怖い懲罰が起こるとしるされます。向こうの木に白鷺がいました。


この池は富士山の伏流水が流れているとも言われており、大きなフナや鯉がたくさんいました。地震と縁深いなまずもいるようです。

ビャクシンの御神木のエネルギーは、神池の周りではさらにパワーアップしています。圧巻でした。



御神木の下の小さな祠の前に可愛いハートの石がありました。土佐と伊豆の縁を引いて結んだのかな。


伊豆は、大室山について書いた時も感じましたが、結びの地かもしれませんね。

トラフを抑えるよう、太古の大災害を忘れないように、祈りの力を信じます。大難を小難へ。

地球神のお働きの壮大さを感じます。

こちらの島からは、富士山が望めるようです。

ご神域の中の海側に灯台があり、砂利の海岸には誰かが積み上げた石もありました。

酷暑の夏には雲が発生しやすいので富士山全景をみるのは難しいですね。 今回は裾野しか見えませんでした。


冬空気の澄んだ日に再度行きたいです。


金櫻神社と昇仙峡 in 山梨県

2024-04-19 05:01:00 | 神社仏閣

妹が所用にて関東にきていました。


私の平日休みに、妹も空いていたので、急にどっか行く?という話になりました。


まだ参拝していない神社で、関東圏では、安房神社か金櫻神社に行きたかったので、妹に選んでもらいました。


桜シーズンだし、金櫻神社は昇龍と降龍がいるというのを妹が見つけ、辰年だし、金櫻神社にしようと言いました。じゃあ、決定❣️と、車を運転してもらいました。


金櫻神社はいいよと、ある方に以前に勧められ、ずっと行きたいと思っていましたが、実際に行くと素晴らしい神社でした。


山梨の昇仙峡は、水晶発祥の地みたいですね。

安いものは500円くらいで水晶が手に入ります。娘たちに水晶をお土産に買いました。


金櫻神社は桜が満開でした。櫻が神社名になっているだけあり、ピンクで染められたご神域は息をのむ美しさでした。


参拝して、さらに、山の頂上むけて緩やかな坂道をのぼりました。空気が変わる場所がありました。龍が悠々と泳いでご神域をお護りしているように思いました。


頂上では、富士山と金峰山を遥拝できます。天皇陛下が皇太子だった時に詠まれた和歌の碑がありました。私達はふたりしか居ませんでしたので、自然の中で坐をしました。


目の前に松がありました。


桜の時期🌸に参拝できて、良かったです。


金櫻神社からすぐの所に昇仙峡がありました。


そちらも素晴らしかったです。

ご神域をおまもりしているのでしょうか。めったにみることが出来ない黒鷺が、水辺にずっといて、神々しかったです。黒鷺は、一昨年前冨士浅間大社に参拝したとき以来、久しぶりにみました。冨士神界のご眷属なのかも、、ですね。


桜満開で美しい金櫻神社と近くの昇仙峡、その途中に夫婦神社もありました。


行きの車では、雨がパラパラ、、行きは富士山🗻は遥拝出来ないかもね、、なんて妹と話しましたが金櫻神社に着く迄には雨もあがり、蒼空になりました。神社からは、富士山🗻は遥拝出来ませんでしたが、雲の織りなす自然美を何度も見ることができました。


楽しかったね、、と帰途につく道中、いきなり🦌が車の前に飛び出してきました。急ブレーキです。鹿をシカなくて、、よかった。。後にも車が来てなくて良かった。。。

ホッと一安心。

ご神域にいる動物達も、命がけで横断するんですね。。


帰りの高速道路から、ようやく富士山🗻を見ることができました。🥹感動。


動画にしましたのでもしよければご覧ください。





高知市潮江天満宮

2024-04-10 05:35:00 | 神社仏閣

昨日の続きです。


安楽寺の住職さんのお話によると、

伝承によれば、菅原道真公の長子である菅原高視が配流先の土佐国潮江で菅原道真逝去の知らせを受け、筑紫にある道真の菩提寺の安楽寺にちなんで、当地に安楽寺と潮江天満宮を建立しました。





