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大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

恵比寿さまの御神木と耳の神様 参拝

2024-04-08 05:46:00 | 神社仏閣

昨日の続きです。


金毘羅からつづく細い道をあるきその後は、恵比寿さまへ。


御神木は大きくて、、かわらないです。

素敵な空間です。

この地が長いこと誰からも忘れさられていたとは思えないくらい、荒れずに残されています。

隠れた聖地とは、そういうものなのかもしれません。


千手観音と私は思っています。人から忘れさられても、何があっても、この大地を、人を、自然を守る観音様もこの地にはいらっしゃる。優しい恵比寿さまも。









恵比寿さまから、金毘羅にもどり、金毘羅様から山をおります。



この道をつくってくださったんですよね。。昔は何も無かった。有り難い。。


山を降りると、次は耳の神様に行く前に、水神様に手をあわせました。ついでに、四万十川で足を。

あー、冷たい。気持ちいい。

綺麗な水。綺麗な空気。気の良いみんな。心地よい時を過ごしました。




足を拭いてから、耳の神様まで歩いていきました。先ずは荒神さまに手を合わせます。次に耳の神様。


姉と妹の友達のご主人は、2人揃うと漫才がはじまります。


耳の神様に向かう参道の竹藪の竹が、元気がなくて、大丈夫かなと思いました。

もっと青青していたはず、、。

耳の神様、角山神界の神様、この高知の、四国の大地の御守護をよろしくお願いします。


最後は白龍湖。



前来たときより、鯉が重そうでした。😓

エサが売られていて、観光客が餌をあげるのでしょうか。

これでは、、鯉の成人病を心配してしまいます。湖に泳ぐ猫みたいになっていました、、。



不自然です😞

前、観光地になっていない時は、もっと優雅でした。


きっと水にあるプランクトンとかでも生きるはず。。錦鯉は、10日くらいエサがなくても生きるみたいだから、ダイエットさせて欲しい。

こういう場所はエサをあげないでください、、とか書かれているような気がしますが、逆!!ではないですか、、。


少し歩くと、蛇ケ淵です。石がつまれています。前はそんなことなかったなぁ。

弓矢権現のお話とかもあって、田舎にまつわるこういう伝承って、私は好きですね。





とても楽しい1日を過ごせました。津野山の神様ありがとうございました。



稲葉洞から金毘羅様へ

2024-04-07 08:05:00 | 神社仏閣

父の一周忌で帰省しました。少し前のことです。


あちらの世界で、父は頑張っていることと思います。賑やかな3姉妹が帰省すると、父もこちらの世界をみに来ていたのかなと、所々で父を感じました。


一周忌の前日は、津野山に妹夫婦、妹の友人(お客さん)と、姉と、計7人で津野山に行きました。


やはり、ここは聖地だなと思いました。


先ずは、義堂絶海のふるさと、津野町船戸にあります稲葉洞へ。白龍と黒龍がおられる龍王洞で、不入山の入口のようでもあります。ここは、四万十川が目の前に流れ、本当に美しいところです。






白龍になったとされる綾姫伝説が伝わります。




皇室にとつぐも、後継問題に苦しみ悲しみの末に亡くなった綾姫さま。絶海和尚につれられて、この地、四万十川源流の里まで逃れるも、最期は命をたたれ、白龍となった伝説があります。絶海和尚の生きた時代ですから、室町時代初期ですね。





義堂と絶海は、五山文学で有名で、こんな山深いところからよく登りつめたなぁと思います。


先日参拝した、天龍寺の夢窓疎石とも縁があり、また、絶海和尚は、京都では、相国寺にいたお坊さんです。


時代は違いますが、江戸時代の白隠和尚も京都では相国寺にいたようで、動画にした時は知りませんでしたが、不思議と繋がっているんだなぁと思いました。



津野山では、まず金毘羅様に参拝しました。

1年前は、母ときましたが、今回は、母は痛みがあるので行けませんでした。



金毘羅様では、桜や梅が咲いていました。この地を愛する縁ある身魂の皆さんが植えてくださった植物が生長しつつあります。




母が奉納した砂利が従兄によって山のてっぺんに運ばれていました。感謝。この砂利を妹達家族が近々広げるみたいです。。




これまた感謝。


つづく



天龍寺と三十三間堂へ

2024-03-20 09:26:00 | 神社仏閣

貴船神社に参拝した次の日、どうするかを娘に聞いてみました。

すると、竹林の小道に行きたいというので、どこにあるのか調べていたら、天龍寺の北口から続く道とありました。

天龍寺という名前は、夢で見たことがありました。石碑に天龍寺と刻まれたところの門からすごい数の馬が走りでるのです。それをテーマに愚作の創作童話を書いたっけ😅


夢では、亡くなった友と貴船姓に縁がある友ともう1人の友と眺めていました。不思議な夢だったので覚えていました。


嵐山の駅に着くと平日ですが外国からの観光客が沢山いました。そして、天龍寺に到着です。

お寺の門の隣に大きな石碑がありました。大本山天龍寺と刻まれています。この石碑みたいなの、あの時、夢でみた、、かも、正確にいうと、天龍寺の門の隣に、この石碑みたいなのがあって、同じではないけど、似ている、デジャブのような感覚になりました。