安楽寺は、いまは、八十八ヶ所巡りでは奥の院です。


潮江天満宮は、娘達が七五三をしたり、また、末娘のお宮参りの場所です。


菅原道真公は怨霊なんていわれて、とんでもない!清らかな御方を貶めたことは、貶めた本人がいちばん分かっているはずだ!と、以前も書いた記憶がありますが、、、

道真公のご長男の高視朝臣が同時期に土佐に配流されていたことなどは、安楽寺の住職さんに教えてもらうまで全くしりませんでした。


法要も無事終えて、次の日は飛行機の時間が遅かったので、潮江天満宮に参拝せねば、、と久しぶりに妹と行きました。


この神社、本当によかったです。天神町にあり、近くを鏡川が流れます。


白太夫は、道真公が太宰府でおなくなりになったあと、遺品を太宰府から侍臣白太夫が遥々ご長男のいる土佐までやってきます。



白太夫

しかし、白太夫は、長旅で高知市長岡郡船戸でお亡くなりになってしまいます。。長岡郡には、大豊に日本一の大杉があったり、龍王の滝があったりします。

「長岡郡」とは、奈良時代には陸奥国(東北)にあった地名であり、「船戸」は、高岡郡津野町にもあります。水に関係するところなのでしょうか。津野町船戸には西日本の龍神様の聖地、白龍と黒龍の棲む稲葉洞があります。


高知市,土佐は、昔は配流先ですので、東北との地名の共通点にはどこか因縁を感じます。

陸奥は、アラハバキ神を祀ったり、隠された神々の聖地、蝦夷とよばれ差別された人々が住む地。

土佐にその地と同じ地名があり、道真公の忠臣の侍従が亡くなったという歴史があったとは。安楽寺の住職さんから潮江天満宮についてきかなかったら、知らないままでした。


昔は、車とかないだろうし、土佐は特に四国山地がキツイだろうなと思います。

道真公ご長男の高視朝臣は、白太夫が遥々持参した亡き父の遺品を収め、霊璽として、潮江天満宮に祀ったのです。


境内には、道真公、左に、長男高視、右に北の方が祀られていました。

相殿には天穂日命、大海津見命

境内には白太夫社、若栄社、大山祇神社、早良宮、島崎神社、幡竜宮が祭祀されていました。

道真公といえば、梅を愛し、一晩で飛んできたとされる飛龍梅。高知では、飛龍梅はまだ咲いていませんでした。


潮江天満宮のショートムービーをどうぞ。





高知市 安楽寺

2024-04-09 05:42:00 | 神社仏閣
父の一周忌の法要で帰省しました。


故人でも、肉体はなくても御霊は生きているもの、蝶やトンボ、鳥や蜂なんかの生き物に瞬間に宿る気がしており、お墓で蝶が飛んできたり、大きな蜂が飛んできたりしたのは、お父さんの御霊が一瞬宿ったのかな、とか思うと小さな虫の命も愛おしい。


ところで、

安楽寺という真言宗のお寺の住職さんを一周忌の法事を家でするためにむかえに行きました。


我が家への道すがら、住職さんから安楽寺の歴史を噛み砕いて教えてもらいました。


菅原道真の長子である菅原高視が、父道真公と同じ時期に土佐に配流され、この高知市の潮江で菅原道真逝去の知らせを受け、筑紫にある道真の菩提寺の安楽寺にちなんで、土佐の地に建立します。


また、潮江天満宮も建立します。潮江天満宮は末娘のお宮参りの地です。


寺は当初の潮江から升形を経て久万に移転します。(潮江、升形、久万はいずれも現・高知市内です。)。


その後、安楽寺は大寺院となりますが、1467年に始まる応仁の乱の兵火を受けて焼失し衰退します。京都の次に凄まじい戦いが繰り広げられたのが、この土佐だったといいます。


その後、100年続いた応仁の乱がおわり、1590年の金剛福寺文書に「久万安楽寺」とありとの記載で、当時は久万に寺があったことがわかったようです。


安楽寺は、その後、江戸時代に弘法寺(現・高知市三谷の三谷寺)の栄俊大徳により再興されますが,明治時代の廃仏毀釈の影響でついに廃寺となります。


しかし、明治8年に長宗我部氏の菩提寺であった旧瑞応院跡に再興されます。


創建→衰退→復興→廃寺→再興


まるで、七転八起です。人の人生みたいです。


人生色々

お寺も色々


再興したあとは、また色んな経緯を経て今は四国八十八箇所の第30番札所奥の院と定められています。


昨年、高野山に昨年行ってきました。

2024年は弘法大師御誕生1250年で、八十八番札所から一番札所に向けて逆回りでめぐる逆打ちお遍路ができる年みたいですね。


安楽寺の住職さんにのような歴史を聞かされるのも、不思議と意味があることに感じました。


つづく