南北朝時代をいきた禅僧、夢窓疎石は、南朝の後醍醐天皇にその才覚を見い出されます。天龍寺は、その夢窓疎石が後醍醐帝の鎮魂のために建立しました。夢窓疎石は世界史上最高の作庭家で、庭園は今でも観光客を魅了しています。

また、近くの渡月橋も夢窓疎石の作のようです。




母の実家である津野山出身の臨済宗の僧、義堂絶海らと共に、夢窓疎石は五山文学の有力漢詩人だったようです。特に絶海中津は、夢窓疎石から教えを直接うけたとありました。

義堂も絶海も五山文学の双璧であり、以前十牛図をこのブログで書いた時に紹介しています。


天龍寺に入るとすぐに達磨仏の絵がありました。


私は坐をしていますので、達磨仏を尊敬しています。また、寺院内にあった雲龍図はそれは圧巻でした。








庭園を散策後北口を出て竹林の小道に入りますが外国人観光客が多かったですね。きっとガイドブックにあるんでしょう。竹林は風で,ザワザワゆれ、まるで風に龍が泳いでいるようでした。雲龍図の龍かしら?






人混みからか、娘の体調が少し心配になり、折り返して嵐山駅に向かいました。

京都駅につくと、あとひとつ行きたい神社があるというので、東山方面にある神社に行きます。


その神社はひとりでいくというので、私は娘を鳥居前で待っていました。御祭神の一柱が大物主神でした。三輪山の御祭神です。この神社は強い縁切りと縁結びの神社らしく、私と縁が切れたら嫌だから、、と験担ぎのようなことをいうので、娘の意向を尊重し、鳥居近くで待っていました。沢山の鳩が飛んできました。




平和だなと思いました。


最後は、三十三間堂にいきました。姉も妹も良かったというので、私が同じバス路線だし、行こうとリクエストしました。観音様の像が沢山あります三十三間堂の33って、三三だな。

津野山のミミの神様、観音様。と先日

教えてもらいました。

津野山の恵比寿様の御神木が千手観音みたいだと以前書いたことがありましたが、沢山の千手観音様の像が三十三間堂にはありました。



津野山神界 恵比寿様の御神木


何か形にあるもの、ご本尊にでもすがって祈りたいという人の思いや、この地に蓄積された祈り、人がもつ様々な思いや、どうしようもいかない思いを、ただ救いたいという優しい無形の思いで、仏像という形あるものをこえた、みえない菩薩様がおられる気がしました。

津野山の耳の神様のような優しい神様かもしれません。


娘に色々良かったね。行く予定していなかった三十三間堂を娘は気に入ったみたいです。

少しずつ。一歩一歩。

きっと大丈夫。

辛かった分大きく成長することでしょう。



娘と貴船神社へ

2024-03-18 05:40:00 | 神社仏閣

長女から行きたい神社が京都にあるから一緒に行かない?と言われ、どこ?と聞くと貴船神社といいます。


私は2回行ったことあるよーというと、

えっ、、そうなの!?


という感じでした。


どうして貴船なの?って聞くと、水に関係する神社に行きたくて調べてたら貴船神社がでてきたみたいです。


玄天の龍神様がいらっしゃるんだよ、、と以前教えてもらった事を娘に教えてあげました。


岐阜の伊奈波神社の黒龍大社に参拝し、次は玄天の龍神様かぁ、、行こう!と即決。


長女が、自分から行きたいというのは珍しいので、これはすごい事だなと2人で京都旅行に出かけました。


娘なりに何か思うことがあったのかもです。以前娘は大きな黒龍神がついているといわれたことがありました。兎に角、行きたいなら行って貴船の空気だけでもお腹いっぱい吸い込むといいなと思いました。




年頃の娘との旅ですが、娘は非常に静かなので、私もその静かさの中で神社参拝をしてきました。


貴船の奧宮まで参拝を終えると

お母さんつれてきてくれてありがとう

と言ってくれました。


私は、この神社には良い思い出があってね、、と以前2回来た時のことを色々話しました。




小雨が降る日でした。そんな中、奧宮を参拝した後、ひとつだけお母さんのお願いを聞いてくれる?と娘に頼みました。

貴船川に行っていい?と。。

いいよ。と、言ってくれたので、小雨降る中、河原に一緒におりていきました。




そこで、暫くいました。そして目を閉じて経をとなえました。傘にあたる雨音が弱くなったので、傘を閉じ、暫くすると少し光を感じました。その後何かの気配を感じたので、娘かなと思って目をあけたら、娘ではなく白鷺でした。


とても美しい。はじめは遠くにいましたが、2羽のうち、1羽はその後すぐに私の目の前を飛翔していきました。




そして、あとの1羽も近くに飛んできて、その1羽は美しい姿を近くで長い間見せてくれました。




その場には、私と娘しか居ませんでした。


白鷺も応援してくれてるよ。きっと色々大丈夫だよ、なんとかなるからね。。

ケセラセラ。。。


来て良かったね。


家族旅行ではなく、こうして2人だけで旅行したのは初めてでした。とても嬉しかったです。


貴船の神様、ありがとうございました。


伊奈波神社 in 岐阜

2024-03-01 06:35:00 | 神社仏閣

思いつきで岐阜まで一人バスに乗っていきました。伊奈波神社にあります、黒龍神社に参拝したくなり、気持ちにまかせ、家族に明日帰るからと言って、夜中に家を出ました。


家族の都合がなかなか合わないから、一人で行ってこよう、、と思い立ったらすぐ夜行バスを予約していました。


翌朝早朝岐阜に到着。岐阜は、数年前、白山中居神社を参拝して以来です。郡上の山奥にあります白山中居神社は3月末でも雪深かったですが、いなば神社は岐阜駅から徒歩で行けますし、そんなに寒くは無かったです。


なぜ急に行きたくなったのかはさておき、黒龍神は、私のイメージでは地龍神です。人が生まれるずっと前から、大地を形成した、そんな神様。大地が汚され削られたりすると全身で痛みを受けたりするのかもしれません。


大地は人間の罪の蓄積を引き受け耐えきれなくなり揺れるのかも。まるで、生きた龍体が溜まった膿に悶え悲鳴をあげるごとく。。


大地に人が落とした罪を引き受ける神様、そんなイメージが黒龍神にあります。お陰様、気づかれないお働きをする神様のイメージです。大地は生きていて、人はすまわせてもらえています。落とすなら感謝の気を。


岐阜の白山中居神社も、黒龍神と縁深い地のようでした。伊奈波神社に祀られます黒龍大神も、ずっとこの地にいらっしゃる神様のようです。






早朝でしたから、人もほとんど居なくて静かな空間でした。


伊奈波神社と黒龍神社だけ参拝する予定でしたが、これですぐ帰るのもなぁ、、と調べていると、伊奈波神社の背後にある金華山ロープウェイで金華山頂上に行けることがわかりました。

折角きたから、山の上にいってみることにしました。


金華山の山中の丸山に、実は旧伊奈波神社はあったようです。行って分かったことですが、金華山は昔は稲葉山という名前でした。それで、「伊奈波」神社なんだ!と急に親近感があがります。




母の実家の高知県高岡郡津野町にあります稲葉洞は、龍王洞で、昔から白龍神と黒龍神がおられるという逸話があり、同じ「稲葉」で、さらには、黒龍神!だと思ったわけです。


そして、金華山の登山道に、旧伊奈波神社跡地である丸山があるのをロープウェイ乗り場でみつけて、歩いて山道を登っていったのでした。


麓から15分くらい歩いたところでしょうか、そこには、烏帽子岩があり、昔のような社はないもののお祀りはこの地で継続されているようでした。そして、地質は龍体のようでした。

南半球海底の岩石層ってすごいなと思いました。地球創生🌏を感じました。金華山は、チャート、この岩石層で出来た山でした。





丸山到着です。山中、急に開けたゴツゴツした地の周りに生い茂る森を、ざわざわと何かが動く音がしました。


可愛いリス達が沢山🐿️駆け回り、小鳥が私の目の前を飛び近くにとまってくれました。この太古からの祈りの地にひとりでしたので、神社跡地にすわり、この小動物にとても癒されました。






帰りの新幹線の駅へむかう電車の中で、なんと、、ちりゅう、、という地名が案内板にでてきました。




黒龍神様、地龍神様、伊奈波神社の神様、参拝させていただきありがとうございました。🐉